最終章 part1



(あの小娘が作っていた新しい母親の居場所を探すんだよ。あの小娘はそこにいるのだからね)
 トラメディノ湿原から、モーラベルラの宿へ戻ってきたシンイチは、ベッドにもぐりこむ前に湿地の魔女の言葉を思い出す。
 アリーシャが生み出そうとしていた、あの忌まわしいモノの場所を探す。そこに、アリーシャはいる。
(しかし、あの事件の後、隠れ家にあった実験器具や薬草のたぐいは全て押収されてしまったな。あれを保管しているのは一体どこだろう。プリズンか、それとも治安維持管理局か。とにかく、あの忌まわしいモノを捜さねばならんな。既に分解されているかもしれないが……)
 そのままシンイチは眠りに落ちていったが、アリーシャが闇の中で彼を呼ぶ夢を見て、ずっとうなされていた。
 翌朝、ガードナーは、モーラベルラ治安維持管理局まで出かけた。シンイチは、赤髪の女の住処から押収したものはどこに保管されているのかと、局の依頼書を見せながら尋ねる。何人か局員を経由して、先日、事件の証拠物件を持ってきたガードナーの応対をした局員が、一体何のためにそんな事を知りたいのかと言わんばかりの顔で登場した。
「ああ、あの押収したモノですか。あれでしたら保管庫に入れてありますよ。泥棒が入っていないのなら、そっくりそのまま、押収したままの状態で保管してあるはずです。あんな気持ち悪いモノ――コホン、重要なものは、外部の目にさらされない方がいいのです。で、何のためにそれをご覧になりたいのですか」
 あの連続殺人犯の脱走の手がかりになるかもしれないから調べたいのだとシンイチが言うと、局員は露骨にいやな顔をした。役人嫌いのチャドも露骨にいやな顔をした。それでもシンイチが局からの依頼書を見せると、局員は保管庫を開けることをようやく承知してくれた。
 外部の目にさらされない方がいい。それはシンイチも大賛成だ。
(まあ、あれは何度も見たい代物ではないものなあ)
 たとえ調査のためとはいえど、出来ればあれは二度と見たくない。長い廊下を歩きながらシンイチは思う。あれを最初に見た時、激しい嫌悪感がこみあげたのを、彼は未だに憶えている。あれはそう簡単に忘れられるものではない。できれば今後二度と見ずにすませたいシロモノだ。
 長い廊下を歩き、階段をおりて、薄暗い廊下をまた歩く。いくつもの扉の前を通り過ぎた後、ある扉の前で立ち止まる。
「ええと、確かここですね。少しお待ちください」
 局員はポケットから大きな鍵の束を取り出し、その中の一つを選びだして鍵穴に入れる。ガチャガチャと乱暴に鍵を廻すと、カチャリと鍵のあく音が辺りに大きく響いた。
「あ、開けますよ」
 緊張をはらんだ声で、局員はガードナーを振り返る。その表情につられてか、ガードナーの顔も緊張している。
 扉の取っ手に手をかける。動作が異様にゆっくりしているのは、やはり開けたくないからだろう。誰だってそうに違いない。シンイチとて、局からの依頼が無かったら、あんなモノなど絶対に見たくないし、近づきたくもないのだ。禁忌を犯してつくられたアレは、誰にも知られぬまま密かに処分されて、そのまま闇に葬られてしまうのが一番いいシロモノなのだから。
 ギシッと音を立ててゆっくりと扉が引っ張られ、奥の闇が扉の隙間から見える。
 闇の中に浮かぶ赤に、シンイチは気づく。
(当たりか!)
 なぜか、自身の手が刀の柄にかけられる。
 光のさしていく保管庫の奥に、やや酸っぱい臭いを放つ大きな甕が置かれている。そしてその傍には、赤が浮かび上がっている!
 うなじがぴりっとするのを感じたガードナーがとっさに扉の陰へとびこむのと、シンイチが局員をつきとばしつつ自分も扉の陰にすべりこむのとは、同時であった。
 甕の傍から、一筋の赤い光が飛来し、壁に当たって消滅した。
 攻撃されたとわかったのは間もなくの事。
 か細い声が、保管庫の中から聞こえてきた。
「ママ、に、さわるな……!」
 シンイチは目を丸くした。間違いなくそれはアリーシャの声だったからだ。
(彼女はこの中にいる!)
 押収された物体、すなわち、アリーシャが作り出そうとしていた『新しいママ』の傍に!
(瀕死の状態のはずだが、攻撃するだけの気力も力もある。作り出そうとしていた母親への愛情なのか、それとも自暴自棄になったか……)
 アリーシャは、シンイチがひそかに生活用水に混ぜた古代の秘薬を、知らず知らずのうちに服用させられ続け、その影響で優れし者としての力は使えなくなっているはずだった。だが、先ほどの赤い光は間違いなく、彼女の力そのもの。一体どうなっているのだろう。
(衰弱しているのは声でわかるが、あの不思議な力はまだ使えるようだな。独房から逃げ出したのもその力を駆使したためかもしれん。とにかく――)
 赤い光はまた飛んでくる。
(中に入らないと、彼女をとりおさえることはできない)
「きえろおおおおー」
 弱弱しい声。続いて、横殴りの雨の如く、赤い光がいくつも飛来し、壁に当たっては砕ける。当たった壁にはダメージがない。では、人体に当たっても平気だろうか。いや、それは甘い考えだ。壁を貫通しなくても人体にはダメージがあるかもしれないのだ。
「アーツ……『レナート』」  弱弱しい声と共に、先ほどの光の横殴りが消え、代わりにまばゆく輝く一筋の光が保管庫から飛び出す。シンイチの胴体ほどもある幅の光は壁に穴を開けた。
「ひえええ、あいつ元気じゃないかあ」
 局員は青ざめ、震えあがっている。
 荒い息遣いが聞こえた。
「来るなああ……!」
 か細い声が聞こえてくる。
「ママに、触るなあ……!」
 アリーシャはありったけの力を振り絞っているに違いない。作りかけの母を守ろうと必死なのだ。これでは説得も通じないだろう。
「扉を閉めろ!」
 シンイチの一声で、観音開きの扉は再び閉じられた。が、皆が扉の前から退いた直後、扉を突き破って、まばゆい光の帯が壁にぶつかってまた大きな穴を開けた。
「あ、あぶなかった」
 ボロンは帽子の下の汗をぬぐった。帽子にしがみついているガブりんは、ぶるぶる震えている。
「にいちゃん、どうする? これじゃ中に入れやしないよ」
「……いったん上にあがろう」
 皆は局のロビーまで戻る。局員はダラダラと流れる汗をしきりにハンカチでぬぐいながら、警備隊を呼びに行く。ガードナーだけではアリーシャを捕らえるのは無理だと判断したのだろうか。
 シンイチは、クランの皆が見守る中、ひとりで考える。やがて、何か決心したような固い表情で顔をあげた。
「……接触はできるかもしれん」
「いいアイデアあるの〜?」
 いつもの、緊張感のない間延びした声でアレンが問うた。シンイチは彼に向き直る。
「一か八かの賭けに近いがな」
 そして、ぞろぞろと警備隊がやってくるのを見た彼は、クランの皆に急いで言う。
「数時間ほど私ひとりであの保管庫に行かせてくれ。接触を試みるから」
 驚愕の声が上がる。口々にシンイチを引き留めようとする。
「そんな無茶な! 何でついていったら駄目なの、にいちゃん。こないだみたいに大怪我したら――」
「大勢で行くと相手はかえって警戒する。私ひとりで行かせてくれ」
 ボロンがさらに言おうとするが、シンイチはそれを制した。
「大丈夫、私は必ず戻るから」
 警備隊にも説明し、合図を送るか一定時間経過したら保管庫まで来てほしい、と伝える。そして彼は、再び保管庫へ向かって長い廊下を歩いていった。
(できれば――)
 懐に手を入れる。
(使いたくない手だが……)

 保管庫。
 アリーシャは肩で息をしたまま、赤い目をぎらつかせている。彼女は冷たい床に座り込んでおり、その体を甕で支えて、抱きついている。
「あいつら、いなくなった……?」
 何も物音はしないが、それでも彼女は神経を集中している。
(ママをわたさない! 新しい、優しいママを渡したくないもん!)
 禁忌を犯して作られたソレを、アリーシャは手放すつもりなど決してない。あの暗い牢獄の中からこの狭い保管庫の中へ「移動」したその時から、彼女はこれを守り続けている。これを運び出すだけの体力はもうない、それはわかっている。だから、ここで守るのだ。
「!」
 アリーシャは急に身を固くした。
 足音が聞こえたのだ。先ほどの、優れし者としての力を使うべく、彼女は集中する。
 足音がとまる。
「アーツ……『レナート』!」
 アリーシャの手から、光の帯が放たれ、既に穴を開けた扉を貫いて、壁にぶつかった。
 パラパラと、壁から小さながれきのようなものが床の上に落ちていく。アリーシャは息を切らしながら、その穴を睨みつける。何者かは知らないが、相手を仕留められなかった事だけは確かだ。再び力を溜め始めた所で――
「何だ、いきなり……」
 アリーシャの手から光が消える。そしてその赤い目が大きく見開かれた。
 閉められている、穴のあいた扉の片側が、開けられる。通路から差し込む光によって、扉を開けた者の顔は見えないが、アリーシャはすぐ気がついた。
「剣士さん……!」
 少し険しい顔立ちの、鈍色の髪の剣士だったのだ。
 甕にもたれたアリーシャは力なく、それでも嬉しそうに微笑んだ。
「きてくれたんだ……」
 異国の剣士は静かに彼女の傍に歩み寄り、かがみこんだ。相変わらず、通路から差し込む光のせいで、剣士の顔はよく見えない。それでもアリーシャは嬉しそうに手を伸ばす。剣士の方も手を伸ばし、彼女の手に触れるが、その手の冷たさに驚いたようで目が大きく見開かれ、体がこわばる。
 アリーシャは嬉しそうに話す。
「ねえ剣士さん。やっとママを見つけたの」
「……そうか」
「今ね、ここでママを守ってるの。だって、やっとママと一緒にいられるって思ったのに、また、知らないひとがママのところに来るんだよ? だから、あたしここから動かないでママを守ってるの」
 甕の縁を、アリーシャは片手で愛しそうに撫でる。
「だいぶ疲れちゃったけど、あなたが来てくれて嬉しい……。でも、ママにあげるあの両目、手に入れられなくてごめんなさい」
「……いや、それはもういい。手に入れてあるから」
「本当?」
「本当だ」
「そうなんだ、よかった」
 アリーシャはほっと息を吐いた。
 彼女は気づいていない。すぐ目の前にいる相手の鈍色の頭髪が、徐々に黒ずんでいく事に。
「ねえ、剣士さん。ママを、みていてくれないかな……?」
 フウと息を吐く。少し不安を残す顔には、明らかな死相があらわれている。
「あたし、疲れちゃったからちょっと眠りたいの。剣士さんが来てくれたから、安心してママの見張り頼めるね、うふふ」
「……」
 アリーシャは、濁った赤い瞳で微笑む。目の前にいる相手の姿が少しずつ変化している事に、全く気が付いていない。
「少しだけでいいの。あたし、ちゃんと起きるから。剣士さん、ママをみてて?」
 やや間があった。
「……ああ、ちゃんと、みていてやるから、休むといい」
 その声が若干変わっている事も、わずかに震えている事も、アリーシャは気づいていない。
 甕にもたれたままの彼女は微笑んで目を閉じた。
「……おやすみなさい」


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