第3章 part1



 眩しい直線の光がシンイチの体を貫く。
 シンイチは光の衝撃で更に後ろへ飛ばされた。石畳で一度バウンドした後、広場の端にたつ魔法の街灯に背中から激突する。そのまま石畳にうつ伏せに倒れるが、起き上がろうとしないシンイチの体から、血の海が広がり始める。
「にいちゃん!」「リーダー!」「シンイチさん!」
 ガードナーのメンバーは、血の海に倒れたシンイチの傍へ駆け寄ろうとした。が、急に彼の体はドロドロに崩れ、その崩れた体は泥土と化した!
 突然の事に皆は仰天した。
「に、にいちゃん……!?」
 ボロンは言葉を失った。赤い髪の女は、重傷を負ったシンイチが突然泥土の塊となったことに驚き、だがすぐに冷静さを取り戻す。
「……逃げたのね。テレポ!」
 消えた。
 後に残されたのは、殺されたヒュムの男の死体と、シンイチの血の池に広がる泥の塊だけだった。

「えーっ、リーダーがいなくなった!?」
 宿に戻ってきた皆を出迎えたアレンは、ボロンから話を聞き、仰天した。これから寝ようとしていたシングとガブりんも同じく、一気に眠気が吹き飛んでしまった。
「何で、どうして?!」
「そりゃこっちが知りてえよ!」
 アーロックは怒鳴った。
「リーダーは魔法なんか全く使えなかったはずなんだ! それがよお、いきなり泥の塊になっちまったんだぜ。殺人犯のあの女もどっかへ消えちまうし……。わけがわからねえよ」
 あれから泥の塊を調べたが、それはただの泥の塊でしかなかった。
「クポー……。ジャッジが封印された上にあんなにひどいケガして、リーダー大丈夫なのクポ? まさか死んじゃったりして――」
「リーダーは簡単には倒れないひとクポ! 弱気になっちゃだめクポ!」
 案じるチコを、チャドが叱咤する。
 シンイチがいなくなったこと、当然それは皆にとって極めて衝撃的な事であった。特に、ボロンとガブりんにとっては。彼らにとって、シンイチはただのクランリーダーではない、孤児であったころから慕ってきた、たったひとりの「兄」なのだ。
 一夜が明けると、皆はある程度の落ち着きを取り戻した。何とかこの場を静めようとボロンがサヤに頼んで、香をたいてもらったからだ。皆は眠り、おかげである程度冷静さを取り戻せた。
「とにかく、にいちゃんが無事かどうかは確かめようがない。それは当り前だよ」
 ボロンは言った。香で眠らされたので頭がまだしびれている皆は、とりあえず眠い目をこすりながら、うなずいた。
「だったら、探すしかないじゃないか。治安維持管理局に行方不明者として登録しただけじゃだめだ。おいらたちの足も使わないと」
「でも、ただ歩きまわったって意味ないだろ? どこを探せばいいか、目当てでもあるのか?」
 クルーレが言った。ボロンは友達に向き直り、言った。
「にいちゃんが贔屓にしてる、あの情報屋を当ってみる。今のところそれしかない」
「そういえばさ、リーダーは突然消えたでしょ? あれってリーダーが魔法を使って逃げたってことじゃないの。だったらその痕跡を追う事はできないわけ? ほら、ウルフに臭いを追わせるみたいにさあ」
 サンディが口を開いたが、その質問に答えを出したのはアレンであった。
「無理。テレポの移動先を追う事は出来ないんだよね。本人が行き先を念じて行うのがテレポだから、相手のテレポを追いかけるには、相手の居場所を正確に指定しなくちゃいけない。……リーダーが僕らに行き先を知らせてくれないと、テレポの追跡は出来ないよぉ」
「えーっ、じゃあやっぱり地道に探すしかないって事?!」
「そういうことだねー」
 間延びしたアレンの返答は冷たかった。だがそれが事実である事は明白だった。
 とにかく、宿を出た皆はポピーの情報屋へ向かう。開いたばかりの店内へどやどやと大勢で入ってきたガードナーの皆を見て、棚の中のものを整理していたポピーは仰天した。
「クポポッ? な、何事クポ?!」
 ボロンから事情を聞いたポピーは、
「あー、ガードナーのリーダーさんが行方知れずクポ……。それはお気の毒クポ。モグもお得意様が減るのは困るクポ。……で、みなさんは、モグたちが何か知ってないか、聞きにきたクポね? でも、モグたちのところには、今のところ何の情報も入ってきていないのクポ」
 ポピーは申し訳なさそうに言った。
「モンスターが産卵期で情報の集まりが悪くなってるのクポ。それに、リーダーさんはテレポか何かで消えたそうクポ。だったら、モグたちより魔法使いの知恵を拝借した方がいいんじゃないクポ?」
「あー、テレポ追跡についても宿屋で話したけどねえ、テレポでリーダーが逃げたなら、リーダーが僕らに行き先を教えてくれないと、僕らじゃあリーダーを追跡できないの」
 アレンがのんびり答えた。
「それに、リーダーがテレポで消えたとは限らないんだよねえ。一般的な移動魔法はテレポだけど、リーダーは魔法を何にも使えなかったはずなんだよね。妖精の靴も履いていないし……。だったらリーダーはどうやって移動したんだろう。解明すべきはそこなんだよね」
「だったら先にそうしてからモグたちのところへ来てほしいクポ」
「いや、先ににいちゃんの居場所の情報が入っているかもしれないから、確かめようと――」
 ボロンは言いかけてから、ふっと思いついて話題をかえた。
「実はさ、昨日見回りをした時、赤い髪の女が現れたんだよ。あれが例の事件の犯人だよ。あの女について、何か知らない?」
 皆は、その赤い髪の女について説明した。ポピーはメモ帳をめくり、あれこれ探す。
「駄目クポ。生い立ちも名前も書かれていないクポ。それにしても、不思議な力を使い、ジャッジすら封印したなんて、とんでもない奴クポ。でもモーラベルラの住人じゃない事だけは確実クポ!」
 皆のジャッジカードには力が戻っている。封印は一時的なもののようであった。
「そんな恐ろしい奴、一体どこから現れたのクポ……」
 結局、ポピーの元へは、その赤い髪の女の身元情報は来ていなかった。被害者のヒュムについての情報も聞いたところ、普通の住人でしかなかった。これまで外出禁止令をちゃんと守っていたのに、事件当日の夜、何故か家族が寝たころに家を出ていき、あの広場で赤い髪の女に殺されたのだ。
「何の動機もなさそうなのに飛び出すなんて信じられないクポ」
 ポピーは感想を述べた。
 結局ポピーの知っている事はそれだけであった。情報料として、ポピーはリーズストーンひとつを要求したが、クエストの報酬として貰ったものが荷物の中にあったので、それを渡す。普通のより小さいけど、とポピーは文句を言ったが、リーズストーンであることに間違いはないので、しぶしぶ受け取った。
「モグたちも情報は集めるクポ。ガードナーのリーダーさんはモグたちのお得意様だから、特別に、モグたちも探すのクポ。じゃあ、何か情報が入ったらフロータイボール便で知らせるクポ」
 店を出ると、ポピーの声が聞こえた。
「また来てクポー」

 シンイチが行方不明になって一週間ほど経った。
 カモアの町。
「あいつどこ行ったんだよ、ホントに……」
 夕方の客が入り始めて騒がしくなってきたパブにて、クリストファーは、酒を飲みながら見ず知らずの相手に愚痴をこぼしている。
「あいつがいねーと、張り合いがないんだよなー、何十回も勝負挑んでるのに一度も勝ったこと無いけどさー。なー、あんたどう思うよ」
 愚痴の聞き役となっているのは、クリストファーの知らぬ剣士である。鈍色の長い髪をアバウトに束ね、紫に近い暗色の着物を身につけた、やや険しい表情のヒュムの用心棒。
「……張り合う相手がいるのは、いいことだと思う」
 剣士はぼそっとつぶやくように言ったが、それには異国の訛りがあった。
「あれー、あんたユトランドのモンじゃねーの?」
「……生まれはここだが、育ちは別の国だ」
「ふーん。そういえばさー、あんたが喋ってんのと同じ訛りで話すんだよなー、あいつ。じゃあ、あんたの育った国ってのはあいつの祖国なんだなー、きっと」
 酔いが回ってきたか、クリストファーはだんだん饒舌になってきた。それからしばらく一人でシンイチのことを喋っていたが、相手は嫌な顔一つせず聞いていた。
「それにしてもあの赤い髪の女の情報もないし、シンイチの情報もないし、ないないづくしなんだよなあ、本当に」
「赤い髪の女?」
「あんた知らないのかよ。あの連続殺人事件の犯人だぜ。そこらへんの壁に手配書がベタベタはってあるだろ」
 空のジョッキを、叩きつけるようにしてテーブルに置いた。一方で壁を指差すと、確かに彼の言うとおり、赤い髪の女の絵が載った手配書が十枚も貼りつけてある。
「変な力を使ってよお、シンイチにひどい傷を負わせた揚句、どっかへ逃げたんだ! それからちっとも見つかってないんだよなあ、あの女は。一体なにもんなんだろうなあ、ジャッジまで封印しちまうなんて……」
 そこで、ショートレンジのメンバーがクリストファーを呼んだので、しぶしぶクリストファーはこの聞き手と別れねばならなかった。一人残された剣士は、ショートレンジがパブから去ったのを見届けた後、自身も椅子から立ち上がって外に出る。だが、ショートレンジの後を追うのではなく、彼は町の外へと向かって歩いて行った。

 ユトランドを震え上がらせた連続殺人事件は、シンイチの消失と同時にピタリと止まった。犯人と思われる赤い髪の女を捜すために、各地の治安維持管理局や、探索依頼をうけたクランがあちこちを歩き回っては色々な場所をつつきまわした。どの町に住んでいたか、生まれはどこかなどを知るために、役所に保管されている町の住人名簿が徹底的に調べ上げられた。だが、赤い髪の女の身元はおろか、姿さえも見つけることは出来なかった。
 ガードナーは、女の身元を探るより、リーダーの情報収集に力を入れて旅を続け、日銭を稼ぐためにクエストもこなしていった。その間、何一つ収穫は無かったが、シンイチの消失から二週間目に入った日に、大きな収穫を得る事が出来た。
 ちょうど彼らが立ち寄ったモーラベルラの町で、シンイチと思しき人物を見たと言う情報が入ったのだ。
「クポクポ。この特徴で間違いないクポ?」
 ガードナーの皆に、ポピーはその人物の特徴を説明する。暗色の着物、腰に帯びたふた振りの刀、肩までしかない短めの黒髪。歳は三十前後のヒュムの男。
「確かにそれはにいちゃんの特徴だけど、顔はどう? 偶然の一致で、別人がたまたまにいちゃんと同じ格好しているだけかもしれないし」
 ボロンの質問に、ポピーは相棒を呼ぶ。ノーラはシングに魔獣語を教えている最中だが、ポピーに呼ばれ、顔をあげた。
「なんだあい?」
「入ってきた情報の、ガードナーのリーダーさんっぽい人物の似顔絵、描いてほしいクポ」
「おやすい御用だよう」
 ノーラが鋭い口笛を吹くと、いきなり店の奥から、一匹のフロータイボールが!
「心配ないよ、あたしの大事なペットだから、大人しいよ。さ、描いてちょうだい。あんたが見つけてきたんだからね」
 フロータイボールは羽ペンを口にくわえ、羊皮紙にガリガリとインクを飛ばしながら似顔絵を描き始める。五分ほどで出来あがった絵を見て、ガードナーは驚愕と歓喜の混ざった声を上げた。羊皮紙に描かれた顔は間違いなく、シンイチのそれだったのだ。

「ふふ、見つけた……」
 赤い髪の女が、不気味に笑っている。その目の前には、大きなタルコフの水晶が置いてある。水晶玉はピカピカに磨きあげられ、曇りも傷も見当たらない。その大きな水晶の中に、モーラベルラの裏通りを一人で歩くシンイチと思われるヒュムの姿が、映し出されていた。
「最後のパーツ……。やっと見つけた。今までどこにいたのかしら、ふふふ……」
 水晶玉の傍には、綺麗に磨かれたクリスナイフが置いてある。血の跡はどこにもない。赤い髪の女はそのクリスナイフを取った。

 夕暮れ近くになると冷え込みは急に厳しくなる。身を切るような冷風が町中を通り抜けていく。太陽が西に沈むにつれて、空に残るオレンジの光があたりを照らすが、それでも、自分の周囲を見るのがやっとという程度の明るさだ。そんな中、街灯の光の届かぬ薄暗い裏通りを、一人で歩いている。
 不意に立ち止まり、周りの気配を探る。
「見つけた……」
 女の声。声の主を確かめる事もせず、わきの路地へ飛びこむ。
「逃がさない!」
 赤い髪の女が、その後を追って、わきの路地へと飛び込んだ。雪による重みで修理不可能なまでつぶれたために本格的な取り壊しを行う予定の廃屋が並ぶ全く人気のない路地だ。女の荒い呼吸と、路地を通り抜けていくヒュウヒュウという風の音を除けば、物音は聞こえてこない。
「どこなの……」
 こんな狭い路地なのだ、隠れる場所など廃屋以外に見当たらない。彼女は、廃屋の割れた窓や壊れかけの裏口からいちいち内部を覗いて確かめたが、中は真っ暗であった。いきものの姿を見ることはできなかった。その路地は行き止まりになっており、路地裏から表通りへの出口をふさいでいるのは、果物店の壁。これ以上進むことはできない。
 不意に聞こえた足音に女は振り返る。空のオレンジの光は地平線へほぼ消え失せているため、果物店の二階の窓から洩れるカンテラの明かりでしか、女は周囲を確認できない状態だ。彼女に向かってゆっくりと歩いてくる何者か。相手はカンテラの光の届くところまでは歩んでこないで、ある程度離れたところで、立ち止まる。影になっているので顔までは見えないが、体の輪郭から見てヒュムであるとわかる。
「……お前か? あの男に傷を負わせた、赤い髪の女というのは」
 その人物は、異国の訛りで問うてきた。
「貴方、だあれ?」
 女は首をかしげ、問い返す。
「……誰でもいいだろう」
 何者かはぶっきらぼうに答え、質問を繰り返す。赤い髪の女は警戒する様子も見せず、答えた。
「あの男ってだあれ?」
 何者かが説明すると、赤い髪の女はぱっと明るい表情になる。
「あの綺麗な目をしたヒュムね。うん、そいつを仕留めようとしたのはあたしだよ。でも、逃げられちゃった。そいつがね、さっきここらへんに飛び込んだのを見たの。貴方、知らない?」
 相手は首を横に振った。
「そっか。残念。……そう言えば貴方、あたしに何の用?」
 女は問うた。恐怖や警戒は無く、純粋な好奇心だけが彼女を支配している。
「単刀直入に言う――」
 その時、
「こっちか? 誰かいるぞ」
「ほんとクポ?」
「あっ、あそこだ!」
「誰だあいつは!」
「あの女もいるわ!」
「捕まえろ! 何か知ってるかもしれんぞ!」
 バタバタと騒がしい足音がする。赤い髪の女はハッとした。だが、彼女の前方に立ちふさがる謎の人物は数歩で女との距離をつめて女の腕をつかみ、詠唱した。
 二人の姿はかき消えた。その直後、
「き、消えやがった……!」
「あの女も消えちゃったのクポ?!」
「逃した……」
「あちゃー……テレポか……」
 今やっと駆けつけたガードナーは、歯噛みした。

 テレポの光に包まれた二人は、ゼドリーの森の傍に現れた。その時、東の地平線から昇ってきた満月が、二人の姿を照らしだす。赤い髪の女は、自分をここまでテレポで連れてきた人物の姿をはっきりと見る事が出来た。鈍色の長い髪を首の後ろで束ね、紫に近い色の着物を身につけ、刀を右側に帯びた、やや険しい表情のヒュムの男。
「ありがとね」
 女は言った。
「で、さっき、何を言おうとしたの?」
「……単刀直入に言う。お前と取引がしたい。そのためにお前をずっと捜していた」
「とりひき?」
「お前の捜している男だが、こちらもある目的があってそいつを追っている。奴を捕らえ次第引き渡してもらいたい。代わりに、そちらの望むだけの報酬は支払うし、こちらもそいつを捜すのを手伝う」
 女は目を丸くした。
「パーツをとったらもう要らないから構わないし、お金なんか要らないけど……どうして引き渡してほしいの?」
「奴とは浅からぬ因縁がある。……それ以上は言えない」
「隠しごとなんてずるいなあ。でも、言いたくないなら仕方ないね。じゃあ、一緒にあの最後のパーツを捜しましょう。はい、握手」
 女は笑って、右手を出す。相手は、探るように女の赤い瞳を見る。その冷たい灰色の瞳が一瞬だけ赤く染まるが、女はそれに気づかない。
「……相手が依頼主であろうが、他人に自分の利き手を預けるような真似はしない」
「変なこと言うんだなあ。まあいいや。あたしの名前、アリーシャ。貴方は?」
 だが、相手は名乗るのを拒んだ。ユトランドで名前を知られるわけにはいかないのだ、と言って。
「隠しごとの好きな人なんだね。じゃ、ただの剣士さんでいいか。よろしくね」
 剣士は返答せず、ただアリーシャの赤い瞳を見つめていた。


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