第1章 part1



 ロアル大陸とオーダリア大陸にまたがるユトランド。ここでは、世界各地と同じように、冒険者の集団・クランが存在する。いわゆる何でも屋で、モンスター討伐や要人の護衛、人探しのような重要な仕事のほか、おつかいや店の手伝いなどのささいな仕事も引き受ける。その仕事はクエストと呼ばれており、一般人でもできそうなものから熟練した戦士でなければ受けられないようなものまで様々な内容がある。
 ユトランドで活動する様々なクランの中でも、賞金稼ぎとして特に名高いのはバウエン一家だが、最近は、ここ数年でめきめきと頭角を伸ばしてきたガードナーにその地位を譲りつつある。これは、エンゲージを専門とする賞金稼ぎのジャッジつきクランであり、東の国出身のリーダーに率いられている。特に拠点は定めておらず、ユトランド中を旅してクラン活動を行っている。メンバーは、リーダー含めて十名。ヒュム二名、バンガ一名、ン・モゥ二名、ヴィエラ一名、グリア一名、シーク一名、モーグリ二名。クランの規模は決して大きくはないが、その見事な連携と個人の腕前によって捕らえられた賞金稼ぎは数百にものぼり、クラントーナメントでは必ずユトランド・カップの上位にまで昇り詰め何度か優勝している。また、リーダーは並はずれた腕を持つ凄腕剣士であり、かつてその剣の腕でユトランド中の人助けをして周り、現在はガリークランに所属する女傑・剣聖フリメルダに匹敵するとまで言われているのである。
 ガードナーのリーダー・シンイチは、ヒュムの用心棒。今年で二十九になる。ヒュムの成人としては背丈がやや低めだが、体は長年の鍛錬でひきしまっている。話し方には東国の訛りがあり(ユトランド式に直す気はないらしい)、言いまわしも東国のそれが混じっている。くせのない綺麗な黒髪を肩のところで切りそろえて束ねている。わざわざ郷里から取り寄せた特別製の暗色の着物を身につけ、帯には刀をふた振り差している。肌着の下にはミンウの宝玉を細いチェーンでつり下げている。これは、かつて一緒にユトランドを旅していたヒュムの導士からクラン開設のお祝いとして貰ったものだ。
 東国出身の彼が初めてユトランドに来たのは十六歳の時。ちょうどユトランドでは異国のマフィア・デュアルホーンがユトランド支配を諦めて撤退した時期である。十七歳の時、彼は祖国出身のクラン・イーストランドで一年間修業し、他国を旅して残りの二年を過ごしたのち、ユトランドへ戻ってきた。そして彼は二十歳でクランを開設したのである。


 ズウウンと大きな鈍い音を立て、通常の三倍はあろう巨体を誇るヘッドレスは地面に倒れた。
 魔物が倒れ、起き上がってこないのを確認し、シンイチは刀を鞘に収めた。
「モブ討伐完了。チャド、アーロック、証拠の品を。ボロン、アレン、怪我の治療を」
「はいクポ」
 返事をしたのは、銃使いモーグリ。マスターモンクのバンガと一緒に物色を開始する。ン・モゥの白魔道士は白魔法で皆を手当てして周る。
「にいちゃん、変なとこに傷つくっちゃって。どうやったら鎖骨なんかに石があたるわけ?」
 頭の帽子に年寄りキラートマトのガブりんを乗せたレンジャーのシーク・ボロンは、シンイチの手当てをしながら言った。
「傷自体は大した事ないけどさ」
「うっかり蹴飛ばした石が当たっただけだ」
「にいちゃんは変な所に傷をこさえる名人なんだよねえ。だからどんなに強くってもジャッジつきじゃないと怖いんだよなー、いつか本当に、変な所にこさえた傷がもとで死んじゃいそうだからさ」
「がうー……」
「こういう点では、私は信用ないんだな」
 シンイチが苦笑すると、
「クポクポ! リーダー、これでいいクポ?」
 銃使いチャドが見せたのは、ヘッドレスの腰巻。血と土埃で汚れている。シンイチはそれを一瞥し、
「……まあいいだろう。ほかに持っていけるものはなさそうだからな。では、ゆくぞ」
「おう。腹減ったしな」
 マスターモンク・アーロックは背伸びした後、歩きだした。
 ここで、ガードナーに加入しているメンバーを一通り紹介しよう。
 シークのレンジャー・ボロンは、まだ幼いころ両親を病で亡くし、当時十六歳だったシンイチと一緒に旅をしていた。シンイチがイーストランドの元で修行を開始するころ、カモアの学校に入り、卒業後にクランに加入した。ガードナーの最初の加入者であり命名者(当然、ジャッジをつけたいと言ったのもボロンだ)、そしてシンイチがクラン内で最も信頼を置く右腕的存在だ。また、友達のガブりんも一緒についてきている。十年以上も一緒にいるのでさすがに歳を取ってしまい、トマト頭はしわだらけになってあまり派手に動かなくなっているが、食欲だけは旺盛だ。
 バンガのマスターモンク・アーロックは、かつてバンガモンク僧のひとりであり、体術使いとしてはなかなかのものであった。だがその素行の悪さから破門された。
 モーグリの銃使い・チャドは、ゴーグモーグ社の社員だったが、火薬の暴発事故を起こしてしまい、会社をクビになってしまった。
 同じくモーグリの時魔道士・チコは、チャドの双子の弟で、何事にもポジティブな兄とは対照的に物静か。研究熱心で、クエストの無い時は本屋や図書館に行く事が多い。
 ン・モゥの白魔道士・アレンは、モーラベルラの元医学生。家はあまり豊かではなかったので学費が払えなくなり、中退を余儀なくされた。だが医者になる夢は捨てきれず、学費がたまったらクランを脱退する予定だ。
 ヴィエラのアサシン・サヤはシンイチと同じ国の出身で、イーストランドの一員サキの妹だ。イーストランドの依頼でシンイチはサヤを加入させ修行を積ませている。
 グリアの風水士・サンディはフロージスいちの不良娘(自称)であったが、不良退治でシンイチに容赦なく叩きのめされたのち、更生のためクランに加入させられた。
 ヒュムの狩人・クルーレは、ボロンの学校時代からの友達。だがクランに加入したのはここ数年ほど前だ。
 ン・モゥの魔獣使い見習い・シングは、元々グラスの町の孤児で、裏通りの安酒場でこき使われていたところを逃げ出し、シンイチにそのまま引き取られてクランに加入した。だがその臆病な性格から戦闘には全く向かないので、宿の手配や買い物など雑用をしている。最近はガブりんの言葉がわかるようになってきたところだ。

 夕方ごろ、ユトランド治安管理局のカモア支部に討伐証拠の腰巻をわたして報告を済ませる。それからガードナーは報酬を受け取って、パブへ向かった。
「好きに飲んできてくれ」
 食事の時間は皆の好きなように過ごさせているシンイチだが、喧嘩などで他者に迷惑をかける事を絶対に許さないので、皆は飲む時も羽目を外さぬよう心がけている。実際、アーロックが酔ったはずみに荒くれ者に絡んで一騒動起こしてしまい、最後には両者そろってシンイチ一人に叩きのめされ、喧嘩両成敗と言う結果に終わったことがあったのだ。結局シンイチが店側に詫びを入れ、弁償したことで、事なきを得て、プリズン送りにならずに済んだ。
 食事をとり、何か飲みながら、皆はおしゃべりに興じる。シンイチはそれのどれにも加わらず一人で食事を終え、カウンターでパブのマスターと話をしながら、祖国(くに)の酒を飲む。もちろんクランのメンバーが何か一騒動起こさないように、神経は常にとがらせている。
「ところでよ、あんた宛てに手紙がさっきとどいたそうなんだ」
「ほお、誰から?」
 渡された手紙の封を開け、中身に目を通す。
「……あの男か」
 忌々しそうにシンイチはつぶやいた。
 二年前のクラントーナメント以来、シンイチを一方的にライバル視するヒュムのパラディン・クリストファー。属しているクランの前線を任されるほど腕はよいのだが、ユトランド・カップの準決勝戦でシンイチに敗れた後、たびたびシンイチにトドメバトルや一対一の決闘を申し込んでくるようになった。だが一度もシンイチは負けた事がないのだった。
 そして今回送られてきた手紙は、一対一の決闘を申し込む果たし状であった。
「で、あんた、受けるのかい?」
 マスターがグラスを磨きながら聞いてくる。
「受ける……。さもないと、奴が怒鳴りこんでくるからな」
 シンイチはため息をつきながら返答した。パブのマスターに情報料を支払い、シンイチは果たし状を懐に突っ込んだ。

 夜中。
 宿の部屋で皆が寝静まるころ、シンイチは宿の裏手にて左手一本で素振りをしていた。本来は右利きなのだが、いざとなったら左手でも戦えるようにするためだ。
 満月が南の空へ昇るころ、彼はいったん素振りを止め、手拭いで汗を拭いた。それから宿に戻って自分の部屋に入る。他の皆と違って一人部屋なのは、夜中に修練を積んでから戻ってきた時に、部屋で寝ている他の者を起こしてしまいたくないからだ。それともう一つ理由がある。
 シンイチが肌着の上から己の胸に触れると、触れられたところが弱い灰色の光を放ち、握りこぶしほどの大きさの魔法陣が浮かびあがる。そして彼の姿は一瞬にして消えた。
 再び彼が姿を現した場所は、トラメディノ湿原にぽつんと建つ小さな小屋の中だ。天井には魔法の明かりがともされ、室内に置かれた棚にはところせましと小瓶が並び、不思議な文様の刻まれた大きな金のつぼからは絶えず紫の煙が噴き上がっている。ここは、あらゆる呪術に精通しているヴィエラの女、通称「湿地の魔女」が住む小屋なのだ。気分屋で、依頼すれば薬を作ってくれるが目玉の飛び出るような金額を要求するのと、モンスターの巣窟である不気味な湿原に居を構えていることから、彼女が人嫌いであることは容易に察する事が出来よう。
 だが例外がある。湿地の魔女は、シンイチを気にいっているのだ。
 突然現れたシンイチを見て、いくつものアミュレットや宝石を身にまとった湿地の魔女は、優雅に笑う。一見三十路ごろに見える彼女だが、ヴィエラの寿命はヒュムのおよそ三倍、シンイチよりもはるかに年上なのは言うまでもない。
「おや、今日は早いね、坊や」
「夜分おじゃまいたします」
 シンイチは小さくため息をついた。いい加減坊や呼ばわりはやめてほしいのに……。
 シンイチと湿地の魔女との「つながり」は、十六歳の彼が初めてトラメディノ湿原を訪れた時から始まった。湿地の魔女はなぜかシンイチを気に入ったようで(そんなそぶりは見せなかったが)、彼が小屋を去る前に、他者の耳目を通して物を見聞きするスパイ用の古代呪法をかけて彼を「観察」していた。後に、古代呪法で作られた「魔力を見る」目薬をシンイチに与えて、術の使えぬ彼に魔力の探知が出来る力を授けた(ただしこの目薬を差した者自身にかけられた魔力を見ることは出来ない)。だが更に、湿地の魔女は保険としてシンイチの魂を半分奪って己の手元に保管し、彼の頭髪を媒介として彼に呪いをかけた。その古代の呪いは本来ならば心身を完全に束縛して術者の意のままに操るものだが、弱めてかけてあるため、シンイチの、湿地の魔女への依存心が強くなっているだけだ。いつでもシンイチがこの小屋に来られるように、湿地の魔女は彼の体に移動の魔法陣を刻みこみ、何の呪文も用いずともそれに触れるだけで発動できるようにした。それ以来、シンイチはこの魔法陣の力を使って、夜中ひそかに湿地の魔女の元へ来るようになった。わざわざ夜中を選ぶのは、旅の仲間たちに呪いの事を知られたくないからだ。
 それが、十三年にもわたって続いている、シンイチと湿地の魔女との「つながり」である。なお悪い事に、湿地の魔女はシンイチが二十歳になると同時に呪いを強化し、魔女の元からあまり遠くへ行けないようにしてしまった。依存心が強くなったシンイチの行動範囲はユトランドのみに限られてしまい、他の国にも、故郷にも行く事が出来なくなった。そのかわり、湿地の魔女は彼の頼みならば何でも聞いてくれる。材料を持っていけば無料で薬を作ってくれるし、古代呪法や古代語の知識も授けてくれるし、愚痴を聞いてもらえる。最近は、やっとスパイ用の古代呪術を解いてくれた(ユトランドや他の国を見るのに飽きたらしい)ので、湿地の魔女への不満はそれで帳消しにしている。本当は呪いを解いてほしいと言うのが本音だ。このままでは親兄姉の死に目にあうことすらできないではないか。
 シンイチは、彼女に勧められるまま椅子に座る。テーブルの上には、木製の杯に満たされた不思議な酒が注いである。不思議な香りと独特の苦みを持つ玉虫色のそれは、特別な薬草を用いて作る古代の酒だ。シンイチはそれをちびちび飲みながら湿地の魔女と話をするのだが、たいていは愚痴や悩みを打ち明ける事の方が多い。そうしてシンイチが愚痴をこぼす間、向かいに座った湿地の魔女は一言も言葉を挟まずにじっくり聞いてやるのだった。スッキリするまで愚痴をこぼし終えると、シンイチは満足して席を立つ。
「では、そろそろ戻ります。おやすみなさいませ」
「ふふ、お休み、坊や」
 湿地の魔女からすれば、わずか二十九の若造であるシンイチは子供に等しい年齢らしかった。
(だからそんな呼び方をしてほしくないのに……)
 シンイチは胸の魔法陣に手を触れ、移動する。オーダリア大陸のトラメディノ湿原からロアル大陸のカモアまで距離が離れていても一瞬で到着できる。シンイチはカモアの宿の部屋に戻ってきた。酒の苦味が口に残っているが構わずベッドにもぐりこみ、東の空が白むまで眠りについた。

 バティストの丘。太陽が南の空へ昇るころ、クリストファーの手からライオンハートが弾かれ、宙を派手に舞った。
「これで手合わせは終わりだ」
 シンイチは相手の喉にノサダの切っ先をつきつけ、冷たく言った。エンゲージの終わりを告げて、ロウ「炎属性禁止」の束縛を解いたジャッジは消えた。
「くそっ……」
 クリストファーは悔しさで歯ぎしりした。シンイチに一太刀も浴びせる事が出来なかったのだ。
「またなのかっ……!」
 クリストファーは修練を積んでいるつもりだが、シンイチには敵わなかった。
 シンイチは刀を引き、鞘に収める。
「お前いつになったらその正宗を抜くつもりなんだ! 本当はふた振り握って戦えるんだろ、俺にはそうする価値がないってことなのか? それともその腰の刀はただの飾りなのか!?」
 背を向けたシンイチに向かって、勝てなかった腹いせにとにかく怒鳴りつけたが、かっかしていたクリストファーは大事なことをすっかり忘れていた。
 シンイチが決して抜かない刀を、侮辱してはならないと言う事を。
 シンイチは驚くべき速さで回れ右するや否や、悪鬼羅刹のごとき形相で、わずか数歩でクリストファーとの距離を詰め、
「貴様、今何と言った……!?」
 しまったと思った時にはもう遅い。シンイチは電光石火の足払いをかけ、受け身を取って倒れたクリストファーの背の一点を膝で押さえるが早いか、その腕を後ろでねじりあげた。うかつにもがけば腕の関節を痛めてしまう上、膝で押さえられた背の一点は呼吸を困難にさせる。
「や、やめっ……」
 クリストファーの弱弱しい抗議の声も、激怒したシンイチにはろくに届かない。決して抜かない刀を侮辱される事はシンイチにとって何よりも耐えがたい事なのだ。普段は冷静沈着なシンイチもこの時ばかりは怒りを爆発させ、腹の虫の居所が悪ければとんでもない暴挙に出ることもある。
「あの方からお預かりした刀が飾りだと?! その首へしおってやろうか、貴様あ!」
「や、やめっ……わ、悪かった……!」
 クリストファーが窒息しかけたとき、やっとシンイチは放してやった。
 己の剣を拾い上げて逃げるようにクリストファーが去った後、シンイチは、乱れた着物の合わせを直して皆の元へ戻った。そのころにはあの悪鬼羅刹のごとき形相が消え失せ、いつものシンイチに戻っていた。
「待たせて済まぬな。ゆくぞ」

 ゼドリーの森。森の一角には、旅人達のための墓地が作られている。
 空に下弦の月が昇り、フクロウが鳴くころ、シンイチは一人、この墓地に向かった。細長い石を立てただけの簡単な墓標には、埋葬された者の名前など刻まれていない。皆、身元が分からないからだ。だがシンイチは迷わず墓標の群れを通り抜け、隅っこに建てられている一つの墓標の前まで歩んでいった。その墓前で、祖国の作法にしたがい、両手を合わせ、一礼する。それから、シンイチは己の近況を話し、終わると、その墓標に深くお辞儀して、去っていった。
 この墓に眠っているのは、己の全てを剣の道にささげ、若くしてその生涯を閉じたヒュムの剣士。その腕前は剣聖フリメルダに匹敵するものであり、実際に彼女と刃を交え、そして敗れた。シンイチが深く尊敬する人物であり、シンイチが持っている正宗の本当の持ち主でもある。その剣士と一緒に行動していた期間は数週間ほどしかなかったが、シンイチは、十三年経った今でも、まるで昨日の事のように、その剣士のことを正確に思い出せる。顔も、声も、仕草も、話し方も……剣聖フリメルダと刃を交えた時の、剣士の太刀筋すらも。
『遠い将来、お前が俺を越えた剣士になれたら、抜くのを許してやる』
 剣士は、正宗をシンイチに預けた時、去り際にそう言った。
『お前も俺と同じく強きを求める者なら、それくらいはやり遂げるんだな』
 その剣士の言葉のおかげで、いや、剣士と出会えたおかげで、今のシンイチが在るのだ。だからこそ、正宗とその持ち主を侮辱されることに、耐えがたい怒りを覚えるのだ。
 正宗の鞘には、剣士の名前が刻まれている。
 ギィ・イェルギィ。


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