第4章 part2



 夕方、モーラベルラのエアポートに、飛空艇が到着する。着陸前に機内放送が入り、アユミは眠い目をこすりながら起き上がる。荷物を確かめ、何もなくなっていないかを確認後、大きく伸びをして他の客に混じって仮眠室を出た。
「やっとモーラベルラに到着ね。あっとその前に防寒着を」
 アユミは飛空艇を降りる前、防寒着を急いではおる。既に日は暮れかけており、大勢の人々が帰路に着いている。
 エアポートを出ると、途端に冷たい風が体を撫でる。アユミはぶるっと身を震わせた。
「うう、やっぱり寒すぎる。とにかく宿をとるのが先だわ」
 エアポート近くの宿に部屋をとり、木のたらいで湯浴みをする。それからパブで夕食を腹に収めて、また宿へ戻る。仮眠室で眠ったはずなのに、結局彼女は腹が膨れた後の眠気に勝てず、きしむベッドの布団にくるまって眠りに落ちた。
 翌朝は冷え込んでいた。布団から出たくないアユミはいつまでもぐずぐずしていたが、陽の光が窓のカーテンから差し込んできてようやっとベッドから降りた。
「今日はアレンというン・モゥ族のひとを捜すんだったわね」
 身支度して、パンとチーズの朝食を済ませたアユミは、防寒着を羽織って嬉々として宿を出た。
 医者と言えば病院。まずはこの町にどれだけ病院があるか調べてみようと、アユミは表通りを歩いて案内板を探す。大きな町ならば案内板や地図がどこかにあるはずだから。
 公園にて、アユミはやっと案内板を見つけた。病院の数と位置を調べ、最寄りの個人病院にまず向かう。
 そしてそれが正解だった。
 民家とあまり変わらない大きさの個人病院。それこそが、ガードナーの一員アレンが院長兼医師を務める病院だったのだから。
 この個人病院は、本日の午後が休診日となっている。アユミが病院に到着した時、ちょうど玄関を施錠しているアレンと遭遇した。
「あの、失礼します」
 アユミは声をかけた。
「こちら、アレンさんという方はいらっしゃいますか?」
「うん、僕がアレンだよ。もしかして患者さん? 今日の診察はもう――」
「いえ、違います。貴方は、ガードナーというクランにいらっしゃったアレンさんですか?」
 アユミの問いで、どこか間延びした喋り方をするン・モゥは目を大きく見開いた。
「そうだよ。君は一体――」
「私、クランの頭領だったシンイチの姪です」

 アユミは、病院の裏手に在るアレンの自宅のリビングに通された。寒い中「立ち話もなんだから」とアレンに勧められたのだ。慣れないソファに座って緊張するアユミだが、アレンの淹れてくれた温かな紅茶が、冷えた彼女の体を温めてくれ、良い香りがリラックスさせてくれる。
 アユミは、フロージスでサンディから預かった封筒を渡す。
「ありがとう、後で読むよ」
 アレンは自分の紅茶のカップを持って、アユミの向かいに座る。
「それで、アユミさん。リーダーのことを聞きにわざわざ来てくれたんだね」
「はい。クランが解散した後、叔父上はどうなったのか知りたくなりまして」
 アユミはにっこり笑う。叔父の事を知りたいのは確かなのだが、ユトランドの観光が本当の目的だ。
「そうか。アユミさんの言葉からして、リーダーは故郷へは戻っていないのだねえ。てっきり引退して故郷へ戻ったものと思っていたけど」
 アレンは紅茶を一口飲んだ。
 アユミはアレンからシンイチの話を聞いた。半年前にクランが解散した後は、シンイチの噂をサッパリ聞かなくなり、姿すら見ていないと言う。
「僕はそれよりずっと前に、大学の学費が充分貯まったからクランを脱退していたんだけどね。あの時は驚いたよお。あと何年かはリーダーが現役でやっていけると思っていたけどね。失礼だけど、歳には勝てないってことなのかな」
 いくら修業を積んだ剣士でも齢を四十も越えると若い時に比べて身体能力が衰えてしまうのだろう。
「そ、そうですか。それで、叔父上はどんな方でした? 何だかサンディさんは叔父上に恨みがあるようなことばかり仰ってましたけれど――」
「あー、サンディなら仕方ないねえ。学費稼ぎのためにクラン加入を望んだ僕と違って、強制的にクランに加入させられたからねえ。いい腕をしている風水士だったけど、クランが解散して半年経った今になってもまだリーダーにグチグチ文句をたれるとは、ラミア級の執念深さだよ、ははは」
 アレンはひとしきり笑ったのち、話をした。彼の話すシンイチは、まずクランの皆のことを考えて行動し、人に迷惑をかけることを許さず、日々己の鍛錬を欠かさない真面目な人物であった。根がお人よしな凄腕の剣士であることはサンディと共通していたけれど。
「いいひとだったよ、貴女の叔父さんは。まあ、一度精神的な打撃を受けると立ち直るまでの時間が長かったけどね」
 アレンが紅茶で喉を潤したところで、ドアの開く音がした。
「ただいま」
 少し間延びした声が聞こえ、足音がする。アレンはソファから降り、「ちょっと失礼」と言って、リビングを出る。
「やあ、シング。お帰り。ちょうどいい所に戻ってきたね。今、お客さんが来ているんだ」
 アレンが戻ってきた時、その後ろには別のン・モゥがいた。年のころはよくわからないが、見た目、魔獣使いといったところか。
「アユミさん。彼は、ガードナーの一員だったシングだよ。シング。こちら、リーダーの姪御さんのアユミさんだ」
「リーダーの姪御さん?!」
 シングと呼ばれたン・モゥは驚く。それはアユミも同じだ。
 シングはガードナーの中では最年少で、早くに親を亡くしてから裏通りの安酒場でこき使われていたところを逃げ出し、それがきっかけでシンイチに引き取られてクランに加入することになったのだった。
「リーダーが怒る時は本当に怖かったよ。でもこっちのことを考えて怒ってくれてるのはちゃんと分かっていたからね、腹が立ったことはなかった。それに、リーダーが僕を引き取ってくれなかったら、あの不衛生な裏通りで、飢えや病気で死んでいたかもしれないんだ」
 アレンの次にシンイチの思い出話をするシング。シングはクラン解散までずっとガードナーにいたのだが、彼もやはり、解散後のシンイチの噂も聞かず姿も見ていないと言う。
「解散後は、リーダーは故郷に帰ったものとばかり思ってたけど、そうじゃなかったんだね……」
 姪がわざわざユトランドに来ているのがその証。
「はい。叔父の噂は届いておりますが、帰ってきてはいないのです。このユトランドにまだいるのか、それとも他の土地へ旅に出たのか、それすらもわかりません」
 アユミの言葉に、シングとアレンは顔を見合わせる。
「それでアユミさんがユトランドへ来て、かつてクランに所属していた僕らを訪ね歩いて話を聞いていると言う状態なんだね」
「はい」
「本当にリーダーはどこへ行ってしまったのやら。元気でやっているといいんだけどねえ」
 アレンはため息をついた。
「で、アユミさんはこれからもガードナーのメンバーをさがして旅を続けるのだね?」
「はい」
「そのうちリーダーに会えるといいねえ。ユトランドは、一つの地方でしかないからね。帝国よりはよっぽど狭いから、ユトランドを一周するのはわりと短期間で出来ると思うよ。それとね、アユミさん。見た所君はまだ旅を始めて間もないようだけど、もしよかったら、シングを案内役にしてやってくれないかな?」
 アレンの言葉に、シングとアユミは同時に驚愕のまなざしをアレンに向ける。
「シングは旅慣れているし、戦闘の経験も積んでいる。それに、ユトランドを動きまわる仕事をしてるしね。失礼だけど、アユミさんはまだユトランドに来たばかりだし、旅にも慣れていない。アルダナ山やフィーグ雪原のような険しい場所では魔獣や盗賊の群れがうようよいるし、この町の近くの森には物騒なクランが縄張りを主張して、旅人に通行料を支払うよう脅しているからね。しかもアユミさんはまだ若い女性なんだ。奴らとしては格好の標的だよ、娼館に売り飛ばしたり、自分たちの慰み者にしたりできるからね」
 アレンの言葉に、アユミはぞっとした。アユミの故郷にもその手の悪事を働く輩はいるし、彼女の里でも子供の誘拐事件が多発したことがあったのだ。それを思い出して身震いしたアユミに、アレンは続ける。
「僕はアユミさんを脅してるわけじゃない。全部本当の事だ。町の自警団が見回りをしたり、雇われたクランが町の警備についているとはいえ、人の手が届きにくい場所が危険なのは本当だ。よほど腕に自信があるなら別だけど、それでもアユミさんひとりでの旅は勧められないよ」
「でも、私は国で護身の術を学んでおりますし、オーダリア大陸では魔獣にほとんど会いませんでした」
「それは運が良かったんだよ、本当に。むこうの大陸の魔獣はこっちよりも凶暴なやつらが多い。砂漠や沼地の連中は特にそうだ。しかも今の時期は、営巣の時期。子供を守るのと餌を運ぶのとで、親のモンスターがいつも以上に凶暴になってるんだ」
 今度はシングが言った。
「確かに運が良かったんだよ。でも、それが必ずしもいつまでも続くとは限らない。アユミさんがリーダーに匹敵する剣術を身につけているなら話は別かもしれないけどね」
「……」
 アユミは黙ってしまった。
 確かにアユミは里のしきたりにのっとって幼いころから武術を叩きこまれてきたが、その腕は年相応のもの。彼女より長く修練を積んで故郷にまでその名をとどろかせた叔父に、腕前も、くぐってきた修羅場の数も、到底かなうはずがない。そして、旅慣れぬ身の上だ。体が野宿に慣れておらず、疲労が完全に回復しない現在、旅の疲れがたまった状態で魔獣に囲まれでもすれば、たちまち彼女は餌となってしまうだろう。
「とにかく、今のアユミさんに独り旅は危険なんだ」
 アレンは話を再開する。
「不本意かもしれないが、君は、クランに入って間もなかったころの僕のように、旅について右も左もよくわかっていない状態だし、ユトランドの地理にも明るくない。だが、シングはあちこち出かける用事が多いから地理を熟知しているし、モンスターの生態についての情報もよく知っている。だから、今後この広いロアル方面を歩くなら、シングを案内役として行ってほしい」
「……」
 アユミはなおも黙っている。アレンとシングはアユミの返答を待っている。
 やがてアユミは顔をあげた。
「わかりました。お願いします!」

 アユミの旅に同行することになったシングは、確かに旅慣れた身だった。元々ガードナーが一ヶ所に定住せずにユトランド各地を周ってクラン活動をしていたおかげだ。シングは、あるていど成長して戦闘に参加するまでは、買い物などの雑用をこなしていたので、旅に必要なものをアユミの所持金から算出して買いそろえるのもたちまちのうちに済ませてみせた。
「そういえばユトランドを周る仕事に就いていると伺いましたけど、どんな仕事をなさってるんですか?」
 表通りを歩きながらのアユミの問いに、シングは応える。
「僕は小さな店で働いてるんだけど、そこではモンスターの爪や牙なんかをよく使うんだ。僕はそれを調達するためにあちこち出掛けてる。いわばおたからの調達役だよ」
「魔獣のおたから調達……」
「おたからのうち、鉱物や魔石は店主のコレクションだけど、爪や牙、毛皮はエサなんだ。店長の飼っている――ベヒーモスのね」
 アユミは口をあんぐり開ける。
「べ、べひーもす」
 魔獣の中でも特に凶暴、凶悪なことで有名なベヒーモス。
 それを、飼っている?!
 茫然とするアユミに、シングは気まずそうに言う。
「店長、珍しいモンスターを飼うのが好きなんだ……」
 その時、空から小さなフロータイボールが翼をはばたかせて降りてきた。敵かとアユミはとっさに刀の柄に手をかけるが、
「心配いらない、店の子だよ」
 シングはアユミを制した。尻尾にリボンを巻いたフロータイボールはシングを見つけると、耳障りな鳴き声をあげながら、彼の周りを飛び回った。
「わかった。じゃあ先に戻ってて」
 シングは返事をする。リボンをつけたフロータイボールは、返事をもらうと、身をひるがえして何処かへ飛び去った。
 あっけにとられるアユミに、シングは言った。
「アユミさん。僕の働いてる店に行こう。ちょうど呼びだされちゃったんだ」
「お、お店ってどんなお店なんですか?」
「一言で言うと、情報屋だよ。リーダーがそのお店の常連だったんだ」
 シングの働いているその店は、裏通りに近い所に建っている。「ポピーの情報屋」と、看板には書かれている。
 シングと一緒にアユミは店内にはいる。ドアを開けると、チリンチリンと、ドアにつけられたベルが鳴った。室内の壁は棚がとりつけられ、書物やら魔石やら角やら、とにかく色々なものがごちゃごちゃと乗せられている。天井に吊り下げられたカンテラが唯一の光源で、その真下にはカウンターがあり、うすよごれたヒーリングベルと、帳簿らしきノートが置いてある。
「店長、戻りましたよー」
 アユミが店内を見回している間に、シングが声をあげる。カウンターの奥の床にある揚げ蓋が開き、小柄なモーグリが姿を見せる。緑と白を基調とした服を着たそのモーグリは、翼をはばたかせて飛び、カウンターの傍に在る椅子に座る。
「おかえりクポ。その人はお客さんクポ?」
 シングが説明すると、そのモーグリは驚きの声をあげた。
「クポーッ! あのガードナーのリーダーの姪御さんクポ?!」
「リーダーを探しに来られたそうなんですけど――」
「リーダーさんについての情報がほしいのクポ? でもモグの情報料は――」
「い、いえ違いますっ!」
 アユミは慌てて否定した。
「ゆ、ユトランドを旅しながら叔父の話を聞こうかな〜、なんて……」
「あ、観光も兼ねてるのクポ? まあ楽しんでほしいクポ。それにしてもリーダーさんの姪御さんが来られるなんて、世の中不思議な縁があるものクポ」
 それからアユミは店の外で待たねばならなかった。それというのも、モーグリの店主ポピーがシングと内密の話をせねばならないから、アユミに聞かれたくないのだとか。
「それにしても、この小さなお店、中はごちゃごちゃしているけど、見た事のないものがいっぱいあったわね」
 棚に乗っていたものを思い出していると、アユミの視界を、通行人たちに混じって通り過ぎようとする者がいた。アユミの思考は現実に引き戻される。
「あ、シンジ君?」
 視界を通り過ぎようとする人物に、アユミは声をかけた。その人物はその名を呼ばれ、脚を止めて振り返る。
 背まで伸びた黒髪に暗色の着物、ふた振りの刀、そして血のように赤い両眼。
 振り返ったその顔は間違いなく、シンジであった。


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