第5章 part2
森を抜けた先には、所どころに木々が生え、草の生い茂るなだらかな丘が見える。その丘を貫くように街道がまっすぐ伸びており、二人はそれに沿って歩いていた。天気はよく、雲ひとつない快晴、これが旅ではなく散歩ならば最高であったろうに。
追剥や盗賊のたぐいも魔獣もおらず、一見は平和に見える、なだらかな丘に伸びる長い長い街道を、二人は歩いている。立ち止まったのは太陽が真南に昇った時だけで、あとはずっと歩きづめであった。アユミは疲れてはいたが、シングに迷惑をかけまいと必死で足を動かし、休憩させてとは一度も言わなかった。それでも、バティストの丘を半ばまで歩いたところで、とうとう疲れ果ててしまった。
「無理をせずに、休みたいって言ってくれていいんだよ。でも水はなるべく節約してね」
ごつごつした岩に座って水を飲むアユミに、シングは声をかける。アユミはぐいぐいと水筒から水を飲んでいたが、彼の言葉を聞いて、水筒を口から離す。水は食料より大切なものだから、水の補給が出来るか分からないのに水筒を空っぽにするわけにはいかない。それを思い出したのだ。
「いえ、もう水はいいです」
本当はもっと飲みたかったけれど、我慢だ。
「もうしばらくしたら歩きます」
「いや、ちゃんと休んでほしいな。この丘を越えたらカモアの町につけるけど、その前に、戦えるだけの体力をつけてほしいんだ。この辺り一帯は、バクナムスやレプラコーンといった悪賢いやつらが多いからね。町が近くに見えるからと油断して、疲れの残った旅人を襲ってくることが多いんだ。疲れた状態では奴らと渡り合うことはできない。だからちゃんと休憩を取ってくれ」
「……わかりました」
それからはアユミも休憩を取るようになった。
カモアの町に到着したのはその翌日、日が高く昇った頃であり、道中何にも襲われなかった幸運に、アユミはほっとした。
アユミはまずベッドで眠りたがった。が、シングは首を振る。
「まだ寝るには早いよ。パブの開く時間は過ぎたから、まずはよさそうなクエストを探して、旅の資金稼ぎをしなくてはね」
「あの、せめてお風呂に――」
「じゃ、部屋を取るから、眠気覚ましに風呂に入ろうか」
そこでシングはポンと思い出したように手をたたく。
「あ、そうだった、この町にはアーロックさんがいるんだ。最後までクランに残っていた人でね、今はこの町で若手の戦士に武術の訓練をさせているのさ。昼に訓練所が開いたら、話を聞きに行こう。それから、ウィルさんとマーシアさんにも――このひとたちは、リーダーがユトランドに来たばかりのころに出遭ってしばらく一緒に旅をした人たちなんだ。ウィルさんはこの町の図書館で司書をしているけど、今日は確か図書館は開いてなかったと思う。きっと、クランを開く前のリーダーの事が聞けるよ」
「叔父上がお世話になった方々がいらっしゃるんですね?!」
宿をとって早速湯浴みをし、宿の女将に洗濯を頼んでから替えの服に着替える。それからシングとアユミは町を歩いた。
アユミは、行きかう人々を見て驚く。通りすぎていく人々の大半がバンガ族やシーク族といった、戦いを好む者たち。戦士が多く集う町なのだろうか。町は石やレンガづくりの家が大半で、モーラベルラの町のような優雅さはない。それでも、活気の良さはこの町がはるかに上だった。
図書館のつくりも同じ。周りの建物よりは布や木を用いているが、外に「図書館」の看板がつり下げられていなければ、ただの大きめの家としてうっかり通りすぎてしまったかもしれない。
「うん、確かに今日は休館日だね」
シングは、ドアにかけられた札を確かめてうなずいた。確かに、ドアにつり下がっている札には「本日休館日」と書かれている。それを確かめたかっただけらしい。シングは回れ右して表通りを歩く。アユミは慌てて後を追った。
「ここがウィルさんとマーシアさんの住んでいる家さ。リーダーはクラン時代から何度かここに来ていたよ。……留守じゃないといいけど」
たどりついたのは、どの家とも見た目の変わらぬ石づくりの家。家の前に花壇があるぐらいしか、他の家と差別化できないが、ここが目的地であることは間違いなさそうだ。叔父と共に旅した人たちは一体どんなひとなのだろうとアユミが緊張する一方、シングはドアをノックする。どちら様ですかとドアの向こうから声がして、ドアが開かれる。薄暗がりから顔をのぞかせるのは、外見三十歳ごろのヴィエラの女性であった。
「あらこんにちは、シング君。今日はどうしたの」
数分後、アユミとシングは家の応接室にいた。ソファに座った二人の向かいには、ヒュムの男性とヴィエラの女性が座る。ヒュムの方はアユミの父に歳が近く、やせ形で栗色の髪には白いものが混じっている。ヴィエラの方は加齢による容姿の変化速度が遅いのでまだ三十代に見えるが、実際はヒュムと歳が近いのであろう。
ヒュムの男性ウィルは、アユミを見る。
「君が、シンイチの姪御さんかい?」
落ち着きのある深い声で問われ、まだ緊張のとけないアユミは「はい」と少し裏返った声をあげた。
「そんなに緊張しなくていいのよ」
紅茶と茶菓子を小さなテーブルに並べて微笑むヴィエラのマーシア。一見彼らは夫婦に見える。しかしウィル曰く、マーシアとは夫婦ではなく、同棲しているだけらしい。が、マーシアはあくまで結婚していると言い張っている。どちらが正しいのだろう。彼らの間に子供はいないので、きっとウィルが正しいのだろう。
アユミは、固くなりながらも自己紹介を済ませる。シンイチの姪であるアユミは、叔父を訪ねてユトランドへ来た事を話す。それを告げられると、ウィルとマーシアは顔を見合わせる。
「クラン解散宣言の後でさっぱり噂を聞かないものだから、故郷へ帰ったものとばかり思っていたが、そうではないんだね」
「はい。叔父上は故郷へは戻っておりません……」
「だからアユミちゃんが、修業を兼ねてシンイチ君を訪ね歩いていると言うわけね」
「はい。それで、あの、もしよろしかったら、あの、叔父上の事をお話し下さいませんでしょうか」
「……ああ、思い出話というやつだね。いいよ。君も、一度もシンイチに会っていないというのなら、あいつについてちょっと知っておきたいだろうしね」
ウィルはいたずらな笑みを浮かべた。マーシアもふふっと笑った。
「一緒に旅をしていたのは一年にも満たなかったけれど、どこから話した方がいいかしら」
「で、出来れば叔父上と遭われたきっかけからお願いします!」
そうしてアユミの頼み通り、ウィルとマーシアは思い出話をしてくれた。港町で出遭ったこと、お人よしだが無鉄砲な行動が多かったこと、タイゾウという狂人に命を狙われたこと、ある剣士に出遭ったこと……。
(やっぱり叔父上はお人よしなのね。でも、命を狙われた事があるなんて……)
アユミが驚く一方で、
(リーダーって昔からこうだったんだなあ。無鉄砲さはもうほとんどないけど、お人よしだけは治っていないと言うわけか)
シングもまた、かつての旅仲間から聞かされるリーダーの人物像に驚きあきれていた。リーダーがお人よしなのは、昔からだったとは。
話を聞き終わってから、アユミとシングは、マーシアが腕によりをかけて作った昼食を取った。腹がくちくなったところで、昼食の礼を言った。
「それにしても、まさか叔父上が昔命を狙われた事があるなんて、信じられません……」
その話のショックを未だ引きずるアユミ。タイゾウという名の男は、現在は既に獄死しているのだが、この血に飢えた狂人の起こした数々の惨劇は未だにアユミの故郷でも語られている。
「こっちも、思い出すたびに少し体が震えるんだよ。ユトランドで色々とひどいことをやらかしてくれたからな。それでもシンイチは、あの男に母親を殺されたそうだから、どれほど危険な状態であろうとも奴を憎悪して無駄に神経をすり減らしていたね。タイゾウというやつが捕まって、やっと安心できたよ。あの時は、シンイチが奴を殺そうとすらした事があったから」
「叔父上が……」
祖母アヤメが昔ダンゾウの手で殺害された事も、アユミは伝え聞いている。アヤメだけではない、数多くの優秀な武人たちがタイゾウひとりの手で殺められた。それから長い月日が経って生まれたアユミにはその実感が無い。ただ恐ろしいことがあった、それだけしか感じていない。だがシンイチはその惨劇が起きた当時、里にいた。母を喪った無念や悲しみはどれほどのものであったろう。そしてこのユトランドで聞く限り、シンイチは精神面での脆さが目立っていたという。もしかするとその脆さは母を喪ったこの事件がきっかけとなっているのではないだろうか。
「叔父上なら、もっと詳しい事を御存じなのでしょうか」
「当人だからね。当然知っているとは思うけど、それについて教えてくれるかはシンイチ君次第だと思うわね」
「何故でしょう?」
「お母さんを喪った事件、長い月日が経っていても、シンイチ君がそれを話したがるとはあまり思えないの」
「さようですか……」
それから、アユミは改めて、ウィルとマーシアに礼を言った。シンイチについて充分話を聞かせてもらった上昼食も馳走になったのだから、後は自分でシンイチを探しだして直接聞いた方がいいと思ったのだ。
暇乞いをした後、アユミとシングは家を出た。
にぎやかな表通りに反して、二人の周りの空気は重く暗かった。
「さあてと」
その空気を何とかしようとシングが口を開いた。
「リーダーについての話も聞けたことだし、一休みしたらアーロックさんの所へ行こう」
「……あ、はい」
一休みして気持ちを切り替えた後、シングがアユミを案内したのは、カモアの町のほぼ中央にある大きな訓練所であった。窓は開いているが、中から騒音が響く。打ち合う音、怒鳴り声、その他もろもろ。
「ここに、クランのひとがおられるのですか?」
アユミの問いの声は室内からの声にかき消されそうになっている。ドアを開けていないのにこの騒音、もしドアを開けたらどうなるだろう。鼓膜が破れること間違いない。
「そうだよ、アーロックさんはここで若手の戦士を訓練しているのさ」
シングはそう言って(その声もかき消されかかっていたけれど)、大きな木のドアにつけられた円形の取っ手をつかみ、思い切り引っ張った。少しドアが開いただけで、アユミはその騒音に耳をふさいだ。ワーワー、チャンチャンと、よりはっきり音が聞こえてきたからだ。それこそ鼓膜をつき破らんばかりの音量で。こんな騒がしい所でよく訓練ができるものだ。
シングは、訓練所の奥を指差す。アユミは訓練所を覗きこむ。武器を持って藁人形を打つ戦士たちがまず目に入る。
「うわ、すごい熱気」
見ているだけで汗だくになりそうだ。シングの指先にそってアユミはさらに奥を見る。掛け声を出す戦士よりさらに大きな声をあげて腕を振っているのは、他の戦士たちより屈強な肉体を持つバンガ族の男。
「あのバンガがアーロックさん。リーダーより何歳か年上なんだ」
「そうなんですか……。でも今から話を聞きに行くって……」
「大丈夫さ。そろそろ終わるから」
何の事だか分らなかったが、アユミはとりあえずシングの後について中に入る。すると、
「よーーーーーし! 一時間の休憩だああ!」
脳天をぶん殴られたような衝撃を受けた。ただの声なのに。
よろけたアユミを慌てて支えるシング。
「しっかりして、アユミさん!」
戦士たちが一斉に休憩を始める。訓練所を出る者もいる。気合の掛け声ではなく雑談が飛び交う。ガラスの触れあう音が聞こえる。喉の渇きを癒しているのであろう。先ほどの騒音に比べればある程度ましになったが、それでもうるさいことに変わりはない。
シングはつかつかと、屈強なバンガにあゆみよる。バンガはシングに気がつく。
「よお、シングじゃねえか。どうした。おい、そっちのヒュムは――」
「突然すみません、アーロックさん。でもちょっとお時間欲しいんですけどいいですか? ここじゃなくて外で。彼女のことは外で教えますんで」
「おういいぜ」
数分後の往来で、アーロックは驚愕の叫び声をあげていた。
「なんだって?! リーダーの姪っこだって?!」
シングから説明を受けた彼の驚きようといったら。周囲の通行人が一斉に彼らに目を向けたぐらいその声は大きかった。
「こ、この細いヒュムがあのリーダーの姪だって?!」
「そうですよ、アーロックさん」
「は、はい」
アーロックの大声に思わず耳をふさいだアユミはやっと返事を返す。
「め、姪のアユミです」
「アユミさんは、リーダーの話を聞きたくてユトランドに来ているそうです。今は僕が、アレンさんに頼まれて一緒に旅をしているんですけど」
「アレンにも会ってるのか。フーン」
アーロックは、アユミを上から下までじろじろと見る。
「リーダーは故郷に帰ったものとばかり思っていたが、違うんだな」
「は、はい。叔父上は故郷には戻ってません……」
ずいっと近づかれ、その背の高さにアユミはすっかり威圧される。なにしろバンガはヒュムより大柄な者が多い。しかもアーロックの屈強な体つきは、アユミの知っているどのバンガより立派なものであったから余計に威圧感を与えてくる。
「そうかあ。リーダーは帰ってないんだな。だから、姪のお前がユトランドへ探しに来たと」
「はい」
なおもアーロックはじろじろとアユミを見、やがて豪快に笑った。
「なあるほどなあ! リーダーがどこをほっつき歩いてるか知らんが、俺のクラン時代の思い出話なら、うんとこさあるぜ! 何だったらすぐにでも話してやろっか」
「は、はい。お願いします」
パブに場所を移して話を聞く。
アーロックは、オーダリア大陸の東にあるバンガモンク僧の修業場で修練を積むマスターモンクのひとりであった。だが、武術の腕はよいのだが、普段の素行が悪く、そのうち破門されてしまった。破門された苛立ちをパブの自棄酒で解消していたのだが、酔った勢いで食事中のシンイチに喧嘩を売り、逆に叩きのめされてしまった。だがそれがきっかけで武術の腕を買われガードナーに加入することになった。
「リーダーはな、俺から体術を教わっていたんだが呑み込みが早くてな、あっという間に腕をあげていったのさ。だがリーダーは体術なんか教わらなくても、剣だけでも戦場を渡り歩いていける腕を持っていたんだよなあ」
アーロックは懐かしむ。
「純粋な武術の腕では、誰もリーダーには敵わなかったと言ってもいいだろう。とはいえ、リーダーは単身で渡って行くにはいささかメンタルが弱くてな」
また出た、シンイチの精神面の弱さ。
「戦場では、相手を打ち倒そうとする意志は強いんだよ。だがなあ、何か大きなしくじりをやらかした時、その後がまずいんだよなあ。しばらくの間、顔には出さないが暗いオーラを放ってるから、気にしていることがすぐ分かるんだ。全く、それさえなければ完璧超人級の剣士だったんだが」
「さ、さようですか」
「だから、お前さんも、すぐ小さなことでメソメソするような戦士になるなよ」
「は、はい」
「ところで、お前さんの武術の腕はどれほどだい」
アーロックは、ユトランドで一、二をあらそう剣の腕を持ったシンイチの姪・アユミがどれほどの腕を持つか興味を持っているのだ。また比べられるのかと思い、アユミはしぶしぶ答える。
「年相応です。叔父上とは比べられません」
「比べられないって、当たり前だろうが、そんなことは。リーダーとお前さんとじゃ、剣をふるってきた期間がまず違うしな。だが年相応といっても腕は色々だぜ。修練をサボっているか毎日きちんとやっているかで、腕は変わってくるんだからな。そうだ、後で訓練所でちょいと修練やらねえか?」
「い、いえ結構です」
アユミは首を横に振った。
「いちおう、僕ら別の用事があるので修練よりもそちらを優先させたいんです、アーロックさん」
シングのフォローの言葉に、アーロックは豪快に笑う。
「わかってるわかってるって! シングがここにいるってことは、あの店長に何か頼みごとをされているからに決まっているからだもんなあ。で、次はどこで採集する予定だ?」
「西のビスガ緑地です」
「そうか。まあ頑張れよ。最近あそこには、なぜかプリン種どもが大量発生していてな、緑地の自然を枯らしはじめて困っている所なんだ。プリン退治のクエストも毎日出ているがなかなか追いつかないんだな、これが。そうだ、お前ら、採集ついでに金稼ぎしてみたらどうだい。腕をあげるのにもちょうどいいぜ」
シングとアユミは顔を見合わせた。
「そうですねえ。僕としてはプリンよりもキラートマトの方がいいんですけど……。アユミさんはどうする」
「ど、どうするってその……」
アユミはしばし答えに悩む。やはりユトランドにいる以上叔父と比べられるのは仕方がない。ならば、年相応でもいいから腕をあげて叔父に追いついてみせよう。瞬時にそのように思考しなおす。
「その依頼が出ているのなら、私、受けようと思います。私は未熟ですし、叔父上に敵いっこないのも承知の上。ですから、もっと腕をあげるんです」
おやおや、とシングは内心こぼす。プリン系のモンスターは剣術より魔術に弱いのだから、むしろアユミには分の悪い敵であるはずだ。それともアユミの故郷にはプリン種が少なくて戦う機会がほとんどなくプリンの生態等がよく知られていないのであろうか。
(それよりも自分で自分をリーダーと比べてしまっているじゃないか……。しかし彼女は真剣なんだし、僕もできる限りはサポートをするか)
それならさっそくとクエスト用紙を取りにったアーロックの背を見ながら、シングは小さくため息をついた。
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