第2章 part2



 依頼された標的を捕らえ、船内の小部屋に転送したあとのこと。
『突然だけど』
 目的の場所へ発とうとするH・Sの船に、ヨランダが通信を入れた。
「なんだ。次の依頼か?」
 H・Sは冷たく問うた。ヨランダは意に介さず、笑う。
『そうじゃないわ。彼を、迎えにいってあげてほしいの。わかるでしょ、アタシが言っているのが誰なのか』
「……奴のことか。条件は?」
『あるわ。生かしたままで、連れてきてちょうだい』
「生かした状態……。もし、それがかなわなかったら?」
『そう。だったら、うっちゃってちょうだい。動かないお人形には興味ないの。それじゃ』
 ヨランダは通信をきった。
「ふん。わがままぶりだけは一人前だな」
 H・Sは舌打ちし、赤髪の男に指示を出した。
「方向転換だ。基地へ向かえ」

 頭の痛みで目が覚めた。
 アレックスは、目の前がゆがんでいるのを感じた。感覚がなかなか戻らなかったが、どこか固い場所に横たえられていることは分かった。視界が徐々に戻りはじめ、やがて焦点がハッキリと定まった。同時に、体の感覚もほぼ戻ってきた。
 痛む頭で記憶をたどる。
 基地に戻ってきたのは覚えている。上層部に会えと秘書に言われ、その通りにエレベーター前まで行った。エレベーターのドアが開くのを待っているとき、急に目の前に星が飛び散って意識がなくなった。
 覚えているのはそこまでだった。
 頭がズキリと痛み、アレックスは手を後頭部に当てようと腕を動かした。
 腕は、何かにぶつかった。
 とても冷たい。壁のようだ。
(?)
 今頃気がついた。アレックスは、箱のように狭い場所に、入れられていたのだ。おまけに服をすべて脱がされ、下着さえつけていない。
「な、何だよこれ……!」
 彼は起き上がろうとしたが、体がほかの場所にぶつかったので、起き上がれなかった。そしてぶつかった場所も、氷のように冷たかった。
 冷たさを感じると同時に、自分の体が予想以上に冷えているのに気がついた。体の残った感覚がやっと寒さを感じ取ってくれたのだ。しかしその感覚も失われつつあるようで、先ほどぶつけた壁にまた手をぶつけても、痛みと冷たさはあまり感じなくなっていた。
「ここ、一体どこなんだ? 何でこんなところにいるんだ?」
 周りを見る。幸い、前方から光が入ってきているので、自分の周りだけを確認するのには役立った。手に息を吐きかけて何とか暖めながら、光を頼りに確認する。周囲の狭い壁は黒い素材で作られている。触れると氷のように冷たい。そして、光の入ってくる前方が曇っているので、よく目を凝らしてみると――
「冷凍室だ!」
 氷や、冷凍して保存する栄養剤を入れておくための大きめの地下室だ。アレックスは長官に頼まれて、氷を一塊とりに来たことがある。変わった部屋なので、氷を取るついでに隅々まで探索したものだ。彼が閉じこめられているのは、A区の猛獣にやるための餌を保管するための棚の部分。盗まれないように特別なカギがつけてある。
「何で冷凍室なんかに閉じこめられてるんだ!? 誰か! ここ開けてくれ!」
 アレックスは現実を認識すると同時に、棚の戸口を何とか開けようと試みる。しかししっかりと施錠されている。そして冷凍室に人が立ち入ることなどめったにない。ましてや今日は演習で隊員の九割が出払っている。寒さが体を侵食して手足の感覚がだいぶなくなってきたはずなのに、急に指先と爪先がピリピリ痛み始める。しもやけにでもなったのだろうが、アレックスはそれにかまっている暇はなかった。必死で戸口をつかみ、滑ってもそのつどつかみ直す。体温が低下して眠気が体を支配する。眠ってはいけないと分かっていたが、いやでも目蓋が下がり始める。
「誰か、助けて!」
 呼吸を続けるうち、吸い込む冷気で体内まで冷えたように感じられてくる。気管と肺が凍傷にかかってしまいそうなほど激しく呼吸していたが、アレックスはそれだけ必死だった。
 だんだん眠気が強くなってきた。もう耐えられない。
「助けて……誰か……」
 震える声が、小さく棚の中にこだました。

 アレックスは、目を開けた。まぶしさに一瞬だけ目を閉じたが、徐々に目を開けた。
 見覚えのある場所だ。冷凍室ではない。耳に入ってくる独特のエンジンの音で、ここがあのH・Sの飛行艇の中だとわかる。
 体の感覚が戻り始めている。寝かされているのは、少々固いが柔らかめの布団の上だとわかる。
 目を動かして周りを見る。部屋の中には誰もいなかった。体はまだ動かせない。いや、体が「動かすな」と命令しているのだ。
 ユニットバスに通じるドアが開いて、そこからあの赤髪の怪力男が姿を現した。片手に、温かな湯を入れた容器を持っている。それを床に置いて、彼はアレックスを覗き込んだ。
「起きたのか」
 まだ震えの残る口を開いて、アレックスは問うた。なぜここにいるのか、と。
「……お前を連れ戻せと言われたからだ」
 誰に言われたかはとにかく、アレックスはその答えだけで満足した。助かったのだから。(アレックスにとっては、ハンターに助けられるというのは癪に障ることではあったが……)
 赤髪の男はアレックスを起こし、しもやけになっている手を湯と水に交互につけさせる。幸い足は軽めのしもやけで済んだが、手は、凍りついた扉を開けようとして散々触ったので凍傷寸前にまで陥っていた。湯に患部を浸けられるとアレックスは痛みで弱くもがいたが、男は許さなかった。馬鹿力で彼の腕や足を押さえつけ、大人しくさせたのだから。
 ある意味では乱暴な手当てが終わり、手足のしもやけはだいぶ痛みが柔らいだ。とはいっても完治したわけではない。
 男が部屋を去ろうとすると、アレックスは声をかけた。
「ねえ」
 ドアの前で立ち止まり、相手は振り向いた。
「……名前、何て言うの?」
 知ってどうすると言いたそうな顔をしたが、結局、男は答えた。
「アーネスト」

 目的地につくまでの間、アレックスはアーネストに手当てしてもらった。アレックスを船内に収容してから五日後、飛行艇はあの場所へと到着した。
 薬で眠っているアレックスは、アーネストに抱きかかえられて船からおろされる。格納庫で待っていたヨランダは、あらかじめH・Sが知らせておいたのか、医師と一緒に歩いてくる。医師が合図すると、アレックスは担架に乗せられ、運ばれていった。医師もその後を追って姿を消した。
 ヨランダは優雅に微笑んだ。
「ありがとう、ちゃんと依頼を果たしてくれたのね」
「あれを依頼と言っていいのかどうか。とにかく奴が生きていたのは、幸運だった。あと数分、転送が遅ければ凍死していたな」
「ところで、あの子は、表面上は『行方不明』のまま?」
「そうなっているだろうな」
 H・Sの後ろに立っているアーネストが固くこぶしを握り締め、歯軋りした。
「そう。勉強になったわねえ。一回位ならいいかと思って帰しちゃったけど、これからはそうしないほうがよさそうね」
 ヨランダが去った後、男二人は飛行艇の整備を開始した。
「おい」
 アーネストが口を開く。エンジンの調子を確かめていたH・Sは作業の手を休めぬまま、返事をする。
「何だ?」
「お前、知ってたのか? あいつが、基地で消されるってことを」
「知らないとでも思ったのか?」
 初めて、H・Sは振り向いた。
「奴が基地で何をしたかは知らないが、上層部や隊長クラスの連中はこぞって奴を消す機会をつかもうとしていた。つまり、奴は基地の秘密に触れようとしたんだ。自分ではそう重要なこととは考えていなかったんだろうが、基地にとっては知られては困るものだった。それ以上触れられるのを恐れたから、上層部は奴を消そうとしたのさ」
「知っていながら、あいつを帰したのか!」
「だったらどうした。一介の新米野生動物保護官の命がどうなろうが、私には関係のないこと。それとも、情が移ったのか、あ?」
 冷たい視線が、アーネストを射抜いた。アーネストは蛇ににらまれた蛙のごとく、動けなくなった。
「あの時の己と、奴を重ねて見ているというわけか。くくく……」
 アーネストは歯軋りして、うなだれた。

 しもやけが完治するまで一週間以上かかった。冷凍室で散々叫んだため、気管と肺は凍傷寸前、これも治るまでさらに時間が必要だった。それまでアレックスは医師とセイレンの両方に看護されて、あの柔らかな羽根布団の中で療養していた。セイレンの持ってくる粥をやっと食べられるようになったが、残すことのほうが多かった。綺麗な景色が窓から眺め渡せる部屋にいるというのに、彼の心は全く晴れなかった。心の中にたまっているものが日に日に大きくなっていたのだ。
 その心の中にたまったものを吐き出せたのは、見舞いと称してからかいにきたH・Sが部屋に訪れたときだった。
 まだ寝間着姿でベッドにいるアレックスを、H・Sはからかった。
「完治したと聞いたが、まだ手当てしてもらいたいのか?」
「そんなわけないだろ!」
 ベッドの上に座っているアレックスはむっとした。H・Sは意に介さず、部屋の中へ入る。そして、つかつかと足早に歩み寄った。アレックスは、相手に詰め寄られ、思わずベッドの上で体を後ろに引いた。
「ずいぶんとお悩みのようだが、その内容を当ててやろうか?」
「な、なんだよ一体……」
 H・Sはアレックスの目を見ている。射抜かれたような鋭い痛みに似た奇妙な感覚が、アレックスの体内を駆け巡った。
「悩んでいるんだろう、『誰が、何のために、自分を冷凍室に入れたのか』と」
 彼はハンターの問いかけに、うなずくことしかできなかった。まさにそのことを考えていたのだから。ハンターは冷たい笑いを顔に浮かべたまま、アレックスの耳にささやいた。

「お前を冷凍室に監禁したのは、基地の連中だ」

 部屋の中は、しばらく沈黙に満たされていた。
 アレックスは目を大きく見開いたまま、相手の顔を凝視していた。開きかけの口からは、何も言葉が漏れてこない。だがやがて、小刻みに体を震わせた。首も少しずつ横に振る。
「嘘だ、嘘だ! 嘘だ! そんな、ありえない。そんなのありえない。そんなはずがない!」
 彼は半分裏返った声で叫んだ。
「基地の人たちが、そんなことするはずが――」
「だが現に、お前は冷凍室に監禁されていた。そんなことができるのは、基地の連中だけだ」
 しかしアレックスは引き下がらない。しまいには相手の服を両手で引っつかんで、
「ありえないよ! じゃあ何のためにオレはあんなところに――」
「口封じだ」
 アレックスの目がまた大きく見開かれる。
「くち、ふうじ……?」
「お前はおそらく、基地内で何かの情報を探ろうとした。お前としては好奇心を満たしたかっただけだろうが、基地にとっては、存続を危うくするほどの打撃を与える危険なものになる。だから、戻ってきたお前を冷凍室で凍死させ、A区の猛獣どもに喰わせようとしたのさ。お前の存在を完全に消してしまうために」
 アレックスは首を振り続けた。
「オレが何をしたっていうんだよ! 何にも、何にもしてないのに!」
「お前としては何もしていないんだ。だが基地にとっては、お前の探していた情報をお前に握られるのが不都合なんだ」
「そんな、そんな……!」
 彼の両目から涙があふれ始めた。H・Sの服をつかんでいる手から力が抜け、ベッドの上にダラリと垂れる。
 H・Sはしばらくアレックスの呆然とした顔を眺めていたが、最後にとどめの言葉を付け足した。
「ついでに言っておくが、基地の上層部から警備隊隊長まで、すべてが私の取引相手だ。同時に、我々ハンターの情報を流すのも、基地の連中だ」


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