第2章 part2
「……あの、リーダー」
宿への帰り道、シングは遠慮がちにシンイチに言った。昔から厳しい父親にそのように躾けられたせいか、シンイチは頭ごなしにシングを叱る。内気で臆病なシングにとってはそれが少し怖いのだ。もちろんシングが何か間違いを起こしたり、それがもとで危ない目に遭ったりしないように叱るのだと言う事は、シング自身も理解しているのだが……どうしてもシンイチに話しかける時には相手の顔色をうかがうような言い方になってしまう。
肩にガブりんを乗せて肩車させているシンイチは、シングを振り返る。
「どうした、シング」
「あの、えっと……ショップ、行ってもいいですか」
ダメと言う理由は無い。十分後、シングは嬉しそうな顔で、自分の頭ほどもある大きさの袋包みを抱えてショップから出た。何を買ったのかについては、シンイチは何も問わなかった。子供の事なのだから、包みに入っているのは菓子類であろう。あるいは、アレンに読み書きを教わっている身なのだから、勉強用の教材かもしれない。
ショップから宿へ向かう途中、ふとシンイチは足を止めて後ろを振り返った。
「リーダー……?」
「がー」
はるか後ろの虚空を見つめるシンイチに、シングは心配そうに問う。ガブりんは首をかしげた後、シンイチの頭をペチペチ叩く。何秒間かシンイチは虚空を見つめていたが、やがて、
「すまんな。ちょっと何か聞こえたものだから。空耳だったようだ」
歩きだした。シングはその後を追った。
一度だけシンイチは少し振り返り、後ろを見た。歩いている人々の他には、怪しいものなど何もない。それでも、何かが彼をとらえて離さなかった。
(……誰だ? 私を見ていたのは誰なんだ?)
宿に戻った時には、その視線は消えていた。
モーラベルラの夜。年がら年じゅう雪におおわれるその気候上、春でも雪が降るのは珍しくないこの町だが、珍しく、防寒着が要らぬほど温かかった。
最近は夜間の外出禁止令が出されているので、一般人は誰一人として出歩いていない。一般人と言う邪魔者を排除したところで、警備は開始される。治安維持管理局の前に集まったクランは五つ。その中に、クリストファーの所属するクランもあった。彼の属するクラン「ショートレンジ」はエンゲージ専門のクランのひとつであるが、バンガやシークといった荒くれ者が多いことで有名である。クリストファーがシンイチにライバル心を抱いてたびたびエンゲージを挑むのを止める者がいないのは、この連中の気性の荒さが常に戦いを求めているせいだ。ちょうどクリストファーの気質とクランの連中の気性の荒さとが一致してしまっているのだ。そのせいで、クリストファーをいさめるどころか、むしろエンゲージを推奨しているのである。リーダーのバンガがそうさせるのだから仕方がない。
さっそくクリストファーはシンイチに「後で勝負しろ」と意気込むが、シンイチは無視して、局員の説明を聞いた。クランにはそれぞれ一名ずつの局員がつき、ともに見回ることになっている。ガードナーの担当するところは、町の西側だ。クリストファーのクランは東側なので、しばらく会わずに済む。
「では、出発!」
局員の掛け声で、警備が始まる。見回るのに通る個所は、魔法の街灯が町を明るく照らす表通りと、月の光すら届かぬ裏通り。どの町でも言える事だが、入り組んだ裏通りを夜間に通ることは危険なのだ。裏通りをたむろするごろつきが金目当てで襲いかかってくる。だが警備する以上、行かねばならない。さっそく見回りを開始したが、局員と一緒に警備をするというより、ガードナーが、あの連続殺人犯か暴漢がおそってきやしないかと怯えている局員を警護している、と言った方が正しかった。真っ赤なローブをきた局員が小刻みに体を震わせながら歩いている。彼を取り囲むようにガードナーが進んでいるので、余計にそう見えた。
「それにしても、あったかいなあ、今夜は」
アーロックがあくびをしながら言った。エンゲージがちっとも起こらなくて退屈なのであろう。
「異常気象ってやつッスかね。風も冷たくないし、何だか不気味だなあ」
クルーレの隣では、ブルブル身震いする局員がおそるおそる歩いている。クルーレより十も年上のはずなのに……。
「こんなにあったかいなんて……なんか怪奇現象でも起こりそうだねー。ふわあ」
サンディは冗談めかして言ってから、あくびをした。たっぷり昼寝をしてきたつもりだが、眠り足りなかったようだ。モーグリの双子は、サンディの傍で、退屈している様子も見せずに真面目に歩いている。サヤは何も言わず足音も立てずに歩いている。姿は見えているのに、足音がしないと不気味だ。
悲鳴が上がった。東の方から。
弾かれたように皆は駆けだした。
「サヤ、サンディ、先に行け!」
シンイチの一声で、サヤは走る速度を上げて一気に皆を追い越す。サンディは翼を広げて飛ぶ。移動速度は全力疾走のサヤには勝てぬが、普通に走るよりこちらの方が速いのだ。
走っていくシンイチは、前方に、ぼんやりと赤いものを見た。魔力が見えている。誰かがいるのかもしれない。そして鼻をつく血なまぐさいにおい……。
目的地は、モーラベルラの町の中央にある広場。そこに誰かいる!
サヤが何者かに襲いかかった。だが相手はサヤの刃を紙一重でかわす。だがその動きはサヤの攻撃を見切ったと言うより、驚いて後ずさったためにサヤの刃を逃れたと言った方が正しかろう。
「無機の力よ!」
次に到着したサンディが上空から風水術を放つ。石畳からいくつもの鋭いトゲが伸びあがり、対象を串刺しにする。シンイチたちがちょうど広場に到着する。
「あぎゃああ!」
情けない悲鳴。見回り中のほかのクランも悲鳴を聞きつけて続々と到着する。
「影縫い!」
サヤが攻撃相手の背後に回り、その影の一点に刀を突き刺した。相手は影を縫いとめられて動きが止まる。その姿が街灯の光ではっきりとうきあがった!
それは、一人の女だった。
いや、幼さとあどけなさを残したその顔を見る限りでは、女と言うよりはまだ少女と言った方が正しいかもしれぬ。腰まで届く血のように真っ赤な長い髪と、同じく血のような真っ赤な瞳。色白の肌に付着した赤い液体。そしてほっそりとした体つきと、今にも折れそうなほど細い手足。身につけている真っ白な服には赤い模様がついている。その手に持っているのは、波打つ刃を持つ不思議な形状の短剣クリスナイフ。そしてもう片方の手に持っているのは、赤い血をしたたらせた心臓と、指の間に挟まっているのは二つの眼球……。
赤い髪と白い服の女の足元には、一人のヒュムの死体が横たわっている。外出禁止令が出されたにもかかわらず出歩いた者であろう。その両眼と胸元は無残にも抉られて血で真っ赤に染まり、ぽっかりと穴があいており、そこにあるべきものがない。そのあるべきものは、赤い髪の女が持っている。そして、抉られた胸元には、赤、すなわち魔力が残っている。
不意にその白い服の女の体が光る。サンディと共に後退したサヤは驚愕する。影縫いで完全に体を縫いとめられているはずなのに、ふわりと空気が流れ、その体は動いた。馬鹿な、効き目が切れるのが早すぎる!
「……邪魔しないで」
それぞれの武器を鞘から抜き放った皆は、その女の声に、思わず総毛立った。物静かだがかわいらしい声。大人しめの少女を思わせる声だが、その中には氷の刃があった。数秒、誰も動けなかった。まるで「邪魔するな」という言葉の魔力にとらわれてしまったかのようだ。
赤い髪の女は周りを順繰りに見渡した。五つのクランは彼女の周囲五メートルを囲んで武器を構えている。いずれも戦闘経験豊富な、強力なベヒーモスにすら立ち向かう屈強な戦士たちのはずなのに、誰一人としてこの女の一声に逆らえず、動けなかった。あの冷たい声がまだ彼らを捉えて離さなかった。そのうち彼女はシンイチに目を向け、続いて目を丸くし、自分の片手に持っている心臓と眼球を見る。その冷たい視線でシンイチはハッとした。宿へ帰る途中、シンイチに向けられていた謎の視線。それはこの女のものだったのだ。
「……」
女は、手に持った心臓と眼球を、何のためらいも見せずに捨てた。心臓と眼球は、血の海の中へ落ちてベチャリと音を立てた。
「やっと見つけた……。最後のパーツを!」
皆が動けるまで時間がかかった。
「アーツ……『アリーシャ』!」
女が血にまみれた両手をシンイチに向かって突きだす。彼女の両手から眩しい光があふれたと思うと、彼の体は淡い赤い光に包まれる。シンイチはその赤い光に包まれるとなぜか身動きが取れなくなり、それどころか己の頭の中を手で探られているような、異様な感覚を覚えた。
「どうして?」
女は困惑した。
「どうして効かないの?! 『アリーシャ』は誰にだって効くのに……!」
『アリーシャ』とは何だろうか。それはともかく、シンイチの体を包んだ光が消える。
それがきっかけとなり、皆が同時に動いた。この女こそ、連続殺人事件の犯人に間違いない、この場でひっとらえねば!
「あの力は一体……。ジャッジ! エンゲージ開始の宣言を!」
万が一に備えてのシンイチの声に応えて、ガードナーのジャッジが現れた。そしてロウを宣言しようとすると、女も動いた。ふところから魔石を一つ取りだし、口づけをする。すると、その魔石は不気味に光り輝いて、その不気味に赤く光る魔石は現れたばかりのジャッジの周りをまわり――
「ジャッジが……!」
皆の驚愕。ロウを何も宣言していないのに、ジャッジは封印されてしまった。シンイチのジャッジカードは力を失い、彼の荷物の中へ戻った。
「アーツ……『アロウ』!」
女はもう一度何かを詠唱した。彼女の周囲に激しい衝撃波が発生、彼女への距離を狭めつつあった皆を一気に吹き飛ばしてしまった。皆は数メートルも後ろへ飛ばされた。大勢が飛ばされ、密集していたために、互いに折り重なるように石畳にぶつかる。シンイチは受け身を取って頭から石畳にぶつかるのを防いだものの、それは体が勝手にとった行動、彼の頭の中は混乱しはじめていた。赤い髪の女の不思議な力、シンイチに対する反応、ジャッジの封印。
シンイチが身を起こすと、赤い髪の女はシンイチに向かってゆっくりと歩みつつあった。
「あなたは、最後のパーツ。おとなしくして――」
恍惚の笑み。幾多ものエンゲージを経験し様々なランクのモブをこの手で仕留めてきたはずのシンイチは、心底からぞっとした。ただの笑みのはずなのに、底知れぬ恐怖すら感じた。あの女に近づくなと、何かが彼に命じた。
「何だってんだ、てめえ!」
アーロックは、波動撃を放つ。目に見える衝撃波が女を襲う。女は直撃を受け、吹っ飛ばされる。小枝のように細い手足が折れてしまいそうな勢いだ。女は、受け身も取れずに死体の傍にぶつかった。派手に体を打ちつけたか、身動きしない。
「捕まえろ!」
誰かが叫ぶ。皆起き上がり、赤い髪の女に向かって駆けだす。女が半身を起し、
「アーツ……『アロウ』!」
再び激しい衝撃波が皆を吹き飛ばす。女は座ったまま、シンイチに目を向け、手を突き出す。その顔に浮かべた不気味な笑みは、勝利を確信したそれであった。
「逃がさない……。アーツ……『レナート』!」
一筋のまばゆい光線がまっすぐ彼女の手から放たれ、身を起こしたばかりのシンイチの体を貫いた。
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