第6章 part1



「おっそーい!」
 剣士が姿を現すや否や、アリーシャは怒鳴った。
「なんでこんなに遅いの? ママが駄目になっちゃうよ!」
「すぐに材料がそろうわけがないだろう……」
 呆れたような声で剣士は言った。アリーシャは彼の言葉を聞かず、必要な材料が入っている革袋を、礼も言わずにひったくった。
「早く作らなくちゃ!」
 アリーシャは奥の部屋に走った。剣士はその後をのんびりと追った。
 古い本や、綺麗に磨き上げられたタルコフの水晶が置いてある部屋。一体どこにしまってあったのか、アリーシャは床の上にいろいろな器具を並べているところだった。薬匙や秤など、薬の調合に使うものばかりである。手入れはきちんとされているが、ずいぶん古い。専用の店に行けば最新型のものが手に入るのに。
 例の薬の臭いが奥の小部屋から漏れてきているが、それには、いやな臭いも混じっている。腐敗臭、それが一番近いだろう。
 剣士はこの部屋の入り口に立ったまま、アリーシャの作業を見ていた。アリーシャは乳鉢で材料をすりつぶし、きちんと粉末の分量を量り、根っこや葉っぱを正しい大きさに切って、空いた器に移す。迷いのない作業進行と、道具を扱いなれた様子から見る限りでは、彼女は何度も薬を調合した経験があるようだ。剣士はその赤い瞳をアリーシャに向けて見守っている。
 アリーシャは、器にいれた薬の材料を持って、小部屋の扉を何のためらいもなく開く。薬のきついにおいに混じって、吐き気を催す悪臭が流れてくる。アリーシャは、材料を盛った器をもったままで小部屋に入る。ドアを開け放したままで。剣士は小部屋に入ろうとせず、様子を見るかのように、その場にとどまっている。
「あっ、パーツが……」
 小さな声が聞こえ、アリーシャはふくれっ面でにゅっと顔を突き出し、怒鳴る。
「あなたのせいで、ママのパーツがくさっちゃったじゃん!」
 そんなこと知るかといわんばかりの顔で、剣士は肩をすくめた。アリーシャは剣士に罵詈雑言を投げつけた後、小部屋にひっこむ。ボトボトと何かを液体に落とす音が聞こえてくる。腐敗臭が弱まり、今度はきつい薬の臭いが漂ってきた。深く吸い込むと吐き気を催しかねないほど。
 どのくらい経ったろうか、アリーシャは小部屋から出てきて、扉を閉める。小部屋からの臭いがやっと抑えられたが遮断されるには至らない。
「あれ?」
 アリーシャは周りを見回した。
 部屋の入り口に立っていたはずの剣士が、いなくなっていたのだ。家の中をくまなく探したが、彼の姿はどこにも見当たらなかった。
「もう出かけちゃったのかな。せっかく、ママの腕をとってきてもらおうと思ったのに」
 不機嫌な顔で口をすぼめた。
「まあいいや、自分で行こう」
 本棚の傍に無造作に置いてあるクリスナイフをつかみ、アリーシャは出入り口へと歩いて行ったが、綺麗に磨いてあるタルコフの水晶の一ヶ所に小さな傷が出来た事には、気がつかなかった。
 外に出ると、辺りは夜の帳に覆われていた。アリーシャは冷たい夜風に吹かれながら、バティストの丘方面へと向かう。森から丘への道にかけて、旅人が多く通る事を、知っているからだ。
「ママの腕があるといいんだけどなあ」
 それから何時間も経って、旅人の返り血を浴びて不気味な赤に染まった白い服を着たアリーシャが、犠牲者の腕と心臓を持ったままで、テレポで家の中に戻ってきた。
「いいのがあったなあ」
 アリーシャは上機嫌で小部屋へと向かう。そして、持ち帰った腕と心臓を、浴槽の中へ放り込む。薬を取り替えたばかりなので、濁りも悪臭もない。透明な緑色の液体の中に、プカプカと心臓がいくつも浮いており、底には、あきらかにヒュムの女の体と分かるモノが沈んでいる。その胴はちぐはぐであった。乳房は褐色、片腕は褐色、片脚は男の足で、もう片方はやや短い女の足。
「たくさんパーツをくっつけては捨ててきたけど、もうこれで大丈夫。意地悪なママは捨てちゃったし、あとはこっちのママを完成させるだけ。うふふ」
 アリーシャは無邪気な笑顔で、きつい薬の臭いを放つ浴槽を眺めた。
「目があれば、ママの頭も作れる……後は、目だけ。目だけが要るの……。どこにいるのかしら、あのパーツは……。あのひともさっさと探してきてくれないかなあ」
 入れたばかりの腕と心臓は、ゆっくりと浴槽の底へ沈んでいった。
 アリーシャは、ほかにも旅人から奪ってきた物をテーブルの上にあける。革の財布の中から、硬貨がジャラジャラと音を立ててテーブルの上に転がりおちていく。これがアリーシャの一番のお気に入り。丸くて平べったくて、みがけばキラキラ光るのだ。タルコフの水晶で外の世界を観察していた結果、この平べったいものが「おかね」と呼ばれるものだと知っているし、外の世界では「おかね」を生活のために使うことも知っている。だが外界とは無縁の生活を送ってきたアリーシャにとっては、ただのコレクションでしかないのだった。
「磨いて、しまっておこうっと」
 ぼろぼろの布に、古びた磨き粉をつけてこすり続けるだけのシンプルなやり方で、彼女は硬貨を全部磨いた。ピカピカになった硬貨を大きな箱の中へしまいこむ。彼女が抱えるほど大きな木箱の中には、彼女が今までに集めてきた硬貨が詰まっている。しかし紙幣は一枚もなかった。アリーシャが興味を抱いているのは硬貨の輝きであり、紙幣などただの落書き用の紙でしかないからだ。
 眠る前、アリーシャはいつも通り、煮えたぎる液体を作って水のように飲みほした。彼女が薬を作るのに汲んだ大甕の水に、異変が起きている事も知らずに。

 頭がぼんやりする。目の前に揺らぐ光に焦点を合わせるのが難しい。体が重い。動くのも億劫に感じる。シンイチはそれでも藁のベッドから身を起こした。
「おや、お早いお目ざめだね、坊や」
 聞き慣れた声が少し離れた所から、聞こえてきた。シンイチはそちらへ顔を向ける。魔法のカンテラが置かれたテーブルの傍。湿地の魔女が椅子に座って優雅に足をくんでいる。
「おはようございます……」
「夜中過ぎにもどってきてすぐに寝込んだのに、目覚めたのは、日の出の少し前。もう少し寝たらどうなんだい?」
「いや、早起きは習慣ですので……」
 シンイチは頭を振って立ちあがった。
 目覚めるたびに頭がぼんやりする。この原因が、寝不足や疲労ではないことくらい、シンイチにはわかっている。眠っている間に薬を盛られたり術をかけられたりして完全な無抵抗状態になったところで、何かされているのかもしれない。口にできないようなことすらも、ひょっとしたら……。だが、問うのは怖い……。
 身支度を済ませて、薬草のスープで腹を満たした後、シンイチは湿地の魔女から薬瓶を受け取った。
「これで最後だからね、大事にお使い」
 意地悪な笑みを浮かべる湿地の魔女。シンイチは安堵と不安の入り混じった複雑な表情を浮かべながらも礼を言って、それを懐にしまう。
「そうだ。あたしが教えたあの術ふたつ、ちゃんと練習してるのかい?」
「ええ、もちろん……」
 シンイチは返答し、胸に刻まれた魔法陣に手を触れた。

 朝早く。
 ポピーの情報屋から、使いのフロータイボールがガードナーのところへ遣わされてきた。ノーラによってよくしつけられたフロータイボールのしっぽに、手紙が結わえつけてある。ゆわえつけられた手紙をとったボロンは、フロータイボールが去った後、封筒を開いて中の便箋を出した。
 十分後、ガードナーは皆そろって、ポピーの情報屋へ駆けこんだ。
「いらっしゃいクポ〜」
 ポピーは、ドアを蹴破らんばかりの勢いで駆けこんできたガードナーを、温かく迎える。
 カウンターの向こうにいるポピーより、カウンターの傍に立つ人物を、ガードナーは最初に見た。
 シンイチの姿を。
「にいちゃん!」
「リーダー!」
 ガードナーは一斉にシンイチに飛び付いた。シンイチは囲まれて、矢継ぎ早に質問を浴びせられる。
「まあ、待ってくれ、待ってくれ」
 シンイチは苦労して押しとどめた。
「怪我をした私が今までどうしていたかは、後で話すから。それよりポピー、手紙の件、感謝する。今、一ギルもないものでな……」
 ポピーに手紙の礼を言ったシンイチ。ポピーはポンポンを振りながら答える。
「いいのクポ。いつもモグたちをひいきにしてくれるささやかなお礼クポ」
「そうか」
「クポポ! 今度モグたちに依頼をするときは、封筒代と便箋代を、まけておいてあげるクポ」
「商売人だな、全く……」
「その通りクポ。儲からない事はしないのクポ」
 情報屋の店を出て、ガードナーは宿に入り、シンイチから話を聞いた。シンイチは、赤い髪の女に攻撃されて重傷を負った後、オーダリアの湿地の魔女に手当てされた事を話した。
「えーっ! ってことは、あのおばちゃんは嘘ついたってことなのか?!」
 ボロンは思わず大声をあげた。
「にいちゃんを昔助けてくれたから今度も助けただろうって思ったから、おいら、おっかないの我慢して行ったのに!」
「あ、すまんな、ボロン……」
 シンイチは申し訳なさそうに言った。ボロンの頭の上のガブりんは、不満をあらわにし、うなった。隠しごとをされたことに対し、怒っているのだろう。
「ボロンは隠しごとが下手だからな。私が生きていると知ったら、クランの皆だけじゃなく、ショートレンジの連中やポピーの情報屋にすら、話してしまいかねないだろう。怪我から回復しきっていないのに、またあの女が噂を聞きつけて私を襲ってきたら、今度こそ私は成す術もなく打ち倒されてしまうからな。湿地の魔女には、何も知らぬふりをしてくれと頼まざるを得なかったんだ……」
 ボロンはふくれっつら。機嫌が悪くなると、子供のころからそうするのだ。
「ひどいや、にいちゃん。おいらたちには何も知らせないで。どんだけおいらたちが心配したと思ってんのさ!」
「仕方ないだろう……」
「だけどよ、リーダー」
 アーロックが口を開いた。
「あの、気分屋って言われてる湿地の魔女が、よくリーダーをかくまってくれたなー。もしかしたらリーダー、湿地の魔女となにかコネでもあるんじゃねえの?」
「コネなどないぞ。あれは彼女の気まぐれにすぎんそうだ」
「気まぐれねえ……」
 納得いかないといった言い方であるが、アーロックはそれ以上追及しないことにした。リーダーは、喋らない時には牡蠣のように口が堅くなるのだから。そんな時には、何を問うても無駄なのだ。
「でも、リーダーが戻ってきてくれて、よかったクポ!」
 チャドはポンポンを揺らしながら嬉しそうに言った。チコもうなずいた。
「サンディは残念クポ? 羽根を伸ばせるって騒いでたのにリーダーが――」
「あ、ああ、あたしは嬉しいですよ! リーダー戻ってきてくれたし! は、羽根を伸ばせるってーのは、飛びまわればリーダーが探しやすくなるってだけのことなの!」
 チャドが最後まで言う前に、サンディは大慌てで大声を出した。強制的にクラン加入させられてろくに自由行動がとれない事を、サンディは普段からひそかに愚痴っている。それをシンイチは知っているが、何も言わないことにした。
「でも、リーダーが戻ってきてよかったッスよ!」
 クルーレは子供のようにはしゃいでいる。
「エンゲージもなんか調子でなくって。やっぱりリーダーがいないとだめッスね」
「それはありがとう」
「リーダーが消えたって聞いた時は、びっくりしたじゃすまなかったよお」
 アレンは頬を緩めている。シングは何も言わず、シンイチにしがみついた。シングの肩がふるえているところから、泣いていると思われる。
 サヤはシング同様何も言わなかったが、目配せだけをした。シンイチはそれを見たが、具体的な答えは送らなかった。
 その日、ガードナーはリーダーの帰還を盛大に祝った。


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