第7章 part2



 良平は、上空から、夢魔の強い気配を感じ取った。青白い光を頼りに上を見上げると、空に、シャドウホークとナイトメアが舞っているのが見える。いや舞っているというのはその戦いが舞いのように華麗だったからであり、実際は激しい戦いが繰り広げられていたのである。
「何だ、何を争ってるんだ?」
 夢魔同士の本格的な戦いには、爪と牙ではなく、思念が用いられる。攻撃の思念を互いにぶつけあって、より力の強い思念が相手の思念を打ち破り、肉体を攻撃するのだ。
 上位の夢魔同士、力はほぼ互角。だが、抵抗されて怒り狂ったナイトメアはシャドウホークを圧倒していた。シャドウホークは何度も思念の塊を食らい、確実に傷を負わされ消耗していく。
「シャドウホーク、ひるまないで!」
 寒波のようなナイトメアの思念。主の言葉もむなしく、シャドウホークは攻撃を防ぎきれず、一発受けた。嫌な鳴き声を上げて、シャドウホークは後ずさる。翼から羽毛がいくつか抜け落ち、宙に舞った。
(キエロ!)
 ナイトメアはいなないた。ナイトメアの周囲に、先ほど以上の強い思念の塊が生まれ出る。直撃すれば大打撃間違いなしの一撃だ。
 突然、ナイトメアは首を回し、青白く光る家に向けた。
(!)
 思念の塊が消える。すぐにナイトメアは空間を渡り、消えた。
「どこかへ行ってしまったわね。主であるあの男に何かあったということかしら」
 黒仮面の女は、ほっと息を吐いた。翼を傷つけられたシャドウホークは、いったんほかの家の屋根に降り立つ。
「シャドウホーク、大丈夫」
 怪我は大したことないものだった。しかし長く飛ぶには支障が出そうだ。
「あの家のベランダまで行くわ。連れて行ってちょうだい」
 シャドウホークは渋った。
「過去のことを考えると、あんたが滅びの使者に怯えるのも無理ないわね。でも、行かなければならないの」
 家のベランダから放たれる青白い光が一段と強くなった。
「あの滅びの使者を止めるには、それしかないのよ、わかってちょうだい!」
 シャドウホークはもうしばらく渋っていたが、やがてうなずいた。
「ありがとう」
 主を載せて、夢魔は舞いあがった。
 青白く光る家のベランダ。そこが光源だった。その光源の傍に、一頭のナイトメアがいる。滅びの使者だ。シャドウホークの体が震えてきた。かつてほかの夢魔を滅ぼそうとして戦いを仕掛けた最強の夢魔を目の前にするだけで、恐怖がよみがえってきたのだ。だが主を載せた手前、引き下がるわけにはいかない。シャドウホークはそのままゆっくりと飛んだ。

 ベランダ。
 澄子の体は、青白い光に包みこまれている。その周囲を、どす黒い霧が覆い始めている。その傍に、大きな黒い馬がいる。
 滅びの使者だ。
 ブラックキャットは怯えて動けない。ベランダに降り立った啓二は自分の体が勝手に動くのを感じた。滅びの使者が操っているのだろうか。脚は勝手に前に進み、滅びの使者の数歩手前まで歩んでから止まる。改めて近くで滅びの使者を見上げる。大きい。啓二より頭三つ分あるいはそれ以上の高さに、馬の頭がある。白い十字の模様が額で不気味に光っている。滅びの使者はあざけるように鼻を鳴らす。大きな蝙蝠の翼を広げると、滅びの使者の体がひとまわり大きく見えた。啓二は思わず後ずさる。
(貴様の夢の中で警告してやったにもかかわらず、貴様は我が元へやってきた。その虫けらのような勇気には敬意を表してやらんでもない)
 澄子の体は徐々に黒い霧に覆われて行く。すると、澄子の体を覆う青白い光が弱まりはじめる。
(特別に貴様に見せてやろう、この器の魂を!)
 滅びの使者がいななくと、澄子の胸のあたりから強烈な光が放たれる。光は球体の形をなし、宙に浮き出る。青白く光り輝く、美しい球体。滅びの使者の脚ごしに、啓二はその輝きに見とれた。
(美しき清らかな魂。これぞ我が長く求め続けたもの!)
 滅びの使者は翼を動かして魂を引き寄せようとする。だが魂はブルブル震えるばかりでなかなか動かない。澄子の体の上から動こうとしない。
 滅びの使者は蹄をベランダでコツコツ鳴らす。
(十一年前に喰い損ねた魂よりもはるかに素晴らしい……)
 その言葉に啓二は反応した。
「十一年前!?」
(そうとも)
 滅びの使者はもう一度啓二を見る。額の十字模様が輝く。
(十一年前に半分喰い損ねた麻奈の魂だ!)
 いきなり滅びの使者はいなないて前足を振りあげる。気がそれたことで澄子の魂は徐々に彼女の体の中へ戻りつつあるが、それにもかまわず、滅びの使者は啓二に敵意を向けた。
(そして、喰い損ねた残りの半分の魂は――)
 啓二の体に前足が振り下ろされる。だがその蹄は、啓二の体に触れる直前、バチッと大きな音を立てて何かに弾き返されてしまった。
 ブラックキャットをはじいた時の青白い光が啓二の周りを覆った。滅びの使者はいまいましそうに鼻を鳴らした。
(麻奈の魂の残りの半分は、貴様の中にいるのだ!)
 澄子の体の中に魂が戻る。だが滅びの使者は、目もくれなかった。
(壁を取り除き終えたとはいえ、あの魂を引きずりだしきって食らうにはまだ力が足りぬ。そのためには麻奈の魂が必要! 麻奈の魂は、貴様を殺さねば取り出せぬ!)
 その時、背中に、気絶したままの主を載せたナイトメアが姿を現した。その向こうから、鳥の鳴き声が聞こえてくる。
(奴の足どめ、しくじったな)
(モウシワケゴザイマセン)
 ナイトメアはこうべを垂れた。滅びの使者はフンと鼻を鳴らし、
(まあ良い。我が城の前へ戻っておれ)
 ナイトメアはすぐに空間を渡った。滅びの使者は啓二にまた目を向ける。啓二はさきほどから足がすくんで動けない。さらに、自分が何かの力に守られている事はわかってきたのだが、己の中に麻奈がいる、という滅びの使者の言葉を、全く理解できていなかった。滅びの使者に殺されかけた恐怖心と驚きがまぜこぜになってしまって、啓二の頭の中は混乱している。
 滅びの使者は大きく翼を広げた。
(二つの魂を食らえば、我が力も完全に回復する! まずは貴様からだ! 麻奈の魂をよこすのだ!)
 滅びの使者の、額の白い十字が光った。同時に啓二の目の前が真っ白になった。

 ブラックキャットが空間のゆがみに飛び込んでから数分。戻ってくる様子は全くなかった。もうしんぼうたまらない。良平は、思い切って家の中へ飛び込んだ。これ以上じっと待っていることなどできない。レッドフェレットはナイトメアたちを恐れているのだから戻ってきてはくれない。むしろあの強力な悪夢をまき散らす連中が集まっている場所まで連れてきてくれたことに、頭を下げて感謝すべきかもしれない。まあ、そんなことをしなくても夢魔の方から報酬として夢をたっぷり要求するのは目に見えているけれど。
 鍵の掛かっていないドアのノブに良平はとびついた。
「何もしないでいるよりはずっとましだろ!」
 ドアを開けると、途端に鼻を突く埃のにおい。青白い光の中に、舞いあがる大量の埃に、良平はひどくくしゃみする羽目になった。何年も掃除していないことは明白。ここは空き家そのものではないか。青白い光は、埃だらけの木の床に残された足跡を照らしだす。足跡は廊下を通り過ぎて階段を上っている。良平は足跡をたどったが、不思議なことに、足跡は自ら光を放ち、良平を導いているようだった。同時に、先へ進むと、強い悪夢の気配も感じ取れるようになってきた。近くにいるのだ、ナイトメアたちが。階段を上ると、食堂兼リビングの部屋に入った。足跡は少し部屋の中をさまよった後、別の出口から出て行く。足跡はさらに続く。階段を上ると、より一層夢魔の気配が強くなり――
「あっ」
 良平は思わず声をあげた。
 外へ通じると思われるドアが開いており、そのドアの傍に、ブラックキャットがぶるぶる震えながら縮こまっているのだ。啓二はいない。ドアの向こうには、
「何だ、何もないぞ?」
 青白い光ばかりがあった。何もない。青白い光があるだけで、ほかには何も、ない。
 先ほど感じた悪夢の力も、夢魔の気配も、何もない。きれいさっぱり消えてしまっている。
「おい、なんでこんなところにいるんだよ」
 良平はブラックキャットの背中を触る。ブラックキャットは仰天して飛び上がった後、良平の方に向き直って威嚇した。
「ちょ、ちょっと待てってば!」
 ブラックキャットは今にもとびかかりそうなほど怒っていたが、やがて丸めた背中を伸ばした。落ち着いてきたのだ。
「触ったのは悪かったよ、でも、なんでこんなところにいるんだよ。お前の主は?」
 またブラックキャットは飛び上がる。だが今度は怒りではなく絶望を返した。
(ほろびのししゃガ、ツレテイッチャッタ……)
 連れて行った?
「つれていった? 連れて行ったって、どこへ」
 上から鳥の鳴き声が聞こえた。見上げると、シャドウホークがゆっくりと降下してくるところだった。
 ブラックキャットは警戒をあらわにし、良平は、シャドウホークの背に乗っている人物を見て、あっと声を上げる。白い衣装を身にまとい黒い仮面をつけた女。
「滅びの使者は、彼らを連れて行ってしまったわ。夢魔の世界にね」
 女はシャドウホークの背に乗ったまま、言った。
「夢魔の世界?!」
「そうよ。それも、ほかの夢魔が手出しできない、滅びの使者のすみかへ連れて行ったようなの。その場所は、ナイトメアですら手を出せないほど守りの堅い場所だそうよ」
 女はシャドウホークの背中から降りた。
「そして、誰も手出しできない要塞の中で、滅びの使者は自分の力を元通りにするために、清らかな魂を食らうつもりなのよ。ここへ連れてきた彼女の魂ともう一つ、あの井沢啓二の中にいる、麻奈の魂をね。さらに、ナイトメアの連れて行った主は、滅びの使者と契約を交わしていたの。滅びの使者に大量の悪夢を提供する代わりに、死んでしまった娘を蘇生させるという、大馬鹿なものをね。滅びの使者が完全に力を取り戻せば娘は蘇生できるはず、と思ったんでしょうね」
 ブラックキャットは身を震わせている。恐怖と怒りで体がピクピクしている。滅びの使者への恐怖と啓二が連れ去られたことへの怒り。良平は一方でただ呆然としているのみだ。そもそもこのベランダで起きたことを全く見ていないのだから、話についていけない。
 それでもやっと言葉を絞り出すことはできた。
「なんで、あんたそんなこと知ってんだよ。いや、そんな事を知ってるあんたは、一体何者なんだよ!?」
「お前に教える必要はないわ」
 女は冷たく言って、シャドウホークを夢魔の世界へ戻した。翼の傷ついたシャドウホークは、帰りたくなさそうだったが、しぶしぶ戻って行った。
「傷をいやすには、夢魔の世界へ返すしかない……しばらく戦力はダウンね。その間に滅びの使者が力をつけてナイトメアを率いて戻ってくるか、それとも彼らが無事に戻ってくるか……賭けでもしない?」
「ふざけんな!」
 良平は怒鳴った。それに呼応するかのように、彼の背後の空間がゆがむ。振り返った良平の体が何かにつかまれ、ゆがみの中へ引っ張り込まれた。
 レッドフェレットの前足だった。
(アッ!)
 ブラックキャットは、反射的にゆがみを追って飛び込んだ。レッドフェレットの向かった先、夢魔の世界に向かって。


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