第5章 part1



 カノル砦に姿を現した依頼人を見て、ショートレンジは驚愕のあまりしばし声が出なかった。
 ショートレンジが驚愕したのも当然だ。
「そろいもそろってその馬鹿面はなんだ、一体。私を幻か何かとでも思っているのか」
 依頼人――シンイチは不機嫌に言った。
「生きてたのか!」
 クリストファーの最初の言葉を皮切りに、ショートレンジはいっせいにシンイチに詰め寄って、質問を浴びせかけた。
「待て! 待て!」
 シンイチは質問の嵐をさえぎった。
「質問ならば後々答えてやる! それよりも、私の出した依頼を引き受けてはもらえないか? 相応の報酬は支払うし、好きなだけお前の相手もしてやるから」
 最後の言葉はクリストファーに向けて言ったものである。
「それじゃあ、お前の依頼の内容を説明してくれよ。わざわざ匿名で俺らを呼ぶくらいだ、お前にとっちゃあ重要なことを、俺らにやらせたいンだろ?」
 バンガのリーダーが言う。他の者はうなずいた。
「その通り。私がお前たちに頼みたいのは、材料の収集だ。私一人では、短期間に集めきれないからな」
 シンイチがショートレンジのリーダーに見せた一枚の羊皮紙。それは一覧表であった。集めるべき材料が、名前、個数、入手可能な場所までも細かく記されている。しかも、さけびの根のような、なかなか入手できないようなおたからもその中に含まれている。
「こりゃ難易度の高いモンばっかりそろってるな。まあ、集められないわけじゃあねえが」
 バンガのリーダーは頭をかいた。一覧表がクランの中で回し読みされる。互いに顔を見合わせ、何やら囁き合う。驚きと困惑の混じった声で。
「で、シンイチよお。こンなの集めてどうしようってンだ?」
「……私を狙ったあの赤い髪の女の力を封印するのに、その材料を使う。今言えるのはそれだけだ」
 ショートレンジはまたしても互いに顔を見合わせ、続いてシンイチを見、最後にリーダーを見た。皆はリーダーの決定を待っている。やがてバンガは言った。
「わかった。長い付き合いだしな、お前の依頼、引き受けるぜ」
「恩に着る」
「そのかわり、報酬は高いぜ? レアもののおたからまで持ってこいってンだからな、千ギルや二千ギル程度の報酬じゃあ足りねえよ」
「百万ギルなどという法外な額でなければ、ちゃんと支払う」
「そうか。それなら、五万ギルだ! これだけレアなものをやまほど要求してるンだからな、当然の額さ。お前のクランの稼ぎを考えれば、これくらい払えるだろ?」
「依頼の報酬は給金としてクランの皆に均等に渡しているんだが、まあ払えない事は無い」
「そうかい。楽しみにしておくぜ。それと、もうひとつ……わかってるな?」
「もちろん」
 嬉しそうなクリストファーを見れば、リーダーが何を言いたいかは、シンイチにもわかるのだった。
「それはそうと」
 羊皮紙を懐にしまい、バンガは言った。
「お前、自分のクランには顔を出さないのか? むしろそうするべきだろう」
「まだ、皆の前に顔を出すわけにはいかんのだ。私には、やるべきことがある。それには、クランの皆はむしろ邪魔になる……」
 シンイチはそう言って、ショートレンジに背を向ける。
「では、頼むぞ、ショートレンジ。一週間後の昼にまたここで会おう。それと、クランの皆には、私が無事でいる事は話さないでくれ。その時が来たら、私の方から皆に会いに行くから」
「おう」
「シンイチ! 今度こそお前を負かしてやるからな!」
 リーダーより威勢よくクリストファーが怒鳴ったが、シンイチは応えず、カノル砦を歩き去っていった。
 シンイチが去った後、ショートレンジは、喜びのあまり小躍りすらしているクリストファーを引っ張って、シンイチから渡された一覧表に載っている材料を集めに、カノル砦を去った。
「よし、まずはラミアのウロコからだな! そこらに現れるラミアを狩りまくれ!」

 トラメディノ湿原は、夕暮れになると、雨が降り始めた。
「おや、やっと来たね」
 湿地の魔女は、小屋に入ってきたシンイチに、優しい笑みを浮かべた。
「それにしても、面白いやつを相手にしたもんだねえ」
 湿地の魔女はクスクス笑った。
「はるか昔の宮廷魔術師ラザフォードなら何か知っているかもしれないけど、彼はもはや故人。あたしでは役に立てないねえ。坊やも運が悪いねえ、手の打ちようがない相手を何とかして捕らえようだなんてねえ、フフ」
「いえ、お知恵を拝借できるだけでも十分です」
 ガードナーがモーラベルラの町を見回ったあの夜。赤髪の女に謎の力で攻撃され、重傷を負ったシンイチは、湿地の魔女が作った泥の身代り人形と入れ替わって、この小屋へと飛ばされた。あらかじめシンイチは殺人犯に攻撃される事を想定して、湿地の魔女に身代り人形を作ってくれるよう頼んでいた。そのため、湿地の魔女は泥人形を作るのに必要な、彼の頭髪を求めたのである。湿地の魔女の(自称)献身的な治療によって、彼の傷は半日で完全にふさがったが、出血多量のため、起き上がって活動するにはさらに日数を必要としたのであった。
「ところで坊や、材料はいつごろ手に入るんだい?」
「一週間後あたりかと。私一人では入手が難しいものばかりですので、他の者に入手を依頼してあります」
「手伝いねえ。そいつは、信ずるに足るのかい?」
「……ええ」
 ショートレンジは荒くれ者ぞろいだが、根は善人なのだ。接し方を間違わなければ、強い味方になってくれる。言葉を変えて悪く言えば、操りやすい連中だ。
「そりゃよかったね、ふふ」
 湿地の魔女は意地悪く笑った。
「今夜は嵐が来るだろうから、夜中前には寝床にお入り、坊や」
「はい、仰せの通りに……」
 長く魔女に拘束されているために、たいていの「命令」には素直に従うシンイチであった。

 オーダリア大陸で土砂降りの雨が降るころ、海を隔てたロアル大陸では、小雨が降っていた。
 真っ暗な夜なのに、アリーシャは、雨の降るゼドリーの森の中をのんびりと散歩していた。
「冷たいお水。雨って言うんだっけ」
 だんだん強くなってきた雨は彼女の体をぬらす。だがアリーシャは大粒の雨に打たれながらも、空を見上げていた。
「気持ちいい。なんでママはこんなに気持ちいいものがあるって、教えてくれなかったんだろう」
 彼女の全身から絶え間なくしずくが滴り落ちていく。
 突然辺りが光に包まれ、次は、ゴロゴロと耳をつんざくような鈍い音が空から響き渡った。アリーシャは思わず悲鳴を上げて耳をふさぎ、地面にしゃがみこんだ。
「な、何? 今のは……」
 空を見上げた途端、雨の降り落ちる暗雲が真っ白な光で鋭く裂かれた。続いてあたりにとどろく先ほどの轟音。ガラガラピシャンと今度はもう少し高い音だ。アリーシャはまたしても耳をふさいで地面にうずくまった。
「なに、あれ。空が裂けた……!」
 未知の現象に対して、その正体を確かめたいと思う前に、恐怖心がわき上がった。
「もう、帰らなくちゃ!」
 アリーシャはなんとか立ち上がり、ぼろぼろの丸太小屋へと急いだ。途中、何度も空が光って轟音がとどろいた。そのたびに彼女は目をつぶり、耳をふさいで、地面にしゃがみこんだのだった。
 丸太小屋に着くころには、豪雨は小雨に変わり、雷も止んでいた。帰宅したアリーシャは、びしょぬれになった白い服を脱いで全裸になった。
「あーあ、ずぶぬれ」
 そのまま通路を歩いていく。体を拭いていないので、石の床に小さな水たまりが点々と作られていく。濡れた服を釘にひっかけると、ポタポタと大粒のしずくが床の上に落ちていく。しぼっていないのだから当然だ。
「それにしても、最後のパーツはいつ見つかるんだろう……」
 濡れているままで奥へと進む。薬の臭いが鼻を突く。小部屋のドアを開けると、封印された甕と、緑色の液体で満たされた浴槽が目に入る。アリーシャは、不気味な液体の中に浮かぶ、これまでに元の持ち主から奪い取ってきた肉体の一部分たちを、じっと眺めた。
「嗚呼、もうすぐパーツも新しいママの体も痛んでしまう……。薬を取り替えなくっちゃ」
 浴槽に満たされている緑色の不気味な液体は、やや黒ずんでいた。そして不気味な液体の底には、何か得体のしれないカタマリが沈んでいるのが見える。
「あの剣士さん、いつ戻ってきてくれるのかな……薬の材料、とってきてもらわないと」
 それから彼女は、小部屋を出た。机の上に置いてあるタルコフの水晶を覗きこんだ。一日に一回だけ、彼女の思念を読みとって目的の者を映しだしてくれるタルコフの水晶は、何も映し出してはくれなかった。ただ室内のカンテラの明かりを反射して弱く輝くだけであった。
「あのパーツの居場所はわかんないままね。……あの剣士さんはどこにいるんだろう?」
 彼女がその剣士の姿を念じると、水晶が光って、何かを映し始める。最初に見えたのはぼんやりと光るもので、それはただの町の明かりだ。明かりが狭い範囲を照らしている中、小雨に打たれながらも、あの剣士が誰かと話をしている光景が映し出されてきた。その誰かの姿は、あいにくアリーシャには見えない。その人物は光の届かぬ陰の位置にいて、顔が見えなかったのだ。やがて話を終え、剣士とその話し相手は別れた。アリーシャは食い入るように水晶を見つめたが、剣士が話をしていた地点から、視点は全く動かないままであった。水晶に映る景色は誰かの後を追って移動することはできない。特定の地点の特定の人物だけを映せるのだ。また、この水晶玉の力の限界は、ゼドリーの森全域からモーラベルラの町、アルダナ山のふもとまでである。それ以上離れた所に目当ての人物が行ってしまうと、もう何も映してくれない。
 水晶の映す範囲から、剣士は去っていった。
「もう! もっと見たいのに!」
 アリーシャはふくれっつらで、水晶を平手でたたいた。透き通った水晶の中がいきなり曇ってしまい、その曇りがうねりだす。まるで水晶の中で煙が発生したかのようだ。アリーシャは何も映らぬ水晶から目をはなし、今度は本棚へ歩み寄る。
「ええと、薬の材料は、と……」
 棚から本を取ってパラパラとページをめくる。書物に記されている言葉は全て、現在使われている文字ではなく、はるか昔に使われていたものである。当然、読むにはその文字についての知識が必要なのだが、アリーシャは苦もなく読み進めていく。読み終えると棚に戻す。それから彼女は羊皮紙にカリカリと、書物のそれと同じ文字で何やら書き込んでいった。
「はくしょっ」
 アリーシャはくしゃみした。体を拭かないままだったのだ、体を冷やして当然。
「寒いから、もう寝よう……。剣士さんにとってきてもらう材料も書いた事だし」
 目の粗い布地を棚の下から引っ張り出し、体と髪を拭いた。充分に体を拭けたとはいえないが、アリーシャはそれで満足し、藁の寝床へと潜り込んですぐに眠りについた。目覚めたのは、東の地平線から太陽が昇り始めた時であった。だが地下には窓がないので、アリーシャには昼夜の区別がつかないのだった。藁のベッドから身を起こし、釘にひっかけてあるいつもの白い服を取るが、まだ乾いていなかった。しぼらずに干したのだから当然である。アリーシャはふくれっつらをした。
「着るもの、これしかないのに」
 着替えの赤い服は昨夜出かける前に洗ったばかりであり、別の釘に引っ掛けて干してある。今彼女が着ている白い服からはポタポタとまだしずくが落ちている。アリーシャは、濡れた服をまた釘にひっかけると、藁布団にかけている布を体に巻きつけた。ポロポロと藁屑が落ちるが気にしない。そのまま、グラグラ煮え立つ不思議な飲料を作り、ゴクゴクと一気に飲み干した。
 木のコップを洗っているところへ、足音が聞こえてきた。
「あっ、来てくれたんだ!」
 突然の来客だが、アリーシャは嬉しそうな声をあげた。疲れた顔で入ってきた剣士は、アリーシャが布団がわりの布をまとっているだけの姿なのを見るや否や、ぎょっとして一歩後ずさった。
「な、なんだその格好は……!」
「これ? 服がぬれてるから、これ着てるだけよ?」
「替えの服は無いのか?!」
「ないよ」
 アリーシャの返答に、剣士はため息をついた。呆れかえっているとしか言いようのない表情で。
 しずくが滴っている白い服の水気をしっかりと絞って釘に引っかけなおしていると、アリーシャが剣士に言った。
「ねえ剣士さん。お薬の材料を取ってきてほしいの」
「薬? 何の?」
「作りかけのママの体が腐っちゃうから、それを止めるための薬なの」
 アリーシャは、剣士に一枚の羊皮紙を渡した。それには、一覧表が書いてあった。だがそれは、普通に使われる現代の文字ではなく、はるか昔に使われていた文字によって、書かれているのだった。当然のことながら、一般人には解読など出来やしない。
「あの薬を作るのに、これだけ材料が要るの。採ってきて」
「……」
「どうせまた外に行っちゃうんでしょう? だったらついでに採ってきて!」
 アリーシャの赤い目が光った。『アリーシャ』で操る気なのだと思ったか、剣士は折れた。
「行けばいいんだろう……」
「うん。おねがいね。あたしはママの体を作るから当分ここを離れられないの」
 アリーシャは嬉しそうに奥の部屋へ向かうが、剣士に止められた。
「待て。この一覧表を読むことはできん」
 アリーシャは不思議そうな顔をしてふりかえった。
「読めないって? なるべくきれいに書いたのに」
「文字の美醜の問題じゃない……。この文字は、今の時代には使われていない。書き直してくれ」
 が、アリーシャは首をかしげた。
「この文字を使ってないの? あたしはいつも使ってるのに」
 書けないわけではなかったので、アリーシャは一覧表をたどたどしく書きなおした。ミミズののたくったような字だが読めないわけではない。
 剣士は、書きなおした一覧表を懐に入れると、外に出ようとする。
「ねえ、剣士さん。ママがどのくらい『出来た』か、知りたい?」
 秘密を握った子供のような表情をするアリーシャ。だが、剣士は首を横に振っただけだった。アリーシャはふくれっつらをしたが、
「知りたくないの? そっか。新しいママが出来るまで、お楽しみにしたいのね!」
 そんなことは一言も言っていないのに、勝手な解釈をしたのだった。
「でもそうするには、ママの体やパーツが腐っちゃ駄目なの。だから、お薬の材料を取ってきて。なるべく急いでね、お願い」
「わかった……」
 剣士はそのまま、重い足取りで隠れ家から去った。アリーシャは、もう一度、あの小部屋に入り、どす黒くなり始めた浴槽を見つめ、愛しそうに言った。
「ママ、もうちょっと待っててちょうだい。じきにお薬を作ってあげるから」
 それから隣の甕を見つめた。封印が施してある。
「必要なものは採ったし、このママは要らないわね。さっさと捨てよう」
 その甕に向かって投げつけた言葉は、先ほどとは逆に、とても冷たかった。


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