第8章 part1



 話は、ガードナーが他のクランと共にモーラベルラの町を警備していた夜にさかのぼる。
 シンイチは赤髪の女に謎の力で攻撃され、重傷を負った。
 その時、シンイチの体は転送魔法の光に包まれ、彼の頭髪を埋め込んだ身代りの泥人形と入れ替わって、オーダリア大陸の、湿地の魔女の住まいまで転送されたのだった。
 湿地の魔女は、重傷のシンイチを手厚く看護してくれた(本人談)。傷はエリクサーで完治したが、失血までは治らなかったので、数日間は、増血剤の混じった粥を口にするのを余儀なくされた。赤髪の女の攻撃は魔法や武器によるものとはまるで違うため、エリクサーで回復できるのは傷だけで、失血までは回復できなかったようだった。
 湿地の魔女にかくまわれて何日か経過すると、シンイチの体調はすっかり元通りになった。そのころには、シンイチが行方不明になった事が噂話として各地に広がっていたのだが、滅多に旅人の来ないトラメディノ湿原にそのニュースは届いてこないのだった。
 シンイチは自分が無事であることをクランに知らせたかったのだが、湿地の魔女に止められた。
「あんたは怪我が治ったばかりだろ? 姿を現せば、あの不思議な力を持った女がまたあんたを狙って襲ってくるのは間違いない。またしてもあんなひどい怪我をするよりも、まずはあの不思議な力を何とかしてから捕まえる方がいいんじゃないかい?」
 武器ならば盾となるものを使って防げばいいし、魔法ならばリフレクや無効化可能なものを身につけておけば防げる。だが、湿地の魔女によると、あの力は武器でも魔法でもない、とのこと。ならばどうやって防げばいいのだろうか。
「あの力の正体は、私にもわからないねえ。でも、何とかしてそれを封じれば、あんたでも捕まえることはできると思うねえ。ま、それにはまず情報収集ってやつがいるねえ。あの女から力の正体を聞きだすのが一番手っ取り早いよ」
「しかし、どうすれば良いでしょうか。直接私が出ていって、あの女と話をするわけにも――」
「それは簡単だよ」
 湿地の魔女は意地悪な笑みを浮かべた。
「あんたの姿を変えればいいんだ」
「えっ?」
 驚愕するシンイチに、湿地の魔女は、小瓶を見せた。灰色の不気味な色をした液体が入った瓶。
「あんたが寝ている間に作っておいた薬だよ。この住まいを訪れる者の肉体の一部、たとえば頭髪を使って作るものでね、飲めば一日か数日くらい、誰か他の奴の姿に変身する事が出来る。誰の姿に変わるかはわからないけどね、フフフ」
 ばれやすい下手な変装をするよりは、完全にその姿を別人に変えてしまった方が手っ取り早い、というわけか。
「飲むか飲まないかは、あんた次第だよ? どうする、飲むかい?」
 普通ならばためらうところだが、シンイチは長く魔女に拘束されていた事もあり、彼女の言葉には逆らえない身となっていた。そのため、彼は素直に瓶を受け取った。
「飲むんだね。ふふ。そいつは一気に飲み干す必要はない、ほんの一口で十分さ」
 一体誰の姿に変わるのだろう。男か、女か、子供か、老人か、あるいは別の種族か。シンイチは少しだけ薬を口に含み、瓶を落として割らないよう薬瓶をテーブルに置く。そうして薬草独特の苦みを持つ液体が喉を通過した途端、シンイチの全身に熱が駆け巡った。
「……!」
 熱と同時に全身が痛み出し、骨や肉が見えざる者の手で粘土の如くこねくりまわされるような異様な感覚が全身を支配する。立っていられず、床に四肢をついてしまうが、それでも痛みはおさまらない。目の前が何度も暗くなり、頭はズキズキ痛み、汗がダラダラと絶え間なく流れ出てくる。
 湿地の魔女は、床にうずくまってうめき声をあげ、体の痛みを必死で耐えているシンイチを見て、満足そうに笑みを浮かべる。彼女の眼には、その姿が徐々に別人に変わっていくシンイチが映っているのだから……。
 それに要した時間は、一分もなかったろう。だがシンイチにとっては一年にも匹敵する長い時間だった。彼は全身から汗をポタポタ垂らしながら、肩で息をしており、床に四肢をついたまま、焦点の定まらない目でぼんやりと床を見ていた。
「終わったよ」
 上から降ってきた魔女の言葉に、シンイチは顔をあげた。焦点が定まってきた視界の中に、妖艶な笑みを浮かべる湿地の魔女の姿が鮮明に映る。
「鏡、見てみるかい?」
 彼女が差し出したのは、握りこぶしほどの大きさしかない丸い手鏡。何も考えずに、震える手でそれを受け取り、シンイチはその鏡の中を覗き込んで――
 硬直。
 鏡の中に映るのは、ヒュムの男。だがそれはシンイチではない。何年もシンイチが姿を見ていない、それなのにその姿を細部に至るまで鮮明に記憶しているその人物は、鏡の中から、ひきつったような表情で、シンイチを見返してきた。鈍色の髪、やや険しい顔、そして――
「ギィさん……!」
 絞り出されたその声も、記憶しているそのヒュムのものであった……。
 ギィ・イェルギィ。
「あー、そういえば、ずいぶん昔に見た顔だねえ」
 湿地の魔女はクスクス笑った。
「適当に、小屋に落ちていた頭髪を使って作った薬だったけど、そういえば、その顔はあんたの知り合いだったね、そういえば」
 絶対にわざとだ。知っていて薬を調合したんだ。シンイチはそう思ったが、口には出さなかった……。
 一段落。
 落ち着きを取り戻したシンイチに、湿地の魔女は妖艶に微笑みながら、言った。
「さて、これであんただと気づく奴はいないよ。薬の効き目は一日から数日間まで続くけど、いつ切れるかはあんたと薬の相性次第だ。だが念のために瓶は持っておゆき。それと、いざという時に備えて、簡単な結界の張り方を教えとくよ。以前教えたあの二つの術ほど、使いはしないだろうけどね」
「はい……」
 声を聞くたびに、自分が喋っているのか、それとも過去の人物が自分の体を借りて喋っているのか、シンイチは混乱した。それでも、薬の入った瓶を受け取り、シンイチは彼女に礼を言って、彼女に描いてもらった転送用の魔法陣に乗った。魔法陣の力で、到着したのは、ゼドリーの森の前。彼は旅人用の墓地までまっすぐ歩いていく。そして、そこでやったのは、謝罪の言葉をいくつも連ねて、本来の姿の主が眠る墓前で土下座した事だった。
 いつも腰に差している正宗を、しばらく預かってほしいと土下座して頼んだ後、帯から外して墓前に供え、湿地の魔女から教わったやり方で墓の周りに結界を作り出し、刀が盗まれないようにした。
 それからシンイチは簡単に服装を変えた。ご記憶の事であろうが、シンイチの着ている黒の着物は故郷から取り寄せた特別製。着物を裏返すと、紫系の暗色の生地で仕立てられた着物に変わるのだ。そして、利き手をごまかすために、ノサダを左の腰ではなく右の腰に差す。
(姿が変わっていても、クリストファーに勘付かれると、あとあと厄介だからなあ)
 シンイチはまずショートレンジに接触することに決めた。ガードナーは当然シンイチを探しているだろうが、今は接触せずにガードナーの動き次第で時機を待つ方が良いと考えたのだ。ショートレンジやポピーの情報屋、パブの噂話から、情報を仕入れ、あの赤髪の女はどうなったか、突然姿を消した自分の生死についてどのようなうわさが流れているか、などを知る必要があった。特にクリストファーは、四六時中シンイチと腕試しをしたくてうずうずしているのだから、シンイチについての情報は愚痴と一緒に容易く聞きだせるであろう。
 ショートレンジを見つけたのは、カモアのパブだった。クリストファーに少し話しかけてやると、あっというまに相手は打ち解け、愚痴をこぼしつつ話を始めた。だが、シンイチが話す際に出る訛りはどうしようもなく、クリストファーに尋ねられた際、出身はユトランドで育ちは異国だと答えざるを得なかった。
 それから一週間、シンイチはギィの姿を借りたまま、あちこちを歩いて情報を集めた。シンイチ本人は未だに行方不明であること、連続殺人事件の犯人は赤い髪の女であること以外、特に進展がないので、シンイチは思い切って、モーラベルラの町で自分の姿をさらけだし、赤い髪の女かガードナーを誘い出してみようと考えた。自分が姿を見せれば、どちらかが食いついてくるに違いない。たとえ食いつかれずとも、場所を変えてやってみればいいのだ。
 思惑通り、モーラベルラの路地裏で、元の姿のまま歩いている時、赤い髪の女が出現した。すぐ傍の細い路地に逃げ込み、空き家の暗がりに隠れて、彼女が通り過ぎたのを見計らって薬を飲んで変身し、その姿で赤い髪の女と接触したはいいが、ガードナーまで現れたのは予想外だった。ボロンはギィを記憶している可能性があるため、思い出す前にと、シンイチは女の手をつかんで、以前湿地の魔女から教わったテレポを詠唱し、町の外へと逃げた。町の外で話をしたが、女は、シンイチを本人とは見破れなかった。シンイチは、湿地の魔女に以前教わった読心術で彼女の心を読んだが、偽の姿をしたシンイチを、シンイチを捜しに来た異邦人だと信じて疑っていなかった。
 女はアリーシャと名乗った。
 アリーシャはシンイチを己の隠れ家へと案内したが、そこにあったのは想像を絶するものだった。モーラベルラの図書館から盗まれた蔵書だけではない、浴室と思われる狭い部屋にあったのは、たくさんの臓器……! アリーシャは「新しいママを作るのだ」と言ったが、シンイチにはいまひとつピンとこなかった。新しい母親を作るとはどういう事なのか。だが、彼女が、人の道から外れた事をやろうとしている事だけは、直感的に分かったのだった。
 アリーシャは自身をスグレシモノだと言った。スグレシモノとは、「すっごい力」を持つ存在で、彼女の他にもいるらしく、そのスグレシモノたちから彼女は力を教えてもらったと言っていた。アリーシャが使う力には相手を思いのままに操る効果があるそうだが、シンイチには効かなかった。

 とにかく、彼女の信頼を得る事が出来た。根がお人よしのシンイチとしては、本当はこんなことをしたくなかったのだが、依頼のためだ、やむを得ない。だが、彼女に情が移ることを恐れて、過度の接触をしないよう心がけることにした。
 次はガードナーの情報を探ることにした。フロージスに来ていたクランに直接姿を見せるのはまずいので、クランにあてて手紙をまず書いたのだが、そこにはサヤに対し、「サヤ、夕方に裏通りで待つ」という内容の暗号も入れておいた。文章の頭を読めばすぐわかるようになっているのだ。そしてサヤは裏通りにやってきた。本来の姿で彼女に会ったシンイチは、傷が治った今は別の姿で情報収集をしている事を話し、実際に薬を飲んで変身した姿を見せる。
「あの女への接触は成功した、今後あの女に関する情報を集めていく。それを少しずつ渡すから、そちらもクランの近況を教えてほしい。私が復帰する時機を見計らうためにも」
「わかりました、シンイチさん……」
 その後、モーラベルラのポピーの情報屋で高い「おたから」を支払って、依然自身が生死不明として扱われている事を知った。彼が隣の大陸にいた事を嗅ぎつけることはできなかったようだ。少し高いものを支払ったのは損だったが、シンイチが生きている情報がガードナーにわたると、今は困るので、情報屋が何も知らないのは本当に助かった。サヤはともかく、ボロンたちが秘密を守れるとはとても思えないから……。
 アリーシャの住まいには、情報収集のために何度か足を運び、そこで得た情報をサヤに渡して、かわりにクランの動向を教えてもらった。アリーシャに会うたびに実感するのは、彼女が常識を身につけていないという事。身内でもないのに人前で服を脱いだり、裸に布を巻いただけの姿で平然としているなど、「普通」に考えれば非常識きわまりないことを平気でやってのけるのだ。彼女の行動に呆れながらも、奥の部屋にある棚に無造作につっこんであった古書を読む。古書は当然古代文字で書かれているのだが、湿地の魔女の気まぐれでその読み書きを教わっていたので、シンイチは容易くそれを解読できた。
 アリーシャは、一から生命を作り上げようとしていたのだ。
 意地悪な母は甕の中にいると言ったが、アリーシャはおそらく実の母を――
 余計な事を考えないうちにと、シンイチは、体に刻まれた魔法陣の力でトラメディノ湿原に戻り、湿地の魔女に報告し、対策を練った。
「一番簡単な方法は、古代呪法のあの薬を飲ませることだと思うねえ」
 湿地の魔女は彼に材料をとってくるように命じ、一覧を書いて渡してくれたが、短期間で集めるにはとても難しいものばかりであった。そこで彼は、ショートレンジに依頼を出すことを考えついたのだった。荒くれ者ぞろいだが根は善人で、動かしやすい連中が揃っている。シンイチが姿を現すと当然ショートレンジは驚いたが、彼が簡単に事情を話すと、高額な報酬と引き換えに、依頼を受諾してくれた。シンイチが手持ちの金だけでなく、おたからを売って五万ギルを揃えている間に、ショートレンジは材料をちゃんと揃えて持ってきた。材料がそろったがシンイチの財布は空っぽ……。
 湿地の魔女に調合してもらった薬を持って、アリーシャの住まいへ向かう。以前、薬の材料を持ってきてほしいと頼んでいたアリーシャは、彼から、母親の肉体を保存する薬の材料を受け取った。彼女が保存用の薬を作る間、シンイチはタルコフの水晶に小さな傷をつけ、台所の大きな水がめの中に湿地の魔女の調合した薬を流し込んで、さっさと出ていった。余計な用事を言いつけられる前に。
 薬が効きだすには数日必要だろうと考えたシンイチは、早朝からポピーの店のドアを叩き、便箋を貸してもらってガードナーに手紙を書き、合流した。そろそろ自分の元気な姿を見せないと、クラン活動をする事もままならぬかもしれないと、考えたから。
 ガードナーと合流したシンイチは日単位で時間をつぶした後、クランをひきいて、アリーシャの元へと向かった。依頼の通り、連続殺人事件の犯人であるアリーシャを捕らえるために。


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