第9章 part1



 連続殺人事件の犯人アリーシャが逃亡した事は、すぐにモーラベルラの町に知れ渡った。他の町にそれが知れ渡るのは時間の問題。町中がその噂でもちきりになった今頃になって、この町の新聞社が競って、遅い号外をまき散らし始めた。
「にいちゃん、あの女が逃げたって本当?」
 ボロンは、宿に戻ってきたシンイチを見るなり、そう問うた。シンイチがそうだと答えると、クランは騒然となった。当然だろう。
「すぐ捜すクポ! きっとまた大量殺人を繰り広げるに違いないクポ!」
 チコは真っ青になって叫んだ。それにつられてシングもおろおろする。
「だいじょぶクポ、弱ってたそうだし、すぐ見つかるクポ」
 チャドは正反対に、楽観視している。
「おい、リーダー、どうするよ。あの女、捜すか?」
 アーロックは頭をかいた。
「あの女を捜せっていう依頼がパブに飛び込むのも時間の問題だろうけどよお」
「……」
 シンイチはしばし考え込んでいた。アーロックの言うとおり、アリーシャの捜索を依頼するクエストが飛び込むのは時間の問題。シンイチとしてはアリーシャとは縁を切りたいのだが、クランとしては依頼を引き受けねばならない事になるかもしれない。ガードナーが、アリーシャを捕らえたのだから、今度もまた捕まえてくれるはず。そう期待されているかもしれないから。
「クエストが来てから決める」
 とりあえずシンイチはそう答えた。今はそうとしか言いようがないから。
(一番困るのは、また捕まえてくれるのではないかと期待をかけられる事だな。向こうが、依頼だけして後は結果を待つばかり、という姿勢で無ければいいんだが……)
 シンイチの不安が的中したのは、パブが開いた直後の事。パブにはいったガードナーを、マスターが呼んだのだ。
「あんたら宛てに手紙が届いてるぜ」
 シンイチは礼を言ってそれを受け取り、封筒を見て額にしわをよせた。封を開け、中の手紙を読むにつれ、その表情はさらに険しくなった。
「リーダー、どうしたんスか?」
 クルーレが好奇心を起こして問うた。シンイチはしばらく紙面を睨みつけたまま答えなかったが、やがて、はーっとため息をついた。
「こうくるだろうとは思っていたが……」
 シンイチはマスターと話をした後、ガードナーの方を向く。
「逃亡したあの女を捜さねばならなくなった」
「あ、やっぱりね……」
 サンディは、あまり驚いた様子は見せていない。そして他の者もその話を予想していたようで、大げさに驚く者は誰もいなかった。シングやガブりんすらも。
 シンイチは、クランの反応があまりにも冷めていたので、かえって驚かされた……。
「でさ、にいちゃん。さっきの手紙は」
 ボロンは問うた。
 シンイチの受け取った手紙は、今度はモーラベルラの治安維持管理局から出されたものだ。あの連続殺人事件の犯人アリーシャを探しだしてほしいというクエスト。今度は、ヒースカリス家の印はない。役人が、ガードナーに直接依頼を出しているのだ。
「また役人がこっちに投げてきたのクポ?! いい加減にしてほしいクポ! こっちはあの時のクエストで危うくリーダーを亡くすところだったんだから、そこらへんも考えてほしいのクポ!」
 チャドはぷりぷりした。ポンポンの毛が、感情をあらわし、逆立って、ボンボンになっている。それを「まあまあ、落ち着くクポ」とチコがなだめる。
「でー、どぉすんの、リーダー。今から探すのお?」
 アレンは相変わらず、危機感のない声を出した。が、アレンが言うまでもないことだった。

 ガードナーは、プリズンの看守に、アリーシャがいついなくなったか、どうやって逃げたか等について話を聞いた。いなくなったことに気付いたのは朝の身回りの時で、ちゃんと牢屋の扉には鍵をかけてあった、とのこと。どうやって逃亡したのかについては、その時のことなど全く見ていないからわからない。当然だろう。
(テレポでも使ったのか? だがあの秘薬を服用してだいぶ時間が経過しているから、もう術は使えなくなっているはずだが……)
 シンイチは頭の中で考えた後、実際に牢の中を見せてもらった。寝台に、わずかに残る赤。魔力の跡だ。
(考えられる事としては、最後の力を振り絞って脱走した、という事ぐらいか……。どのくらいの距離を逃げたかは分からないが、まずは町中から捜した方がいいかもしれない。あの隠れ家は、とっくに治安維持管理局がおさえているから、そこへ移動したとしたら確実に見つかっているはずだ)
 アリーシャの逮捕からずいぶん日にちが経った今でも、治安維持管理局はアリーシャの隠れ家に警備員を置いている。隠された証拠探し、などと言っているが真相は定かではない。もしかすると、貪欲な役人や研究者が警備員に賄賂をつかませて、あの隠れ家に置いてあるものを懐に入れてしまおうとたくらんでいるのかもしれない。普通の手段では手に入れることの難しい薬草や魔法薬の材料が、あそこにあるのだから。まだ隠し部屋があるかもしれないと期待を込めて、壁を掘らせているに違いなかろう。
「とにかく捜すぞ、まずは町の中からだ」
 警備隊員だけでなく、ほかのクランも交えて、ガードナーは、アリーシャの捜索を開始した。エンゲージに長けているシンイチたちは、裏通りやスラムといった危険な区域を駆けまわって、アリーシャを捜しまわったが、収穫は無かった。取り壊しの近い空き家の中だけでなく、はては人家の屋根裏や地下室、枝葉の生い茂った街路樹までも、捜しまわった。結果は、同じ。シンイチは、アリーシャの残した魔力の痕跡をたどるべく、どんな場所を捜している時も懸命に目を凝らしてはいたのだが、結局、魔力の痕跡は何も見つからなかった。
 昼ごろ、いったん休憩をとる。
「本当にあの女はこの町の中にいるのかなー?」
 昼食をとりながら、サンディはぼやいた。
「こんだけ町を探しても見つからないんだよ、きっと町の外だよ」
「ここまで捜して見つからないクポ。でも、町の外といっても広いクポ。ユトランドの外にまで逃げてしまったかもしれないクポ!」
 チコのポンポンが、情けなくダラリと垂れた。
「ユトランドの外に逃げられるわけないクポ。そんなことしようと思ったら、大がかりな移動の魔法でもないと無理クポ。弱っているあの女に、そんなことのできる力が残っているわけがないクポ」
 チャドは弟とは対照的に、根拠のない事を言っては、物事を楽観視している。
「隠れようと思えば、地面に穴を掘って身を隠すことだってできるし……」
 ジュースを飲みながら、シングはぼそぼそ言ったが、あいにく誰も聞いていなかった。
「ねー、リーダーはどう思うんスかあ?」
 スープの椀に匙を置いて、クルーレは問うた。が、反応がない。
「リーダー?」
 緑茶の半分入った湯のみを持ったまま、シンイチはぼんやりと宙を見ていたのだ。クルーレのよびかけに、ハッとして、シンイチは慌てて湯のみをテーブルに置く。
「あ、すまん……。聞いていなかった。で、どうした?」
「あの女はどこに隠れてるか目星がついてないかって、聞いたんスけど」
「それを今考えているところだ」
「で、目星は?」
「皆目見当つかん」
 シンイチの返答に、クルーレは苦い顔をした。
「そうっスか……」
 しばらく沈黙が続く。周りの客はやかましく騒いでいるのに、ガードナーのテーブルだけは静かだった。唯一聞こえる物音と言えば、テーブルの下でガブりんがパンをかじる音くらいか。
「やっぱり町の外なんじゃないかな、にいちゃん」
 ボロンはぼそりと言った。もちろん彼が言わずとも、ガードナー全員が考えていた事だ。
 皆は、自然とシンイチに視線を向ける。午後からどこを捜すか、彼の指示を待っているのだ。
 シンイチはしばしテーブルを睨みつけて考えていたが、フウと息を吐き、言った。
「昼から、森の中を探すぞ」

 ゼドリーの森。
 なぜここを探そうと考えたのか。デルガンチュア遺跡の方面を探そうと考えなかったのはなぜか。それはシンイチにも分からない。
 ゼドリーの森は、魔力を帯びた木々が自生していることから、シンイチの目には、枝葉がうすぼんやりと赤く染まって見えるものが多い。そんな中でアリーシャの魔力の痕跡を見つけ出そうというのは、無理な話である。
(私の目が疲れるのと、彼女が見つかるのと、どちらが先だろうなあ……)
 ガードナーは、まず、おんぼろログハウスを訪ねた。そこには、モーラベルラの治安維持管理局の警備員たちが見張りに立っている。警備員たちは、アリーシャの逃亡を既に伝え聞いており、慌ててこの隠れ家を捜しまわったそうだが、アリーシャの姿はどこにもなかったという。
「ここにもいないのか……」
 いちおう、シンイチも一通り室内を見せてもらったが、アリーシャの魔力の痕跡はどこにも残されていなかったし、彼女の姿そのものもなかった。
「ここには、現れなかった……。さて、どこを捜したものかな」
 ログハウスを出た後、シンイチはしばし考える。かたっぱしから捜す必要はあるのだろうか。いや、森はそれなりに広いし、ゼドリーファームのテリトリーに入ったら、もめごとが起こりかねない。森の中で、限定して捜すとするならどこだろう……。これまでにサヤから受けた報告も思い出しながら、シンイチは考える。
 ふと思いついて、警備員に聞いてみる。
 アリーシャが埋めた大きな甕の事を知らないか、と。
 その場にいた警備員たちは、互いに顔を見合わせた後、知らないと答えた。ひそかにシンイチが読心術で心を読んでも、皆そろって「何を聞いているのだろう」と疑問を抱いていた。そのため、シンイチは、アリーシャの埋めた甕が発見されていない事を知った。
「にいちゃん、大きな甕って、あの女が埋めた……」
 ボロンはシンイチに聞きかけたものの、シングの前だと思いだし、途中で口を閉じた。それでもシンイチには伝わっていた。
「チャド、チコ」
 シンイチが何を言いたいか、双子のモーグリにはちゃんと伝わっていた。ひょっとしたら、あの甕を掘り起こすことになるかもしれない。子供には見せられない光景となりえるので、いざとなったらシングを遠ざけておくつもりなのだ。
「わかったクポ、リーダー」
「はいクポ」
 モーグリの双子は返事したが、シングはそれの意味をよくわかっていなかった。
 ガードナーは、アリーシャが大きな甕を埋めていた場所まで向かう。
「あのあたりだよ、にいちゃん」
 大きなしげみの奥を、ボロンは指差す。シンイチはボロンの指し示すところをじっと見る。うっすらと見えている、赤。魔力の痕跡だ。だがそれは彼女のものだろうか。あの甕の中に魔力を込めたものが入っているなら、それが漏れ出て、シンイチの目に映っているだけかもしれない。
「掘りだすのぉ、リーダー?」
 双子のモーグリにシンイチが言葉を駆けた理由を察して、アレンは疑わしげな顔をする。他の皆も同じく。あの場所に埋まっている甕の中を、皆、想像できているからだ。シンイチはしばし考えた末に、掘り出しはしないがその周辺に何か手掛かりがあるかもしれないから、とシンプルに答えた。掘り出して中を調べようと言いだすのではないかと思っていたガードナーは、リーダーの返答にやや拍子抜けしたものの、まあ子供に嫌なものを見せるよりはいいだろうと思いなおした。
 甕の埋められている場所から、周りを調べる。何か埋まっていないか、誰かが通った形跡はないか、などなど。だが、日暮れ近くまで手がかりを探したのに、なにひとつ発見することはできなかったのだった。


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