第6章 part2
薬草店の店主ボロンは、クラン・ガードナーの最古参であり、リーダー・シンイチが最も信頼するメンバーであった。役割は主に、モーラベルラの情報屋のポピーに支払うおたからの毛皮や角などを採集するチームのリーダーで、戦闘を行うシンイチとは反対であった。
チコは必要な薬草を買う前、アユミをボロンに紹介した。
「へえ、シンイチにいちゃんの姪っこねえ!」
「は、はい。はじめまして」
アユミはちょっと首をかしげた。他のクランメンバーは「リーダー」と言っていたのにボロンだけは「シンイチにいちゃん」と呼んでいるのだ。
「リーダーが故郷へ戻ってきてないから、アユミさんがユトランドへ来て、リーダーのことを聞いてるんです」
シングの説明に、ボロンはあごをかいた。
「シンイチにいちゃんが故郷へ戻ってないって?」
「はい。叔父上は故郷に戻っておりません」
「カモアの町で解散宣言をした後、オイラはシンイチにいちゃんとも別れたんだ。てっきりそのままモーラベルラから飛空艇に乗って東の国へ行ったとばかり思っていたのに」
「半年、リーダーの姿も見てなければ、噂すらも聞いてないクポ」
チコは帽子からはみ出した耳をぴくぴく動かした。
「このままユトランドからほかの地方へ旅に出たのかもしれないですよ」
故郷にも戻っていない、それなのに姿も見せなければ噂すらも聞かない。そうなると、シンイチはクラン解散後ほかの土地へ旅に出たと考える方が自然ではないだろうか。
ぐうー。
静かな店内に突然響いた物音。それはアユミから発せられたものだった。
「やだ、はしたない……」
アユミは真っ赤になった。店内は笑いに包まれたがすぐおさまった。気づけば外はもう薄暗く、店内の天井から降り注ぐ魔法カンテラの光だけが室内を照らしていた。
「もうこんな時間クポ」
チコは改めて壁の時計を見た。大きな壁掛け時計の針はそろそろ夕餉であると告げていた。
「もう今日は夕方クポ。今日はこの村で泊まって、明日また来てもいいクポ、ボロン?」
「いいですよ」
「あ。しまった。カモアの宿に部屋を取ったんだったな」
シングはここで思い出す。アユミも思い出す。
「じゃあ、チコさん。移動魔法でカモアへ戻った方がいいかもねえ。実を言うと、今、畑の護衛のためにちょっと大きめのクランが泊まりに来てるんだ。だからこの村の宿は空いていないかもしれなくて」
ボロンの言葉に、チコはうなずいた。
「そう言うことなら! テレポの研究もだいぶ進んでるから、カモアぐらいまでなら皆いっぺんにテレポートさせられるクポ! でもかなーり魔力を使うからちょっと待っていてほしいクポ。エーテルをたっぷり飲んで魔力を補充するのが最優先クポ!」
というわけで、アユミ、シング、チコの三名は、テレポの魔法によってカモアの町まで一瞬にして移動した。正確には、カモアの町はずれに在る、井戸の前だが。
そして賑やかなパブで食事を取っている所へ、本日の訓練を終えた戦士たちがドヤドヤと入ってきて、空いた席に座ってマスターに酒や肴を注文する。最後に入ってきたアーロックはアユミたちを見つけると真っ直ぐ歩いてきた。
「よお。昼間の討伐は――あ、チコじゃねえか。お前もいたのかよ」
「クポ! モグは薬草代を稼ぐためクポ」
「薬草代……ああ、ボロンの店のか。あいつ元気だったか?」
「もちろんクポ」
アーロックはそのまま酒と肴、料理を注文し、テーブルに四名で食事を取った。三人は近況報告で盛り上がり、アユミに色々説明をしてくれた。
昼間の戦闘の疲れが残っていたアユミは早めに部屋に引き取った。あらかじめ宿の女将に頼んで湯を入れてもらっていたので、大きなたらいの風呂で湯浴みをした。やはり風呂は毎日入りたいものだが、旅をする以上何日も入れないのは当然、旅をしたいと決めたのは自分なのだからぜいたくは言えない。風呂を終えるとおかみに湯を片づけてもらい、今日着ていた着物を洗濯してくれるように頼んだ後、午前中に頼んだ洗濯ものを受け取った。
「明日はまたタルゴの森かあ」
ぎしぎし音を立てる木のベッドに横になり、布団をかけた彼女はすぐ目を閉じた。
翌日、宿を引き払ったアユミたちは、今度は徒歩でタルゴの森へ向かう。数時間かけて村へ到着したころには、アユミはくたびれていた。まだ旅慣れぬ身、シングとチコが平然としている一方で彼女は息を切らしていた。
ボロンは今日、店を休みにしていたが、アユミたちを快く出迎えてくれた。
開いて間もない、客のほとんどいないパブにて、ボロンはアユミに話をした。
流行病で家族を亡くした幼い彼は、キラートマトのガブりんと一緒に港町でスリをして生活の糧を得ていたが、ある日スリの疑いをかけられた所を、ユトランドに来たばかりのシンイチに助けられたのだった。そこからシンイチと共に旅するようになったのだが、最初はスリの手癖が治らず、シンイチにこっぴどく叱り飛ばされていた。何年か前にガブりんは寿命を迎えてしまったのだが、盗み食いをする癖はいつのまにか治っていたのだった。
「シンイチにいちゃんは怒ると本当に怖かったんだよなあ」
年代を考えるとこの時のシンイチはわずか十六歳。それなのに叱られると怖いとは。
シンイチがクランを開いたのは彼が二十歳の時。当然最初の加入者はボロンであった。
戦士としての評価は、ボロンも、他の皆と同じことを言った。精神的に脆い面のある一流の剣士。一時は、『剣聖フリメルダを越えた剣士』とすら評されていた。
「フリメルダって誰でしょうか?」
アユミの問い。
「ユトランドでは知らぬ者はいない、弱きを助け強きをくじく、超一流の女剣士クポ。最初はルク・サーダルクという相棒と一緒に活動してたけど、いつの間にか噂を聞かなくなって、そのうちガリークランという大きめのクランに入って再登場したのクポ。とにかく凄腕で知られていて、ユトランドに敵なしとすら言われたほどの剣士クポ」
「さようですか。叔父上と刃を交えた事は?」
「……ないクポ。だって彼女が最も活躍した時期は、リーダーがまだクランを立ち上げる前だからクポ。でも成長したリーダーが、彼女に匹敵するほどの剣士だったことに間違いないクポ!」
チコの自信に満ちた言葉に、シングとボロンは強くうなずいた。
「さようですか。やっぱり叔父上はすばらしい剣士だったのですね」
シンイチの評判が良ければ良いものであるほど、自分の未熟さが際立ってくる。叔父より遅く旅に出た彼女の腕は、当時十六歳の叔父とどっこいどっこいであろう。それが、十年以上の歳月を経てユトランド有数の剣士として知られるにいたったのだ。皆がシンイチを一流の剣士だと誉めている。今でこそ叔父は姿を消してしまっているが、もし彼がこの場にいたとすれば、姪の彼女は今以上に「シンイチの姪」としてしか皆に認識してもらえないことになるのではないだろうか。姪であっても腕はいいはずだ、そう思われているかもしれない。
「叔父上は本当に、すばらしいんですね。私などやはり叔父上の足元にもおよばない」
肩を落としたアユミを三人が慌ててフォローする。いや自分たちはアユミを貶めているのではないのだと。
ボロンはそのまま話を続け、それが半ばまで進むころには、パブには昼食を取るための客がどやどや入ってきていた。昼食をとりながら話は続き、それが終わったのは、パブにまた人気がほとんどなくなったころであった。
アユミは、叔父の興したクランの歴史を聞き終えたが、半分しか頭に入っていなかった。残りの半分は、昼食のシチューやパン、木の実のケーキが美味しかった事で占められてしまった。胃袋が満たされるとしばらくは消化活動にいそしんでしまうため頭に血がまわらず、ボロンの話を半分しか覚えていないのだった。
「たくさんのお話、ありがとうございました」
半分しか覚えていないがそれは秘密にするとして、アユミはボロンに頭を下げて礼を言った。
「いやいいよ。オイラもシンイチにいちゃんの話をするのは久しぶりだからねえ」
ボロンはその膨らんだ腹をボンと叩いた。
「それにしてもシンイチにいちゃんは本当にどこへ行ったんだろうなあ。せっかく姪っこが来てるんだから、このユトランドにいるなら、ちゃんと会ってほしいもんだよ」
代金を払ってパブを出た後、チコはボロンから必要な薬草を買う。
「あとは、話を聞いていないのはサヤだけクポ。でもサヤはクラン解散後にロザリア帝国へ武者修行の旅に出ちゃったから、話は聞けないクポ」
「さようですか……でも貴重なお話を皆さんから聞けましたから」
「そうか。じゃあアユミさんはそれからどうするの。話は全部聞いたんだよね」
「叔父上と同じくユトランドを隅々まで旅してみようと思います。お店のお菓子や服飾店の小物や、ほか色々なものを見たいんです!」
アユミの本音がとうとう飛び出してしまったが、チコもシングも、ボロンも驚かない。このぐらいの年齢の女性はオシャレをしたがるものだから。
「ま、まあそうと決まれば! モグはとりあえずフロージスの町まで戻るクポ。シングも確か戻るクポね?」
「はい。店の使いを頼まれてますから」
「あの、私も連れていってくださいませんか?」
アユミがそう頼むまでもない。
「アレンさんに、君と一緒に旅するように頼まれているからね。当然さ」
こうして一同はボロンに別れを告げ、エーテルをガブ飲みしたチコのテレポによって、一気にゼドリーの森の前まで飛ばされた。残りの距離は、チコが体力的にも精神的にももたないことから、歩くことになった。
「ゼドリーファームに会いたくないクポ。やつら、まだここを縄張りにしているはずクポ」
森に入った皆は、周囲に目を配りながら道を歩く。この森を縄張りとするシークたちのクラン・ゼドリーファームは、この森を通る旅人やキャラバン、クランに対し、縄張り通行料を求める。充分腕の立つクランならばエンゲージに持ちこんで彼らを叩きのめすことも可能であるが、冒険初心者のアユミを連れたシングとチコは、出来れば彼らとの戦闘および接触を避けたかった。
が、運が悪かった。森をあと少しで抜けられると言う時、彼らの前方にある茂みからシークたちと彼らの「作物」が現れて道をふさいだからだ。
「おおーっと。このゼドリーファームの縄張りを通り抜けようってのかい。だがなあその前に通行料を支払ってもらわんとなあ」
いやらしい笑みを浮かべるゼドリーファームに、アユミは身震いした。
「おー、なかなかキレイなネーチャンがいるじゃねえーの。ようよう、こっち来てオレらとナカヨクしねー?」
明らかに、アユミを見るその目は――
「い、いやです!」
体を震わせながら、声の限りアユミは怒鳴っていた。しかしゼドリーファームは笑うだけ。
「そおかいそうかい。だがそうはいかんなあ。金を払ってくれないってんなら、おまえさんを代わりに払ってもらうことに――」
「駄目に決まってるクポ! 彼女は何と言っても、モグたちのクランのリーダーの姪御さんクポ! お前達なんかに差しだすわけがないクポ!」
チコの言葉の直後、ゼドリーファームの背後で、風を切るような鋭い音がした。うめき声をたてることなく、ゼドリーファームたちは驚愕で目を見開いて、バタバタと倒れる。口から泡を吹きながら。
数秒の硬直の後、最初に口を開いたのはシングであった。
「ど、どうなってるんだ? いきなり倒れてしまったけど……」
「わからないクポ。だけど、気絶しているだけなのは間違いなさそうクポ。シング、アユミさん、今のうちに森を出るクポ!」
チコの言葉で、シングとアユミは弾かれたように駆けだす。
三人はゼドリーファームを残して去った。
どこからか、
「危ないところだったな」
小さな独り言が、森の風にさらわれてかき消えていった。
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