第8章 part2



 選挙当日。町の各地に作られた投票所に、投票権を持つ者たちが朝も早くから列を成している。投票用紙を握り締め、投票箱に紙を入れていく。列は途切れることなく続き、やっと最後の投票者が投票を終えたとき、太陽は既に西の地平線に沈みつつあった。
 その夜、各地の投票所から投票用紙が回収された。投票用紙は係りの者が箱につめて、議会へ郵送する。箱を全て回収した後、議会の上院議員代表と下院議員代表は、気に入った贈り物を持ってきた候補者たちのリストから何人かを選出する。その中に、滅亡主義者に金を渡した候補者の名前はなかった。
 わずか五分で、上院議員・下院議員の議員は決定された。投票用紙は、一枚も開票されることなく破棄されてしまったのだった。


「出来た!」
 書き続けた小説が完成した。アレックスはほっと息を吐いた。
「後は推敲するだけか」
 ケシゴムのかすを全部ゴミ箱に捨てると、原稿用紙はかなり綺麗になった。さっそく推敲を開始し、その作業を一日かけて行ってから、出来上がった原稿をヨランダに見せた。
 ティータイムで原稿を渡した後、自室にてヨランダはアレックスの書いたものを読んだ。
「あら、なかなかいい出来ねえ」
 ヨランダはくすくす笑った。
「あの子ったら、こんなに素晴らしい世界観を作り出せるのねえ。話の展開については、もうちょっとヒネリが欲しいところね。あ、そうだわ。お父様にもお見せする約束してたって聞いたんだわ」
 原稿は、ファゼットが戻る日まで彼女の手元に置かれた。世界中を飛び回るファゼットをつかまえるのは並大抵のことではないからだ。そして休憩のためにファゼットが屋敷に戻ってくると、ヨランダは父にアレックスの原稿を手渡した。午前いっぱいかけて、ファゼットは読んだ。最初は楽しそうに読んでいたが、途中から目つきが変わり、真剣そのものとなる。表情も固くなった。そして読み終えると、高らかな笑いが、部屋の中にこだました。
 その夜、ファゼットはアレックスを書斎に招いた。
「君の小説を読ませてもらったが、なかなか素晴らしい出来だったよ」
 ファゼットは、片手にアレックスの原稿を持ち、深みのある声で言った。柔らかなクッションの置かれた椅子に座っているアレックスは、体が少し大きくなったためにより一層窮屈に感じる正装姿で、ファゼットを見つめている。
「ストーリー展開は普通だが、まあそれは仕方がない。なんたって君は作家としては新米だからね。それに」
 ファゼットの目にいたずらめいた光が宿る。
「この主人公は、君のことを表しているね?」
 アレックスは固くなった。心臓が肋骨を突き破らんばかりに跳ね上がり、冷や汗が出る。
「ごく普通の日常を過ごしていた主人公が、不思議な石を拾って異世界に飛ばされる。異世界に飛ばされた主人公はあの不思議な石を探すために元の世界に帰ろうと奮闘する。そして、物語が中盤に差し掛かったところで、主人公は無実の罪で捕らえられて投獄される。それでも諦めずに脱獄の手がかりを牢内で探し、一方では牢番や他の囚人たちの言葉を聞きながら外部や牢内の情報を集める。そしてある夜にやっと脱獄に成功する。物語の最後に、自分を異世界に連れてきた石を探し出すのに成功し、元の世界に帰ってごく普通の日常を過ごす……。これは途中まで君の現状を表しているが、最後だけは君の願望を表しているね」
 アレックスは喉の奥でうなった。完全に見破られている。
「物語の中では無実の証明ではなく脱獄することを選んでいる。作中では、脱獄の理由として、立ち向かうべき相手の力があまりにも強大すぎて自分の言い分は何一つ通らぬ上に無実を示す証拠もないからだとあるね。これは明らかに君の状態を示すもの。君は無実の罪を着せられて、今も追われる身の上。しかも無実を証明する手立てはない。基地の政治的な立場はなかなか高い位置にあるからねえ。だからせめてこの小説の中で、自分が無実だと主人公に叫ばせているわけだ」
 そのとおり。
「脱獄後、主人公は逃げ続けながらも石を探し出す。そして元の世界に戻って元通りの暮らしを送る。これは、自分が基地の手から逃げ出した後、隠れながらも元通りの生活を送りたい、ということだろうね」
 いや、これは違う。主人公が脱獄したのは基地、異世界はこの《屋敷》、元の世界は、アレックスの知っている日常生活。基地の手からも《屋敷》の手からも逃れた後、元の暮らしに戻ること。それが作中につづった、アレックスの望みだった。
 帰る場所など、本当はどこにもないのに。叶わない望みだと知っているのに。
「なかなか素晴らしいよ、アレックス。ここまで自分のことを小説の主人公に託して赤裸々に書いた小説は、読んだ事がない」
 褒めているのか、けなしているのか。
 ファゼットは原稿をデスクに置いて、改めてアレックスの顔を見る。
「実はね、君には、ある役目を引き受けてもらえないかとかねがね思っていたのだ。今まで迷っていたが、この原稿を読んで決めたよ。ぜひ、引き受けてもらいたい」
「役目……?」
 アレックスは眉をひそめた。そしてファゼットの言葉を聴いたとき、アレックスの頭に、ひとつの考えがよぎっていった。

 選挙が終わってから二週間も経たぬうちに、滅亡主義者の活動は急激に減少した。それもそのはず、資金提供者であった候補者が逮捕されたのだから。資金源を奪われた滅亡主義者の活動は一気に減少し、なおかつ滅亡主義者の幹部が資金を受け取るところを警官隊に拘束され、それが新聞の見出しを飾った。滅亡主義者の情報を警察へ匿名で提供したのはAランクハンターたちであったという事は、表の世界では誰も知らないことである。ハンターたちとしては、取引相手兼情報収集手段を失うのは痛手なのだから、滅亡主義者の逮捕を望むのは当然のこと。
 滅亡主義者の活動が静かになったとはいえ、全ての滅亡主義者が逮捕されたわけではなく、ほとんどは一般市民になりすまして紛れ込んでいる事が多い。商店街外れの工場を爆破した犯人として逮捕された滅亡主義者が幼い子供である、といったように、幼少のころから洗脳教育を受けて育っている者もいるのだ。自然保護法施行少し前の時期に現れたこの連中、学校に上がる前の幼児から職を引退した老人まで、あらゆる世代の滅亡主義者が潜んでいる。人々の、滅亡主義者が誰でいつ襲われるかという恐怖心と警戒心はそう簡単には抜けない。隣人が実は滅亡主義者だった、という笑えないケースもあったのだから……。
 破壊発動が減ったとはいえ市民の警戒は解けず、なおかつ議員立候補者が金を滅亡主義者へ渡していたという記事が新聞の一面を飾ると、今度は議会の中にも滅亡主義者と取引をしている者がいるのではないかという噂が昇り始めた。
 子供がクラスメイトを、大人が近所を、町が議会を、隊員が隊員を、疑い始めていた。滅亡主義者が近くにいる……。

「票を集めるつもりが、かえって失敗に終わり、議会への不信感を増幅させてしまった、と」
 H・Sは操縦席の脇に、読んだばかりの新聞を放り投げた。アーネストはそれを横目で見ながら、ぽつりと言った。
「お前らのやったこと自体が失敗じゃないのか? 候補者の逮捕で、特権階級の連中に疑問をいだく奴を増やしたんだからな」
「ふん。かえって成功に終わっている。現在の特権階級の連中に、そろそろメスを入れねばならん時期だったのさ。それに、お前は知らんだろうが、一般市民がメスを入れて基地や議会が解体させられたとしても、我々の取引先はなくなることなどない。現在の年寄り連中から、市民の金持ちに変わるだけ」
「何故だ」
「自然保護法でハンターへの締め付けが厳しくなっていたが、自然保護法がなくなったとしても規制が少々緩むだけの話。珍しい動物を手元におきたい奴は大勢いるからな。そういう奴がいる限り、我々の取引先は常に存在し続ける」
「……」

 十五歳で両親を亡くしたアレックスが十八歳になるまで生活していた孤児院。孤児院の院長は基地を通じてファゼットのことを知っていたが、職員たちは知らなかった。ファゼットは院長に、アレックスが実は生きていることを口止めさせるために、基地を通して孤児院に多額の援助をした。基地からの援助が増えたと職員たちは喜んだが、院長は複雑な顔をしたままだった。
 アレックスは処刑されたと公表されている。孤児院の子供たちにはそれを知らせないようにしているが、十八歳になれば孤児院の外へ出て行くのだから、そのうち嫌でもアレックスの死を知る事になるだろう。子供たちは恨むだろう。なぜ黙っていたのかと責めるだろう。どう説明したらいいだろう。
 院長は頭が痛かった。そして、基地を通して、ファゼットの元へ手紙を出した。なぜ、アレックスを公式に死亡させたのか、と。
 返事は一週間後に届けられた。封筒に入れられた書類には、時候の挨拶など様々な形式ばった文章が載せられていたが、要約すると次のようになる。
『アレックスの指名手配を解除した理由は、次のとおり。基地が彼の指名手配を解くことによって彼は自由の身になるが、一度指名手配されたことにより、彼は市民からの偏見や蔑み等で日常生活を送るにも支障をきたすと想定されるため。そして、アレックスを公式に処刑させたことを発表させた理由は、次のとおり。彼を世間から葬ることで、世間はやがて彼を忘れていく。だが彼の存在価値は表世界ではなく、貴殿もご存知のとおり、裏世界にのみ見出す事が出来るからである』
 裏世界におけるアレックスの存在価値。院長は、基地を通して裏世界の事は多少知っていた。アレックス自身の価値は裏世界でのみ見出せる。つまり、裏世界での彼は重要人物としての役目を担わされているのだ。
「だが、アレックスのことを子供たちが知ったら……」
 書類を握り締め、院長は頭を抱えた。
 その様子を、院長室の外から、わずかに開いたドアごしに一人の少女が見ていた。届けられた封筒を院長に手渡した、来年の十八歳の誕生日と共に外の世界へ出てゆく少女だった。
(アレックス……?)


 ヨランダの元には毎日のように、見合いの相手が訪れる。が、ヨランダは全て蹴っていた。特権階級のボンボンたちは、何度蹴られても諦めずに彼女の元へ様々なプレゼントを贈っていた。甘い菓子や毛皮のコート、豪華なレースのついたドレス、ハンターにとってこさせた珍しい動物。ヨランダから見れば、使用人や父にちょっと頼めばその日のうちに手に入る程度のものであり、全く気を引くことは出来なかった。
 ファゼットはヨランダが良い男と結婚してくれるのを、心の中では望んでいる。娘を思うが故の親心。それは彼女も理解できる。結婚できるものなら、本で読んだように恋をして、その恋人と結婚したいものだ。が、彼女の元へ訪れる男たちは、彼女を愛しているからではなく、ファゼットの地位そのものを目当てにしているのが現実。それが分かっているから、彼女は見合いの話を全部蹴っているのである。
 そんな彼女にとって、アレックスはちょうどいい遊び相手だった。別に彼女に悪感情を持っているわけでもなく、愛情も抱いていない。それは彼女も分かっている。だが彼女にとってはちょうど良いのだ、相手がどう思っていようが、遊べればそれでいいのだから。着せ替え遊びもできるし、話しかければ色々な言葉で応えてくれる。照れて赤面した顔はなかなか可愛らしく、くせのないカラスの濡れ羽色の髪はいつ撫でても手触りが良い。五月につれてこさせた時は貧弱なカカシそのものだったが、現在は食生活が完全に変わってしまったことで、肉付きと顔色が良くなり、髪の艶や手触りのよさも増した。頬がこけていたころとは違い、貧弱さはなくなってきた。まだ背が彼女より低いが、それはそれで可愛いものだ。背が高くなったらダンスのレッスンにも誘える。彼には、相談相手にもなりそうな一番若いメイドのセイレンをつけた(興味を持った父は彼に監視をつけた)。歳が近いこともあってか、彼はセイレンには気兼ねなく話をしている。栄養剤とは全く異なる食事や甘い菓子、上等の衣類に専用の部屋など、彼には色々与えている。そう、まるで人形の家のように、完璧に。『勉強』をさせるうちに何度かショックを受けて死人のような顔をしたが、それでもしばらく経てば笑いかけてくれるようになった。
 普通の人形ではない、人間の行動を取れる人形。それが、ヨランダにとってのアレックスだった。父が彼を養子や跡継ぎに迎えようと提案したが、彼女は蹴った。彼女は弟が欲しくはない。純粋に、遊び相手が欲しいだけなのだ。いつでも望むときに彼女の傍にいてくれる、遊び相手が。
 十月上旬のある日。
「アタシのところへ贈り物を持ってくる連中は、皆、お父様の地位を欲しがっているのよね」
 いつもアレックスの部屋に来るヨランダは、今回自室にアレックスを招いてティータイムを過ごしている。ティータイムでは彼女がほぼ一方的に喋り、アレックスは話の合間に相槌を打つ。それが今日も繰り返される。
「その下心が丸見えだということを誰も理解できていないんでしょうね。深窓育ちの箱入り娘だと思って、贈り物さえ豪華なら簡単に手玉に取れると思っているんでしょうけど、こちらにも選ぶ権利はあるわ。そうでしょ?」
「そうですね」
 サーカスのピエロを思わせる赤と黄色の派手で奇妙な衣装を着せられているアレックスは相槌を打ち、彼女が話し始めるタイミングに合わせ、アップルパイを自分の口に押し込んだ。またしばらく彼女が延々と喋るので、真面目にずっと聞き続けていると焼きたてのスコーンやパイが冷めてしまう。食べられるうちに食べねば。それに、この変な服を早く脱ぎたい。
「今日も、プレゼントが届いたのよ。毛皮のコート。そんなもの山ほど持っているから、いらないのに。『これから寒くなるでしょうから、お使いください』ってメッセージカードまで添えてあったわ。全くもう、小間使いにあげちゃったわ」
 ヨランダは目を閉じてため息をついた。本で読んだ金持ちのお嬢様ってのは有閑マダムみたいなイメージあったけど、結構大変なんだな。アレックスは思いながら、次はジャムつきのスコーンを頬張った。童話や絵本を読んでいると見かける、手柄を立てた王子や旅人がその国の王女と結婚するという結末。それに似ていると思った。プレゼントでハートを射止めようというわけだろうが……ヨランダはその手には乗らないようだ。
「アタシは結婚したくないわけじゃないの。でも、どうせなら、本気で恋をしてみたいと思ってるの。全然胸のときめかない男ばっかりで、ホトホト嫌になってるから」
 どうやらアレックスのことは、本当に恋愛の対象としてみなされていないようだ。法律では結婚は十八歳からと定められているので、アレックスはもう結婚できるのだが、ヨランダの眼中にはアレックスなどカケラもないのであった。彼女にとっての彼は、ただの遊び相手。人形。同時にアレックスも彼女と結婚したいとは微塵も考えていない。
「お父様がアタシのことを心配してくださるのは嬉しいの。それは親心というものでしょう? でもかえってつらいのよね。お父様がアタシの結婚に期待をかければかけるほど、アタシにかかるプレッシャーも大きくなっていくのだもの……」
 ため息をついて彼女は紅茶を飲んだ。アレックスは何も言わず、もぐもぐとパイを噛み続けた。彼女の結婚に関しては、彼の関知するところではないし、彼には彼なりに考えねばならない事があった。なので、彼女が結婚しようがしまいが、彼には関係のない事。そして今話を振られたとしても、内容に応じて、求められている返事をしてやればいい。
「今のお父様は、家を継ぐ跡継ぎとしての婿養子をお望みだと思うのよね。裏世界の事業のほうは《子供》たちに任せるおつもりのようだし。お父様のことだから、あなたにも何かお願いしたんじゃないかしら?」
 アレックスはこっくりとうなずいて、口の中のパイを飲み込んだ。
 そう、ファゼットはアレックスにも《子供》たちと同じように役割を引き受けさせた。それは《子供》たちとは別の内容だったが。
「やっぱりねえ。お父様は、悪く言うと抜け目のない方なの。その抜け目のなさをアタシの結婚話にまで発展させていたら、お父様の将来を担えて尚且つアタシの結婚相手としてふさわしい人を選んでいたかも。でも、アタシはアタシの目で相手を選びたいのよね」
「……あなたのお父様の地位だけを望んでいる相手でも、ですか?」
「もちろん、ここをアタシの代でつぶすのは困るわ。結婚に関してはお父様の言うことを聞かざるをえないわねえ。でも、一度でいいから、本当の恋をしてみたいの」
 恋をしたい。その願いが叶ったのは数週間後。十月末、屋敷ではダンスパーティーが開かれた。年に一度の、彼女の誕生日祝い。昔から世界中を飛び回り続けて、屋敷で留守番をし続けた娘に十分な愛情を注いで来られなかったファゼットの、せめてもの娘へのプレゼントというわけだ。彼女が社交界に出る年齢になってから、パーティーは催され始めた。それまではぬいぐるみや人形、凝ったアクセサリーなどが届けられていたのだった。
 アレックスはパーティーには呼ばれていなかった。ヨランダにとっての彼はただの玩具なので、彼は壁の華にもなれないというわけ。が、呼ばれていないほうがかえって良かった。周りは議会の人間の身内ばかり。特権階級の連中に囲まれれば、一般市民のアレックスなど嘲笑されて会場から放り出されてしまったろうから。
 パーティーでは、様々な男たちがヨランダの周りに集まってくる。このダンスパーティーの主役は彼女なのだ、彼女のハートを射止める事が出来れば、上手くいけば結婚にまでこぎつけられるのだから、どの男も熱心に彼女を誘う。が、彼女はやんわりと断り続けて会場内を歩いていた。自分に言い寄ってくる男たちは、老いも若きも、自分との結婚を目当てにしている。結婚後に手に入る地位を利用して裏世界に足を突っ込むか政治的な権力を振るう。あるいは一族郎党を屋敷へ引っ越させて贅沢の限りを尽くす。彼女を愛しているからではなく彼女と結婚して得るものが大きいから、皆声をかけてきて必死でパートナーになろうとする。ヨランダはそれを知っているから誰にもときめかないのだった。
 会場の隅に何気なく目をやったとき、彼女の視界に一人、飛び込んできた。壁にもたれかかっているその人物は、最近社交界にデビューしたばかり。歳は二十歳頃であろう。銀色の綺麗な髪が彼女の目を引いた。彼女はすぐにその人物に向かって歩み、ダンスを申し込んだ。
 彼女のダンスパートナーは、父の代になってやっと一般市民から特権階級の仲間入りをした身であった。一定額以上の財産があれば、特権階級の居住区に住まいを作る事が出来る。だがこの一家は成り上がり者として周りから疎まれており、社交界にデビューしたとしても壁の華にもなれない。市民あがりなど、誰も相手にしないから。
 だが、ヨランダはダンスを申し込んだ。それは相手が市民あがりだろうと誰だろうと関係ないのだ、純粋に恋をしたからだった。胸の中に熱い炎が燃え上がり、いてもたってもいられなくなり、四六時中ずっとその人の事が頭から離れない。彼女の初恋は燃えるように始まったのだった。一方で、銀の髪の青年の方も彼女と踊るうちに彼女の瞳に釘付けになっていった。
 ダンスを踊ったその日から、二人は恋に落ちたのだった。

 K区の、ハンターたちのアジトの格納庫。時刻は既に夜中前。格納庫におさめられている飛行艇の持ち主たちはそれぞれ眠りに入っているが、そのうちの一機の持ち主であるH・Sは、自室で通信機を立ち上げる。
「会議まであと一週間。さっさと情報を送ってしまわねば」
 モニターを睨みつけながらキーボードをとんでもない速度で叩く。モニターに次々と文章が書き込まれていく。しばらく部屋の中はキーボードを叩くカチカチという音だけが響く。やがて文章を全て書き終わったと見え、手が止まる。
 通信機に、通信が入っている。スイッチを入れると、モニターが切り替わる。文章が消え、代わりに、ファゼットの顔が映る。
『おお、起きてたな』
「義父さん……!」
 ハンターは驚きの表情を浮かべる。ファゼットはにこやかな笑みを浮かべながら、話を始めた。
『そろそろ報告を頼むよ。毎回毎回、君が最後なのだから』
「はい。報告書は出来上がっています。ただちに送信します」
 キーを押すと、モニターの隅っこに小さく「データ送信中」と表示される。やがてピッと鋭い音がモニターから聞こえる。
「転送完了しました」
『おお、ありがとう。これで今回の会議の資料も作成できる』
 ファゼットはそのまま通信を続ける。
『ところで、最近の基地の様子はどうかね? 君の担当する地区は、相変わらず平和かね』
「いえ。選挙前の一時的な滅亡主義者の派手な活動が今も尾を引いて、人手不足の警察との連携を余儀なくされた自然保護警備隊が町への警備に繰り出されています。おかげで自然保護区の警備は三割手薄になっている状態。Cランクの連中ですらやすやすとウサギをかっさらえるほどです。隊員たちの間では、警備範囲が増えたことから若干不満の声も上がってきていますね。地区ひとつを回るだけでも時間はかかる上、町の警備まで行わなければならない。滅亡主義者の逮捕は自然保護警備隊の管轄ではないのに警察と一緒に行動せざるを得ない。不満が出ないほうがおかしいでしょう」
『なるほどな。して、上層部はどうだね? 君の取引相手たちは』
「発見を恐れてか依頼が少なくなってきた上、取引場所が飛行艇で近づきにくいような場所を指定するようになりました。取引現場ではいつもどおり振舞っていますが、焦りが見えています。隊員たちに取引現場を見られて、今の地位を失うのが怖いのでしょう」
『なるほどな。今度の会議でもそれを突っついてやるといい。ちょっとはこちらの言うことを聞いてくれるはずだからな。それに、わたしも議会の連中に働きかけるつもりだ。特権階級の者にメスを入れてやったことで、少しは連中も大人しくなるだろうからな』
「そうですね」
『では、来週の会議に間に合うよう、急いでおくれ。わたしもちょっと準備がいるからな』
 通信が断たれた。
 部屋の外の廊下で、気配を消したアーネストが、通信を聞いていた。通信が断たれると、H・Sのため息と愚痴が聞こえる。やがて部屋の中を動く音が聞こえ、ライトを消す音が聞こえる。しばらく待ってもそれ以上何も聞こえなかったので、アーネストは足音を忍ばせて廊下を去った。
 五分後、船内には完全な静寂が訪れた。


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