第1章 part2
基地へ大急ぎで戻ったアレックスは、上官たる警備隊隊長の部屋へノックも忘れて飛び込んだ。年の頃六十五を過ぎたであろう、それでもなお鋭い目に威厳のある警備隊隊長は、顎ひげをひっぱりながらとがめるようにアレックスを見た。
「どうしたのだ、第八隊員!」
第八隊員というのは、今年入隊したアレックスの隊員番号のことだ。アレックスは呼吸が収まるまでちゃんとした返事ができなかったが、落ち着きが戻ってくると、基地へ戻るときに見た、林の中での取引の様子を逐一話すことができた。警備隊隊長はアレックスの話を聞き終わるや否や、飛び上がった。
「そうか! よく知らせてくれた!」
アレックスをそこに残して、警備隊隊長はすぐに部屋を飛び出していった。
ものの十分もたたないうちに、ハンターが近くに現れたという話は、基地中に伝わった。すぐに部隊のひとつが出動し、取引のあった場所を徹底的に調べ上げる。取引相手については、アレックスの言葉を元に、赤い服を着用できる議員ランクのものが一人残らず調べ上げられた。しかし肝心のハンターの方は、アレックスが顔を見ていないことから、「やたらがっしりした大柄な男」としか伝えられていなかった。
ハンターの取引相手は、夜中前に逮捕された。新聞は翌朝、一面にそのニュースをでかでかと載せた。D区のシマリスたちは再び区に放され、自由になった。
アレックスは、ハンターの取引相手の逮捕に貢献したとして、警備隊隊長とその上官である警備長官から表彰された。取引現場を目撃したたった一人の証人として、部隊の隊員たちにあちこち引っ張りまわされ、彼は寝不足で疲れていたが、表彰状は喜んで受け取った。
「あ、ありがとうございます」
昨夜の捜査で疲れただろうから今日は特別に一日休んでもよいという許しを得て長官室から出た彼を、ほかの隊員たちが待ち構えて、取囲んで一斉に質問やら祝いやらのさまざまな言葉を浴びせた。おめでとう、運がよかったんだな見つからなくて、ハンターって誰だったの、無事でよかったね、お前がうらやましいぜ、などなど。
外のやかましさに耐えかねた警備長官が一喝すると、隊員たちは蜘蛛の子を散らすように離れてしまった。アレックスはほっとして廊下を歩いたが、部屋の前でも隊員たちにまた囲まれてしまった。質問攻めから解放されるまで十分以上はかかっただろう。包囲網から抜け出して部屋に入ったアレックスは、ドアに鍵をかけた。
「ふう、助かったああ」
手渡された表彰状は、ほかの隊員たちにもみくちゃにされたせいで、しわだらけになっていた。
アレックスは額の汗をぬぐうと、シャワーを浴びるためにいったん浴室に入る。しわくちゃの濃いグリーンの制服を洗濯かごに放りこむと、ぬるめの湯をだして浴びた。
栄養状態がよいとはお世辞にもいえないほっそりとした体に、何かで裂かれたような大きな傷がいくつも走っていた。
汗を流してすっきりした後、彼は、部屋に配布される『今週の指名手配犯リスト』を見た。CからAまでのランクにわかれた表には、賞金の金額と、指名手配犯の顔写真が掲載されている。いったいどうやって、免許証発行に使うような正面顔の写真を手に入れてくるのか謎だったが、今の彼にはどうでもいいことだった。
彼は知りたかったのだ。
昨夜見た、あのハンターはいったい誰なのか。後姿しか見えていなかったとはいえ、アレックスは相手の頭を見なかったわけではない。捜査のとき隊員たちに伝え損ねていたが、あのハンターの頭部すなわち頭髪は、わずかに届く光でやっと見えたのだ。
炎のように赤い髪。
アレックスはとにかくリストを上から下まで眺め、ファイルに入れて保管してきたほかのリストもすべて目を通した。
三十分後、アレックスは首を横に振って、リストを元の場所へしまいこんだ。カーテンを閉めて日光をさえぎり、薄暗くなった部屋の中、布団の固い寝台に寝転がって、彼はため息をついた。
「あれは、誰なんだろう……?」
独り言が口をついて出た。
「ハンターはグループで活動するやつもいるから、手配書に載るのは親玉か幹部ランクの連中ばかりだし……あいつもその一人なのかな」
誰かの手下なのだろう。だから写真がないのかもしれない。
「でも、気になるな。何だろう……?」
彼は胸の奥で何かモヤモヤしたものを感じた。胸に何かつかえているような気もする。
パサ。
何かが床に落ちた。
彼は起き上がり、それを拾いにいく。
「これは……」
一週間ほど前、隊の防災訓練があった。そのときの写真だ。誰が撮影したかは知らないが、細かなところまでしっかり写っている。訓練後、配布されたものだと、アレックスは思い出した。
「これ、オレじゃん」
思わず赤面した。消火器を持って火災現場に向かう途中で、彼は、足元のバケツに気づかずにつまずいて、盛大に転倒してしまったのだ。そのシーンがバッチリと写されているとは……。
「……?」
隊から少し離れたところにある小さな林に、彼は目を吸い寄せられていた。
林の傍に、誰かいる。ルーペで拡大してみると、一人の女性のようだった。まばゆい金髪。顔までははっきりと写っていないが、たぶん美人だろう。
「誰だろう……?」
彼は首をかしげた。そもそも、訓練が行われていた間、民間人の立ち入りはかたく禁じていたはずなのだ。
どこかの上空。
「とんでもない依頼を持ち込んだものだ」
操縦席で、男は愚痴をこぼした。
「ただの動物とはわけが違うというのに。自分の手駒なら山ほど持っているくせに、なぜわざわざ」
「……依頼があれば、何であれ受けるんだろ、お前は」
「ああ」
その声はひどく不機嫌だった。
手にした紙を、傍らの転送機へ突っ込むと、紙はどこかへ送られていった。
「先にほかの依頼を片付ける。あんな奴、好きなときに手中に収められるからな」
「ふん。やけに自信たっぷりだな」
「誘いをかけてやればいいだけだからな。とにかく、座標385へ向かう。最初の標的はその地域にしか生息しないからな」
たくさんの獣が走ってくる。大型の四足の動物がたくさん走ってくる。追いつかれまいと必死で逃げるが、獣たちの方が速かった。あっというまに追いつかれてしまい、次から次へと、体を踏みつけられてしまう――
アレックスは寝台の上で目覚めた。汗だくになっている。かけていた布団はいつのまにか床の上に落ちている。
「ハア、ハア。夢、か……」
カーテンを開けると、まぶしい朝日が飛び込んできた。
シャワーを浴びて汗を流し、体を拭いたバスタオルを洗濯かごへ突っ込む。着替えながら、思った。
(またあの夢だ。ここ数日、同じ夢ばかり見てる……)
体の傷が疼いた。あの夢を見た後はいつもそうだ。何かを警告するように、体の傷は疼くのだ。
アレックスは制服を着た後、部屋を出る。
「はあ。夢見が悪いと、気分も悪いや」
食堂でいつもどおりの食事を取る。昨日ほどではないが、隊員たちが彼の周りを囲んでくる。隊長に呼ばれてるからと適当な言い訳を作って、アレックスはその場を離れた。
新米は日に二回のパトロール以外ではほとんどやることがない。アレックスはパトロールの時間まで資料室にいることにした。
昨日から気になって仕方なかった、あの赤髪のハンター。もしかしたら、あの男が元・隊員であるかもしれないという考えが浮かんだのだ。ばかばかしいと思ってはいたが、調べる価値はあるだろうとも思った。
資料室のドアを開け、中に入る。カーテンを開けて光を入れると、たくさんの棚がまず目に飛び込む。棚の中に収められているのは、自然保護警備隊が誕生した黎明期から、アレックスが入隊した今年にいたるまでの、すべての隊員の顔写真と経歴が載せられたファイルが入っているのだ。そして別の棚には、黎明期から今月にいたるまでに行われた、すべての基地の行事や事件が記されたファイルも入っている。
「さ、調べるぞ!」
三十分後、彼はある棚の前で目を丸くしていた。
三年前の入隊者および行事関連のファイルがひとつもない。
「そ、そんな……! 何でもそろってるはずの資料室なのに」
コンピューターで検索をかけるも、三年前の入隊者および行事関連のデータは何もなかった。「抹消済み」という文字だけが、画面にさびしく表示されただけだった。
(データが消されている……一体全体どういうことだ?)
結局、収穫は何もなかった。ほかの年度のファイルを徹底的に調べたが、彼の欲しかった情報は何もなかったのである。あの男のことも、三年前のあの事件のことも。仕方なく、ファイルを全部片付けて彼は部屋を出た。
資料室の内部に仕掛けられた監視カメラを、彼はついに気づかなかった。
部屋に戻るために廊下を歩いていると、同期の隊員が彼を見つけて呼びかけた。
「アレックス! 警備隊隊長がお呼びだぞ!」
ウソから出たマコト。アレックスは目を丸くした。
(とっさについたウソだったのに。ほんとになっちゃったよ)
一体どうして呼び出されたのかも気になるところ。アレックスは急いで部屋に向かった。
ノックしてドアを開けたアレックスを、警備隊隊長が出迎えた。
「よく来たな」
アレックスが入室すると、隊長はにやにや笑いながら言った。
「一日休息をとって体力は回復したかね」
「はい」
「そうか。それならいい」
いったん言葉を切る。
「実は、いきなりの話ではあるんだが」
咳払いする。
「明日から、長期出張に出てもらいたいのだよ」
「出張、ですか?」
アレックスは面食らった。
「そうじゃ。急な話で本当に申し訳ないがな。行き先は、今夜話すよ。必要書類を作成して、事務課へ提出しておいて欲しい」
「は、はい。わかりました……」
アレックスは面食らったまま、退室した。
(いきなり長期出張だなんて。しかも、行き先を夜になるまで教えないって、どういうことなんだろう)
アレックスはとりあえず事務課に行って、出張申請書が欲しいと伝えた。書類を十枚以上もらって、デスクのひとつを借りて一枚ずつ書いていく。木を使って作ったのではなく、化学繊維によって作られた紙なので、専用のペンがないと上手く字をかけないきわめて不便なもの。ガリガリと乱暴にペンを走らせて、アレックスは心の中で愚痴をこぼす。
(こういう手続きは面倒くさいんだよなあ)
書類を全部提出するが、事務課のたった一人の事務員は、出張先と期間が記入されていないことを指摘した。
「それは、警備隊隊長に聞いてくださいよ。オレだって何にも聞いてないんです。夜になったら教えるって言われてて」
胡散臭そうな顔をした四十代の事務員は、警備隊隊長へ電話をかけた。内線電話に出た警備隊隊長の言葉を聴いて、事務員は甲高い声でそうですかと答え、電話を切った。
「わかりましたわ、じゃあ、これは保留にしておきます。行き先と期間を聞いたら、書き込みに来てくださいね」
「はぁい」
それから午前のパトロールを終えた後、アレックスは荷造りした。予備の制服二着と、新しい下着を鞄につめこみ、必要なものが入れられるように鍵はかけずにふたをパタンと閉めた。
(出張……どこへ行かされるんだろう)
新しい土地? それとも、東の基地? 思いつく限り地名を考えるが、アレックスにはわからなかった。とにかくどこかへ行かされるのだ。命令なのだし、嫌だと言っても仕方がないだろう。
「まあいいや。夜になったら、わかることだ」
夕方のパトロール。行く前にトイレを済ませ、アレックスは駆け足でC区へ向かった。早く見回りを終わらせて、早く帰りたかったのだ。出張の行き先が気になって仕方ない。
「今日はもう、ざっと調べるだけでいいや。C区にハンターなんて来そうにないしね!」
その独り言は、十分後に撤回された。
何か飛んでいるような音が聞こえて、上を見る。
「あっ」
思わず目を見張った。C区の上空に、赤い夕日に照らされて、飛行艇が飛んでいくのが見える。みたことのない形だ。ボディは濃い目の茶色で、見た所、大きさは中型の飛行機より一回り小さいくらいだろう。飛行機とはあまりにも形が違いすぎるため、アレックスはそれを「飛行艇」と呼んだ。幼いころに読んだ絵本に出てくる空飛ぶ乗り物「ひこうてい」に似ていると思ったからだ。
「何だろう、あの飛行艇」
飛行艇は、ゆっくりと、C区最北端の境界線である、B区とC区の間にある林へと降り立った。アレックスは、本当はこの時点で基地へ連絡をすべきなのだが、それを忘れて、林へと走った。
林の中の飛行艇はすぐ見つけることができた。木の陰に隠れて、乗り物の形を観察する。横から見た所、平べったいホットケーキのように見えた。この乗り物を下から見た時は、卵の形をしているように見えた。一方に大きな窓があるため、操縦室があそこにあるのだと考える。乗り物の下部にエンジンを出力させるための噴出孔があり、乗り物を地面に下ろすための足場がさらに先に伸びている。
乗り物の一部が割れて、ハッチが開いた。アレックスは木の陰からじっと見ていたが、誰も出てこない。
(何だろう、どうして誰も出てこないんだろう)
用心しながら、近づく。
アレックスが、乗り物に一番近い木の陰に隠れていると、乗り物の中から誰かが出てきた。
「あっ……」
思わず小声をあげた。
出てきたのは、あの夜に見た、ダークグレーの服を着た男だったのだ。そして、まだ残っている太陽の光で、アレックスは相手の姿をはっきりと見ることができた。燃える炎のような赤い髪、長身でかなりがっしりした体つき、そしてその顔は――
残念。相手はまたしてもアレックスに背を向けていた。
赤髪の男は、何かを警戒するようにしばらく辺りを見回した後、アレックスとは離れた方向へ歩いていった。アレックスは男が林の中へ入ったのを見届けた後、音を立てないように用心しながら、乗り物へ近づく。そして、ハッチを階段の代わりにして、船内へと入った!
(入っちゃった! 入っちゃった!)
見つかるかもしれないという危機感より、おそらくハンターの一員であろうあの赤髪の男が乗っていた船に入ったという興奮のほうが大きかった。
「転送するぞ」
アレックスは、船の中をそっと歩いていた。いつ敵が襲ってくるかわからない。彼は時々後ろを振り返りつつ、前方へ歩いていった。通路は人が二人並んで通れる広さがあり、ところどころに見えるドアはロックされていて開けられない。どんどん進んでいくと、突然ピーッという警告音が聞こえた。
見つかった!
アレックスはとっさに身を翻し、来た道を戻った。
(やばい!)
警告音はどんどん大きくなる。アレックスのあせりもそれに比例してどんどん大きくなる。
「ハッチは?!」
開いている! 外の赤い夕日の光が、船内に差し込んできた。
「やった!」
アレックスは安堵した。
カチ。
何かを踏んだ。
一瞬、体がフワリと浮いて、次の瞬間、アレックスは何か固い紐状のモノの上に落下していた。ジャランと音が聞こえる。そして何かが手足に絡みつく。何が起こったのかと、彼はパニックになった。だが、自分が落下したものを見ることはできた。
無数の鎖。
トラップにかかったのだ。
「ああっ、しまった!」
下から床がせりあがってきて、アレックスを押し上げる。鎖が手足に絡まって上手く動けないアレックスは、自分が上に押し上げられているのに気づくことはできても、これから起きるであろう出来事を頭の中で思い巡らせるあまり、この鎖を解こうとすることを忘れていた。
せりあがった床が、アレックスを通路まで戻す。ハッチは閉められている。鎖に手足を絡めとられて床に座っているアレックスを、目の前に立っている二人の男が見下ろしていた。
「……」
「思ったとおりだな」
目の前に立っている男のうち一人は、先ほど飛行艇から出て行くのを見た、ダークグレーの服を着た赤髪の男。もう一人は、この男とは対照的にすらりとしているが引き締まった体つきの、濃紺の服を着た青髪の男。この男もかなり背が高いが、赤髪の男よりは少し低かった。
青髪の男が口を開いた。
「今年入隊の、第八隊員・アレックスだな」
「!」
アレックスは目を大きく見開いた。
なぜ知っている!?
「はん。不思議そうな顔つきだな。単純な話だ、私が、すべての基地の隊員の情報を握っているからさ」
青髪の男は冷たく笑って、アレックスの無言の問いに答えた。アレックスはしばらく口をあけたままだったが、やがて冷静さを取り戻した。
青髪の男を、アレックスは知っている。いつもいつも、見てきた顔だ。
基地の廊下の突き当りの壁で。
(そうだ、こいつは――!)
それが徐々に確信に変わり始めると同時に、アレックスの背中を冷や汗が流れる。
青髪の男は、アレックスの言いたいことに気づいたらしかった。
「隊員なら、知っているだろうな」
アレックスは何も言えなかったが、その目は、相手を凝視したままだった。
その男は、名乗った。
「私は、Aランク指名手配犯の一人。ハンターとしての通称は、H・Sだ」
part1へもどる■書斎へもどる