第3章 part2
アレックスに手紙の返事を送ったニッキーが嬉しそうな顔で屋敷の中を跳ね回っている間、ヘンリーは会社に出社して仕事をする。公私混同は極力避けているので、仕事中は恋愛のことを一切考えない。出社してすぐにヘンリーは記者たちの持ってくる記事攻撃を受ける。ヘンリーは記事を読み、ダメ出しをするかOKを出す。薬局爆破事件の犯人がやっと逮捕されたニュースが世間を早くも騒がせているので、各地の新聞社はこぞって事件の詳細を報道するために躍起になっている。ヘンリーは全部の記事に目を通し、電話で他の記者たちの声を聞き、忙しい一日を過ごす。スクープのあった日はほぼ徹夜に近い状態。何も事件が起こらなければ早く帰宅しても問題はない。取引先との話し合いは社長たる父に任せていればいい。だが、平和ばかりが続けば新聞の売り上げは落ちてしまう。事件はそんなに頻繁に起きてほしくはないが、売り上げが落ちることを考えると、起きてくれたほうがいいかもしれない。
「さあ、気合を入れないと! 犯人が捕まってからが本番だ!」
ヘンリーは栄養剤を腹におさめ、仕事を再開した。今夜は帰れないことを覚悟して。
不安と恐怖の渦を作り出した薬局爆破事件の犯人が、やっと逮捕された。滅亡主義者の幹部の一人だった。
社内にほっと安堵のため息が漏れ、続いて、記者たちが一生懸命ペンをガリガリ紙面に走らせて記事を書き上げる。編集長に一斉に記事を見せに行く。書き直しあるいはOKをもらって持ち場へ戻る。輪転機が激しく稼動し、何万もの新聞を刷り上げる。夕方に差し掛かる頃にはアルバイトたちが新聞を配達する。だが仕事はまだ終わらない。記者たちは警察や病院に行き、社内に残る者は電話の対応に追われる。他の社員よりもヘンリーの仕事量のほうがはるかに多かったのだが、ヘンリーは黙々と仕事をこなし、電話に出て、記者たちの持ってくる記事や資料に次々と目を通していく。
「ところで」
彼は記者の一人に問うた。
「資金調達および爆発物関連の購入について、『犯人は資金調達のためグループで銀行を襲った』と書いているが、先日の銀行強盗と同じ人物がやったのかい?」
「はい! 警察側もそのように発表しています」
「……警察の発表が何から何まで正しいわけじゃないぞ? もう少し深いところまで調べてくるんだ。警察の発表が本当に正しいのかをね。インタビュー責めで自殺者を出してしまった《ネイチャーズ》の二の舞にはなりたくないだろ?」
「わ、わかりました……」
その記者は記事を突っ返され、背中を丸めて外へ急いで出て行った。
ユリは記事編集の手伝いをしていた。これで二時間以上もかかっている。それというのも、ひとつ記事が仕上がってもすぐ次の記事の編集を頼まれ、編集が終わってもヘンリーに書き直しを命じられるからだ。やっと全部の記事が輪転機にかけられたのは深夜三時過ぎ。一段落ついて、社内の者たちはほっとした。だが、それもつかの間だ。夜が明ければまた取材が始まる。他の新聞社よりも早くネタを掴まなくてはならない。
アルバイトたちに朝刊を渡した後、会社員は帰ったが、ヘンリーだけが残って決算の書類に目を通していた。それまでずっと記事に追われていたからだ。
リリリリリ。
電話の鳴る音。ヘンリーは電話を見たが、すぐに隣のファックス機を見る。紙がのろのろと機械から吐き出されてくる。遠方に取材に出ている記者が、調査の結果を送ってきたのだ。ヘンリーはそれを確認後、書類にはんこを押して、戸締りをした。家には帰らず、仮眠室へ向かう。服をしまう戸棚、と寝台、そしてシャワー室があるだけの簡単な部屋だ。だが、寝台の一つには小さなコードレスフォンが備え付けられている。これは寝ていても電話がかかってきたら受け取れるようにするためだ。ヘンリーは上着を脱いで寝台に転がり、部屋の明かりを消して眠りに着いた。
朝が来ると、七時前にヘンリーは目を覚ます。シャワーを浴びて眠気を払い、服を着替え、戸締りしたのを開ける。食堂に備え付けてある夜食用の栄養剤を腹に詰め込み、誰が食べたのかをリストに書く。自宅に戻れば美味い食事が取れるのだが、今は戻っている暇はない。自分のデスクに向かうと、ファックスが何通か着ている。夜、調査した資料を送ってきた記者からだ。ヘンリーはそれらに目を通した後、新しく記事を自分で書き始めた。
突如、外から怒鳴り声が聞こえた。ヘンリーは立ち上がり、ペンとメモ帳を反射的に引っつかんで近くの窓を開ける。そして怒鳴り声の聞こえてきたと思われる方向に首を向ける。朝日が差し込んできてまぶしかったが、すぐ目は慣れた。
ヘンリーが見たものは、会社の前の道路でおきた喧嘩だった。野生動物保護官数名と、よれよれの服をまとった労働者風の中年男たちが取っ組み合っている。出勤途中の会社人や通行人が何人か集まってきている。喧嘩を見ている者、もっとやれと煽る者、何とか止めにはいろうとしている者、通報しようと駆け出していく者……。ヘンリーは通報も忘れて、喧嘩の様子を速記でメモしていた。ののしりあいの内容からして、どうやら野生動物保護官がパトロールをしているときに、中年男たちが絡んだのが原因らしかった。喧嘩は五分も経たないうちに周りの通行人たちがやっと止めに入ったことで無理やり終わりを迎え、さらに数分後には警官たちが駆けつけてきたことで騒ぎそれ自体がやっとおさまった。警官が事情を聞くと、パトロールしているのにあの薬局爆破を防げなかったと言われ、その時虫の居所が悪かったらしい野生動物保護官たちが先に手を出してしまい、殴り合いに発展したようだ。
結局、喧嘩した者たちは警察署へ行く羽目になった。
「こりゃあ、野生動物保護警備隊の評判はさらにガタ落ちだな。こんな騒動起こしたんだから」
メモを取り終え、ヘンリーは呟いた。
パトロールしていた野生動物保護官たちが逮捕されたニュースは、またしても電光石火のごとく町中に広がった。町中をうわさが駆け回り、記者たちも同じく町を走り回る。治安を守るべき野生動物保護官が騒動を起こしてしまったのだから、当然といえば当然。ヘンリーは自分自身が目撃者なので、喧嘩が起こったときのメモを渡して、状況を簡単に己の記者たちに話して聞かせ、記事を書かせた。事件は一面を飾り、前日の一面を飾った爆破事件犯人逮捕の記事は二面で扱われることとなった。
逮捕者が出た、野生動物保護警備隊基地。
配達された号外を読んだ隊員たちの間にもどよめきが走った。
「いくらなんでも殴りあいするなんてひどいわ」
「だがあのパトロール隊は、猛獣のいるA区担当だぜ? あいつらが逮捕されたら、A区を誰が見回るんだよ。A区を見まわれるほど経験のある隊員なんて……。それに、あの区は猛獣に襲われやすいし、色々あってストレス溜めやすいって聞いてるし、爆発するのも仕方ないだろ」
「だからって町中で醜態さらすなんて。これは向こうが悪いよ」
「でもなあ。ハンターたちに今まで以上に動物たちを盗まれて、おまけに大きな町のパトロールまでやってるのに非難されちゃ、たまらんよ」
擁護する者、非難する者、隊員の間で意見は真っ二つに分かれた。基地の内部は、噂の伝達と同じくらいの速度で険悪な雰囲気に包まれていった。だが、その中でも、一つだけ皆が口をそろえて言う意見があった。
「我々がこれほど困っているのに、上層部は何もしてくれやしない」
上層部の耳には、この事件はなかなか入ってこなかった。なぜって、彼らは一般市民の起こすことには全くといっていいほど関心を払っていないからだった。上層部の者たちが関心を払うのは美味い酒と菓子、暇つぶしのゲームのことだけ。基地の上層部にいること自体本当は嫌なのだ。
「あらあら、下々の連中が何か騒ぎを起こしたみたいねえ。でも、どうでもいいわ、そんなこと」
「だがそんな事はどうでもいいだろう。久しぶりにカードをやらんか?」
「いや、それより議会から何かうるさく言われているだろう。そっちを片付けよう」
秘書の持ってきたリストには隊員たちの名前が記されている。中には赤インクで記されているものもある。
「これ以上隊員を消すと怪しまれる、とさ。ばかばかしい。連中は一般市民なんだから、こっちが何をしようとも手出しは出来ないよ。除隊だって言っとけば済む。怪しんだとしても、それがどうだっていうんだ、全く心配性な連中はこれだから困る」
「そうだよな。議会は警察のトップでもあるんだし、ちょっとみやげを渡して説得すれば、こちらに捜査の手を及ばないようにしてくれる。所詮、あのじじいたちは金と地位が大事なんだよ」
会議室内に笑いが満ち溢れた。
一方、基地の周辺には記者たちがつめかけ、上層部か隊員に何とかインタビューできないかと人垣を作っていた。そのため、隊員たちは自然保護区への見回りのために外へ出る事も出来ない有様だった。一般人は基地内への立ち入りを禁止されているため、記者たちでさえ中に入ることはできない。それだけが、隊員たちの唯一の救いだった。何か起こるたびに記者たちが大勢突撃してきて基地の周辺を取り囲み、何とか取材しようと待ち構える。そうなるともう見回りどころではなくなるのだから。町の見回りをしなくていいのはありがたいことであったが、自然保護区の見回りだけは欠かせなかった。ハンターを見つけるだけでなく、動物たちに餌もやらなくてはいけないからだ。
それにしても、ほとぼりが冷めるまであとどのくらいかかるのだろうか。隊員たちの気は重くなっていき、不満も今まで以上につのりはじめた。
夕刊が届く頃、記者たちの数は少し減っていたものの、それでも帰社する気配はなかった。
C区に鋭い指笛が響き、しばらくするとウサギたちがたくさん集まってきた。アーネストはそのうちの何匹かを抱き上げ、ケージに入れる。ついてこようとするウサギたちをしっしっと追い払い、通信機のスイッチを入れる。
「終わったぞ。転送しろ」
相手からの返事はなく、彼は一瞬後、はるか上空にある飛行艇の中へ転送されていた。捕らえた動物たちを入れておくためのその狭い部屋は、いつも動物くさい。ケージのウサギたちに餌と水をやり、彼は操縦室へ戻る。自動ドアが開くと、その向こうには操縦室。彼が自分の席に着くと、H・Sは無言のまま操縦桿を握った。機体はカメレオン・バリアで姿を消しており、エンジン音を聞かない限りは見つかる事はない。滑るように飛行艇は目的地へ向かった。
(取引も捕獲も、俺ばかり外へ出すようになったな。俺が警備員や野生動物保護官に捕まっても、機内へ転送せずにそのままほったらかすつもりなんだろう。弱みを握った厄介者がいなくなるわけだから、こいつにとっちゃ都合がいいだろうしな)
ちらりとH・Sを横目で見る。彼は無言で前方を睨みつけている。だがその体は固く、どこか緊張しているようにも見えた。
やがて取引場所に到着する。アーネストは操縦席から立ち上がり、操縦室を出て行く。ドアが閉まって初めて、H・Sは安堵のため息をついた。
(奴といると神経が磨り減る……。さっさと基地に引き渡してしまうべきだろう、そうすればこっちが楽になる。だがなあ……)
爪をかんだ。
(奴が基地や議会の連中に渡ったとき、『こちら』の事を喋るかもしれない。奴はそんなに深くは知っていないが、それでも議会の連中に『こちら』のことを探る糸口をつかまれるわけにはいかない。そんなことをされたら、我々だけじゃない、義父さんも――)
ピー、と耳元で鋭い音が聞こえ、H・Sは我に返った。モニターを見ると、取引はもう終わっていた。アーネストが転送の合図を送ってきている。H・Sは転送スイッチに手を伸ばすが、数秒間、その手は空中でためらいを見せた。だが再びピーと催促されたので、H・Sは苦い表情でスイッチを押した。
操縦室のドアが開いた音がした。H・Sの体は固くなり、緊張する。アーネストはそのまま歩いてきて自分の操縦席にどっかと腰を下ろしたので、H・Sはほっと安堵のため息をついた。
「出発するぞ」
エンジンが強く火を吹き、飛行艇はさらに高いところへと上昇した。
ヘンリーは受話器を取って記者の報告を聞いていた。野生動物保護警備隊の基地はどうしても入る事が出来ない。そのため、ヘンリーは記者に喧嘩相手の労働者たちの身元調査をさせていたのである。記者の報告を速記でメモし、記者にねぎらいの言葉をかける。
「よし、ありがとう。それなら、今夜は署の近くのホテルに泊まってくれ。そこならファックスも使える。調査が終わり次第、記事にして社に送ってくれ」
記者は了解し、電話を切った。だがヘンリーが受話器を置くや否や、リリリとやかましく呼び出し音が鳴る。だが今度はファックス。他の記者が送ってきたものだ。ヘンリーはそれを読んでから満足そうにうなずく。その後も次から次へとファックスや電話がヘンリーの元へ押し寄せてくる。ヘンリーは慌てず対応し、次々に捌いていく。
社員は皆忙しく働き、新聞を輪転機にかけて印刷を開始したころには夜中三時となっていた。新聞が全部刷り上ると、皆一段落のため息をついた。
「皆ご苦労様、仮眠を取ってくれ」
ヘンリーが声をかけると、皆安堵のため息を漏らした。
社員があらかた帰ってしまうと、またヘンリーは一人残る。記者たちがまだ何か送ってくるかもしれないからだ。一人で仕事をする。四時になったら寝ようと思いながら。
欠伸をしながらペンを走らせていると、電話が鳴った。記者からだろうと思って受話器を取る。
「はい、こちら《アース新聞》……」
最後まで言わせず、声が聞こえてきた。だがそれは記者の声ではなかった。
「今すぐ記事を書くのを止めろ!」
「えっ……」
「この傷害事件を扱うのを今すぐ止めろと言っているんだ! さもなくば貴様の会社を爆破するぞ! いいな!」
異様に野太い声の相手はガチャリと乱暴に電話を切った。
「……」
ヘンリーはしばらく受話器を握り締めたままの格好でいた。だがしばらくすると落ち着きを取り戻した。
(今のは、いたずら? それとも脅し?)
とりあえず警察に電話した。夜勤の警察官が二名飛び込んできた。ヘンリーは電話の内容について説明し、警官は電話の回線から先ほどの電話番号を逆探知した。
「駄目ですね、これは公衆電話からかけてます。これでは誰が電話をかけたのかつきとめられませんよ。会社の社員の方がいたずらでかけたのではないですか?」
「いえ、記者たちはこの時間帯ではホテルからかけてくるんです。……電話の相手は確かに言ったんです。この傷害事件を扱うのをすぐに止めろ、さもなくば会社を爆破する、と。いたずらなのかそれとも本気なのかわかりませんよ……爆発物の有無だけでも調べていただけませんか?」
「そうですね。ところで、朝刊はどうなってます? これから刷るんですか」
「すでに全部刷った後です。アルバイトたちにはもう渡してしまいました」
「配達はもう始まっていますか?」
「場所にもよると思いますが、まだのはずです。配達をいったん止めさせたほうがいいでしょうか」
「そうですな、爆発物を探す間、止めてください」
ヘンリーは、社宅のアルバイトたちの部屋に電話を立て続けにかけ、配達を一旦待つように指示を出した。幸い全員が部屋にいた。警官たちは応援を呼び、会社の内部と周辺を歩き回って爆発物を探す。だが何も見つからない。社宅周囲を探すが何も見つからない。ヘンリーは社宅の者全てに電話をかけてたたき起こし、寝ぼけ眼の社員たちに事情を説明する。社員たちの目はたちまちぱっちりと覚めてしまい、今度はおびえ始めた。警官たちは急いで社宅の内部を歩き回り、爆発物を探す。だが、見つからなかった。
会社の電話がけたたましく鳴ったので、ヘンリーはいったん会社に戻る。そして受話器をとった。
「もしもし、《アース新聞》ですが」
電話の向こうから、くぐもった声が聞こえてきた。
「今朝の傷害事件を載せた新聞、配達してしまったのか?!」
あの脅しをかけてきた謎の人物とは別のようだが、ヘンリーは返事した。
「いや、まだだ……」
入ってきた警官の一人が、ヘンリーの手招きに気づいて、電話に逆探知用装置を素早く取り付ける。そして会話を促す。
「目的は何なんだ?」
「お前に教える義務はない」
電話の向こうの相手は、馬鹿にした調子で話す。
「その記事の掲載だけじゃない、調査や取材、一切を止めろ。先ほども仲間が電話をしただろうが、もしこれ以上この事件を載せようとするなら」
突如、外で爆発音が聞こえた。外で社員が悲鳴を上げる。
「こんな目にあうぜ。お前さんのライバル会社《デイリーペーパーズ》の成れの果て。次は、お前たちの番だ!」
電話の向こうで笑い声が聞こえた後、電話は切られた。だがヘンリーは気がついていなかった。警官と一緒に、窓の外が少し明るく燃え上がるのを見ていたのだから。
翌朝、《デイリーペーパーズ》本社の謎の爆発が、他社の新聞に派手に書きたてられた。だが不思議なことに、昨日の野生動物保護官の起こした事件については、どの新聞も触れていなかった。
《アース新聞》は、急遽朝刊の一面記事をこの爆発事件についての記事に書き直し、朝日が昇るころにやっと配達させることができた。ヘンリーは各地の記者に電話で連絡し、昨夜起こったことを話した。社の皆に危害を加えるわけにはいかないので、この傷害事件からはどうしても手を引かなくてはならないと話したときの、相手の残念そうな声。せっかく追いかけていたのに諦めなくてはならないなんて。
これは他の新聞社も同じだった。どの新聞も、昨日の傷害事件を扱うのをやめてしまった。どうやら他の会社も、ヘンリー同様に何者かから脅迫されたようだった。
もはや町中だけではない、新聞社やラジオ局にいたるまで不安と恐怖の空気が重く垂れ込め始めてきたのだった。
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