第6章 part2



 月が夜空を照らす頃。アリーシャは、手斧を持って、ゼドリーの森の若木を切っているところだった。薪割りに使う小さな手斧で、細い若木を切っていく。彼女の背丈にも満たない若木は、いびつな切り口を見せつつ、苔の上に倒れていく。アリーシャはそれを適当な大きさに切って、わきにかかえ、運んでいった。
「やっぱり重いや。ママっていつもこんな重いものを持ってたんだなあ」
 キッチンに薪を置いて、アリーシャはいつもの沸騰した飲み物を作る。
「体が重いなあ。風邪でも引いたのかな」
 水でも飲み干すように、ぐいぐいと一気に飲み干した。アリーシャの顔色は良くなく、若干青ざめてすらいる。まるで病を患っているかのようだ。木製のコップを洗ってから、アリーシャは服を脱いで藁の布団にさっさともぐりこんだ。
「ママの目……」
 すぐ彼女は目を閉じて夢の世界へと旅立ち、再び目を開けた時はもう昼間であった。だが、地下で暮らしている彼女に、時間の概念など無い。寝たいときに眠り、目覚めたいときに目覚めるのだ。
 藁床から起きた彼女は、綺麗な赤い髪についた藁屑をとり、濡らした布で自分の体を拭く。それから赤い服を着て、いつもの沸騰した飲み物を作り、水のように飲み干す。
「ふう」
 その顔色はさえないままだ。
「今日は、一日寝た方がいいかな……」
 起きたばかりだと言うのにアリーシャはまた藁の寝床に入った。しばらく彼女は藁をいじって結び目を作っていたが、彼女はそのうち、眠りに落ちていた。

……。
 十九年も前の事。
 カモアの町で、女の子が生まれた。
 女の子を産んだ母親は、生後数ヶ月の我が子に不思議な力があることを知った。カモアの赤子だけにしかかからぬ不気味な流行り病に感染せず、生き残ったのだ(後に、カモアのある魔術士たちが生体実験のために、病に見せかけて赤子たちに術をかけたものだったと判明した)。それは、赤子ならば必ず患うものだったのに、その赤子は感染せず、元気なままだった。
 病にかからなかった赤子の話は瞬く間にカモアに広がった。赤子の母親は、我が子が注目の的となるのを快く思わなかった。赤子をひと目見ようと町中の者が押し掛けるだけでなく、わざわざ遠方からも我が子を見に訪れる者もいた。一方で、あの赤子は何か呪いでもかかっているのではないか、あるいはあの赤子の母親が何か術でもかけて子供を事前に守ったのではないかといううわさも流れた。その赤子だけが、唯一無事だったのだから。そして、赤子の母は魔術士であった。
 ある夜、母親は、我が子を連れて町を密かに逃げ出した。この赤子のことは他の町でも知られているため、誰もいないところで育てようと決心し、ゼドリーの森付近にあるあずまやで暮らすことにした。
 母親は、持てる限りの己の知識と魔術の腕で、ある東屋に地下室を作り上げた。大地に干渉して住居を作り上げ、地下水脈に干渉して、生活用水を常に甕に満たせるようにした。家具は転送魔法で全てを呼びよせ、それぞれの場所へと配置した。食料の代わりに薬草を煮込んだ液体を摂取して腹を満たすことにし、材料となる薬草は森の中に生えているので、それを用いた。煮炊きに使う薪は、老いて倒れた木を切って、可能な限り運びこんだ。
 こうして、住居と生活手段を整えると、母親は我が子を育て始めた。外界から完全に隔離された状態で、赤子は母親のもとですくすくと育った。綺麗な赤い瞳と、赤い髪。太陽の光をめったに浴びる事がなかったので、その肌は病的なまでに白かった。娘が育つ中、母親は彼女に多少の学問を仕込んだ。薬の調合を中心とした授業のほかに教えたのは、文字。現在使われている文字のほか、古代文字もあった。外に出る事は無いのだから教えても意味がないと、わかってはいても……。タルコフの水晶を使って外を見る事も教えた。森の中の景色を見て、退屈しのぎをさせるために。
 娘は、外の世界へ何度も出たがった。だが、「外の世界には、モンスターがたくさんいて、お前のような子供を食べようとしているんだよ」と、世の中で用いられる常套手段でもって、娘をその都度怖がらせたものだ。それでも成長していくうちに、娘はこの目でモンスターを見たがるようになった。母親の言葉を妄信するほど素直な年齢ではなくなったのだ。怖い目に遭えば言う事を聞くようになるだろうと、母親は考え、娘を連れだすことにした。ちょうどモンスターの産卵の時期で、森にすむモンスターが神経質になっている。ちょっと刺激されただけで大暴れしかねないほどに。
 ジャッジの守りもない中で、モルボルの群れに囲まれた母子。母は娘を守るために戦わねばならなかった。凶暴化したモルボルは一斉に襲いかかり、母が黒魔法でいくら焼き焦がしても、すぐ立ち上がって襲いかかってきた。身を守る術を持たない娘は、怯えて母の後ろに隠れていることしかできなかった。
 炎の魔法で焼き焦がされたモルボルは次々に倒れていった。だが、母の魔力が切れると同時に、生き残っているモルボルが不意を打って襲いかかってきた。とっさに母を守ろうと娘は飛び出した。同時に、その全身を熱いものが駆け廻り、無我夢中の娘はそれをモルボルへ向けて放った。
 途端にモルボルに異変が起きた。襲いかかってきたモルボルが突然敵意を失い、魅了されたかのように呆けた声をあげた。娘は母を守りたい一心であっちへ行けと叫んだ。モルボルはその言葉に従って、その場を去った。そこに残されたのは、焼かれたモルボルの群れだけであった。
 娘は、自分の中に不思議な力がある事を知った。母は、娘の持つ不思議な力を初めて見た。そして母は確信した。やはり娘は普通ではない、と。ますます、我が子を外の世界に触れさせるのはよくない、と確信した。不気味な病がはやっていた赤子の頃のように、世間の注目を浴びることになる、そう考えたのだ。
 娘は、己の力が何であるか知りたくなり、今度は母に対してその力をぶつけるようになった。外に出たいと何度も言ったのに出してくれない、その不満を晴らすのも兼ねて。何度も力を使ううちに、娘は己の力が、相手を己の思うがままに操る事を可能とするものだと知った。その力を使って、娘は何度か地下の家から外へ出た。森の外には町があり、大勢の人々が住んでいる事も知った。だが町へ行くのは怖かった。大勢の人々の中に入る事が、怖かった。今まで、母と二人暮らしだったのだから、他の者に近づくのは怖かった。それでも、興味の種は尽きなかった。己の力を使って、何度も外へ出かけて自力で情報収集をしていった。とにかく色々な事を知りたかったのだ。母の教えてくれなかった、色々な事を。
 母は、力を使ってくる娘に抗おうとした。だが、娘の力は母の意志を簡単に屈服させ、なされるがままにしてしまった。力から解放される度、母は娘を叱りつけたが、娘は反発するだけだった。なぜこんなすてきなものがあることを教えてくれなかったのか、と、母を責めた。娘は、あらゆるものを彼女の目から隠し遠ざけてきた母が、憎かったのだ。
 ある日、娘は母を手にかけた。
 隠しごとばかりしてきた意地悪な母は、もう要らなかった。
 何でも願いをかなえてくれる、優しい母が、ほしかった。外の世界へ抜けだしても叱りつけない母がほしかった。
 近くの町に、図書館という施設があった事を思い出す。あそこにはたくさんの本がしまわれており、新しく母親を作り出す方法も書いてあるに違いない。娘はそう思い、夜のうちに町へ出かけていった。図書館の関係者に己の力を使い、新しく命を生み出す方法の記された本を持ってくるように命じ、操られた者から大量の古びた本を受け取る。苦労してそれを持ち帰り、母から授かった古代文字の知識で、古い本を読み解いていく。
 新しい母を作るために、娘は、肉体と心臓を集め始めた。奪っては捨て、奪っては捨て、その繰り返しで、母の体は少しずつ出来あがり始めた。薬草を苦労して集めて薬を作り、浴槽に薬を満たして肉体を保存させた。肉体は順調に出来上がり、あとは、目だけが必要になった。目さえあれば、母は完成するのだ。己の手で殺めた母はもういらない。大きな甕に肉体をつめて、腐敗臭を防ぐために薬をその中に満たし、魔力で封印を施した。いつか折りを見て捨て去るために。
 そうして、娘はやっと見つけたのだ。
 新しい母への贈り物――一対の黒い瞳を。

……。
 アリーシャは目を覚ました。
「あ、寝ちゃってた」
 大あくびして起き上がり、台所でいつもの沸騰した薬を作る。ぐいぐいと一気に飲み干し、アリーシャはコップから口を離してげっぷをする。体の調子はいいとは言えない。
「要らないママの夢……」
 己の手で殺めた母が、ゼドリーの森の中に立ちつくす夢。そこは、アリーシャが大きな甕を埋めた場所に他ならないのだった。
「でも、ママがあそこにいるのは当然だもん。スグレシモノのあたしを閉じ込めてたんだもん。ママがわるいんだもん」
 悪びれた様子も全く見せないで、アリーシャは木のカップを洗い始めた。
「悪いのはママ。あたしは違うもん」
 洗い物を片づけた後、アリーシャはまた藁の寝床へもぐりこむ。
「なんでママって外の事を教えてくれなかったの? ほかにもスグレシモノがいたってことを、どうして教えてくれなかったの?」
 ぶつぶつ言いながら、アリーシャは目を閉じる。
 だが今度は、すぐには寝付けなかった。
「ちょっと散歩でもしよう」
 あまり気分はすぐれなかったが、アリーシャは起き上がり、外へ出ることにした。東屋のこわれかけの窓から差し込む日光。太陽の光はやはり眩しい。
「いい気持ちね……」
 アリーシャは小屋から出て、歩いた。さんさんと眩しい太陽が木漏れ日となって彼女の上に降り注いでくる。アリーシャはそれを眩しがりながらも、目を細めて木漏れ日を見つめた。
「本当に素敵。どうしてママってこういうものを全部あたしから隠していたのかしら。隠したって意味なんか無いじゃないの。こうして、あたしは全部見つけ出してしまえる。ママの思い通りになる子供じゃないのよ、もう」
 アリーシャは森の道を、のんびりと歩いていった。


part1へもどる書斎へもどる