最終章 part2



 ガードナーと警備隊が、事前にシンイチから与えられていた指示に従って、保管庫前に到着した。指定された時間を経過しても、シンイチが戻って来なかったからだ。
「にいちゃん!」
「リーダー!」
 シンイチは、廊下に立っていた。廊下を駆けてくる者たちを、表情のない顔で見る。
「だいじょぶだった?!」
 開口一番のボロンの言葉に、シンイチはうなずいた。
「無事でなければ、私はここにはいないよ……」
「それよりあの女はどこなンだよ!」
 ボロンを押しのけ、アーロックが怒鳴った。その大声に周りの者は耳をふさぐ。
「そう怒鳴るな。中にいる」
「中だって?! 大丈夫なのかよ、リーダー! ほったらかして!」
「心配いらん」
 今度は、警備隊がアーロックを押しのけ、保管庫に突撃する。シンイチが無事と言う事は、中にいる指名手配犯はおとなしくしているに違いないのだから。
 飛びこんだ警備隊は、見つけた。
 確かに、彼女はいた。大きな甕の傍に横たわっている。
 隊員のひとりが、動かない彼女の傍へおそるおそる近づき、調べる。
「もう――息はありませんね」

 アリーシャの死により、連続殺人事件は終わった。
 彼女の死に居合わせていたと思われるシンイチは形だけ取り調べられたが、検死の結果、彼女の体に目立った傷がなく「衰弱死」と診断されたので、深く追及されずに済んだ。後で「お役所はさすが、隠蔽には結構力注いでるクポ」と役人嫌いのチャドがぶつぶつ言ったが、今回はそれで助かった。アリーシャの死に居合わせたと思われるシンイチが、瀕死の彼女を捕らえるどころか、手を下したと外部にうわさが流れれば、今後のクラン活動に支障をきたすおそれがあるからだ。実際シンイチは殺人など犯していない。
 その後の処理は、治安維持管理局が「迅速に」行った。アリーシャの亡骸は運びだされ、面倒な手続きを経てから正式に埋葬された。保管庫に置かれたあの忌まわしい甕は、結局「秘密裏に」処理されてしまったようだ。押しかけた報道陣には、アリーシャの死を発表し、事件は完全に終わったことを告げた。ありがたいことに、ガードナーが調査に協力していた事には決して触れなかったので、クラン活動に支障が出ることはなかった。事件の完全収束によって、ユトランドには再び平穏な日々が訪れ、アリーシャの逃亡によって暗くなった空気は再び明るくなった。その一方で、調査に協力させられた上に、事件の「後始末の一部」を手伝わされたガードナーには、口止め料も兼ねて、多額の「謝礼」が押し付けられた。保管庫での出来ごとを口外させないためだろう。しかし、たとえ一億ギルもの紙幣を目の前に積まれても、ガードナーはその出来事をしゃべるつもりはなかった。特にシンイチは、あの出来事から縁を切りたかったし、早く忘れたかったから。
「明るくない顔クポね」
 事件終了を載せた新聞が各地へ配布されてから一週間後の、ポピーの情報屋にて。ピンクのポンポンを揺らしながら、ポピーは不思議そうな顔で、シンイチの顔を見る。モブの情報を聞いているシンイチは首をかしげた。
「そうか?」
「そうクポ」
 いつも通りにしているはずなのにそんなふうに見えるのかと思いつつ、必要な情報を入手してから、シンイチはシングとガブリンを連れて店を出た。
「リーダー」
 大通りを歩いている時、シングが話しかけた。シンイチは足を止め、シングを見る。ショップで何か買いたいのだろうと思いきや、
「あのー……やっぱり元気ないです、リーダーの顔」
 意外な言葉に、シンイチは目を丸くした。シングはもじもじし始める。
「あ、あの、ほんとに、元気ないんです。ごはんだってあんまりたくさん食べなくなったし、ため息ばっかりだし――なんか、アレンさん言ってたけど、暗い気分のときは、お菓子とか果物とか食べたらいいかもしれないって」
 子どもと言うのは、大人が思っている以上に、観察しているものだ。
「……そうか」
 シンイチはぽつりと言った。シングの言葉通り、事件が終わってからもずっと、シンイチの顔は晴れないままだ。基本は仏頂面で、余程の事がない限り感情を表に出さないのだが、今回は心配されるほど負の感情が顔に出てしまっていた。
「ありがとう、シング。そうしてみるよ」
 怒られると思っていたのか少しびくびくしていたシングは、微笑んだシンイチの返答に、最初目を丸くしたが、すぐににっこり笑った。

 深夜。トラメディノ湿原では、亡者のうめき声があちこちから聞こえてくる。あやかしの沼のあたりは、アンデッドモンスターの住処なのだ。
 魔女の小屋。
 湿地の魔女は妖艶な笑みを浮かべて、シンイチを見ている。
「いい顔してるねえ、ここのところ」
「はあ?」
 なぜそんなことを言われたのか分からず、シンイチは首をかしげた。湿地の魔女は妖艶な笑みを崩すことなく、
「その、暗くてメツッとした、浮かない顔がねえ、あたしの一番好きな顔なのさ」
「さようですか……」
「で、どうして、そんなうかない顔をしてるんだい?」
 問われるまま、いつもどおりシンイチは話す。保管庫での出来事を。湿地の魔女から手渡された最後の薬を使って変身し、瀕死のアリーシャに会ってその最期を看取った事。それからずっと引きずり続ける負の感情は、最後の最期までアリーシャを欺いた事への良心の呵責からくるものだろうか、と。
 話が終わると、湿地の魔女は優雅に足を組みかえる。正面に座っているシンイチの顔は、暗いままだ。胸の中のものを吐き出せたために多少は明るくなったかもしれないが。
「そうだねえ。あんたは優しすぎるから良心の呵責なんてものを持ってるのかもしれないね」
 湿地の魔女の瞳の奥に、シンイチの顔が映る。
「あんたは一度引きずると長いからね」
 ボロンにも言われた事がある、その言葉。にいちゃんは引きずるのが長い。
「あんたは、あの優れし者の小娘を最期まで騙した事を悔いているんだろうね、きっと。でも、騙されていた方が、あの小娘のためになったと思うねえ」
「……何故ですか」
「あんたはあの小娘に近づくのに薬を使って姿を変えた。これはどうしてなんだい?」
 質問に質問で返される。
「それは、彼女が母親を守ろうとするあまりひどく興奮していたので、私の説得には応じないと思い……心を開いている者の姿ならば接触できると考えたからです」
「で、その小娘は、姿を変えたあんたを最期まで知り合いだと信じて、あんたの話も聞いてくれ、安心して眠ったと」
「はい……」
「もし、瀕死の小娘の前で、姿を変えたあんたがその正体を明かしたら、どうなっていたかねえ」
「はあ?」
 きょとんとするシンイチ。杯を持つ手が宙で止まる。
「どうなっていた、と仰いますと……?」
「今まで自分の知り合いだと信じてきていた男が、最後の最後で、自分の追いかけていた標的だと知ったら――驚くだけじゃすまないよ? あんたも考えてみな。あんたのクランの一員が、突然暴れ出してクランを壊滅に追いやったとしたら――最初は驚くだろうね、あんたは」
「……はい、おそらくは」
「で、次は、裏切られた悔しさや怒り、むなしさなんかがこみあげてくるだろうねえ、きっと」
「……おそらく」
「その裏切りが発覚した時、あんたはすでに致命傷を負って助からない状態。瀕死のあんたを見下ろす、かつての仲間。フフ、死の間際、そいつを恨みたっぷりの目で睨みつけてるかもねえ、あんたは」
「……」
「小娘の場合も同じさ。死の間際に、今まで心を開いてきた相手が実は、自分の狙っていた獲物だったと知ったら、どんなに驚くだろうかねえ」
 湿地の魔女は変わらぬ妖艶な笑みを浮かべる。シンイチは杯をテーブルに置き、中になみなみと注がれている酒に目を落とす。酒の中に、アリーシャの最期の顔が浮かぶ。やつれきって、死相が出ていて、それでいて嬉しそうな、安堵し切った顔。
 死の間際、シンイチが己の正体を明かしていたら、アリーシャはどんな顔をしたろうか。
「裏切られて恨みを抱きながら死ぬのと、最後まで信じきって安堵して死ぬのと、どっちがいいだろうね」
 湿地の魔女の瞳の中に、シンイチの顔が映っていた。

 モーラベルラの宿に戻ってきたシンイチは、窓を開け、外を見た。きれいな満月が南の空に昇り、明るく町を照らしている。寝静まっているモーラベルラの町。しかし、窓ごしに、シンイチは、アリーシャの幸せそうな顔を見ていた。
(やはり、知らぬ方が、幸せだったろうな)
 彼女の死の間際に正体を明かしていたら、アリーシャはどんな顔をしただろうか。あの安心しきった顔ではなく、怒りや憎しみのこもった、それこそハンヤペルソナのような顔で息を引き取ったかもしれない。
 連続殺人事件の犯人探しの依頼を受けた直後からアリーシャの死を看取った事までを思い返す。後味の悪い事件だった。もしアリーシャが世間から隔離されずに普通の子として育てられていたら、こんな事件は起きなかっただろうか。
「また情が移ったかな……」
 情が移らぬように接触を最低限にしていたのに、これほどまでに彼女の事を考えるとは、やはり情が移ったのだろう。非情になりきれない上、ある感情を長く引きずる、自分の欠点だ。シンイチはため息をついて窓を閉めた。アリーシャの顔はフェードアウトした。
 それから、彼が完全に吹っ切れるまでには、さらに数日要した。ゼドリーの森に在る旅人の墓地にて、いつもの墓標に土下座して、またその姿を借りた事を詫びた。ショートレンジのクリストファーがシンイチに勝負を挑みに来たのだが、そのついでに「お前を探していたあの剣士はどうなった?」と問うて来たので、シンイチは、その剣士には先日遭ったが今はもうユトランドを離れただろうとだけ答えた。クリストファーは深く考えない性質なのか、それ以上は問わず、いつもどおり果たし状を叩きつけてきたので、シンイチは安堵した。
 シンイチの表情がいつもどおりに戻ったので、ガードナーの皆は安堵した。特にボロンは、やっと吹っ切れてくれたのだと心底から安心したのだった。
「にいちゃんは一度引きずると本当に長いからね」
「すまんな……」
 ようやっとリーダーが吹っ切れてくれたことで、クラン活動にも本腰を入れることができるようになった。リーダーが引きずると長い事はクラン全員が知っている事であるし、クエストの最中でさえもマイナスのオーラを漂わされっぱなしだとクラン全体の士気も下がってしまうので、立ち直りは皆にとって嬉しい事だった。
 眩しい太陽の光を浴びて、パブに向かうガードナー。どんなクエストがあるだろうか、今日の昼は何を食べようかとメンバーが雑談をしながら歩く。その途中、シンイチは、抜けるような青空を見る。空に映る、安らかなアリーシャの寝顔。
(今となっては、彼女が安らかに眠っている事を、祈るのみ……)
 空に映るその寝顔から視線を外し、シンイチは大通りを歩いていった。


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ご愛読ありがとうございました!
前作からおよそ13年後のお話です。
優れし者として生まれたために普通の子として育てられなかった少女と、
依頼のために彼女を追い、接触を重ねていくシンイチとの話ですが、
話の結果はノーマルとバッドの中間くらい?
少女を欺く事への葛藤や、少女から剣士への思いなど、
深く書いてもよい箇所があったことに今更気がついてしまいました……
未熟な点多々ありましたが、楽しんでいただけたら幸いです。
ありがとうございました!
連載期間:2012年1月〜2013年4月

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