第9章 part2



 トラメディノ湿原。
 湿地の魔女は、魔法陣の力で小屋の中に現れたシンイチに椅子をすすめ、さかずきに古代の酒をそそいでやった。シンイチは礼を言って座り、木製の杯を手に取った。
「なんだい、ずいぶんと困った顔をしているじゃないか」
 湿地の魔女はそう尋ねたが、その顔は明らかにうれしそうだった。暗くてメツッとしたことが大好きな彼女にとって、シンイチの困り顔は何よりうれしいものなのだ。
 シンイチは日中の出来事を話した。アリーシャがどこへ逃げてしまったのか分からず、手掛かりを求めてあちこち探したのに、何一つ見つけ出せなかった事を。
 湿地の魔女は口を挟まずシンイチの話を最後まで聞いた。そうして彼が吐き出せるだけ愚痴を吐き出してしまうと、
「あの秘薬を飲んだのに、まだそんな力が残っていたんだねえ。調合と違って、ひとというものは予想外の事ばかり起こしてくれる、フフフ」
 湿地の魔女は可笑しそうに言った。だがシンイチは真面目に話を聞いてもらいたい一心であるため、その顔には笑いなど微塵もない。
「その、予想外の事が起こったと考えておりますので、こうして相談に参った次第なのです……。一刻も早く見つけ出さないと――」
「まあまあ、焦るんじゃないよ、坊や」
 湿地の魔女は美脚を組みかえる。
「魔力の跡が残っていたなら、テレポを使ったと考えるのが妥当かねえ。あんたが捜したのは、町の中と、あの小娘が住んでいた地下の住まいと森だね? でも魔力の痕跡以外に何も見つからなかった。こうでいいんだね?」
「はい」
 モーラベルラの町、ゼドリーの森。他のクランにはデルガンチュア遺跡方面をさがしてもらった。だが、どこを探しても、収穫は無かった。
「そうかい……」
 湿地の魔女は、自分の杯をテーブルの上に置きなおし、しばらく宙を見つめて考え込む。シンイチは杯を持ったまま、相手の顔を凝視している。何か思いついてくれないかと、期待をこめて。
 やがて、湿地の魔女はシンイチを見る。答えが出たかとシンイチは身を乗り出した。
「あの小娘が行きそうな場所は――」
「場所は?!」
「具体的には言えないね」
 その返答でシンイチは思わず口をあんぐり開けた。彼が何か言おうとするのを、相手は制した。
「まあお待ち。具体的な地名は言えないが、あんたなら見当がつくんじゃないのかい?」
「何処でしょうか」
「それはね――」
 いたずらめいた表情で、湿地の魔女はシンイチに告げた。

 翌朝。
 東の空が白むころ、シンイチは目を覚ました。朝食前にいつもの素振りをするために、寒いのをこらえてベッドから起き上がり、身支度を整える。ベッドを整えている間、シンイチは、夜中に湿地の魔女から聞いた事を思い出していた。
「あの小娘の行きそうな場所は――小娘の母親がいる場所の近くだね」
 それだけしか、言わなかった。思わせぶりな口調で切り出しておきながら、それだけしか言ってくれなかったのだ……。シンイチの落胆ぶりと来たら。
(あの森の中のことを言ったんだろうが、そこは昨日さんざん捜したはずだ。それとも、捜し足りないものがあったのか?)
 ベッドの布団は綺麗にたたまれた。シンイチはノサダを手に取り、正宗を帯に差して、外へ出る。朝のひんやりした冷たい空気が、身を刺す。モーラベルラは年がら年中寒いのだから仕方がない。それでも素振りをしていればそのうち体が火照ってくる。薄暗い空がだんだん明るくなり、街灯の明かりなしでも周りが見えるようになってくる。
(さんざん捜した場所を改めて捜すしかないかもしれないが、皆は文句を言うだろうな。まあ、昨日やらなかったことをやってみるだけのことだ……)
 やろうと思いはしたが、それをやめた。
 アリーシャが埋めた、甕を掘りだす事。
(ものは試しだ。おぞましいものを見るかもしれないからな、今日はシングを連れていくわけにはいかない。双子とアレンに世話を任せるか)
 そうしてシンイチは素振りを止め、宿へと戻った。
 朝食後、シンイチは、双子のモーグリとアレンに、シングの世話を頼んだ。なぜそうしてほしいのかシンイチは話さなかったが、皆には通じた。昨日やらなかったことを、今日やるつもりだから。おぞましいものを見るかもしれないので、子供は遠ざけておきたいのだ。
 さて、店が開くまで待ってから、ガードナーは、ゼドリーの森へ出かけた。チャドとチコ、そしてアレンは、シングと一緒に商店街へと出かけていった。シングは、時々自分がクランから引き離される事を知っているが、リーダーが彼を気遣ってそうしているのだと言う事だけは気づいているので、特に文句は言わない。むしろ、菓子や果物などを買ってもらえるため、出かけるのは大好きなのだった。
「にいちゃん、本当にやるわけ?」
 シンイチの隣を歩きながら、ボロンが問うた。帽子の上でガブりんが不快感をあらわにし、唸り声をあげている。シンイチは横を見ず、言った。
「そのつもりだ。でなければシングを遠ざけるわけがないだろう」
「それもそうだねえ。あの中に詰まってるものを考えると、うえ」
 ボロンは吐き気をもよおしたようだった。ボロンだけではない、後ろを歩く他の者たちもその顔からは嫌悪を隠さない。
 さて、問題の地点へとやってきた。さすがにあの甕の事を話しはしなかったために、掘り返された形跡はない。掘るための道具も持ってきているので、さっそく取り掛かる。
「やるぞ」
 シンイチの一言で、皆はうなずいた。
 無言の作業。
 土を掘り返す音、石をどける音、草をかき分ける音。しばらくそれらだけが辺りに響いていた。皆、誰もしゃべらない。
 土をどけるのに、十分もかかりはしなかった。甕のふたが、地表に姿を表す。だが、甕を地上に引っ張り出しはしなかった。ふたを外しただけだ。中を確かめるには、それだけで十分だ。
「う」
 サンディは顔をしかめて下がり、サヤは表情こそ変えなかったが耳がピクリと動いた。
 アーロックがふたを外すと、辺りに、腐敗臭と薬草のつよい香りが入り混じって、漂った。吐き気を催す悪臭。クルーレは口を押さえて嘔吐をこらえる。
「うえっ、リーダー、はやくしてくださいよぉ」
「言われなくとも……」
 シンイチも嘔吐をこらえている。どんより濁った緑色の液体の中にプカプカ浮かんでいるのは、人体のパーツ……。色から見ても、明らかに腐敗している。吐き気を催す、その甕の中味。本当は直視する事も嫌なのだが――
 彼は甕を覗きこみ、手近な木の枝で中味を少しかきまわしてみるが、吐き気を催す甕の中味がかきまわされるだけに終わった。彼は枝を甕の縁で折って、甕の中へ投げ入れる。
「ふたを閉じてくれ……」
 悪臭と吐き気の元凶は、再び土の中へと埋められた。
「結局何もなかったじゃねーか、全く」
 町への帰り道、アーロックはぶつぶつ言った。
「でも、全部掘りださないでよかったかも」
 サヤは誰にも聞こえない小さな声で、つぶやいた。
「あんなくっさいモンだなんて思わなかった……」
 ぼかしはしたが、サンディは明らかにあの甕の中味の事についてこぼしている。
「服にまでニオイがついちゃってるよ……。帰ったら全部洗わないとな」
 クルーレは帽子をぬぎ、バサバサと乱暴に振るった。土埃と一緒に、においを飛ばすつもりのようである。
 後ろで皆が騒がしくしている間、シンイチはただ黙って歩き続けていた。
(甕の中に隠れているのではないかとも思ったが……)
 荒唐無稽としか言いようがない考え。しかしシンイチは、真面目にそれを考えたのである。だからこそ、甕を掘りだして中を確かめようとしたのだ。その結果は、当然――
(はずれか……)
 ハア。
 彼は小さくため息をついた。
(私の考えは大外れ。当然だろうなあ。あの甕の中にいる、だなんて……。では、アリーシャは一体どこにいるんだ? もう一度、湿地の魔女に聞いてみよう。今度はもう少し具体的に教えてくれるかもしれない……)
 ガードナーがモーラベルラの町に戻ると、ちょうど、アレンとモーグリの双子、そしてシングが、近くの菓子屋から出てきたところだった。
「あー、おかえりい。おつかれさまあ」
 アレンは間延びした口調で、皆にねぎらいの言葉をかけた。チャドとチコも同じく。
「お帰りクポ〜」
「お帰りなさいクポ」
 果物を持っているシングはやや遠慮がち。
「あ、おかえりなさい……」
 それというのも、シンイチがいつも以上にむっつりした表情をしていたせいだろう。皆の「おかえりなさい」に対し、シンイチは「ああ」と軽く返答しただけであったが、それも、臆病なシングを若干怖がらせてしまったようだった。
「で〜、どうだった……」
 アレンは、聞きかけて、口を閉じた。皆の顔を見て、それを問わぬ方がいいと悟ったから。
 収穫の無かった一日。リーダーの機嫌が悪そうだったので、ガードナーは、食事時には昼間の事を話題にしないよう注意し、かわりに、シングが昼間何をしていたかについてアレンに話をさせたのであった。リーダーは機嫌が悪いからと言って仲間に八つ当たりする事はないが、それでも、機嫌の悪い時はそれをあまり隠さないため、ガードナーはそんな時のシンイチには話しかけづらい。露骨に怒鳴りつけられるかもしれないと、密かに思っていたから。シンイチを昔から知っているボロンは例外であるが、それでも「そっとしておいたほうがいい」と考えて、話しかけないのだった。
 食事の席でいつもシンイチはひとりで食べているのだが、今回は食べるよりも考え事に時間を費やしており、皿が空になるにはずいぶんと時間を要した。あまりにもぼんやりしていたため、足元でチーズの塊をかじっていたガブりんが膝の上に這いあがってきた事にも気がつかなかったくらいだ。心配そうに体をすりよせてくるガブりんのしわだらけの頭を撫でてやりながらも、シンイチはやはり、考えごとを中断することはなかった……。
(やはり湿地の魔女に聞くしかない。アリーシャの本当の居場所が、どうしてもわからん……)

 深夜。
 トラメディノ湿原にある、あやかしの住む沼で、不気味な咆哮が響いていた。
 湿地の魔女の小屋を訪れたシンイチは、くたびれた顔をしているのを隠しもしなかった。悩み抜いて疲れてしまったからだ。湿地の魔女に勧められるまま椅子に座るや否や、彼は昼間の出来事を全部吐き出した。
「アハハハハハ! 坊やはそういうふうに受け取ってしまったんだねえ!」
 話が終わると、湿地の魔女は大笑いした。哄笑の理由が分からず、木の杯を持ったまま、シンイチは彼女の顔を見つめる。一体何がおかしいのだろう、自分は彼女の言葉通りにしたはずなのに。
「確かに、あの小娘の居場所についてヒントをあげたよ。でも、坊やはそれを勘違いしてしまったのさ」
 ひとしきり笑った湿地の魔女は、酒で喉を潤した。そして、シンイチをまっすぐに見るのだが、その顔には笑いを浮かべたままだ。
「憶えていないのかい、坊や。あの小娘は古代呪法を駆使して何をしようとしていたんだった?」
「新しい母親を、作りあげようとしていました」
「で、新しい母親はどこにいるんだい?」
「警備隊が運びだした後の事は、何も公開されていませんので……」
「そうかい。じゃあ、それを探す事だね」
「え?」
 あっけにとられたシンイチに、湿地の魔女は言った。
「何だい、坊や、その馬鹿面は。あたしの言った事、わかったろう。あの小娘が作っていた新しい母親の居場所を探すんだよ。あの小娘はそこにいるのだからね」


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