第1章 part1



 よく晴れ渡った空。緑日の月のある日。ユトランド地方オーダリア大陸側の町フロージスのエアポートへ、東の国からの飛空艇が到着した。
「ここがユトランド……」
 ひとりの、東国の旅の服に身を包んだ女性が飛空艇から降りる。歳は二十歳前後といったところで、その顔からは幼さが抜けきっていない。また服が汚れていないところから、旅慣れぬ身であるとわかる。護身用なのか、腰にはやや短めの刀を帯びているが、これには使いこまれた跡がある。
 彼女は、脂っ毛の無い綺麗な黒髪を後頭部で束ねているが、それが風を受けて、さらさらと流れた。だが彼女は、乱れた髪を手櫛で整える事もしないで、周りを見た。
「ここが、叔父上のいるところ――」

 コウタロウの娘アユミがユトランドの地を踏む半年ほど前、この地で長く活動していたクラン「ガードナー」が解散した。そのクランのリーダーをつとめていたのは、東国出身の剣士シンイチで、アユミの、父方の叔父だ。
 コウタロウとシンイチとの間には九つの年齢差がある。コウタロウは二十歳の時に結婚し、二二歳で長男を、二四歳で長女を、三十歳で次女アユミをもうけた。今、アユミは今年で二十歳になり、父は五十歳になる。ならば叔父のシンイチは四十一歳になるはずだ。
 アユミは、生まれてから一度も、叔父の顔は見たことがない。家に残っている家族写真を見て、少年時代の顔を知っている程度だ。だが叔父シンイチの剣士としての噂は、確かにアユミの故郷にまで届いている。ユトランドでは一、二を争う腕を持つ凄腕剣士であり、実際に何人もの猛者が挑戦しては、返り討ちにあっていると言う。一時期は「剣聖フリメルダを越えている剣士ではないか」とも、ユトランドでは噂されていた。が、半年ほど前のクラン解散後から、シンイチの活躍のうわさはさっぱり流れなくなってしまった。流れてくるのは、クラン解散後の彼の行方についてで、いずれも憶測のものばかり。異国へ修業に行った、故郷に戻った、云々。だが後者の噂は間違っている。シンイチは故郷へ戻っていないのだ。
 アユミが異国ユトランドへ来たのは、十六歳で修業のために旅立ち今もこの地方にいるかもしれない叔父を訪ねることと、自身の修業――ではなく「異国の観光」のためだ。
「異国から故郷にその噂が届くほどの剣士になった叔父上。どんな人なのかしら。もしここに滞在してるなら、ぜひともお会いしてみたいわね。それに、もしかしたら、私の腕をみてくださるかもしれないわ。でもその前に、このユトランドももっと知りたいわ。せっかく来たんだから、存分に楽しまないとね」
 大勢の乗客たちに混じってエアポートから出たアユミは、意気揚々とフロージスの町へと足を踏み入れた。

 フロージスの町は、夏のようにカラリと暑かった。石づくりの町並みを抜けていくと、急な段差のある小高い場所に出る。そこには湧水があって、小さな川となって町へと流れていた。町をところどころ流れる小川がさらさらと気持ちの良い音を立てている。石づくりの道を歩いていくと、小さな市場がある。果物や野菜のような食料を売ったり、とても小さなスペースで占いをしていたり。行き来している人々を見ているだけでも楽しい。アユミは、近くの屋台で焼きナッツを一袋買って、ベンチに座って、良い香りのナッツを食べながら、町を歩く人々や周りの建物を眺めた。東の故郷とは、色々なものが、全く違う。新鮮な驚き。カルチャーショックというものを内心受けながらも、彼女は観察を止めなかった。
 広場の時計が、夕方を告げる。空はオレンジに染まりつつあった。ナッツを食べ終えたアユミは、このユトランド地方オーダリア大陸側の地図を買うためにショップへ入った。ちりんちりんと、扉に付けられた鈴が、彼女の入店に合わせて、綺麗な音を立てて鳴る。
「いらっしゃいクポ」
 歳をとったモーグリの店員がアユミに声をかける。故郷とは異なる店のレイアウトに、アユミはしばし目を丸くして店内を見渡した。その様子に、再びモーグリの店員が話しかける。
「何かお探しクポ、東の国のお嬢さん?」
「あ、ええっと、地図がほしいんです。この辺り一帯の……」
 それから十分ほど経ってからアユミは店を出た。その手には、地図のほかに小さなぬいぐるみや瓶詰めのガラス玉もあった。店員にあれこれ勧められるうち、土産物もついでに買う羽目になったのだ。
 アユミは地図と土産物を抱えたまま、宿をとる。今日はユトランドに到着したばかりなのだから、体を早めに休めようと思い、すぐ部屋に入った。ベッドに正座して、買ったばかりの地図を布団の上に広げる。故郷で座布団に座る時の習慣をベッドにも適用してしまっているのだ。
「確かユトランド地方は、オーダリア大陸とロアル大陸に別れているのよね。で、私がいるのが、オーダリア大陸の方」
 アユミは、ぶつぶつ言いながら、現在地を地図で確認。ユトランド地方のオーダリア大陸側西端の町、フロージス。その西にはサンダルサ断崖がある。東は平原と湿地が広がり、そのさらに東には廃坑となった山が連なる。やや南には砂漠、さらに南下すると、海を隔てて、機械化技術の発達した町ゴーグがある。ゴーグへは北の橋を渡るか、西のネーズロー地下道を通過して行くことができる。ユトランド地方はここまでで、その東は別の国の領土になっている。高い山を国境代わりにしているのだろう。
「この大陸だけでも、結構冒険のやりがいがありそうね。国にはいない魔獣もたくさん生息しているかもしれないわ。明日は、この町の北に在るカノル砦ってところまで行ってみよう。古い遺跡だって見てみたいし」
 アユミは、外がすっかり暗くなるまで地図とにらめっこをした。それから宿の食堂で焼き魚を食べて空腹を癒す。そこで旅の疲れが出てきたのか、小さな浴場で体をざっと洗った後、部屋に戻ってすぐに眠りに落ちていった。

 翌朝、よく晴れ渡った青空には雲ひとつない。太陽が高く空に昇るまでぐっすりとアユミは眠っていた。旅の疲れか、すっかり朝寝坊してしまったのだ。見慣れないこの部屋をねぼけまなこで見まわして、ここは一体どこなのかとしばし混乱したが、ユトランドに来ている事を思い出す。
「あー、そうそう。そうだった」
 洗顔し、身支度を済ませてから、部屋代を払って宿を出る。
「確か今日は、カノル砦を見に行くんだったわね」
 人が大勢通りを歩いて行く。アユミは地図を片手に、目当ての場所へ向かって通りを進む。地図によれば、町を北に抜けてそのまま直進すれば見えてくるはずだ。
「ええと、こっちでいいのよね――きゃっ」
 立ち止まって目の前の標識を見あげたところで、彼女は誰かにぶつかられた。慌てて見ると、彼女の後方へ、人混みへちょこちょこ駆けて行こうとする、貧相な服装のモーグリ。しかしその手に握っているのは、
「あ、私の財布……!」
 そう、四角い形の財布が、モーグリの手に握られていたのだ。アユミは手の中の地図を握りしめ、泥棒を追いかけようと回れ右する。が、
「どうぞ。貴方の財布、取り返しました」
 人混みへ消えたモーグリと反対に、人混みから現れた一人の少年がアユミの財布を渡した。駆けだそうとしたアユミは眼を丸くし、しばし固まる。人混みの奥で「クポッ」と焦ったような声がしたのは気のせいか。
「あ、あり、ありがとう」
 それでもアユミは財布を受け取った。
 財布を持ってきてくれたのは、アユミと同じく東の国の着物に身を包んだ少年。歳は十五、六といったところで、背はアユミよりやや低い。身につけている暗色の着物はやや古びており、腰には、よく使いこまれた刀をふた振り帯びている。瞳は鮮血のように赤く、背まで届く長い黒髪を首の後ろで束ねている。見た目の割には妙に大人びた雰囲気があり、少し近寄りがたい。
 しかしアユミは自分の財布が戻ってきたことに安堵しており、少年を観察する余裕はなかった。財布の中身は取り出されていない。
「あの、お財布ありがとう」
「いいえ」
 少年はそれだけ言って回れ右する。その背中に、アユミは声をかけた。
「あの、ちょっと待ってくれる?」
 その呼びかけに、少年は応えて振り返る。その時のアユミの顔には、驚きと喜びが半分ずつ混ざっていた。
「あなた、私と同じ国(ところ)から来たんでしょう?」
「……はい」
 少年の顔には驚きも喜びも無い。だがアユミはそれに気付かない。
「よかったあ、同じ故郷(くに)の人がいるなんて嬉しいわ。あ、図々しいお願いなんだけど、もしよかったら、教えてもらえないかな、私の身内の事なんだけど。このユトランドに、私の叔父上がいらっしゃるかどうか知りたくて。もし知っていたら教えてもらえないかしら」
「どなたですか?」
「シンイチっていう名前なんだけど、聞いたことある?」
 そこで少年の体が強張った。アユミはその反応から、相手がそれを知っているものと思い、
「ねえ、知ってるの?」
 さらに突っ込んで質問した。相手は、
「知っていますが、ここ半年はその姿を見ていませんね」
 やや震えた声で返答した。
「ここ半年……。じゃあ一度も叔父上の姿を見たこと無いの?」
「は、はい」
 少年の返答で、アユミは、ふーっと大きく息を吐いた。残念そうに。視線がそれた時、少年の赤い瞳がさらに不気味に光った。が、アユミは気に留める余裕はなかった。
「そっかー、叔父上の噂は半年前から聞いてないけど、やっぱり他の所へ旅に出たのかなあ」
「……」
 そこでアユミは、目の前の少年に改めて気がつく。
「あ、ごめんなさい。ありがとう、叔父上のこと教えてくれて」
「いいえ。申し訳ありませんが、用事がありますので――」
「あ、そうだったの、ごめんなさい。本当にありがとう」
 少年は軽く会釈した後、回れ右して今度こそ本当に人混みの中へと消えた。


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