第3章 part2
赤い髪の女と彼女の前に立っていた謎の人物がテレポで消え去った。
「くそー、逃がした……」
アーロックは歯噛みした。
「今のは一体誰だったのクポ? 赤い髪の女の仲間クポ?」
チコは首をかしげた。
「後ろ姿だけじゃあ、何も分かんないよ。輪郭から、ヒュムだってことはわかったけど」
クルーレはため息をついた。それから、友達を振り返る。
「何黙ってんの、ボロン」
ボロンは一点を凝視していたが、友達に呼ばれてハッとした。
「呼んだ?」
「呼んだよ。何見てるんだよ」
「うん――」
ボロンは友の顔からまた先ほどの一点へと視線を戻した。その視線が向けられた場所は、あの赤い髪の女の立っていた辺り。
「あの赤い髪の女の前に立っていた奴なんだけど――」
ボロンは言った。何かを懐かしむような口調で。
「その、ヒュムみたいなやつ――どこかで見た覚えがあるんだ」
ガードナーは一斉にボロンを見た。
「見た覚えがあるって、どういうことなんだよ」
アーロックが言った。ボロンは頭をかいて、答えた。
「言葉の通りだよ。確かにおいらはそいつを見た覚えがある。ただ、そいつを見たのは最近じゃない」
後ろ姿だけしかボロンは見ていない。だがその後ろ姿をボロンは見た覚えがあった。
「……見たのは、ずっと昔なんだ」
なぜだろう。その後ろ姿に覚えがあると同時に、得体のしれない不快感もこみあげてきた。その後ろ姿を持つ人物に何か不快な事でもされたのだろうか。
「ずっと昔って、お前なあ! 俺らは、いま現在の話をしてんだぞ!」
「そうだよう、過去の話なんかされたって仕方ないよ。たまたま、後ろ姿が似ていただけのことじゃないか!」
アーロックとアレンは文句を言ったが、ボロンはろくに聞いていなかった。
(やっぱり、見覚えがある……。でも、誰だっけ?)
帽子の上のガブりんは、ボロンの角につかまったまま、虚空の一点を凝視していた。それは、ボロンが先ほどまで凝視していた一点と全く同じ場所であった。
「がうがー……」
シングは、ガブりんが「シッテルキガスル……」とつぶやいたのを、聞きとった。
ゼドリーの森の一角。
「ここ、あたしのおうちだよ」
アリーシャは言った。目の前にそびえるのはただの東屋。バティストの丘からゼドリーの森にかけての道のりには、こうした東屋が多く、旅人がよく休憩に利用する。アリーシャが自宅だと紹介したこの東屋はどこからどう見ても、今にも崩れそうなログハウスである。ドアはついておらず、風雨が遠慮なく入り込むせいか、中は荒れ放題だ。板張りの床には落ち葉がたくさん落ちており、家具はなく、室内のあらゆるところにクモの巣が張り巡らされている。とても人が住める状態ではない。
剣士が不思議そうにログハウスの中を眺めまわしていると、アリーシャは入口の脇に転がっている大きな石に触る。すると、石がフッと消え、代わりにそこには地下への階段が姿を現した!
「ここの下に、おうちがあるんだよ。ついてきて」
石の階段は滑りやすく、足元も見づらかった。十段ほどしかない短い階段を下りると、魔法の弱い光に照らされた木製のドアが見えた。アリーシャがそのドアを開ける。奥から、妙な臭いが漂ってきた。できれば嗅ぎたくない、不快感を伴うにおい。
「ここが、おうちだよ。はいって」
勧められるまま中へ入った。
室内は、全て石づくりであった。室内のあちこちに魔法の明かりのともされたカンテラが置かれており、内部を明るく照らしている。明かりとり用の窓がないのだから当然だろう。長方形の形をしていると思われるこの部屋の家具は、質素な木のテーブルと椅子が置かれているだけ。奥には簡単なつくりの台所がある。かまどが置かれているが、火種はない。火の魔法を使って点火するタイプのものと思われる。壁に料理用のナイフがひっかけてあり、鍋や木のコップや匙が乱雑に置かれているが、皿やフォークやナイフはない。小さな壺がいくつも床に置かれているが、それらは調味料だろう。一方の壁には大きな水がめが一つ置かれている。壁には他にも薬草の干したものがつり下げられている。しかし食材はどこにあるのだろう。他の場所に保管してあるのだろうか。この場所では薬草の臭いばかりが鼻を突くが、薬味として薬草を多用しているのであろうか。
アリーシャは剣士を奥に通す。奥に進むにつれ、あの妙なにおいが強くなる。藁を重ねて布をかぶせただけのベッドが床を占拠する部屋の壁には、赤い服が釘と思われるモノに無造作にひっかけてある。寝室と思われるそこを通り過ぎると、木製のドアが見えた。
アリーシャはカンテラの一つを取ってから、ドアを開ける。奥から強いにおいがあふれ、剣士は思わず一歩下がった。
「何のにおいだ、これは……」
「お薬のにおいだよ。さ、入って」
慎重な足取りで剣士は中に入る。アリーシャはカンテラを傍の棚に置いた。それなりに広い部屋らしく、カンテラの光の届く範囲では室内全てを見渡す事が出来ない。カンテラの光で見える範囲には、棚と石づくりのテーブルとその上に並ぶ様々な本がある。そしてテーブルの上には、きれいに磨かれたタルコフの水晶も置いてある。
この場に似つかわしくない古い本。現在使われていない文字が、古びた表紙につづられている。
「あの本は……?」
「あのご本ね、持ってきてもらったものなんだよ。『アリーシャ』は何でも言う事を聞かせられるんだから! ママだってそうなんだよ!」
だが肝心の母親はどこにいるのだろう。アリーシャ以外の人の気配はない。
「でも、ママってばひどいんだ。あたしをほとんど外に出してくれなかったんだよ。あたしだってお外に出たいのに! だからこうやって『アリーシャ』でママにあたしの言う事聞かせて外に出してもらってたんだあ。でも、もうあんな意地悪なママは要らないの。新しく作るんだ」
「作る?」
「うん」
アリーシャは、この部屋の奥にあるドアを開ける。すると、今まで以上にきつくて強いにおいがあふれた。薬の臭いともうひとつは――
「っ!?」
ドアの向こうを見た剣士は言葉を失った。
ドアの向こうには小部屋がある。階段の下に作る物置くらいの広さしかないが、そこには大きな浴槽が置かれている。その中はあの強烈なにおいの、透明な緑色の液体で満たされている。薬の臭いの源。その液体の中でプカプカ浮いているのは……たくさんの心臓、腕、足、耳など……。もう一つの臭いの源はこれだ。そして浴槽の傍に置かれた大きな甕には魔法の封印が施されている。
「その甕の中にね、意地悪なママがいるの。でも、新しいママはこのおふろの中にいるの」
アリーシャの言葉はとても淡々としている。浴槽に浮いているのはどう見ても、彼女の母親などと呼べるモノではない。胴体が……頭が……何もないのだ。
「浴槽に浮いているのは……?」
「新しいママにくっつけるパーツよ。新しくママを作るから、パーツをあっちこっちから採ってきたんだ。そんでもって、パーツをここで腐らないように保管しているの。ママを作るためにどうしても必要なんだって本に書いてあったから」
「……」
それ以上剣士は何も問わなかった。
「ところでさ、何か飲まない? あたしおなかすいた」
剣士はやんわりと断った。アリーシャは唇をすぼめ、ちょっと機嫌が悪くなった様子。台所へ向かい、壁にかけられた薬草をいくつか採り、料理用ナイフでざくざく切った。鍋の一つをとって水がめから水を汲み、薬草を放り込んでからかまどに載せる。薪をかまどの後ろから引きずり出したが、それは切り方が不揃いであった。太いもの、細いもの、長いもの、短いもの。とにかくアリーシャは薪の一本をかまどに突っ込み、火の石にクリスナイフで傷をつけて放り込む。魔力を持つ短剣で傷つけられた火の石はすぐ高熱を発し始め、たった一本きりの薪を燃やす。が、その火は赤くない。不気味な青白い火だ。鍋の水は数秒でグラグラと煮立ち、アリーシャは鍋をかまどからおろし、燃え盛る薪にフッと息を吹きかける。すると、薪の火がすぐ消えた。焦げたにおいすらもしない上、煙もない。
「これ、上の森から採ってきた薪なんだよ。いつもはママが採ってきてくれるんだけど、なくなったから今度は自分で採ってきたんだ」
アリーシャは説明しながら、鍋の中の液体をざるで濾過して、大きな木のコップに注ぐ。食材は何もないのかと剣士が問うと、アリーシャは不思議そうな顔をする。
「ショクザイってなあに?」
今度は剣士があっけにとられた。アリーシャはそんなことに構わず、湯気の立っている液体を飲んだ。沸騰している液体のはずなのに、彼女は水でも飲むようにゴクゴクと一気に飲み干した。
「ああ、おなかいっぱい。貴方も飲めば?」
が、剣士は再び断ったのだった。
……。
剣士は問うた。『アリーシャ』とは何なのかと。彼女の名前はアリーシャだが、なぜ自分の名前を連呼するのかわからないのだ。
質問されたアリーシャは得意そうに胸を張った。
「あのね『アリーシャ』ってのはね、あたしが持ってるすっごい力なの。誰でもあたしの思い通りに出来るんだよ。でも、あのパーツにだけはきかなかった……」
唇をすぼめた。が、すぐ表情を戻す。
「貴方にやってみせていい?」
拒絶され、アリーシャはまた唇をすぼめた。
「とにかくね、『アリーシャ』みたいなすごい力を持ってるひと、ほかにもいるんだよ! あたし外に出て初めて知ったんだ! スグレシモノって言うんだって」
優れし者?
「そのひとたち、あたしに力の使い方を教えてくれたんだ。でも、教えてくれないひともいたから、『アリーシャ』を使って教えてもらったんだ」
剣士の冷ややかな表情を見て、アリーシャは再び唇をすぼめた。
「だって、教えない方が悪いんだもの。ママみたいに意地悪なひと、あたし大嫌い。あたしは何も悪い事なんかしていないのに、なんで教えてくれないんだろうって思ったわ。だから、教えてもらった後、そのひとも新しいママのパーツになってもらったの」
剣士の表情が強張ったが、アリーシャは全く気が付いていない。
「おかげでママのためのパーツを一杯集めることができたの。後は目があれば、ママを作れるんだけどなあ」
「それをこれから捜すんだろう」
「そうなの。あたしはママの体を作らなくちゃいけないから、当分ここから離れられないんだあ。だから、よろしくね」
「わかっている。必ず奴を捜しだす……」
剣士はつぶやくように返答したが、その冷たい目には嫌悪が宿っていた。
剣士がアリーシャの自宅を出て地上に再び出た時は、もう夜中前であった。彼は新鮮な空気を吸った後、そのまま別の方向へと歩き始めた。
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