第9章 part1



 買った土産物と自筆の手紙を故郷に送る手続きをすませ、アユミは郵便局を出た。モーラベルラの町は年中ずっと雪が降り積もっている。海を挟んだ先にある暑いフロージスとは正反対。
「クエストの報酬、半分くらいはお土産に消えちゃってる気がするわね……。さーてと、とにかく次のクエストを探しに行かないと、路銀がそろそろ危ないわね」
 ユトランドへ来てからいろいろと小さな土産物を買っては故郷に送っている。国がそれなりに遠いので送料もかかるのだが、もはや自分の近況と安否を知らせる手紙の代わりになっていたので、今さら辞めるつもりはなかった。
「もし叔父上に逢えたなら、毎回一枚しか書いてない手紙がいっきに分厚くなりそうね」
 ひとりごとの後、外で待っていたシングと共にパブに入り、路銀稼ぎのために手ごろなクエストをさがす。シングの手伝いをして、モンスターを討伐し鱗や角などのいわゆるおたからを手にする事も増えてきたけれど、路銀を稼げるのはクエストをこなすか日雇い労働をするしかないのだ。
「さー、今日も稼がないと! でもこのクエストはできれば避けたいのよね……」
 クエストの手続きが終わるとアユミたちはさっそく飛空艇に乗ってフロージスへ飛び、支度を整えて現地へ向かう。現地は、なんとトラメディノ湿原。ある薬を調合するのに必要な薬草を採取しなければならないのだが、その草はこの湿原にしか自生していないのだという。できればアユミにとっては避けたい場所であったが、報酬が高額なこともあり、シングと念入りに相談した上で引き受けたのであった。
 湿地での薬草採取クエストは以前も受けたことがある。そのときは深い霧に周囲を閉ざされシングとはぐれてしまった。アユミは、今回は霧がおきませんようにと願い、よく晴れているのにどうしてか暗く感じる湿原を丘の上から見下ろした。
「いつ見てもなんだか嫌なところね」
 アユミのつぶやきをシングは肯定した。
「そういう場所なんだよ。相当熟練した冒険者でも日が落ちてからここを通るのを避けるぐらいだからね。それでも、こういう場所だからこそ生える特別な薬草があるんだよな。野原ならどこにでも生えているムスクマロイとは違って、より効果の高い薬草だから採取のクエストも定期的に出てる。……本当は行きたくないけどね。さあアユミさん、早く行こう」
 目当ての薬草が生えているのは、湿原の中程。
「今は繁殖期だからね、どのモンスターも卵を守ろうとして凶暴になってる。だから慎重に行こうね。音を派手にたてなければ、襲われる確率はぐっと下がるから。それじゃ、休憩用に使われてるあずまやまで、行こう」
「はい」
 湿原に入ると、空は晴れているのになんだか薄暗くなった。いや、それは単にアユミが「空が暗くなった」と思いこんでいるからかもしれない。とにかく、アユミとシングは人が何度も通る道を、足音をたてないよう慎重に進んでいった。湿原の所々には幅広い木の板が橋の代わりに深みの中に渡されていて、深みにうっかり脚を突っ込まないようになっている。二人はできるだけきしみ音をたてないように気をつけて板の上を歩いた。道中、モンスターの鳴き声が何度も遠くから聞こえてきたが、さいわいなことに誰も襲っては来なかった。
 湿原の中にはぼろぼろのあずまやがあり、ここは旅人が休息や食糧補給の釣りのために利用しているものだ。アユミとシングはあずまやにたどりつくと、ふうと安堵でため息をもらした。
「休憩場所、無事につけましたね」
「そうだね。でも、気を抜くのはまだ早いよ」
 手ぬぐいで汗を拭くアユミに、シングは首を振って言った。
「これから薬草の採取をしなくちゃならない。でも、その前に一休みしよう。疲れてるときにモンスターに襲われたら戦うのも辛いからね」
「はい……」
 休憩が終わって体力が戻ってくると、シングはアユミをつれて再び湿原の中へ入り、前進する。草を掻き分けるのにも細心の注意を払い、遠くから聞こえるモンスターの鳴き声を聞いてだいたいの位置を判断する。今のところモンスターは営巣のため、巣からあまり離れない。だからよほど道を外れない限りは遭遇することはないだろう。とはいえ、それでも警戒するに越したことは無い。
 アユミはシングのすぐ後ろを歩いていたが、どこにモンスターが潜んでいるかと左右をしょっちゅうきょろきょろしていた。
「あった」
 シングが不意に声を上げたので、驚いたアユミはあやうくそれ以上の大声を上げるところだった。
「すぐ薬草を抜くから、アユミさんは周りを見ていて。モンスターが来たなら知らせて」
 シングに言われ、心臓が破裂しそうなほど鼓動しているアユミはうなずくのがやっとだった。
(ああ、びっくりした……)
 シングがぶちぶちと草を引っこ抜く音を聞きながら、アユミは周りを見回した。霧は出ていないので周囲は見えている。ただ、丈の高い草が密集しているのでそのぶん視界は狭くなる。風に揺れる草のせいで、草陰に潜むモンスターの姿が見えなくなるのだ。
「終わったよ」
 だからこそシングのこの声をどれほど待ち望んだことか。
「さあ帰るよ、アユミさん」
「もちろんです!」
 多少気が緩んで思わず大きな声を上げたアユミ。しまったと思う暇もなく、周囲に重い気配が現れる。
「アンデッドだね……ある意味ラミアより厄介だ」
 シングは驚き呆れながらも、傍に現れるゴーストを操る。ゴーストは魔獣使いの指示を聞き、回れ右してどこかへ姿を消した。アユミはそれを見てほっと息を吐いたが、すぐシングに向き直って頭を下げる。
「ご、ごめんなさい、シングさん。つい……」
「気が緩んだんだよ。大丈夫、まだこいつしか現れてないからね。他のがつられてやってこないうちに、急いで戻ろう」
「はい……」
 二人は元来た道を引き返す。その間も重い気配が再び、アユミたちを追いかけてくる。自然と急ぎ足になった二人だが、重い気配もそれにあわせて速く彼女らを追いかけてくる。アユミは、早く湿原の外に出ないものかと足を速めながらも思っていた。
「待った!」
 ところがシングが不意に止まったので、アユミはその背中にぶつかった。
「ど、どうしたんですか?」
 シングに問うた。
「まずいね。もう僕らは捕まったらしい」
 シングの額に汗が浮かぶ。アユミは周りを見回し、再びシングに問うた。
「捕まったってどういうことですか?」
「アンデッドの中でも力の強い奴なら、空間を少し捻じ曲げることもできる。僕らはその中に閉じ込められたんだよ。歩いても歩いても、同じ景色ばかり続くだろ? 僕らはあの小屋の近くからそれほど離れてないところを延々と歩かされているんだ」
 シングの言葉が終わると、それを証明するかのように空中に大きなレイスが姿を現した。その体は薄ぼんやりと赤く光っている。
「あいつだな」
 シングはレイスを操ろうとするが、それより早くレイスが巨大な霊気の塊を飛ばしてくる。
「シングさん!」
 とっさにアユミがシングを突き飛ばし、彼女の体に大量の霊気が入り込んだ。全身が一瞬にして冷え、アユミの意識はまもなく闇に閉ざされた。
「アユミさん!」
 シングは倒れたアユミを気遣う暇はなかった。霊気を飛ばそうとするレイスを操るために集中しなければならなかったのだ。苦心の末にやっとレイスを操って空間を元に戻させ、この場を去らせた。汗だくのシングは安堵したがすぐ足元のアユミにかがみこんだ。
「アユミさん、しっかり……!」
 アユミは弱弱しく息をしているがその体は冷たい。大量の霊気にあてられたせいだ。肉体的な傷ならポーションなどの薬や白魔法でなんとかなるが、魂への攻撃、こればかりはシングでも治しようが無い。
「どうすれば……」
 とにかくここにいつまでもいるわけにはいかない。レイスがまた戻ってくるかもしれないのだ。シングはアユミを何とか担ぎ上げ、先ほどのあずまやまで戻った。寝かせたアユミの体の調子を確かめてから、シングはどうすべきかとしばし悩んだ。
「これを治療できるとすれば、湿地の魔女しかいないかな……」
 クラン・ガードナーがまだ現役だった頃、リーダーのシンイチはときどき調剤のクエストを請負って、この湿地の奥に住む湿地の魔女のもとへたった一人で行っていた。だがシンイチの話では、本来、湿地の魔女は一の下にゼロが七つ付くくらいの大金を払わねば依頼を請け負わないという。シンイチは毎回無料で薬を作ってもらっていたが、それは単に彼女の気まぐれだから無料にしているだけらしい。一応シングも彼女に薬を作ってくれと依頼することはできるだろうが、そんな大金を、シングは持っていない。
「と、とにかく話だけでも聞いてもらおう。聞いてもらえないなら、町まで戻るか……」
 シングは再びアユミを担ぎ上げてあずまやから外へ出た。クランが現役だった頃の記憶を頼りに、シンイチがどの方向へ行っていたか思い出しながら、湿地の奥へ進むうち、周囲は次第に薄暗さを増してきた。まるで太陽が暗雲に覆われたようだ。だがシングはそんなことなど気にならなかった。
 湿地の魔女の小屋を見つけたときのシングの歓喜は不安を上回っていた。湿地の奥にぽつんと建つ小屋からは明かりが漏れており、煙突からぽんぽんと不思議な色の煙が昇っていたのだ。
「ごめんください」
 シングはアユミを背負いなおして、扉代わりのすだれの前に立った。
「なんだい」
 小屋の奥から聞こえてきたのは、無愛想な女の声。
「あ、あの。おじゃましていいですか?」
 シングはせいいっぱい勇気をふるって声を出す。ややあって、
「おはいり」
 どこか笑っているような女の声が響いて、すだれが勝手に左右に開き、シングの前に道をあけた。道が開かれた以上後戻りできない。シングは意を決して小屋の中に入った。


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