第1章 part2



 少年と別れた後、アユミは、カノル砦へ向かう道を歩いた。町から続くその道は観光用に整備されているらしく、石畳は凸凹しておらず歩きやすかった。
「あーあ。叔父上はこの地方にはもういないのかなあ。半年も見てないって言うし。でも、ただ単に人に姿を見られてないってだけで、実はどこかに隠居してるのかもしれないわね」
 カノル砦を見たら、町へ戻ってエアポート付近で買い物して行こう。そう思って、彼女はのんびりと道を歩いた。先ほどまでのがっくりとした感情はよそへ追いやられてしまったのだろう。今は、観光にスイッチを切り替えている。
「あ、あれね。カノル砦ってのは」
 町を出てしばらく歩いて行くと、遠くに人工物が見えた。風化した岩壁だが、それはあきらかに人の手によってつくられた壁だとわかる。この砦は、このように風化して礎を残すのみとなってからどれだけの年月が過ぎていったのだろう。また、この辺りには、亀に似た姿のタートル系魔獣が多く出ると地図に載っている。魔獣も砦を住処として使い、かじるなり何なりしてぼろぼろにさせていったのだろう。
 アユミは、カノル砦の石階段を上って城壁の上に立ち、周りを見渡した。いい眺めだ。広々とした荒野がひろがり、振り返ると、遠くにフロージスの町が見える。別の方向を見ると、妙にどんよりとしている空が眼に飛び込む。そのどんよりとした空のあたりにうかぶ雲も、雨雲のようにどんよりしている。
「変な空ねえ。あそこは何かしら」
 トラメディノ湿原。その方向から風が吹いてくる。妙に生臭く感じるのは、彼女の思い込みだろうか。行かない方がよさそう、とつぶやいて、彼女は地図に目を落とす。小腹がすいたので、旅の糧食として持ってきた干し肉をかじりながら、しばし彼女は地図と周りの地形とを交互に見ていた。
「機械の町ゴーグのからくり、今度はここを見てみたい! 同じ大陸に在るんだし、平原を通れば大丈夫よね。あの湿地、なんだかいやな感じがするから近づきたくないわ」
 アイセン平原を抜けて、ネーズロー地下道かクシリ砂漠を抜ければ、ゴーグの町にたどりつける。どちらのルートをたどろうかと彼女が考えていると、どこからか、ずしんずしんと、重い音が聞こえてきた。
「何かしら」
 顔をあげて周囲を見回す。今度は、先ほどはその場になかったものが、ゆっくりとカノル砦に近づきつつあった。
 亀に似た大型の魔獣で、その背中に背負う甲羅は、緑や金色に光っている。
 タートル種モンスターが三体、アユミを見つけて近づいてきているのだ。ずしんずしんという音は、魔獣の足音だった。
「亀の魔獣は、この国にもいるのね」
 アユミは立ち上がって地図をしまい、周りを素早く見る。紫の甲羅を持つタートルはいない。
「あれがいると、共振を使ってくるものね。いなくてよかったわ」
 剣が刺さった紫の甲羅を持つブレードキーパーは「共振」という特殊な音波を発し、刃物武器を持つ者の行動をしばらく不能にするのだ。それを防げるものを装備していればドンアクは怖くないが、隣接した場合、武器を噛み砕かれることがある。また、頑丈な甲羅を持つ分物理攻撃には高い防御力を誇るが、魔法の前では、その自慢の装甲は紙にひとしい。だがあいにく、アユミは魔術の修業など全くしていない。
 アユミは腰に帯びた刀を抜く。ランドタートル二体、アダマンタイトス一体。ちゃんと距離を取って戦えば何とかなるが、多数に無勢、油断は禁物だ。今のところ、近くに来ているのはランドタートル。アダマンタイトスは、まだ遠くにいる。
「カマイタチ!」
 アユミの放つ一陣の風が、ランドタートルを囲む。魔力で生まれた風の刃がその頑丈な甲羅をいともたやすく傷つける。刀で切りつけるよりも大きなダメージだ。
 カマイタチに怯んだランドタートルの脇をどしんどしんと通りぬけて、もう一体のランドタートルがアユミに突進をしかける。だが彼女はひらりと華麗な身のこなしでそれを回避、まるで舞っているかのような優雅さ。標的に逃げられたランドタートルは、そのまま正面の大岩に頭をぶつけた。ドゴッと鈍い音が聞こえ、大岩に亀裂が入る。そのまま動かなくなるが、どうやら気絶のようだ。
 怯みからたちなおったランドタートルが、頭を思い切りつきだして突進、ヘッドバットを喰らわそうとする。だが彼女は華麗なステップでその突進をひらりとかわす。このランドタートルも先ほどと同じく、大岩にぶつかり、眼を回してしまった。
「こいつらはとりあえず放っておこう」
 アユミは振り返り、ずしんずしんと足早に近づいてくるアダマンタイトスへ、カマイタチを放つ。小さな竜巻はアダマンタイトスの周囲を囲んで、風の刃が甲羅を傷つける。しかし、怯んだ様子が全く無く、アダマンタイトスはそのまま突進を仕掛けてきた。口を開けている。その顎は、鉱物でもあっけなく噛み砕きそうなほど丈夫そうだ。
 刀を砕かれてなるものか。
 アユミは再度カマイタチを放つ。今度は、アダマンタイトスの目の前に向けて。竜巻は土埃や小石を巻き上げて一時的にアダマンタイトスの視界を奪う。それでもアダマンタイトスは突進を続ける。だが、土埃の竜巻を突っ切った先に、標的はいなかった。先ほどのランドタートルよりは冷静なのか、突進の速度を緩めるアダマンタイトス。足を止めて周りを見回した。
「居合抜き!」
 背後からの声。同時に響くは、ひゅっと風を斬る音。
「ゴアッ……」
 アダマンタイトスの急所を刃が切り裂いた。
 絶命したアダマンタイトスが、派手に土埃をあげて、ズズンと地面に倒れる。アユミはそれの絶命を確認しようと慎重に歩み寄り――
 ひゅっと何かが空を切って、何かにずぶりと突き刺さった。アユミが振り返ると、ランドタートルの頭に、小さなものが刺さっている。クナイだ。このクナイはどうやら、動こうとしたランドタートルにとどめをさしたものらしい。
 クナイが飛んできたであろう方向を振り返るアユミ。
 少し離れた所に、さきほどフロージスで出会った少年がいた。彼がクナイを投げたのだろう。
「隙が多い……とどめを刺さずに何をしているんだ……」
 少年のつぶやきを、アユミは聞いていなかった。アユミは、彼がクナイを投げてランドタートルの背後攻撃から助けてくれたのだと思い、礼を言った。
「ありがとう、助けてくれて」
「いいえ。たまたま、ここに用がありましたので。通りかかったのは偶然です」
 少年はその言葉の証明のためか、手に持った小さな革袋を持ち上げてみせる。革袋の縁からは、草が覗いている。そうして、また回れ右しようとする少年を、アユミは止める。
「あの、待ってもらえる?」
 少年はそれに従った。
「ありがと」
 アユミは、改めて少年を見る。じろじろ見るのは失礼な事とちゃんとわかっているものの……。気になるのは少年の赤い瞳だが、それ以上に顔全体をじっと、見つめる。
「やっぱり、私の叔父上に似てるわねー」
 何気なく漏らした言葉だが、少年は身をこわばらせた。何か誤解させただろうかと、アユミは慌ててつけたす。
「あっ、ごめんなさい。誤解しないで。貴方が老けてるって意味じゃないのよ。ただ、私の家にある古い写真に載ってた、叔父上の幼いころに似ているって意味なの」
 アユミの実家にある、古い家族写真。そこに写るのは祖父母と父、叔母と叔父二名。それは、父コウタロウがまだ十七歳の時に写したものだ。当然、叔父のシンイチはこの時十にも満たぬ歳。
 今アユミの前にいる少年は、その写真のシンイチに似ているのだ。
 少年は怪訝な顔をした。
「他人の空似でしょう」
「だよね……あはは」
 きまり悪かった。アユミの笑いも、それを表している。当たり前だ。本来なら叔父は四十代のはず、こんな十代半ばの少年であるはずがないのだ。
「また、こんなつまらないことで引き留めてごめんなさい。ありがとう」
 もう行っていいのだと言う意思表示だと受け取ったか、少年は「御達者で」と言いつつ、回れ右をする。
「あ、これだけ教えてくれないかしら」
 またアユミは問うた。
「あなたの名前は?」
「シン……ジです」
「シンジ君?」
「は、はい」
「そう。私はアユミと言うの。これも何かの縁だし、また会うかもしれないもの。よろしくね」
「……よろしくお願いします」
 シンジと名乗った赤眼の少年は今度こそ、カノル砦を去った。
 
 アユミは、ランドタートルやアダマンタイトスから、換金できそうなものを採り、フロージスへ戻った。ショップで、いわゆる「おたから」を売却して資金を稼ぐのは、故郷でもこの土地でも同じ。アユミはそれらを売却した後、まずは店内にある、なかなかおしゃれなデザインの服を見つけて大喜び。異国のファッションを楽しむのも彼女の旅の目的「観光」に含まれているのだ。さっそく着てみたいと思ったが、値段を見てあきらめた。いつか金がたくさんたまったら買おう。
 店員に、ゴーグへ行くルートを聞いたところ、近道としてアイセン平原を南へ通過し、ネーズロー地下道を通っていくのがいいと言う。というのも、
「アイセン平原の東にあるクシリ砂漠。あそこは、旅に慣れてきた冒険者でも難しいからねえ。立ちふさがるモンスターもそれなりにいるし、なにより旅慣れぬあんたじゃあ単身では危険だよ。昼と夜の気温差も激しいし、何より迷子になって水が尽きてしまったら簡単には助からないからね。コンパスなしで星から方角を知る方法、あんた知ってんのかい?」
 知らない。
 結局ショップのおかみにあれこれアドバイスをもらいながら、アユミは買い物を済ませた。
「ありがとうございましたー」
「いいんだよ、また来ておくれ。あ、そうそう。旅慣れない身ならなおさら、チョコボをレンタルしていきな。道を知っているチョコボなら迷う事もないよ。背中でゆられて何日か過ごせば、目的地へ到着できるからね」
 そして一時間ほど後、昼食をとったアユミは、町のチョコボ屋で、ネーズロー地下道を経由してゴーグへ行くルートを知るチョコボをレンタルした。
「本当は自分の足で行きたいけど、まあチョコボの背中でゆられるのもたまにはいいかもね」
 フロージスの町を、チョコボに乗って飛びだした。

 アユミの、ユトランドの旅が始まった。


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