第1章 part2
「うひゃー、また死体だってさ!」
モーラベルラの宿の簡易食堂での朝食中、サンディは新聞を見て裏返った声をあげた。
「今度ははらわたをぶちまけられてたみたいだねー、しかも町ン中だって! あたし信じられないよ、町中で死んでるなんて」
「サンディ、食事中に大声でそんな話をするな」
シンイチに言われ、サンディはぺろりと舌を出す。
「あーい」
ここ数週間ほど前からだが、殺人事件が増えている。奇妙な事に、死体はいずれも体の一部分を切り取られ心臓をえぐりだされているのだった。この残忍極まりない手口から見て犯人が同じであることは明白なのだが、各地の治安管理局の懸命な捜査にもかかわらず、犯人の手掛かりは全くない。
「しかし、最近は本当にこのテの事件が増えてきたようですね、シンイチさん」
サヤが言った。シンイチをリーダーと呼ばないのは、ボロンを除けば彼女だけだが、その理由は特にないようだ。
「……そろそろ、治安管理局がクエストをだすんじゃない?」
アレンはのんびりと言った。その言葉に、クルーレはうなずいた。
「手に負えなくなればクランにやらせる、いつもの事ッスね」
「役人なんてのは、目下の者に汚い仕事を押し付けるのが普通じゃないのクポ?」
「兄さんその発言はヤバイんじゃないクポ……?」
ストレートなチャドの発言に、チコはちょっと青ざめた。
珍しく今日は雪が降っておらず、太陽が顔を出し、時間とともに南の空へゆっくりとのぼっていく。そのうち、パブが開店し、冒険者たちがクエストを求めて入っていく。ガードナーもそれに倣ってパブに入る。大きな暖炉に薪がくべられ、年中雪に覆われた外と対照的に室内はとても暖かい。パブの壁にある大きな掲示板には様々なクエストの書かれた羊皮紙が貼りつけてある。庭仕事の手伝い、おたから交換、果実収穫助手の募集、荷物運搬……。エンゲージを専門とするガードナーには縁のないクエストばかりだ。だが、戦いばかりでは心身をすり減らしてしまうので、クランの皆と相談したうえでほかのクエストを受ける事もある。ちょっとした気分転換だ。
「リーダー、アレ見ろよ」
シンイチがクエスト掲示板に目を通していると、近づいてきたアーロックがシンイチの脇を小突いた。
「あいつら、治安維持管理局の局員らしいぜ?」
見ると、パブのマスターに分厚い羊皮紙の束を手渡している、紋章つきの赤いローブを纏った男たちがいる。紋章は確かにユトランド治安維持管理局のそれであり、赤い色は局内での地位が低いことを示している。高位の局員は黒や灰色など暗色のローブをまとうのだ。
「下っ端連中がクエストを出しに来るのは珍しい事じゃないけど、何だろうな、あの羊皮紙の束」
「モブではないな。モブの依頼ならば数枚ほどで事足りる。モブ討伐よりももっと重大なクエストを持ちこんだのではないかな」
シンイチの言葉は数分後に正しかったと判明した。新しくクエスト掲示板に張り出されたその羊皮紙には、次のように書かれていたのだ。
「調査依頼。ここ数週間ユトランド全土で起こっている連続殺人事件の犯人調査の手伝い求む! 依頼の詳細は、各町のユトランド治安維持管理局支部にて説明。 ユトランド治安維持管理局」
極めてシンプルな文面に反して、報酬は三万ギルという多額。冒険者たちはざわつきながらこのクエストの書かれた羊皮紙を眺め、やがては去っていく。これから治安維持管理局へ行くつもりなのか、あるいは無理だと判断して止めたのか。
「とんでもねえクエストだなあ。ま、来るとは思ってたけど」
アーロックはクエストの羊皮紙を眺め、次にシンイチを見る。
「で、リーダー。受けるのか?」
シンイチは首を横に振った。
「名指しで依頼されない限りは、受けない。情報収集に関しては、我々は門外漢だからな」
「やっぱりな。調査なんて地道な事するよりエンゲージで暴れる方が性に合ってるもんな」
「……それは誰の事を言っているんだ?」
「俺の事!」
シンイチはため息をついた。
めぼしいクエストは無かったので、パブを出て、粉雪の降る中、急いでショップに入る。クランのメンバーにはそれぞれ、クエストの報酬を給金として均等に渡しているので(あまる分はシンイチの分け前に加算される)、皆、無駄遣いしない限りはそこそこ金を持っている。個人の金の使い方には、シンイチは干渉しない。アレンのように貯め込むも自由だし、チコのように本を買い込むのも自由だ。だが、賭博で借金を作る事だけは絶対に許さないのだった。
食料、傷薬、ほか細々したものを買いこんで、ショップを出る。雪はやんでおり、厚い雲の隙間から太陽が覗いていた。ガードナーは昼食を取るために再びパブに向かって歩き出したが、いきなり、傍の路地裏から絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
「なんだ、なんだ?!」
通行人が立ち止まり、我先にと悲鳴の聞こえた方へ向かう。当然、最も近くにいたガードナーもだ。ショップの入り口のすぐ左側に、路地裏へ続く細い道がある。シンイチたちはすぐそこへとびこんで悲鳴の主を探す――までもなかった。
「あっ」
先頭を走ったシンイチとボロンは思わず声をあげ、立ち止まる。後ろから走ってきたサヤとアーロックにぶつかられたが、幸い倒れずに済んだ。が、ボロンの肩の上にいたガブりんはころげおちた。
路地裏には、ヴィエラの死体が転がっていた。血の臭いが辺りの空気に乗り、綺麗な服を着た美しいヴィエラの体は血液で赤く染め上げられている。左腕の肩から先が失われ、左胸にはぽっかりと穴が開いて、そこにあるべき臓器が見当たらない。ガードナーの後ろの野次馬たちが覗き見をして悲鳴を上げた。
「うわっ」
「ひどいクポ――」
クルーレの裏返った声。チコも声をあげ、後ろから来たシングに「見ちゃだめクポ」ととおせんぼする。
「チャド、すぐに治安維持管理局に連絡を! 他は、ここから先に人を入れるな! それから、チコ、シングを連れ出してくれ」
シンイチはすぐ指示を飛ばす。「はいクポ」と返事をして、チャドが慌ただしく走っていく足音。チコはシングの手を引っ張って野次馬の生垣の外へ連れ出した。子供に死体は見せられない。
「この手口、まさかあの連続殺人事件の犯人か?!」
野次馬が増えてくるが、構わずシンイチは辺りを見回す。犯人の姿は見当たらない。悲鳴が聞こえてすぐにガードナーは路地裏に飛び込んだのだ、犯人が徒歩で逃げられるとは思えない。路地裏を知り尽くした者ならばどこかに隠れているかもしれないが……。
「!」
シンイチは気がついた。ヴィエラの死体を覆う血液に混じって、えぐられた胸の部分に別の赤色が浮かび上がってきたのだ。古代呪法の秘薬「魔力を見る」目薬の力で、彼は何もせずとも、魔力を赤色で「見る」事が出来る。本来、魔力のトラップを探知するために開発された目薬だからだ。
(心臓を抉られた箇所に魔力が残っている……)
腕を切り取ったのは刃物であるが、心臓を抉ったのは魔力を持つ「何か」によるものであろう。ならば、その魔術師は(犯人がそうだと仮定して)、殺人の後、テレポで逃げたのかもしれない。
ユトランド治安維持管理局の局員たちが兵士をともなって駆けつけてきた。その後からチャドが大急ぎで駆けてくる。足があまり速くないせいだ。現場は封鎖、第一発見者のガードナーは当然取り調べられたが、すぐ容疑は晴れた。周りの野次馬が、ガードナーが悲鳴の後でショップから路地裏へ飛び込んだのを見たのと、ガードナーが駆けつけた時にはもう既にヴィエラの死体が転がっていたのを見たからだ。
路地裏が調べられたが、犯人の姿もなければ、身を隠せる隙間すらも見つからなかった。隙間なく並び立つ家の壁だらけだから。路地裏の反対側はただの行き止まり。最近建てられた、古本屋の壁があるだけだった。
「まさかあれをこの目で見ることになるなんて思わなかったなー」
アレンはのんびりした口調で言った。パブに配られてきたユトランドプレスの号外には、ガードナーが発見したあの連続殺人事件についての記事が載せられている。パブはその話で持ちきりだ。
「ほんとにビビったなー。いきなりあんなのが目に入るし」
ボロンは帽子をぬいであおいだ。暖炉の傍に座っているので、熱いのだ。一方ガブりんはボロンの傍に座って体を温めているついでに、いびきをかいている。
「昼飯前にショッキングなのは止めてほしいよ、まったく」
クルーレはテーブルにふせってぶつぶつ言った。向かいに座っているシングはオレンジジュースを飲みながら、皆が一体何を話しているのかと聞き耳を立てている。子供にショッキングな話を聞かせるわけにはいかないので、皆は死体の事はぼかして話をしなければならなかった。チャドとチコは何とか事件の事からシングの気をそらそうと躍起になっているのだが、成功しているようには見えない。
「ところで、リーダーどこ行ったのさ」
サンディがふと問うた。
「にいちゃんなら、役人につかまってる。話聞きたいんだってさ」
「へー。リーダーが最初に見つけたんだもんねえ、あれこれ疑われて当然かもー」
「サンディ」
後ろから名前を呼ばれ、思わずサンディは振り返る。
シンイチ、サヤ、アーロックがいた。たった今、彼らは治安維持管理局の、より詳細な取り調べから戻ってきたところだ。サヤとアーロックはシンイチのつきそいだ。
「あ、リーダー、おかえんなさい……」
「第一発見者は『我々』なのだから、私ひとりだけが嫌疑をかけられているわけではないのだぞ。わかっているのか?」
「じょ、冗談ですって、あははは……」
「堅苦しいところから帰ってきたばっかだ、さっさと昼飯にしよーぜ!」
アーロックは背伸びした。
(血まみれの死体を見たのによくメシ食べれるなー、このオジサン)
嬉々としてメニューを見るアーロックを横目で見ながら、サンディは思った。
あまり食欲の無いまま昼食を済ませたころ、パブの給仕が勘定書と一緒に手紙を持ってきた。役人らしき人物が持ってきたものだとか。湯飲みをテーブルにおいたシンイチはそれを受け取り、給仕に少額のチップをやった。それから手紙の封を開けて、羊皮紙を開いた。文面を読んでいくうちにシンイチの表情がくもり、最後に手紙を閉じた彼は、大きくため息をついた。
「にいちゃん、何が書いてあったの」
ボロンが問うた。一方で、チーズの塊をかじるガブりんは興味なさそうだ。シンイチはもう一度ため息をついて、答えた。
「治安維持管理局からの依頼だ。ユトランド全土で起こっている連続殺人事件の調査の手伝いをしろと、書いてある」
「……それって、あそこの掲示板に貼ってあった奴だよな?! どういう事なんだよ、リーダー」
アーロックが、ガタンと派手に立ち上がる。
「治安維持管理局が、我らを直接指名して、調査の手伝いをしろと依頼しているんだ」
シンイチは一語一語を強調するように言った。そして、
「しかも、拒否権がないと来た。もしこの依頼を拒否するならば、今後ユトランドでのクラン活動は難しくなるだろう、と書いてある」
「脅すなんてひどすぎるクポ! やっぱり役人はキタナイ手を使うことしか考えないクポ!」
次に立ち上がったのはチャドであった。ゴーグモーグ社にいたころ、会社の視察に来たあたりかまわず威張り散らす最悪な役人に身の回りの世話をさせられ使い走りにされた揚句、社員のしつけがなっていないとストレートに毒を吐かれたことから、役人が大嫌いなのである。
「しかしなぜ我々を指名してきたのでしょう」
チャドの隣席のサヤは落ち着き払っている。シンイチは封筒と羊皮紙をそれぞれ見比べる。
「理由は明白だ。本来この依頼を出したかったのは、あの犠牲者の遺族だからだ。だが醜聞を避けるためにあえて治安維持管理局を経由して、我々に依頼を送ってきたのだ」
「犠牲者の遺族って、誰ッスか? あ、ひょっとしてあのヴィエラの――」
それ以上言うな、とボロンは身振りで示す。またしてもシングが興味しんしんになってきたからだ。死体の話をするわけにはいかないので、クルーレは黙る。
「その通り。彼女の身元が判明したのだが、ヒースカリス家の現当主の従姉妹だそうだ」
「ヒースカリスってあのヴィエラの名門貴族かー。でも何であんなところにいたのかなあ、にいちゃん」
「買い物の途中だったらしい。何かに誘われてあんなところへ入ってしまったのだろう。それよりも、この依頼に期限は問わないと書かれているが、できるだけ早く解決した方がいいだろう。貴族が役人の後ろに控えているとあってはな……」
「二重の圧力ってことクポ?! 信じられないクポ! でもモグたちにわざわざ依頼する理由もわかるクポ。ヒースカリス家のエンゲージの依頼、前にも受けた事があるから、モグたちを覚えていたのかもしれないクポ」
「大方そんなところだろうな、チコ」
シンイチは手紙を封筒にしまい、懐に入れる。
「では、依頼受諾の件、治安維持管理局に報告に行くぞ」
チリンチリン。
夕方ごろ、シンイチはシングやガブりんと一緒に、モーラベルラの裏通り付近に建つ小さな家のドアを開けた。つり下げられている綺麗なガラスのベルが美しい音を立てて来客を告げる。室内は狭く、天井から降り注ぐ柔らかなカンテラの光しか光源がない。この家には窓がないのだ。壁の半分以上は棚が占拠しており、そこには本だの鉱物だの皮革製品だの、いろいろなものが乱雑に詰め込んである。床にはすりきれた安物の赤っぽいじゅうたんが敷かれているが、色あせて赤色が薄くなっている。狭い室内を二分するカウンターには、帳簿らしき手帳が置かれ、他にはつぼだの箱だの、色々なものが置かれている。この家の住人は整頓を知らぬと見える乱雑さだ。
「誰もいないのか」
シンイチは、カウンターのそばにあるデスクに備え付けられたヒーリングベルを鳴らす。「御用の方はこれを鳴らして下さい」という貼り紙が付けられ、手入れをろくにしていないらしい薄汚れたベルは、本来の綺麗な音ではなく、ありふれたチリーンチリーンというただのベルの音に変わっていた。室内にその音が響くと、
「はいはーい、どなたクポ?」
甲高いモーグリの声が聞こえ、次に、カウンターの奥側の床につけられた上げぶたが開いて、そこからモーグリが姿を現した。小柄なモーグリで背中の翼で空を飛んでいる。白と薄い緑を基調とした服を着ている女モーグリだ。
ポピーの情報屋。
数年前からシンイチがひいきにしている、モーラベルラの情報屋だ。ン・モゥの魔獣使いである相棒ノーラと一緒に経営する小さな情報屋で、モンスターを使って、情報を集めている。報酬は、どの情報屋もたいていギルを求めるものだが、このポピーの情報屋だけはおたからを請求してくるのだ。報酬のおたからを何に使うのかは分からない。報酬の内容は、ギザギザの葉っぱのように簡単に入手できるものから、さけびの根のように入手困難なものまで様々だ。そのためシンイチは報酬の調達に苦労する事がままある。
「ガードナーのリーダーさんクポ。おひさしぶりクポ。今日はどんなネタがご入り用クポ?」
ポピーはカウンターの傍の椅子に座って、帳面をめくる。客に読めないように、かなりの悪筆で帳面に情報が書きなぐられている。あるいは、本当に字が汚いか、だ。
「実は、最近ユトランド全土で起きているあの事件について調査を開始したところだ」
シンイチは、興味津津で周りのものに目をやるシングが聞き耳を立てぬうちにと、カウンターに歩み寄った。
「クポクポ。モグもその事件の事は知ってるクポ」
ポピーはペンを取り上げる。ピンクのポンポンが興味深そうに揺れるが、シングを気遣って、あまり大きな声は出さない。
「で、何を知りたいのクポ? 被害者の身元クポ?」
「いや、治安維持管理局が、私にそれを一覧にしてよこした。他に知りたいことはたくさんあるが、そうだな、まずはこの事件について、現時点で判明している事柄を知りたい。まずは最初の事件の始まりからだ」
「ええと、最初に事件が起きたのは――」
話をしている途中で、奥の上げぶたから、ン・モゥが一人姿を現す。ポピーの相棒のノーラだ。彼女はシングを気にいっており、同時に魔獣使いとしての素質を見出して、魔獣語を教えているのであった。また、操られているわけでもないのに、ひとに懐いているガブりんにも興味を持っている。
「おんや、いらっしゃいな、シングちゃん」
「こ、こんにちは……」
「じゃ、今日もレッスン始めようかしら」
「は、はい、よろしくおねがいします……」
ノーラがシングにお茶と菓子を出してから授業を開始する。ガブりんはチーズの塊をもらってそれを上機嫌にかじる。その間、シンイチとポピーは取引をする。
「じゃあ、今回の報酬は、うずをまいたつるを四本持ってきてほしいクポ。今、品薄なのクポ」
「わかった。では、次に来たときに渡そう」
「三日後くらいには情報が入ってくる予定クポ。遅すぎるって顔クポね。でも、最近はモンスターが産卵期に入ってしまって、情報の集まりが悪いのクポ。それにしてもいつもはモブの情報ばかりなのに、なんで急にあんな事件の調査なんか始めたクポ? エンゲージ専門のガードナーの方向性を変更したクポ?」
「……聞かないでくれ」
「わかったクポ」
それ以上余計な詮索をされなかったのでシンイチはほっとした。だが情報屋のことだ、何らかの形で情報を探り当ててしまうであろう。
ちょうど授業が終わる。
「帰るぞ、シング、ガブりん」
「はい。あっ、ありがとうございました」
「がう」
シングとガブりんは慌てて席を立つ。ノーラは手を振って見送った。
「バイバイ、またいらっしゃいね」
ドアが開けられ、つりさげられたベルがチリンチリンと鳴って、客の帰りを告げた。
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