第7章 part1
アユミ達は、昼下がりに町へ到着した。モーラベルラの町の一角に、チコが薬剤師を務める薬店があった。シングはアユミたちといったん別れ、自分のつとめる店へおたからを届けに向かった。
「おかえりッス!」
チコたちが店に入ったところで、薬草だらけの店の奥から声がして、ひとりのヒュムが顔をだす。
「クルーレ、やっと戻れたクポ! これでそっちの店に薬を回せるクポ」
「チコさん、ありがとうございます」
クルーレと呼ばれた男は、アユミに目を止めた。
「お客さんスか」
「あ、メンバーのこと、クルーレを忘れてたクポ」
チコは自分のひたいを叩いた。そしてチコは、首をかしげているアユミをクルーレに紹介する。
「ええっ、リーダーの姪御さん?!」
クルーレは、ガードナーのメンバーで、おたから調達チームのひとりであった。ボロンの学校時代からの友人で、カモアの町の実家の商売がうまくいかなかった為にクルーレがクランに加入して資金稼ぎをし、給金を家に送ることで家計を支えていた。同時に、クランが解散するまで所属していた者でもある。
「は、はじめまして。シンイチの姪の、アユミと申します!」
「こちらこそ初めまして。いやあ、まさかリーダーの姪御さんが来るなんて、驚きだよ」
「あ、はい、皆さまそう仰います。実は私、叔父についてのお話を、クランの皆さまに聞こうと思いまして――」
「というわけで、アユミさんはガードナーの面々に話を聞いたクポ。サヤは確か武者修行の旅に出てるから話を聞くのは無理だから、最後に残ったのはクルーレだけクポ。ねえ、チコ?」
「何スか、チコさん」
「モグが薬を作っている間に、アユミさんにクルーレのクラン時代の話をしてやってほしいクポ」
「わかりました」
チコが店の奥へ去った後、クルーレとアユミは、来客用のソファに腰を下ろす。
「さて、どこから話したものかな……」
クルーレは自分がクランに加入した動機やシンイチの人柄について話をしてくれた。優れた視力を持つクルーレはおたから調達チームのひとりとなって、情報屋に支払うおたからを集めることになった。それからは、アユミも耳にたこができるほど聞いた話が、再度繰り返される。シンイチは精神面こそもろいが超一流の剣士であり、クラン時代ではユトランドの内外を問わず様々な凄腕の剣士が彼と決闘しにきては、返り討ちにあっていた。
(本当に叔父上ってもろい方なのね。そんな人が長いことクランの頭領を務めてこられたなんて信じられないわ。よっぽど人望が厚かったのね)
「それにしても、姪御さんがここに来ているってことは、リーダーは東の国へは――」
「叔父上は、故郷には戻られていません」
「そうなのか。でもどうしてかな。クラン解散を宣言したのは突然のことだったし。『もう充分活動したから、近く解散しようと思ってる』と言って、それから一ヶ月ぐらいして本当に解散したんだけど、そこからリーダーの姿は見ていない。てっきり故郷に帰ったものと思っていたんだけどねえ」
クルーレが首をかしげたところで、
「クルーレ、おまちどうさまクポ! 薬ができたクポ」
チコが奥から出てきた。手に布の包みを持っている。包みからは草のにおいがわずかに漂ってくる。その中に薬が入っているのだろう。
「ありがとうございます、チコさん。やっと店の方へ戻れますよ」
「待たせすぎて悪かったクポ。その間の店番ありがとうクポ。倒れた店長もやっと回復できたクポ。だから、これ、お礼クポ」
硬貨のジャランという特徴的な音が鳴った大きな袋が、クルーレの手に渡される。
「ありがとうございます。それじゃ、カモアへ戻ります」
別れを告げ、クルーレが店を出る。それと入れ換わりに、シングが急いで店に入ってきた。
「はー、やっと世話が終わった。あ、アユミさん。クルーレさんが来ていたけど――」
「叔父上の話でしたら、先ほど聞かせていただきました」
「そう、それならよかった」
「クポクポ。クルーレのやつ、結構長話してたクポ」
チコが、ちょこちょことカウンターの脇を通ってくる。
「これで、サキを除く全メンバーにリーダーの話を聞いたクポ。で、アユミさんはこれからどうするんだったっけクポ」
アユミは急に話を振られて、慌てる。
「え、ええ?」
しばしの戸惑いの後、アユミは言葉をやっと整理し終えた。
「先日も申しましたように、私、叔父上と同じくこのユトランドを隅々まで旅したいと思っております。ですから、これから本格的に旅を開始したいのです」
「そういえばそうだったクポ。モグがボケるにはまだ早いはずなのに」
チコは頭をかいた。
「だったら、アレンさんの言いつけどおり、僕もお供させてもらうよ、アユミさん」
シングの言葉にチコは目を丸くするが、アレンに言われた言葉をシングが繰り返すと、チコは納得した。
「確かにアユミさんはユトランドに来たばかりで旅慣れない身クポ。ポピーの店につとめてるシングはエサ探しのためにあっちこっち旅をしなくちゃならない身だから、旅を辞めたモグたちと違ってサバイバル技術もまだまだしっかりしてるクポ。アユミさんの旅にシングを連れてけっていう、アレンの言葉は正しいクポ」
そういえばそんなこと言われたな、とアユミは思い出す。
(うーん。服とか装飾品とかたくさん見たいし、甘味処にも行ってみたいから、できれば一人で旅したいけど、今の私では……)
戦う力はあっても、魔獣に食われるか、盗賊に殺されるのが落ちであろう。
(叔父上も仲間の人たちと旅をしていたんだし、私も、一人前と認めてもらうまでシングさんと一緒にいるのがいいわね)
そう思いなおしたアユミはシングに向き直る。
「はい、シングさん。これからもよろしくお願いします」
ユトランドを旅したいと言っても、具体的にユトランドのどこへ行きたいかについてアユミは何も考えていなかった。叔父の話を聞けた以上、今はあちこちで観光ができればそれで満足なのだ。行き先は、シングに任せた方がいいだろう。
(今は、寒いモーラベルラから、もっとあったかい場所へ移りたいわね)
人工的に雪を降らせているこの町は、寒くて仕方がない。なので、どこへ行きたいかとシングに問われたアユミは、「あったかい場所」と素直に答えておいた。
「私、寒いの苦手なんです……」
「そっか。ルピ山の夕日やフィーグ雪原のダイヤモンドダストは観光名所のひとつに数えられてるぐらい一見の価値ありの自然現象だけど、まあ、あそこはもっとアユミさんが旅慣れてからにしようか。あそこに生息するドレイク系のモンスターは割と厄介だからね」
シングはあっさり受け入れてくれた。
「うーん。あったかい場所ねえ。この町や雪原、山以外ならどこでもあったかいけどね。そうだ、まだアユミさんはグラスの港町へ行ったことはないよね。今度はそこへ行こう! ちょうど、あの町で仕入れたいものがあるからね」
ユトランドの最南端にある港町で、貿易都市として有名である。何か珍しいものが見られるかもと、アユミは「行きたい」と返事をした。
シングは使いこまれた地図を広げた。
「それなら、旅のルートは東を取ろう。アルダナ山は初心者には危険だからあそこは避けて、ゼドリーの森、バティストの丘、カモアの町、ビスガ緑地、グラスの町、の順で行こう」
ゼドリーの森、と聞いてアユミの表情が曇る。森を通るということは、あのゼドリーファームの連中の縄張りをどうしても通らねばならないということだから。
(出来れば、絶対に会いたくないわね)
だが、西は寒いルピ山だ。山は山で厄介な魔獣が生息しているらしい。しかも自分が「あったかい場所」へ行きたいとだだをこねたのだから、シングが考えてくれている道のりを嫌がるわけにはいかない。
「クポクポ」
チコはシングの脇から地図を覗きこむ。
「旅慣れないとルピ山は険しいクポ。山では遭難者も数多く出てるから、シングのとるルートの方が、道のりは少し長いけど少しは安全だクポ」
盗賊や魔獣の襲撃を考慮しなければ、だが。
「じゃ、道が決まったらモグの店で薬を買っていってほしいクポ。魔法での治療が間に合わない場合は薬が一番クポ!」
というわけで、この日の午後は改めて旅の支度の買いものに費やされた。シングはアユミに手伝わせ、食料や薬等を買い込んだ。品物の良しあしの見分け方、値切り方などアユミはたくさん教えてもらったが、教えてもらったからと言ってすぐ身につくものではなかった。
空がオレンジ色に染まるころ、買い物は終わった。シングは宿を取りに行き、その間アユミは近くの広場で休憩していた。家路に向かう大勢の人々を何気なく眺めていると、アユミの目に一人のヒュムが飛びこんだ。
「シンジ君」
ベンチから立ちあがって、同郷の少年に声をかけながら歩み寄る。暗色の着物を着、ふた振りの刀を帯に差し、目が血のように赤い少年。彼はアユミの声を聞き、立ち止まって彼女に向き直る。
「ひさしぶりー、シンジ君!」
久しぶり、というほど長いこと会っていないというわけではないけれど、故郷とは習慣や文化の全くことなる異国で、同国出身者に会えるというのは嬉しいことだ。にこにこしているアユミに対し、シンジは無表情で答える。
「……お久しぶりです。私に、何か御用ですか?」
「あ、その、用事ってほどじゃないんだけど」
アユミは単にシンジに会えてうれしかったので呼びとめただけだった。もしシンジが何か用事があって急いでいるのなら、長くひきとめるべきではない。
「ええとね――まあ貴方が元気みたいだから声をかけただけなの。それとね、私、これからユトランドを一周する旅をする事にしたのよ」
「そうですか」
シンジの返答はそっけなかった。
「私は用がありますので、これで」
「あ、引き留めてごめんね」
「いえ、ですが」
回れ右したシンジは肩越しにアユミを見る。
「トラメディノ湿原には近づかない方が良いかと……」
「え?」
「あの湿原、貴方のような旅慣れぬ者が行くべき場所ではありません」
シンジはそれだけ言って、人混みの中へ歩き去った。アユミが止める暇もないほどの素早さで。
「……不思議な子ね」
アユミはつぶやいた。
「それにしても、湿原って、あそこよね。オーダリア大陸の……」
アユミの頭の中にユトランドのオーダリア大陸側の地図が浮かぶ。暑い土地フロージスのすぐ東にある沼地。それがトラメディノ湿原だ。さらに東へ進むと廃坑と砂漠がある。
「行くなっていうからには、危ないところなんでしょうね……。でもどんな風に危険なのかしら」
その疑問は夕食の時に解決された。
「シングさん、トラメディノ湿原とはどんな場所なのですか? 私、フロージスのエアポートに降りた後、旅の初めに、あの湿原に行ってみようか迷ったんですが、結局行かなかったんです」
これからロアル大陸を南下する旅をするのに、今は関係ないオーダリア大陸の話をするアユミに、シングは首をかしげつつも答えてくれた。
「あのじめじめした湿原はね、アンデッドの巣窟なのさ。アンデッドてのはつまり、不死者ね。そいつらのほかには、ラミア系のモンスターが多く住みついている。じめじめしているところが大好きだからな、あいつらは」
「左様ですか。しかし私はそれぐらいならば――」
「戦いの問題じゃない。もしアユミさんがフロージスの町から湿原の方を見たなら、何となく行きたくないって思うんじゃないかな。あそこの上空は昼でもどんより曇ってることが多い。不自然なほどにね。それと、あの場所にはいくつか釣りのできる所があるけど、深い霧も発生しやすいから、道に迷ってモンスターの餌になることもある。霧という天然の迷路があるのさ。何より」
シングはそこで眉をひそめる。
「あの湿原の奥深くには、湿地の魔女と呼ばれるヴィエラが住んでいるらしいんだよ」
「魔女?」
「言葉の通りだよ。あらゆる呪術に精通し、作れない薬はないと言われているらしいんだ。どのぐらい長く生きているかすら、誰一人知らない。それとねえ」
シングは額のしわをさらに深くした。
「不思議なことなんだけど、クラン時代、湿地の魔女に薬を作ってもらうクエストをたまに受注していたんだけどね、薬を作ってもらいに行くのはリーダーだったんだ。僕ら他の皆には、湿地の入り口付近で待たせておいて、薬を作りに行く。そしてリーダーはちゃんと薬を持って戻ってくるんだよ。リーダーが湿地の魔女に傷ひとつつけられず戻って来られるのが不思議でさ、よく僕らはヒソヒソ話をしたもんだよ。魔女を怒らせたら何をされるか分からないって言われている、不気味な噂ばかり聞いているからね。このユトランドで魔女の噂を知らないひとなんてそれほどいないんじゃないかな。少なくとも、オーダリア側では相当の有名人だよ……」
シングの額に汗がにじんでいることから、ウソや誇張は無いと思われる。
「なぜ叔父上はそんな人に会いに行けたのでしょう?」
アユミの声もなかば真剣なものになっている。
「それがわからないから、僕らは毎回首を傾げたんだ。でも誰一人としてそれを聞けなかった。聞いちゃいけないような気がしたんだよね……クランが解散する時でさえもね」
「……」
不気味なうわさの絶えぬ人物の元へ行き、薬を作ってもらってくる。それが出来る叔父は肝がすわっていたのだろう。何となくアユミはそう片付けた。
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