第7話



「う、動いたっ!」
 ライチュウは思わず、卵からしりぞいた。卵は、ぴくん、ぴくんとわずかに動き、それで重心がずれたのか、ごろんと洞の中に横たわってしまった。もちろん、ライチュウを下敷きにして。
「わあああああっ!」
 突然の卵ののしかかりに、ライチュウは肝を潰して悲鳴を上げた。その悲鳴を聞きつけて、外を通りかかったポケモンが助けに来た。
「一体どうしたの、卵の下敷きになんかなってさ」
 助けてくれたのは、イーブイだった。卵を体で押しのけてやる。ライチュウはぶるっと身震いした。
「だ、だっていきなり卵が動いてさ、倒れてきてさ……」
「卵が動いたって? そんなばかな〜」
「ホントだってば!」
 ライチュウは頬を膨らませる。イーブイはふさふさのしっぽを振りながら、ライチュウと卵を交互に見つめた。だが、どうやらライチュウが押したから卵が動いたのだという結論に達したらしい。
「割れなかったとは言え、あんまり乱暴しちゃいけないとおもうよお」
 そしてイーブイは洞から出て行った。ライチュウはまだ頬を膨らませたままだったが、やがて気を取り直して、木の実採りに出かけた。
 チーゴの実、カゴの実、ヒメリの実を長い尾で叩き落とし、腕一杯に抱えて自分の住処へと戻る。そこへ、ブリーの実で口の周りを青紫色によごしたままのピイがやってきた。小さな可愛らしい手の中に、ナナシの実を握っている。巣穴から顔を出したライチュウは、ピイの口の周りを葉っぱでぬぐってやった。
「ピィはね」
 ピイは口を開く。ピィとはこのピイの一人称である。
「あの卵、だいすきだよ」
「へえ、そうなの。でもアブソルが危ないって言ってた」
「でもね、ピィね、そうはおもわないの。ピィにはわかるんだよ、この卵が、ほんとはあぶなくないってこと」
「え?」
 ライチュウは目を丸くした。
「だって卵がね、ピィにいうんだよ、『楽しいね』って。うれしそうにいうんだよ」
 ピイはピッピの進化前の姿である。ピッピは月から来たと噂されているが実際は定かではない。が、本当に月から来たのであれば、地球のポケモンにはない力を何か持っているのかもしれない。
「あの卵ね、たのしいことがだいすきなんだよ。だからね、みんながたのしいことしてるのを見るのがだいすきなんだよ」
 ピイは嬉しそうに話すが、ライチュウは口をぽかんと開けたまま、話を聞いている。
「だからね、あの卵はたのしいことがだいすきなんだよ。ピィね、しってるんだよ。卵がおしえてくれたんだよ」
 ピイはそれだけ言って、ナナシの実を片手に、ちょこちょこと走っていった。
 ライチュウは、ピイのあとを見送っていた。

 ライチュウは、卵を見に行った。
 日が当たらないので、卵は光らない。
「何かしゃべりかけてくるのかな」
 卵に直接耳をつけてみた。
 何も聞こえてこない。卵の中から誰かが直接しゃべりかけてくるというわけではなさそうである。では、ピイの言ったことは、嘘なのだろうか。
 ライチュウは嘘とは思わなかった。ピイの正直さは、渓谷の中でも良く知られているのだから。
 ライチュウはなおも耳を卵に当てていたが、内部から何かが動く気配も、中から物音の一つすらも感じ取れなかった。結局あきらめて、すごすごと住まいへ引き返したのだった。

 そうして日々は過ぎていった。アブソルの言った、卵がかえるまであと一日という日である。結局ポケモンたちは、卵に関して何の意見も出さなかった。壊すことが出来ないのと、卵から生まれてくるポケモンが全ての生命を奪う危険な存在だというアブソルの話をあまり信用していなかったからである。のんきとも平和ボケともいえる。ポケモンたちは日々の暮らしを楽しみ、卵を見に来る者はいなくなったものの、渓谷は常に笑い声であふれていた。
 毎日のように曇り空が続いていたが、今日は、どんよりとした空から、大粒の雨が降ってきた。この時期には雷雨が起こりやすく、ポケモンたちは皆、雨が止むまで住処の中でじっとしていることがおおい。
 ゴロゴロと、遠くで雷の音を聞きながら、ライチュウは雨が止むのを待っていた。雷は好きだが、雨はあまり好きではなかった。寝床代わりの草の上にごろりと寝転がって、尻尾をぱたぱた振って、頬の電気袋からパリパリと電気を出しながら、時間を潰していた。
「早く止まないかなあ」
 ピカッと空が光り、暗雲を引き裂いて、稲妻が現れる。続いて大きな雷鳴が聞こえてきた。
「近いなあ」
 ひとりごちた。
 雨は朝から降り続け、今はもう夕暮れであった。だが、辺りは明るく、夜が近いことを忘れさせようとしているかのようだった。
 ライチュウは稲妻がゴロゴロと鳴る音を聞きながら、うつらうつらしはじめ、やがて、眠ってしまった。

「雷雨か」
 渓谷を見下ろす崖の上で、雨に打たれながら、アブソルは空を仰ぐ。
「この日が過ぎれば、あの卵は孵る。だが――」
 アブソルは、あの謎の声のことを思い出していた。声がアブソルに告げたあのこと。アブソルには衝撃的だった。自分があの虹色に光る卵を追い求めてきたのは、世界の崩壊を防ぐため。だがあの声は、別のことをアブソルにささやいた。それはあまりにも衝撃的過ぎて、アブソルの従来の価値観がひっくり返るほどであった。
「あの卵に、そんな秘密があるとは……しかし……では私は何のためにあの卵を、追い求めてきたというのだ。それでは、私の為さんとしてきたことは、全て無意味なことではないか……」
 何かをためらうような表情。
 稲妻が空を引き裂いて、雷鳴がとどろいた。
 雨がいよいよ強く降ってくる。目を開けていられないほどに、風も強く吹き付けてきた。
「これ以上ここにいると、落雷にあうな。ひとまず雨宿りを……」
 渓谷のほうへ降りかけたとき、ひときわ巨大な稲妻が渓谷のほうへ向かうのが見えた。
 落雷が来そうだな。アブソルがそう思ったとき、辺りがピカッと光る。
 耳を劈くような音が聞こえ、その音によって地面がわずかに振動した。

 ガラガラ、ガシャーン!

 巨大な稲妻が暗雲を真っ二つに裂いて、渓谷へ落ちた。


第6話へ行く第8話へ行く書斎へもどる