最終章 part2



 雪が降っている。最近はK区の格納庫で休む事が多くなった。エンジンを出発前に暖めなくてはならないので燃料消費量が他の季節よりも多いからだ。消費量が多い分、頻繁に燃料を購入しなければならない。
「これで今月分は送信完了だな」
 フウと息を吐き、H・Sは機械のスイッチを切った。今度の報告書も、山ほど専門用語をちりばめておいた。またしても辞書を片手にヒイヒイ言っているだろう。いいざまだ。
 背伸びをして、時計を見る。既に夜中の一時を回ってしまっている。今回は滅亡主義者のデータをまとめるのに苦労した。さっさと寝台に潜り込んでしまおうと思い、数秒後には部屋の明かりは消えた。依頼五件をこなした今回は、雪に足跡をつけないように細心の注意を払いながら足の速い連中を追い回したため、普段より疲れた。寝台に横になり、厚い布団をかけた直後、まぶたが下りてきた。
 時計が午前五時半を指したころ、苦しげな顔でうめいていた彼はハッと目を開け、がばっと身を起こした。周りをきょろきょろ見渡し、それからハーッと大きく息を吐いた。
「夢か……良かった」
 その顔は青ざめていた。震える手が自分の首に当てられ、何かを確かめるかのように指が首を這い回る。
「良かった、無事だ……」
 アーネストに首を絞められて殺される夢だった。それも、首を絞めるアーネストの顔には激しい憎悪が、瞳の中には怒りが渦巻いていた。
「……夢でよかった。だが、リアルすぎる」
 あらゆる獰猛な動物たちとの格闘で鍛え上げられた豪腕を持つアーネストに、力で勝てない事は分かっている。日々のハンター活動を経た彼はもう、契約を交わした三年前にはひょろりとしていたあの時とは違うのだ。だからこそH・Sは内心アーネストを恐れていた。今は何度か殴られるだけですんでいるが、実は何か企んでいてそれを実行する機会をうかがっているのではないだろうか……。いや考えすぎだ。奴の立場は弱い。基地が未だに奴を捕らえて口封じしようとしているのだから、そう簡単に裏切りを働くまい、例え頭の中でそれを考えていたとしても。
「ああ、夢見の悪い……!」
 H・Sは寝台から降りるとさっさと服を着た。冬だというのにその体は汗びっしょりだった。食事代わりの錠剤を呑むのも忘れて部屋を出ると、早歩きで操縦室へ向かう。操縦室の自動ドアが開き、彼はさっと飛び込む。誰かいないかと異様に警戒し、それから自分の席に着く。飛行艇のエンジンをかけ、彼は操縦席の背もたれを倒して背中を預けた。転送されてきた依頼の用紙を取るのも億劫と言わんばかりの顔で、ため息をつく。
 悪夢を見たせいだろうか、気分が悪い。胸やけがする。目を閉じて呼吸を落ち着けようと試みたが、うまくいかない。目を閉じるだけであの夢がまぶたの裏に浮かび上がり、急に息が苦しくなった。慌てて目を開け、周りを見回す。誰もいない。ほっと安堵の息を吐いた。
「気にしすぎだ。たかが悪夢……」
 頭を振って忘れようと努めるも、そうすればするほど、あの表情が浮かび上がってくる。怒りと憎しみに満ちた、あの顔が……。
(あいつはただ使い物になりそうだから、拾っただけ。それだけの話だ。感謝も恨みも、奴には感じてない。たまに殴られる痛みだけはあるが……)
 うなり続けていると、背後で自動ドアの開く音がした。思わず操縦席から立ち上がって後ろを向いた。
 アーネストが立っている。
「……?」
 赤い瞳が訝しげに青い瞳を見返す。しばらく空気が凍る。
「なに睨んでんだよ」
 不機嫌な声。それを聞いて、H・Sの体のこわばりが緩んだ。そしていつのまにか自分の顔も完全にこわばっているだけでなく呼吸も荒くなっていることに気がついた。
「ああ、いいや、なんでもない……」
 大きく息を吐いて、H・Sは椅子に座りなおした。その顔は異様に青白かった。アーネストはしばらくその背中に訝しげな視線を投げつけていたが、彼も自分の操縦席に座った。操縦桿を握ってチラリと横を見ると、同じく操縦桿を握るH・Sの手はわずかに震えていた。
(何があった……?)
 その理由は、最後までわからなかった。この男は、何も言わないのだから。

 十二月になって本格的な冬が訪れると、町には薄手のコートを着た人々が町を歩き出す。綿や毛皮を使った防寒着は禁止されているので、防寒着には、布を幾重にも縫い合わせたコートを着なくてはならない。一方、高い壁の向こうの特権階級の者たちは、動物から剥いだ毛皮をまとい、羊毛を使って編まれた衣類を着ている。
 基地の上層部の面々は、寒い冬のさなかも市民と一緒のコートをまとってきた。老いているものの厳しい寒さに耐える姿に、防寒着などない隊員たちは感動して敬礼をする。しかし会議室に入ってしまうと、直接隊員たちと顔を合わせる者以外は、そろって毛皮製のコートをまといなおすのである。
「ううむ、今日も冷えるのお。老体にはこたえるわ」
 円卓を囲み、老人たちは毛皮のコートの前を合わせなおす。この部屋には暖炉が無い代わりに暖房装置がある。これはファゼットの父が特別に作らせてプレゼントしたものである。これをつけておくと室内の空気は乾燥してしまうが暖かくなるのだ。
「ふう、暖かくなってきたワイ」
 暖房装置が働いてくると、あっというまに部屋は暖かくなった。老人たちは安堵した表情でコートを脱いでいく。このまま毛皮のコートを着続けていると逆に汗をかく。
「ところで、最近の新聞読んどるか」
 老人のひとりがこの日の朝刊を円卓の上に放る。周りの老人たちは、重苦しい顔でうなずく。
「記事の傾向が変わり始めた。ちょくちょく他の事件も起こっているはずなんじゃが、全然掲載されておらん。……あの男は何をしたいのじゃろう。何か企んでいるようにも思えるが、一体何をしたいのか見当がつかんわい」
 老人たちは暖かな部屋の中を重苦しい空気で満たす。
「それにしても、メディアを握るあの男がなぜこんな奇妙な新聞を作るようになったんじゃろうか。わしらに何か言いたいならば会議の際にズバリと言っておるはず」
「そうだのう。それとも、我々に直接伝える必要など無いということじゃろうか。だが、わざわざ新聞の記事の傾向をかえている意図がどうもつかめん」
「意図的に平和な記事ばかり載せておるのかのお。その理由が全く分からない。そもそも新聞自体を読まん議会の連中は新聞の記事の傾向について何も知らされておらんはずじゃから、何も言ってはこないのも当然なのだが……」
 老人たちは息をはいた。
「若い者の選出を急ぐとするかいのお。あるいは、あの男を何とか黙らせる方法を探さねば」

 国会議事堂に、議員たちが集まる。
「今月の会議の出席者を選出する!」
 緊張した空気。月に一度の、ファゼットの屋敷で行われる会議。会議に出席できるものは各地の議会の代表者のみ。何十人もおしかけるわけにはいかないので、それぞれの議会で代表者を決めるわけだが、この地域での決め方は、
「では! 各自、この場に例のものを出すように!」
 議会の机の上に、綺麗にラッピングされた箱が置かれる。すると、急に室内に甘い香りが漂い始めた。箱が開けられると、フタの下からは甘い香りを放つ菓子が姿を現した。
 それぞれの菓子が、議長の机の上に並べられた。ざっと数えて百にものぼる菓子……。
「二時間後に、選出された者を発表する。それまでこの部屋で待機!」
 議長が奥の部屋にひっこむと、彼の秘書や使用人が何人も集まってきて、大量の菓子を運び出していった。
 議事堂のこの一室。暖房があまり効いていないというのに、皆の顔には汗が浮かんでいる。一言も喋らず、ただひたすら、扉を見つめ続けている。時計の音がカチコチと時計を刻む音だけが当たりに大きくこだましている。
 この地域の議会では、菓子の出来とデザインによって、議会出席者を決定する。そのため、どの議員も、入手できる限り最高級の素材を使って使用人に菓子を作らせるのである。ファゼットが開く月に一度の会議に出席できるのを切実に望むのは、法律改正のため、そしてヨランダに会うため。市民の機嫌をとるために滅亡主義者取り締まりや税金の減額なども話し合わねばならない。だが議員の本音としては、彼女への謁見を目当てに屋敷に行きたいのだ。普段プレゼントしか渡せない上に、直接彼女と見合いできるのは議員の中でもほんの数名だけ。何としても彼女の心を掴むために、彼女に求婚する者は後を絶たない。彼女に恋人が出来たといううわさが流れている今でさえも。もちろん彼女に会いたがっているのはこの地域の議員だけではない、世界中の議員ランクの者たちが彼女との結婚を切実に望んでいるのだ。ファゼットの所有する富全てを手に入れる事が出来れば、今以上にもっと贅沢な暮らしができるのだから。
 そうして数時間後、腹の膨れた議長が、手に上等の紙を持って姿を現した。その姿を見た皆の緊張の糸が一斉に張り詰めた。今度の緊張は、不安と期待がいりまじっている。
「では、発表する!」

 月に一度の会議の日、年末は月末に会議が開催される。ヨランダはその日に限って山ほどスケジュールを入れさせている。理由は簡単、会議に出席する議員たちからの猛烈なプロポーズを避けるため。
「ヘンリーも今日はどうしても来られないって言うし……残念ねえ」
 彼女は窓の外を見ながらため息をついた。窓の外は一面の銀世界ではあるが、いかんせん室内が暖かいために窓の一部を細かな水滴が覆い隠してしまって外の世界を見せてくれない。しかし彼女は外の銀世界を見たいわけではない。
「あの子も最近は部屋にこもりっぱなしだし……撫でてあげたいのに、全然出てきてくれないわね。つまんないわあ」
 アレックスは朝から夜までずっと屋敷の一室にこもって仕事ばかりしている。部屋から出てくるのは食事とティータイムと睡眠のときだけになってしまっている。最近は仕事のストレスゆえか痩せてしまっている。目の下にくまが出来ただけでなく、頬の肉が少しこけているのだ。
「お嬢様、次のスケジュールがおしております。おはやく」
「わかったわ」
 彼女の去った部屋の窓。その窓の向こうで、会議のために屋敷へ向かっている飛行艇がいくつも空を飛んでいた。

「あー、やっと終わった」
 アーネストは操縦席の背もたれに体を預けた。
 操縦室でシステムの最終チェックを終える。飛行艇の整備が完了する。格納庫は寒いが、屋敷内に入ると寒さは和らいだ。部屋に入ると、一気に暖かくなる。暖炉が赤々と燃えているからだ。部屋のドアを閉めると、ドア越しに複数の足音と声がする。他のAランクハンターの手下たちだろう。獲物をめぐって彼らと一度ひと悶着起こしかけたことがあるが、大事に至らなかった。本当はストレス解消のためにひと悶着起こしてやりたかったのだが。
 足音が通り過ぎてから、部屋を横切る。外はもう真っ暗だ。時計は午後六時を指している。すでにテーブルの上に一人前の食事が並べられているので、さっさと食べて廊下に皿を出してしまう。ベッドに寝転んで天井を見上げる。明るいシャンデリア。スズランのようなかわいらしい形をしたそれは柔らかなオレンジの光を投げかけている。
 しばらく何も考えずにぼんやりしていると、廊下のじゅうたんを誰かが歩く音が聞こえてくる。複数の人間のようだがあまり急いでいない。ため息が聞こえてくる。歩いている人間は疲れているのだろう。彼はそのままほったらかして目を閉じた。
 次に目を開けたとき、時間は十一時を大幅に過ぎていた。部屋の中は暗く、すでに電気が消されているのだとわかる。ビロードのカーテンの隙間から月の光が入ってくる。暖炉の火は既に消え、暖かな空気だけがあたりに漂っている。隣のベッドから静かな寝息が聞こえてくる。隣で寝ているのが誰なのかは、見るまでもない。トイレに行こうと思い、アーネストは静かにベッドを降りて用を足しに行く。暗い部屋の中に戻ってくると、またベッドに寝転ぶ。目を閉じるとすぐ眠気に襲われる。だが、急に目が覚めた。
 隣のベッドから、うめき声が聞こえてきたのだ。目を開けて首を横に向けると、月光の当たらない位置におかれたベッドからその声がもれてくるのが聞こえてくる。耳を澄ましてみる。光が当たらないために寝顔は分からないが、H・Sは苦痛のうめき声をもらし続けている。
「て、や……て……!」
 アーネストはもっとよく耳を澄ましてみた。
「やめて……やだ、やめて……なにも、なんにもしてない……」
 布をきつく掴む音が何度か聞こえてくる。
「たたかないで……やめて……やめて……」
 うめき声が徐々にすすり泣きに変わってくる。アーネストは思わず身を起こした。その時、彼が身を起こした勢いでか、ビロードのカーテンも揺れる。光の太い帯が、揺れたカーテンの隙間からさしこんできて、奥を照らす。月の光に照らされた、悪夢の苦しみで歪んだその頬には、涙が流れていた。
(泣いてる……?)
 朝の冷たい光が部屋にさしこんでくると、悪夢は消えて安らかな眠りにかわる。そのころにはアーネストは自分の夢の世界にいて、肘杖をついたまま寝るという器用な寝方をしていたのだった。
 この日、いつもどおりの上から目線の言動を取るH・Sを見ても、不思議なことにアーネストは腹立たしいとは思わなかった。それどころか、哀れにすら思えてきたのだった。

 朝早く次の仕事場に向かう航空機。ファゼットは機内で大量の書類を読んでいた。それもやがて読み終わると、彼は昨夜の会議のことを回想する。基地の年寄りたちは、やけにしつこく新聞記事の傾向変化について尋ねてきた。いきなりおそろしく平和的なものに変わったのだから、怪しむのも当然だ。だが、ごまかしておいた。アレックスに新聞記事をいじらせていることを知らせたら、どんな反応をしたか。泡を吹いて倒れるか心臓が破裂してしまったろう。
「今は、まだ彼のことを伏せておくべきだ。彼には成し遂げたい事がある。同時にわたしも彼を使って成し遂げたい事があるのだから。切り札はいざというときのために伏せておくに限る」
 灰色のどんよりとした雲の下、航空機は海の上を飛んでいった。

 一月。
「誕生日、おめでとう!」
 孤児院で、誕生祝い兼お別れ会のパーティーが開かれている。十八歳の誕生日を迎えた少女が、明日孤児院を出るのだ。
「君はここから旅立っていく。でも、ここは君の家でもある。つらくなったら、いつでも相談に来なさい」
 院長はにっこりと微笑んだ。周りでは、幼い子供たちが騒いでいる。孤児院から旅立つ少女は、目に涙を浮かべ、うなずいた。
「はい……お世話に、なりました……」
 十歳に満たない子供たちは彼女を取り囲んで泣いている。手作りのプレゼントを持っている年上の子供たちも目に涙を浮かべている。
 パーティーは夜中まで続いた。
 翌朝八時、孤児院の住人全てに見送られて、自分の荷物を手にした少女は孤児院を出た。重い荷物の中には、自分の衣類と小額の所持金、昨夜のパーティーで子供たちから手渡された数々のプレゼントが入っている。後ろから、子供たちの泣く声が聞こえてくる。
(去年は、見送る側だったのに……)
 道を歩きながら、少女は思った。
(去年は、あの門のところで、アレックスを見送ったっけ。彼が最年長だったし、慕っていた子供たちも多かったし、皆泣いてたっけ)
 アレックスとは一歳違い。去年は、去っていくアレックスを見送った。だが今年は、自分が見送られた。孤児院を離れるとき、急にさびしくなった。アレックスも寂しさを感じていただろうか。それとも野生動物保護官となれた喜びに満ちていただろうか。だが野生動物保護官になると一般市民との接触はほとんどなくなってしまう。現に、基地へ行ってしまったアレックスからは手紙の一つも届いていない。
(元気でやってるのかしら)
 基地への一般人の立ち入りは禁止されているので、アレックスが元気にしているかどうかについて確かめる術はない。
(まあ、いいわ。アレックスのことだから、きっと元気よ!)
 少女は、道を歩いていく。そして、院長に発行してもらった紹介状を手に、会社のドアを叩いた。
『アース新聞』

「もう一月なのか……」
 仕事部屋の窓の外を見て、降り続ける雪を見るアレックス。それを見て初めて今が冬であったかを思い出したかのように、ぶるっと身を震わせる。
「さようでございます。こちら、お探しの辞書でございます」
 セイレンは、彼に辞書を手渡した。
「ありがとう。あいつホントにオレを困らす気満々じゃんか、難しい単語ばっかり書いて送ってくるなんて」
 アレックスは辞書を受け取り、ついでに自分の冷たい手をこする。足元の寒さを何とかするために柔らかなクッションの上で正座していたので、足がしびれてきた。かといって脚を椅子から下ろせば寒くなる。クッションの上で胡坐座りをしてから毛布を脚の上に広げた。
 役割にはだいぶ慣れてきた。山ほど情報が送り届けられてもあまり慌てなくなってきた。ダメ出しはまだあるが会議の資料作成も少しずつ上達してきた。それでも、己の目的を遂げるにはまだまだこれでは未熟すぎる。
(準備は徐々に整えればいい。あとはオレがついていけるようにド根性で頑張るしかないな。ヘンリーは、こちらの送る記事についてはあまり疑問を抱いていない。記事が意図的に選ばれているってことを知らないってのもあるんだろうけど、新聞のネタがあって売れればそれでいいんだろうな。……新聞の新コーナーのネタにオレの書いてたあの小説を手直しして載せてくれるって言うし、結構お人よしなんだなあ。疑うってことを知らないんだろう。後は、少しずつあの記事を混ぜていく。議員関連のデータは普通の方法じゃ手に入らないから、これはちょっと考えるとして)
 セイレンは、紙面を睨みつけたままでむっつり黙り込んでいるアレックスの傍らにおいてあるカップに、熱いミルクを注いだ。
(当時のバッファロー暴走を引き起こしたときの議員について、もう少し情報が欲しい。当時F区にいた議員は一体誰なのか……。当時の新聞が全部アーネストに濡れ衣を着せてるところからして、議員と基地の力が真相隠蔽のために働いていたということなんだろう。とにかく)
 熱いミルクの入ったカップを取り上げ、口をつける。
(徐々に世論を傾けていくには、これしかない!)
 ぐいっと一口ミルクを飲み、その熱さにむせた。

 送られてきた報告書に目を通しながら、ファゼットは満足そうにうなずいた。
「うむ。こないだの報告よりも段違いの出来になっている。やればできるのだな、本当に。スカウトした甲斐があったというものだ、本当に」
 アレックスがヒイヒイ言いながら作成した報告書と会議資料。前回とは打って変わって、必要な情報は全て盛り込まれている。
「十枚以上にもわたる、報告書作成方法と会議資料作成手順を送った甲斐があったというものだ」
 そう、そのおかげで、アレックスは何度も何度も書類を書き直す羽目になった。書き終わってから読み直すと、《子供》たちの送ってきた情報のモレが新たに見つかるためだ。書いている時間よりも直している時間のほうがはるかに長くなってしまった。
 外は雪。ファゼットは熱い紅茶を一口飲んで、外を見る。
「彼は真相を知ることで、己を縛る鎖を完全なものに変えてしまった。『二度と外へは出られない』という強い自己暗示によって……」
 アレックスは屋敷から出られない。門戸は開放されていても、彼は自らの意思で屋敷にとどまり続けることを選んでしまったのだから。
「未熟ではあるが、わたしの跡継ぎとなるにふさわしい能力は備えている。彼がもう少し協力的ならば、わたしの力は更に増しただろうが、これは仕方なかろう。多少は恨みを買ってやらんと、彼はやる気を出してくれなかったからなあ」
 文書データが送られてきた。それはアレックスからのもので、頼み事が短く書かれていた。それを読んだファゼットの顔はにっこりと微笑んだ。
「ほお、やっとわたしを頼ってくれたか、嬉しい。議会の連中が騒ぐだろうが、ちょっと脅しをかけてやればたちまち大人しくなる。外に情報が漏れれば自分たちの立場があっというまに危うくなる。いや、下手をすれば暴動が起きるだろうな」
 ファゼットは手元の金のベルを鳴らし、執事を呼んだ。
「三年前の資料を頼むぞ、内容は――」

 その夜、降り積もる雪を見ながら、アレックスはビロードのカーテンを握り締めた。窓に、彼の顔が映っている。何かを決意したときの顔。固く結ばれた唇と、前方を睨みつける目が、それを表している。
 マホガニーの机の上には、ファゼットから送られてきた書類が何枚か散らばっている。だがこれはアレックスが彼に頼んで送ってもらったものだ。それを横目で見たアレックスは、再び窓の外へ目をやる。部屋の明かりで、外が一面の雪景色である事が分かる。足跡ひとつない綺麗な白銀の世界。だが彼の目には、雪景色など映っていない。彼の目に映っているのはまったく別の光景。
 彼の描く未来が、白銀のスクリーンの上に映し出されていたのだ。
(全ては二年後に成就する。そう、二年後だ)
 アレックスの計画は、動き始めた。
 二年後の、あの日に向かって。


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ご愛読ありがとうございました!
今回はかなり長い話となりましたが、実は二部作。
しかも話が長い割にはきちっとまとまりきってない。
というのもこれはまだ序章にすぎないからです。
本格的な後書きは2年後に書かせて頂きます。
つたない作品ですが、楽しんでいただけたならば幸いです。
最後までおつきあいくださり、ありがとうございました!
連載期間:2009年1月〜2009年10月


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