第7章 part2
太陽が南の空へ高く昇るころ、モーラベルラ治安管理局は、ガードナーが持ってきたものを見て仰天した。証拠品として持ってきた、不気味な液体と心臓を入れた瓶はすぐ鑑識に回される。それからガードナーは、管理局員からあれこれ説明を求められ、長い事応接室に拘束されていた。その間に鑑識から瓶が戻ってきて、腐敗防止の保存用の液体に入った心臓である事が、改めて判明した。
ガードナーの説明により、これまで散々ユトランドを騒がしてきた連続殺人事件は、そろそろ終わりを迎えようとしていた。あとは住処を調べ尽くし、犯人の女を逮捕すればよいのだから。
ようやっと治安管理局から解放されたガードナーはパブで遅い昼食を取る。長い事ユトランドを騒がせた事件はそろそろ終わりを告げようとしている。物的証拠を持って行って、管理局がそれを受け入れた今度は、一刻も早くあの赤い髪の女の居場所を探し出さねばならない。治安維持管理局は、赤い髪の女の住処を探索することになり、一方でガードナーに赤い髪の女を早く捜しだしてほしいと面倒事を押し付けたのだった。当然、連続殺人事件の犯人として逮捕するためだ。
「全く、ヒースカリス家の依頼の件を持ちだしてくるとは」
役人と貴族のかける二重のプレッシャーが、シンイチの肩にのしかかってくる。そう、依頼はまだ完了していないのだ。しばらくシンイチが消息不明だったせいで、依頼主はしびれをきらしてしまっている。彼の帰還が伝わると同時に、依頼主はガードナーに手紙を出し、さっさと解決しろと急がせた。むちゃな要求をする貴族のクエストをいくつかこなしたことはあるが、これほどまでにせっつかれたのは、初めてだった。文体は丁寧だが「さっさと終わらせろ」と命じているだけの手紙を読んで、さすがのシンイチも苛立ちを覚えた。
勘定を払ってパブを出ると、ガードナーは、治安維持の警備隊が森の方へ向かって歩いて行くのを見た。魔術士の姿もあるところからして、これから、あの赤髪の女の住処に向かうのであろう。中に何があるのかは、入ってみての、お楽しみ。
「にいちゃん。あの女を捜さなくちゃならないけど、どこを捜す? あいつらについていって、森に行く?」
帽子をかぶりなおして、ボロンが問うた。シンイチは、警備隊の後ろ姿を見つめながら、しばし考える。
「そうだな。警備隊はどのみちあの住処だけしか興味がないだろうしな。森にもう一度行ってみよう。もしかしたら、住処に戻っているのに出くわすかもしれないし、あるいは森の中をのんびりと歩きまわっているのかもしれないしな」
「そうだね」
「がうー」
ボロンの帽子の上で、ガブりんは寝ぼけた声を出した。たらふく食ったことなのだから、これから昼寝をするのである。
「よし、皆。ゼドリーの森へ行くぞ。念のため、私たちも森の中をもう一度くまなく捜しまわってみるんだ」
シンイチの一言で、皆は歩きだした。
モーラベルラの町。
今日は、雪の降らない、とてもめずらしい暖かな日である。優しく太陽が地上を照らし、天然の明かりを投げかけ、気温も上げてくれる。溶けかけの雪が、道のくぼみに静かに流れていき、さらに排水溝へと流されていく。
昼下がり。ガードナーがゼドリーの森へ向かって出発したころのこと。
「やっぱり大勢のひとがいるってこわい」
裏通りの空き家から顔を出したのは、赤い髪。表通りを歩く大勢の人々をちらりと見ては、すぐひっこんでしまう。それでもすぐに、おそるおそるその赤い髪が空き家の入り口から顔を出すのだった。
アリーシャは、ほこりや木くずでよごれた白い服を着ていた。彼女はその美しい赤い髪に土くれや藁屑もつけて、好奇心と不安で満ちた赤い瞳で、絶え間なく行き来する人々をちらちらと見ては、すぐに顔を引っ込め、またすぐに覗き見をするという行動を繰り返していた。興味や好奇心はあるのだけれど、自分はその中に飛び込んでいく勇気がないため、こうして裏通りから表通りを見ているのである。
長い事彼女は母親と二人だけで暮らしてきたのだ。そのため、見知らぬ者たちが大勢いるところに飛び込むのは、勇気のいる事なのだ。逆に、大勢の人々がいったい何をしているのかを知りたくてうずうずしている。好奇心と不安と若干の恐怖が混ざった状態で、アリーシャはさっきからこんな覗き方ばかりしている。
「それにしても、あのパーツ、いない」
彼女は覗くのにくたびれて、いったん空き家の中へと身をひそめた。近々取り壊す予定の、かつては小さな物置であった廃屋の中には、こわれた扉から雪が吹きこんでいる。しかも日陰のために気温が上がっても雪がとけないままだ。アリーシャはその、雪がふきこんでいるところから離れた、屋内の角に座りこんだ。雪がなく、あまり冷たくない。とはいえ、おんぼろのために、隙間風はどうしても防げない。
アリーシャはクリスナイフを大事そうに眺める。磨かれた刃が外からのわずかな光を反射し、彼女の顔を映す。青白い、幼さを残した少女の顔。その青白い顔はさらに青白さが増し、頬がややこけており、生きているという印象が全く無かった。まるで、病み上がり。
「あの剣士さん。どこへ行ったんだろう。よっぽど遠くへ捜しにいったのかな」
ふと思い出す。薬の材料をとってきてもらった後、剣士には一度もあっていない。だが、彼女はすぐに別の事を考え始めた。
「おなかすいたなあ」
服のポケットをさぐり、瓶を取り出す。いつも彼女が飲んでいる不思議な液体が瓶を満たしており、それはすっかり冷えてしまっていたが、彼女は構わず飲みほした。空腹は癒せたが、彼女の顔色はより一層悪くなっていった。
「夜になったら、帰ろうかな」
それから彼女は、また、通りを歩く人々をおそるおそる観察し始めた。
「あのパーツいるかな?」
空がオレンジにそまるまで観察を続けたが、結局目当ての人物は見つからなかった。気温が下がり、少しずつ空気が冷たくなってくる。家路を急ぐ人々。魔法街灯にあかりがともり、町を照らし出す。だが、アリーシャの隠れている空き家までは、その光は届かなかった。ここは裏通りなのだから。
アリーシャは、体がだるいのを感じとっていた。最近、たっぷりと睡眠をとっているはずなのに、疲れなどないはずなのに……。
「どうしちゃったんだろう」
アリーシャの顔からは完全に血の気が引いてしまっていた。そのまま彼女はしばらくじっとして呼吸を落ち着かせた後、自宅へ戻るためにテレポを詠唱した。
ゼドリーの森の、夕方。
モーラベルラの警備隊は、おんぼろログハウスの地下に隠された家から、様々なものを発見していた。誰かが生活を営んでいた証。図書館から盗まれた書物。様々な種類の薬草と、調合用の様々な道具。そして――
「うわっ、な、なんだこれは!」
発見者はそれだけ言って、その場に嘔吐した……。
浴室と思われる小部屋の中には、ありふれた浴槽がある。その中は緑色の保存液で満たされ、更にその液体の中には、きわめてちぐはぐなひとの胴体が浮いていたのだ。
第一発見者だけでなく、この浴室になだれ込んできたほかの警備隊員も、浴槽にプカプカ浮いている不気味なモノを見、青ざめるなり嘔吐するなり、各々反応を示した。皆が落ち着きを取り戻すまでにずいぶんと時間がかかった。
「あれは一体何だ? あの連続殺人事件の犯人が何かをつくろうとしていたのは間違いないんだが」
「あの書物の内容と照らし合わせれば、目的がつかめるかもしれないぞ。とにかく今は、運べるものを全て運び出してしまおう。あの殺人犯が帰って来ないうちにな」
浴室のものだけは、魔法陣を描いてその上に浴槽を苦労して運び、転送するしかなかった。
くたびれた警備隊員が階段を上ってログハウスまで戻り、外へ出た時、
「誰……?」
か細い声が聞こえ、とっさに後ろを振り向く皆。
赤い髪と、赤い瞳を持つ、汚れた服を着た女が立っていた。その細い手には、波打つ刃の短剣が握られている。
ガードナーから連続殺人事件の犯人の特徴を聞いていた警備隊員たちは、今この場に立っている、赤い髪の女が犯人だなどと、信じる事が出来なかった。その細腕で、一般市民だけでなくプロの冒険者や戦士すらも殺害したとは、とても思えない……。
「それ、あたしの本……。返して!」
女の目が光る。
「アーツ……『アリーシャ』!」
彼女が手を突き出すと同時に、警備隊員たちの体が光に包まれる。武器を構えようとした皆の目がとろんとし、生気が無くなった。
女は急にふらりとしたが、何とかしっかりと地面を踏みしめる。一体どうしたのだろうと不思議そうな表情でしばし宙を見つめた後、
「荷物、返して」
女が命じると、警備隊員たちは素直に、本や道具や薬草袋などを地面に置いた。
「あんたたちのパーツ。ちょっと欲しいな」
女は、うつろな顔をした警備隊員たちの体つきを順繰りに眺めていった。そして、
「腕と足がほしい。また、ママの体を継ぎ合わせないと」
そう呟いて、彼女は両手を突き出し、
「アーツ……」
ヒュン!
何かが、女の目の前を横切った。女は思わず身をすくめた。
「何?」
地面に刺さったそれは、剛弓の矢だった。女は、その矢とは逆の方向を向き、誰が矢を放ったのかを確かめる。
「あっ」
女の頬に朱がさす。そして、嬉しそうな喜びの表情となる。
「見つけた。最後のパーツ……!」
彼女の視線の先にいるのは、ガードナーだった。
「やっと見つけたぜ!」
「やっぱりこいつが犯人だったんだねえ」
「早く捕まえるのクポ!」
ガードナーは口々に何かを言うが、女は何も聞いていなかった。ただただ、自分が探し求めてやまないものを見つけた喜びで、興奮していた。
「新しいママへの目だわ……!」
細い指の中にしっかりと握られたクリスナイフが、夕日を浴びて不気味に光る。
「もう絶対に逃がさないわ……!」
ふらふらしながらも彼女は両手を前へ突き出す。ガードナーはとっさに身構えるが、リーダーだけは何かを見定めようとするかのように、じっと立っているだけ。それでも、その顔には緊張が走り、顔の筋肉は強張っている。
彼は一体何を待っているのだろう。
「まわり、うるさいね」
女は髪の毛を一本切って、フッと吹いた。すると、リーダーの後ろで身構えているガードナーの周囲が赤い結界のようなもので包まれた。
「これで、邪魔ははいんない」
女はまっすぐに、リーダーに向かって狙いを定める。が、その腕は妙にプルプルと小刻みに震えている。
「アーツ……『アリーシャ』!」
眩しい光が女の手からあふれた。そして、リーダーの体を赤っぽい光が包み込む。が、彼の両手首と両足首、そして首に、赤黒い輪のようなものが浮きあがって、赤っぽい光をはじき返した。
「効かんな」
リーダーは静かに言った。力が効かなかった事を、不思議がりもしない。赤い髪の女は、目を大きく見開いた。力が効かなかったのはこれで二度目だ。
「そ、そんな!」
驚きの反応を示したのは女だけではない。赤い結界の向こうで、ガードナーも同じ反応を示したのだ。女はすぐ、また両手を突き出し、ふらふらするのも構わずに再度先ほどの力を放つ。
「も、もう一度。アーツ……『アリーシャ』!」
女の両手から光が再びあふれてきた……!
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