第8章 part2



 赤い髪の女アリーシャの手の中に生まれたその力は、静かに消滅した。
「ど、どうして……?!」
 何度も何度も念じるが、彼女の手の中に、力は生まれなかった。
 狼狽するアリーシャに、シンイチはさっと近づいて、みぞおちに一撃を叩き込んだ。彼女の体はあっけなくシンイチの腕の中へと崩れ落ちる。同時に、結界がとけてガードナーは自由になり、警備隊たちは意識を取り戻した。
「標的は捕獲した、モーラベルラへ戻るぞ」
 シンイチはただひとり、落ち着き払って皆に言った。状況を把握できないガードナーは、なぜか大人しくそれに従って回れ右をし、モーラベルラへの道を歩き出す。……シンイチは一刻も早く、この場を離れたかった。これ以上、この場にいたくなかった。
 警備隊員たちに赤髪の女アリーシャをおしつけて、シンイチはさっさと帰路に付いた。

 連続殺人事件の犯人がついに逮捕された。それはユトランド全土の新聞をにぎわせただけでなく、パブの掲示板にその記事が貼りだされ、各地はそのニュースでもちきりだった。
 ガードナーの真の依頼主であるヒースカリス家は、五十万ギルという莫大な額の報酬をわたそうとしたが、シンイチはそれを蹴った。ガードナーはそれを知ると猛抗議したが、リーダーは、
「受け取ったら今後、どんな無茶な依頼でも大金をちらつかせればすぐ引き受けるだろうと、向こうに勘違いさせてしまうからな。安っぽくみられた揚句使い走りさせられる便利な手駒だと思われたくない」
 と、冷たく言っただけだった。
 さて、リーダーが報酬を受け取らなかったために骨折り損のくたびれ儲けとなったガードナーは、またいつものクラン活動を開始した。一方で、ゼドリーの森の地下の住居から押収された様々な証拠物件が調べられ、連続殺人犯が何のために殺人を繰り返したかについてその目的が明らかにされた。モーラベルラ図書館の蔵書、浴槽の中の人体パーツ。殺人犯アリーシャは、古代呪法の禁術を用いて、新しく母親を作り出そうとしていたのだ。だが、新聞では、古代呪法を用いようとしたことについては、何も触れられていなかった。報道陣にその情報を渡さぬよう、モーラベルラの治安維持管理局は慎重にデータを選んで発表したのだ。
 数週間後、アリーシャの裁判が行われることになった。彼女は現在、プリズンの一室で、その時を待っている。己の身にこれから降りかかってくる事を何も知らないまま、青ざめた顔で寝台に横たわっている。この部屋に移されてから、彼女は一度も目覚めること無く、深い眠りについている。
 アリーシャの裁判を一週間後にひかえた深夜。
 シンイチは、トラメディノ湿原の湿地の魔女の小屋を訪れた。沼地では、ゴーストがうようよしているが、小屋の周囲には結界がはりめぐらされているため、襲われることはない。
 いつものように古代の酒をちびちび飲みながら、シンイチは切り出した。
「あの女に飲ませた薬、あれは一体何だったのですか? 顔色が悪化しただけでなく、あの不思議な力を使う事も出来なくなっていましたが……」
「あれはねえ」
 湿地の魔女は不気味に笑う。
「古代呪法の、中でも特製の秘薬なのさ。相手の生命を衰弱させて、心身ともに弱らせるだけじゃない。生まれながらに持っている能力すらも封じることができる。たとえば、どんなに優れた魔術の使い手であろうとも、薬を服用すれば、しばらく経って体調を崩すのみならず、あらゆる術を使う事ができなくなるのさ」
「!?」
「でも、今、その仕組みを語り始めると、一晩だけではすまないよ。いつか時間がたっぷりとれたときに、あらためて説明をさせてもらうから、今は我慢おし」
「はい」
 好奇心と不安がまざった声で、シンイチは返事をした。
「それにしても、うまく使いこなせるようになったねえ」
 湿地の魔女は、足を組みかえる。
「読心術、テレポ、古代の結界とその解呪……。きまぐれで教えてやったのに、ちゃんと練習しているなんて、えらいねえ、坊や」
 古代呪法が無造作に使われていた時代から、たびたび改良されてきた移動魔法テレポ。一度に移動できる人数は一人までなので、魔法陣を描いて複数人を移動させられる本格的な転送用魔法には負けるが、町の中からある程度離れた地点まで、というような中距離移動程度ならば可能だ。もちろん術者の力量次第で移動距離は若干変わるが、海を渡るといった長距離移動はできない。魔術の扱いに慣れていないシンイチは、町の中から町の外といった、ごく近距離の移動が関の山である。
 読心術もまた古代から密かに用いられてきた術であるが、倫理上の問題から次第に用いられなくなり、すたれて、口伝の術に変わっていた。習得すれば、相手が何を考えているか読みとる事が出来るものの、術者が疑心暗鬼になり人間不信に陥るケースが非常に多い。また、この術を防ぐために、心の防壁を作り出す対策も生まれており、それが読心術を廃れさせた原因の一つにもなった。知らなくてよい事を知った時の代償は、極めて大きいものだ。
 結界もまた、魔法や物理攻撃を防ぐための防衛手段として発達した。だが、扱いが難しいために、結界を張る手順がだんだん簡略化されるにつれて性能も落ち、現在、一般的に使われるそれには、モンスターや一部の攻撃魔法を防ぐ程度の力しかないものが多くなってきた。もちろん、きちんとした手順を踏めば、はるか昔のそれと同じだけの性能を誇る結界を作ることはできる。シンイチが教わったのは、現在でも使われるごく簡単な結界の張り方だが、解呪の方は古代の言の葉を用いるやりかただった。湿地の魔女いわく、古代語での解呪をおぼえておけば、現在でもつかわれている結界のほとんどをたやすく破る事が出来る、とのこと。
「教えていただいた以上、無下にするような真似はいたしません」
「うれしいねえ、そのうち調合も教えてやろうかね、ふふ」
「お、お望みとあらば……」
 ひきつった顔でシンイチは返答した。湿地の魔女はそれを微笑んで眺めたが、彼女の言葉が本気なのかそれとも冗談なのか、シンイチには判断できなかった。


 日は過ぎていった。プリズンにいるアリーシャは日に日に衰弱し、一日のほとんどを夢うつつの中で過ごしていた。呼吸が非常に弱いため、生きているのか死んでいるのか、見ただけではわからないくらいに、彼女は弱っている。
 アリーシャは、同じ夢を繰り返し見ていた。
 夢の中で、アリーシャは母と一緒に地下の住まいで過ごしていた。共に過ごしているのは、彼女が言っていた、「意地悪なママ」だった。彼女が作りあげるはずだった、様々なひとをつなぎ合わせた集合体の「新しいママ」ではなかった。
 タルコフの水晶で外の世界を見ていたアリーシャは、自分も外に出てみたいと言った。だが、母はそれを拒んでいた。外にはこわいモンスターがたくさんいてお前を食べてしまうよ、と。モンスターが外の世界にうようよしているのは本当のことであるし、幼子を寝かしつけたりおそくまで外で遊ばせないために、子供への脅し文句としてこの言葉は必ず使われている。そしてある程度の年齢までは、アリーシャもそれを信じていたのだった。
 場面が切り替わった。
 アリーシャは、ゼドリーの森の中に立っていた。生い茂る枝の葉っぱや、足元の茂み。そして少し離れた所には、彼女の母が立っている。
「ママ、どうして来たの。ママなんか会いたくないのに」
 全身が血みどろになっている彼女の母は、無言のまま、娘を見つめ返す。顔から腹にかけてつくられた幾つもの刺し傷。そこから絶え間なく流れ続ける、赤黒い血液が、彼女の全身を赤黒く染め上げている。
「ありーしゃ……いったでしょう、おそとにでてはいけないって」
 生気の全くない声が辺りに響いた。
「あんなになんどもとめたのに、いうことをきかないから、こんなことになってしまったのよ。おとなしくいえのなかにいてくれればよかったのに」
「何よ! ママが悪いの! 全然お外に出してくれないから悪いのよ! お外にはいろんなものがいっぱいあるじゃないの、見たことのないステキなものがいっぱいあるじゃないの。なのにママは全部隠してた……!」
 アリーシャは、赤黒く濡れた母の元へ、歩み寄ろうとしなかった。
「あたしは何も悪くないもん。隠してたママが悪いの。だからあたしはママにお仕置きをしただけよ。悪い子はモンスターのいる森の中へ捨てちゃうよって、ママいつも言ってたじゃん! だからあたしは、悪いママを捨てたの」
「わるいこはあなたよ、ありーしゃ……」
 赤黒く濡れた母は、血に濡れた指先を、アリーシャに向ける。そして、捕まえようとするかのように、足を前に踏み出してきた。
「さあ、ありーしゃ。こっちにいらっしゃいな……。ままといっしょにいきましょう……」
「いやよ、ママなんかと一緒に行かないわ! あたしはまだ、外の世界を何も知らないんだもの! 外の世界を全部見て回りたいんだもの! 行かないわ!」
 アリーシャは母親に背を向けて走り出した。
「まちなさい、ありーしゃぁ……」
 母親の声は徐々に遠ざかっていく。だが、その声は小さくなりつつも、耳の中からは決して離れてはいかない……。
 ついにアリーシャは森の道でつまずいて倒れた。身を起こし、足音を聞いて、ふりかえった。
「さあ、いっしょにきなさい!」
 赤黒く染まったその手が、アリーシャの足をがしっとつかんだ!

 夢は、そこで覚めるのだった。
 アリーシャは目覚める。悪夢から目覚めるも、彼女の意識はなかなか現実には戻って来られなくなっている。悪夢にとらわれている時間が長くなってきており、現実に目覚めているのは、ほんの数時間程度となった。
「ううーん、まま、いきたくない……」
 苦しむ彼女の体が、急に、赤い光に包まれ始める……!


 ユトランド全土を騒がせた連続殺人事件の犯人である、アリーシャの裁判が開かれる日。
 プリズンの傍にある裁判所の扉に、大きな掲示板がある。そこには、今日の裁判の内容や、その判決が張りだされることになっているのだ。
 シンイチは早朝から裁判所前まで単身出掛けていった。必要に迫られたとはいえ、姿を変えてアリーシャを騙し彼女を瀕死の状態に追いやったのだ。まだお人よしの部分が残っているシンイチには、心の痛むことであった。裁判の傍聴席に座ろうというのは、彼の良心がそうしろと命じるからなのだろう。さて、到着したところで、いつ裁判が始まるのか掲示板を見る。
 彼は目を見張った。
 でかでかと張りだされたその紙には、次のように書いてあるだけだった……。

『本日正午より行われる連続殺人事件の容疑者アリーシャの裁判は、容疑者逃亡のため、中止』


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