第9話
「フー……」
ライチュウは、安堵のため息をもらし、頭を抱えて起き上がった。
「大丈夫、だよね。だよね? 生きてるもんね?」
先ほどの大きな雷は、転がっていく卵のすぐ前に落ちた。落雷の衝撃で、卵も、卵を追いかけてきたライチュウも、ともに吹っ飛ばされた。雷の落ちた場所は深く抉れており、大きな穴ぼこが出来ていた。ライチュウは飛ばされたものの、なんとか無事だった。
「そうだ、卵は?」
卵を探す。
「あった!」
稲妻の衝撃で吹き飛び、まだころころと卵は転がっていく。ライチュウは急いで卵の後を追った。ゆるい下り坂を転がる卵。足元の水溜りで足を滑らせながらも、卵に追いつこうとするライチュウ。
ごん、と音を立てて、木に卵がぶつかり、止まった。ライチュウは息を切らしながらも、老木の側に走った。
「あああ、やっと追いついたぞ」
安堵して、ライチュウはその場にへたり込んだ。救助活動と追跡活動によって消耗された体力は、この場で完全に使われてしまい、疲れきったライチュウから最後の活力を奪う。
「ちょっと休んでから行こう……」
アブソルは、先ほどライチュウと別れた場所へ戻ってきた。だが、ライチュウはいない。
「どこへ行ったというのだ。この雨の中を……」
辺りを見回し、やがて、雨で洗われかかった足跡を見つけた。大きさと形からしてライチュウのそれに違いない。アブソルは足跡を見失わないように気をつけて、さらに前方の木々にぶつからないようにしながら、小走りに走る。
「大丈夫かのう」
アブソルの背で、ヨルノズクは疲れたような声で言った。ピイは既に安全圏に避難させてある。
「大丈夫かどうかはわからぬ」
アブソルはそれだけ答えて、また走る。
やがて、穴ぼこを見つけた。
「先ほどの落雷によって出来たものだろう。だが、ライチュウの姿が見えぬ。どこへ行ったのだ……」
穴の周りを調べると、何かが倒れたような跡がある。草が不自然な向きに倒されているのだ。草の跡をさらに調べると、踏みにじったような跡が点々と続いている。ライチュウの足跡だろう。
アブソルはその跡をたどって走る。雨がまた叩きつけるような勢いで降り始め、視界が利かなくなってきた。だが、アブソルは速度を落とすことなく走った。
「まずいぞ、また雷が――」
言いかけるヨルノズクを、アブソルは制した。
「皆まで言わずとも分かっている。だから急いでいるのではないか!」
卵の側で、ライチュウは休んでいた。木の枝葉が屋根となり、雨を防いでいる。雨はますます強くなってきている。まだライチュウは疲れが取れていない。
「ああ、疲れた……」
卵に体を持たせかける。つるつるとした感触が気持ちいい。
ぴかっと閃光が走り、続いて耳を劈くような音が聞こえる。大丈夫、あれは落ちていない。ライチュウはそう思ってため息をついた。
『……カミナリ、オチタ?』
「落ちてないよ、大きかったけどね」
返答してから、ライチュウは目を大きく見開いた。
誰が、話しかけてきたの?
ライチュウはきょろきょろした。が、周りには、卵のほかに、誰もいない。だが気のせいというわけでもなさそうだ。
『カミナリ、オオキカッタノ?』
今度の声で、ライチュウは、声の出所が卵だと知った。
「卵が、しゃべった……?」
卵が、ぐらっとゆれた。
『ネエ、カミナリ、オオキカッタノ?』
倒れ掛かってくる卵を、ライチュウはとっさによけた。卵はごろんと地面に転がった。
「しゃべった、しゃべった……」
ライチュウが身を震わせていると、誰かが駆けてくる足音が聞こえた。
「大丈夫か、ライチュウ!」
アブソルが、背にヨルノズクを乗せて、現れた。ライチュウはアブソルが来てくれたことで安堵した。だがそれよりも、目の前の卵の方が重要だった。
「たまご、卵、しゃべったよ……」
ライチュウの途切れ途切れの言葉を、アブソルはちゃんと意味を汲み取った。
「卵が、しゃべったのか?」
ライチュウはうなずいた。アブソルは慎重に卵に近づいて、耳をつけてみた。
「……」
その表情が驚きに変わる。
「聞こえるぞ……声がする」
「で、でしょ?」
ライチュウはまだショックから立ち直れないままだったが、アブソルに確認を取ることは出来た。確かに卵から声がすると、アブソルも認めたのだ。
「何の声なの?」
「それは知らぬ。だが、私に語りかけてきたぞ、『雷は落ちたか』と」
アブソルが言い終えると同時に、稲妻が光り、雷鳴がとどろいた。あまり大きくないし、遠い。落ちてはいないだろう。
だが、ここにいる皆は、雷のことなど眼中には無かった。
「この卵、どうしよう……」
「どうしようと……お前が運び出したのだろう?」
「そりゃ分かってるよ。でも、どこへ持ってけばいいかな? 考えないうちから卵が転がっていったから――」
「安全圏は?」
「それは、この先にあるわい」
ヨルノズクが言った。
「ここは渓谷の端っこ。ここを真っ直ぐ進めば、森の外に出られる」
「そうか」
ライチュウはやっと立ち上がることが出来た。
「とりあえず、転がしていこう」
卵の謎は後回しにし、今は雷の届かない場所へ避難するほうが先決だった。
渓谷の森の外に出ることが出来たのは、それから十分後だった。アブソルとライチュウが交互に卵を転がして、どうにか運び出した。森の外には草原が広がっている。ここに避難しているポケモンは誰もいない。他の場所へ行ってしまったようだ。
「あー、疲れた」
ライチュウはため息をついて、座り込んだ。
「まだ安心はできぬぞ」
アブソルは空を見上げた。雷雲はまだ渓谷を覆い、しばらく留まるつもりらしかった。雷雲の中で稲光がうごめいている。
草原の端には、古い樫の木が立っている。かなり年老いた木である。
「とりあえずあそこで雨宿りしよう」
樫の木の、枝の下は、上手い具合に屋根代わりとなった。
ライチュウは卵を幹にもたせかけ、卵に耳をつけてみた。
「……なんにもしゃべらないよ」
「すぐにしゃべるとは限らぬだろう」
アブソルは言って、体をぶるっと震わせて毛皮についた水気を払った。
雨はまた強く降り始めた。
「止みそうにないね」
根の上に腰掛けて、ライチュウは呟いた。
「そうだね」
答えた。
「ねえアブソル――」
アブソルに話しかけようとして、ライチュウは気づいた。
さっきの答えはアブソルではない。アブソルの方が怪訝な顔をしてライチュウを見つめていたからだ。
「……」
しばしの沈黙。
「雨はまだ降るよ」
誰かの声。皆、声のしたほうをとっさに振り向いた。
「あっ!」
卵の上に、ポケモンが座っていた。ライチュウはそのポケモンをみて、目を丸くした。
「君は――」
何度か会っているが、なぞめいた言葉を残して消えたポケモンである。薄いピンクの体、細長い尻尾、透き通るような水色の目、ちんまりした手とそれに反する大きな足。
「やあ、ライチュウ。また会ったね」
今度はアブソルが目を丸くする番だった。
「その声は――」
渓谷の崖の上にいたとき、アブソルに話しかけてきた、姿なき声。このポケモンの発する音声と一致していた。
ポケモンは卵の上に座ったまま、脚をぶらぶらさせる。
「卵を守ってくれてありがとう。この卵は、この渓谷で孵化させるのに必要だったから、ここへ置いてきたんだけど、守ってくれて嬉しいよ。途中で壊せ壊せって言い出すから、どうなるかと冷や汗をかいたけどね」
なぜこのポケモンは、渓谷でおきたことを知っているのだろうか。いや、それ以上の謎は、このポケモンがこの卵を渓谷においてきたという事だった。
「置いてきたって、どういうこと……」
「そのまんまの意味だよ。この卵はどうしてもこの渓谷で孵化させたかった。ポケモンたちの笑い声に満ち溢れているからね。人間のいるところでもよかったけど、人間達は小うるさいし、卵を何かの実験材料に使われちゃ、こっちが困るから」
ポケモンはそう言って、宙に浮く。そして、水色の瞳をくりくり動かし、自己紹介した。
「ボクの名前は、ミュウ」
第8話へ行く■最終話へ行く■書斎へもどる