第9章 part2
小屋の中は天井から魔法の光が降り注いで昼間のように明るかった。所狭しとさまざまな器具が置かれ、壁にはさまざまな薬草が吊り下げられ、棚の中には木の実やら牙やら謎の液体やら、様々なモノをつめたビンがぎっしりと並んでいる。ただひとつ、場違いなものは、隅の椅子に座らせてある、のっぺらぼうの大きな人形だ。サイズはヒュムの成人ほどもあり、アユミの故郷で身に付けるような着物が着せられている。
小屋の主は、部屋の中央に置かれた広めのテーブルの傍に立っていた。美女のヴィエラだが年のころはよく分からず、パッと見はヒュム換算で三十代ぐらいが妥当かもしれないが、もしかするともっと年をとっているかもしれない。不思議な飾りのついた赤い帽子をかぶっており、彼女がちょっと首をかしげると天井からの明かりを受けてキラキラとそれぞれの飾りが輝いた。
「何の用だい、ン・モゥの坊や」
「じ、実は――」
妖艶なヴィエラはシングの話を聞いた。
「ふん。お前さんの仲間がレイスの大量の霊気を一度に浴びちゃって倒れた、と?」
「はい。それで、何とか治す方法はないかと思って……」
霊気を浴びたのが少量ならば、ただ消耗してしまうだけなのでしばらく休んでいれば回復する。だが大量に浴びたとなると、シングでは手に負えない。
湿地の魔女はアユミをしばし見つめた。
「薬では治せないね。魂に影響を与えるものは魂でしか治せない。このままだとこのヒュムは眠りっぱなしだね」
「えっ……」
絶句したシングの顔を、湿地の魔女は面白そうに眺める。
「でも、魂さえその糧とする古代呪法を用いれば何とかなるかもしれないね」
「ほ、本当ですか?!」
明るくなったシングの顔は、相手の言葉ですぐ暗くなる。
「ただし、代償が必要なのさ」
「代償?」
「あんたたちが店で何か買ったら品物の代金を払うだろう? それと同じさ。魂に影響を与えるようなことをするなら、それ相応の代償がないとね」
驚き硬直しているシングに、湿地の魔女は言った。
「あんたの連れを癒す古代呪法薬の材料として、魂を差し出せってことさ」
一晩じっくり考えな。そう言って、湿地の魔女は、呆然としたシングを追い出してしまった。
その足音と気配がすっかり遠ざかったところで、部屋の隅の椅子に座らせてある、着物を着たのっぺらぼうの人形に頭髪が生え、何もない顔面に目鼻と口と耳がつき、真っ白な体には色がついた。そしてシャンと椅子から立ったその姿は紛れも無く、シンジであった。
「おや、どうしたんだい」
湿地の魔女はくすくす笑いながら、シンジに向き直った。シンジは彼女を、その赤い瞳で見つめた。
「お願いがございます」
「単刀直入だね。でも言いたい事はわかるよ……私が保管しているあんたの魂の半分を、あんたの姪っ子を治す治療薬の材料にしてくれってことだろう?」
「さようでございます」
「たった数回ぐらいしか会っていない姪のために、そんなことが出来るなんてねえ。ふふっ。そこらへんの魔獣を狩って、その魂を使おうとは思わないのかい」
「いえ。姪と魔獣では魂の質が違いますから呪法は成功しにくくなります。叔父である私ならば、必ずや成功しましょう。それに、シングを死なせるわけには行きません」
「そう。古代呪法をよく勉強してるじゃないか。それにあのン・モゥはあんたのクランの一員だったものね、情が移ってりゃ死なせたくないのも当然てところかな。本当にお人よしなところは変わらないんだからねえ」
湿地の魔女は深く笑う。
「それじゃ、今回はあんたのわがままを聞いてあげようかな。あんたはいい子だから、たまにはご褒美もあげないとねえ」
「ありがとうございます」
シンジは深く頭を下げた。
翌日、シングはアユミを担いで再び湿地の魔女の小屋を訪れた。
「おはいり」
小屋に垂れ下がっているすだれが左右に分かれて道を作る。それをさらにかきわけて小屋に入ってきたシングの眼にはもう迷いは無い。
湿地の魔女はテーブルに色々な器具を乗せて何やら薬を作っている様子だが、入ってきたシングに向き直った。
「おや、早かったねえ」
「薬の件ですけど、僕の魂を使ってください。リーダーの姪御さんをこのままには――」
「その必要は無いよ。あんたの魂は用なしになった」
湿地の魔女にさえぎられ、シングの言葉が途切れてその両目が丸くなった。担がれているアユミがその背からずり落ちそうになった。
「えっ……」
「ほら、持っておゆき」
湿地の魔女がテーブルを滑らせてよこした壜。その中にはぼんやりと光を放つ奇妙なものが入っている。ホタルかと思ったが、そうではないようだ。
「あの、これは……」
「あんたの連れを治す薬さ。そいつを口から押し込んでやれば、そのうち回復して眼が覚めるよ」
「……」
シングは湿地の魔女と壜を交互に見つめたが、やがて少し震える手で壜を取った。
「あ、ありがとうございます……」
「用は済んだろう、ボサボサしていないで、さっさとお行き。私はこれでも忙しいんだからね」
叩きつけるような言葉に、シングは「おじゃましました」と言って、弾丸のような勢いで小屋から飛び出した。
すだれがさらさらと揺れ動くのを見て、湿地の魔女はテーブルから目を上げ、部屋の隅に置かれた椅子に座るのっぺらぼうの人形に向きなおる。
「あの坊や、ちゃんと薬を持っていったよ」
湿地の魔女に言葉をかけられても、人形は動かなかった。
「あんたの魂を半分使うということは、あんたの姪とあんたの魂が合わさるということでもある。もしかしたら、その合わさった半分があんたに会いたがって、後を追ってくるかもしれないね」
ふふ、と湿地の魔女は怪しく笑んだが、やはり人形は動かなかった。
シングは湿地のあずまやに急いで戻っていた。驚きやら恐ろしさやら嬉しさやら、いろいろな感情がシングの中で渦巻いていて、彼は混乱していた。
肩に担いできたアユミを床に寝かせ、シングは壜のふたを何とか指でこじ開けると、まだ震える手で壜の口を苦労してアユミの口元に当てた。壜を傾けると、中につめてある光るモノはころころと外へ転がり出てきてアユミの口の中へと入った。血色の悪いアユミの体にたちまち血の気が戻り、冷たくなってきた体にも少しずつ熱が戻ってくる。脈も呼吸もしっかりしたものになり、それを確かめたシングはホーッと安堵の息を大きく吐いた。
「助かった、よかった……」
張り詰めてきた気が一気に緩んで、シングは泣いていた。
湿地の魔女の言ったとおり、フロージスに戻ってからアユミが目覚めるまでにはさらに数日を要した。シングは単身でも出来る簡単なクエストをこなす傍ら、毎日アユミを見舞った。そして三日ほど経って、アユミは宿のベッドで目覚めたのだった。
「……ここは?」
体はだるいが、ベッドの上に座って、アユミはぼんやりした頭のまま周囲を見回した。記憶をたどり、確か自分はクエストを受けてトラメディノ湿原に行ったことを思い出す。だが今いるのは湿原ではなくてどこかの部屋だ。はて、一体全体ここはどこだろうか。そして、なぜ自分はずっと寝ていたのだろうか。
コンコンと軽い音がして、アユミがそちらへ頭を向けるより早くドアが開いた。
「失礼するよー」
なんだか遠慮しているような小さめの声と共に、シングが入ってきた。だが彼はアユミを見て驚愕し、動きを止めた。アユミがぼんやりした頭のままシングを見つめていると、彼は大きく体を震わせ、次には両手で顔を覆って泣き出したではないか。
「よかった、よかった……」
そればかり呟いてシングは泣いていた。アユミはだんだん頭が鮮明になってくると、一体どうしたのかとシングに問うた。しかし彼は答えるどころではなく、おいおい泣き続けた。
アユミが、落ち着きを取り戻したシングから、アユミが意識を失ってから目覚めるまでの話を聞いた頃には、窓の外はもう夕闇が迫っていた。
「私、シングさんをかばって、霊気を浴びたんですか?」
アユミは思い出そうとつとめた。確かに巨大なレイスを見た記憶はあるが霊気を浴びた覚えは無い。
「今のアユミさんは目覚めたばかりだし、記憶が混乱しているんだろうね。無理に思い出さなくてもいいよ」
彼女がうんうん唸っていると、腫れた眼をしょぼしょぼさせながらシングは制した。
「でも本当によかった……アユミさんが無事に目覚めてくれて。湿地の魔女から薬を貰ったとはいえ、目覚めなかったらどうしようってずっと思ってて……まだ会えてないけど、リーダーに申し訳も立たないしさ」
シングの目に涙が光った。
「そうだったんですか……シングさん、ごめんなさい、迷惑かけちゃって」
「いや、いいんだ」
涙をぬぐってシングは首を横に振った。アユミはそれを見て、それ以上何も言わないことにした。
「それより、私に薬をくれた湿地の魔女というひと、そんなにすばらしい薬を作ってくれたんですからお礼に行かなければいけませんね」
しかし今度はシングはさっきより激しく首を横に振った。
「いやいやいや! いいんだよ、魔女にお礼なんて! 出来ればもうかかわらないほうがいいよ!」
「でも」
「リーダーが言っていたけど、湿地の魔女は基本的に人嫌いなんだ。だからあんなへんぴな場所に住んでるんだよ! 薬を作ってくれるのは本当に暇つぶしの気まぐれによるものなんだ」
「そうなんですか。その人って変わってますね。でも叔父上がそのように申したのならば仕方が無いですね」
アユミは素直に引き下がったので、シングはほっとした。
(そういえば、あの薬は材料として誰かの魂を使う事になっていた。でも、魔女はすぐ薬を渡してくれたからな、僕のを使わずに、周囲の沼に棲むモンスターの魂で薬を作ってくれたんだろう)
そう思って、シングはそれ以上湿地の魔女のことや薬のことについて考えないようにした。あんなおっかない場所でおっかない人物と会うのはもうごめんこうむりたかった。
アユミが回復して数日が経過した。
ふたりはオーダリア大陸を南に行き、機工都市ゴーグに到着した。ここで、かつてのガードナーのメンバー・チャドから「頼みたいことがあるのでゴーグへ来て欲しい」という手紙を受け取ったためだ。
「チャドさん、お久しぶりです!」
パブにて、アユミの姿を見たチャドは嬉しそうに挨拶を返した。
「お久しぶりクポ、シング、アユミさん! ところでアユミさん、リーダーは見つかったのクポ?」
「それが、まだなんです」
「クポ……。でも、リーダーのことだからきっと元気でやってるクポ! 元気な姪御さんが来てると知ったら、飛んで会いに来るんじゃないのクポ?」
「そうだといいです」
それからアユミとシングは、町の西にあるネーズロー地下道である鉱石を採取して欲しいとチャドからの依頼を受けた。
「今日はもう夕方だから鉱石採取は明日でいいクポ。ふたりとも疲れてるクポ。モグがふたりぶん宿を取っておいたから泊まってってクポ」
「ありがとうございます!」
シングとアユミはチャドの言葉に甘えて宿へ向かった。ところが、シングは途中で道をはずれ、郵便局へ向かうではないか。
「そうだ、アユミさん。僕はポピーさんに手紙を出したいから、待っててくれる?」
アユミが快く承諾すると、シングは礼を言って大急ぎで局内へ入った。
アユミは郵便局の壁にもたれて、日の暮れかかる中、道を急ぐ人々をなんとなしに見ていた。が、彼女の眼はある人物を捉えると歓喜に輝いた。
「シンジ君!」
アユミに名を呼ばれたその人物は、目抜き通りを出てきたところだが、彼女を振り返った。その赤い眼がアユミを捉えると、大きく見開かれる。シンジは、駆け寄ってくるアユミを凝視したまま動かなかった。
「久しぶり、シンジ君!」
「は、はい」
シンジの返事はどこかぎこちなかったが、アユミは気付かなかった。知り合いに会えた嬉しさがそれに勝っていたからだ。それからアユミはシンジに長々と自分の冒険話を語り聞かせ「ほんとに大変だったのよ」と最後に締めくくった。
「大変でしたね」
あいかわらずシンジの言葉は素っ気ない。
「そうなの! でもちょっとは冒険を重ねて私も成長できたと思ってるの。シンジ君は――」
そこでアユミの言葉が止まった。そのままシンジの顔を凝視したので、相手はいぶかしげに眉根を寄せた。
「変ね……。シンジ君のこと、なんだか懐かしく感じる」
アユミは不思議な気持ちを感じていた。シンジのことは確かに懐かしく感じているのだが、彼に久しぶりに会えたからそう感じたのではなかった。
「何故かしら、シンジ君がすごく身近に感じるの……まるで私の故郷の家族みたいな……」
アユミの言葉に、シンジの赤い眼がぎらっと光り、彼は後ずさった。
「貴女の勘違いです、アユミさん」
「……そうかしら?」
「アユミさん!」
背後から声がして、アユミは振り返った。郵便局からシングが出てきたのだ。
「やあ、待たせてごめんね。じゃあ宿へ行こうか」
「あ、はい。じゃあシンジ君――」
アユミはまた前を向いたが、シンジの姿は何処にもなかった。
「またいなくなっちゃった」
「どうしたの、アユミさん」
「さっきまでシンジ君と話していたんですけど、もういなくなっちゃって」
アユミの言葉に、シングは彼女の前方に広がる雑踏を見る。シンジのことはアユミから聞いたことがあるけれど、シング自身は彼を見たことはないし、アユミの故郷と同じところから来た少年ということしか知らないが、それらしき少年はどこにも見当たらない。
「何か用があったからいなくなったんじゃないか?」
「そうですね。また引き止めちゃった」
アユミはそれ以上シンジのことを考えず、シングとともに宿へ向かった。
それでも彼女は疑問ばかり抱いていた。シンジに抱いたあの懐かしさは何なのか。まるで彼を家族のように、いやそれどころかもっと身近な存在にさえ感じたのだ。今までにも会っているがそんな懐かしさを抱いたことは全く無かったはずなのに。
(変ね……。どうしてシンジ君をあんなに懐かしく感じるのかしら)
疲れていたアユミはそのうち深い眠りにおちていった。
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