第1章 part1



 ユトランドの港に、大きな帆船が入ってきた。東の国からの船だ。大勢の人々が港に降りていく。商人、旅人、船員……。
 潮風を背中に受けて、一人、最後に降り立った人物がいる。
「ここがユトランド……我が国の西方に位置する国……」
 腰には東方特有の湾曲した刀を帯び、青を基調とした旅の服装を身に付けた彼は、桟橋を通り抜け、町へと向かった。

 シンイチは今年で十六歳。家の決まりに従って成人式を終えた彼は、修行と観光を兼ねてユトランドにやってきた。彼は四兄姉の末っ子、家を継ぐことはないので、兄よりも気楽に生きられるだろう。
 騒がしい港を抜けて、港町に入る。商人たちが声を張り上げて客を呼び、いきかう人々は品物を眺めあるいは素通りし、子供たちは路地裏付近で遊んでいる。子供たちの遊びは、東の国では見たことの無いものだった。
「やはり東の国とは随分違うものだなあ。わたしが幼いころは何をしていたかな。修行ばかりしていた記憶しかないが……」
 途中の屋台から洩れる美味そうなにおいにつられて行くと、貝の壺焼きが目に入る。壺焼きひとつが大人のこぶしほどもある大きさ。この美味そうな屋台のとなりにはジングパールをあしらったアクセサリーの並ぶ小さな屋台。船旅の後とはいえ、腹は減るものだ。
「よお兄ちゃん。あんた、東の国から来たろう?」
 壺焼きを一つ買ったところで、屋台おやじのでっぷり肥ったシークが笑いながら話しかけてきた。シンイチは目を丸くした。
「なぜ、わたしがそこから来たとお分かりに?」
「その喋りでわかるんだよ。その訛りは東の国のもんが喋るんでなあ」
「左様ですか」
 熱い壺焼きを口に入れようとすると、
「待てええ!」
 人々の群れの中からどら声が聞こえ、続いて何か赤いものが人々の足の隙間を高速でくぐり抜けてきた。そしてその赤いものは、シンイチのすぐそばに高速で近づき、飛び上がる。振り返ったシンイチが刀の柄に手をかけるよりも早く、貝の壺焼きをかっさらってしまった。
 赤いものは、人々の間をぬって、サーッと逃げ去った。
「い、今のは……」
 唖然としたシンイチに、屋台のおやじは苦笑しながら言った。
「あーあ、さっそくやられたな、兄ちゃん。あれはな、ここらへんの屋台を荒らしてるキラートマトなんだよ。とんでもねえ速さで走って、食いものをかっさらって逃げちまうからな。誰も捕まえられねえんだよ。ワナも仕掛けたことあるんだが、ぜーんぶヤツに食いちぎられちまった。鉄すらも、ガジガジかじってしまうんだよなあ」
「がっくり……」
 もう一個壺焼きをサービスしてもらい、シンイチはそれで腹を満たした。大きな壺焼きひとつで腹がくちくなったのはその貝がかなり脂っこかったせいだ。とにかく一つ食べてしまうともうしばらくは何も食べる気がしない。シンイチは腹ごなしもかねて港町をもっと見てみることにした。
(それにしてもさっきのキラートマトなる生き物、わたしに刀を抜く暇も与えなかったな。まだまだわたしも修行がたりんということかな)
 故郷には、あんな生き物はいなかった。ほかにもシンイチの見たことの無い生き物がいるかもしれない。あのキラートマトはきっと町の外に出てしまっているだろうから、後で探してじっくり観察してみるのも面白そうだ。シンイチはそんなことをかんがえながら町を歩いていった。
 綺麗な広場に出ると、急に、どら声が響いた。
「てめえ、財布をスリやがったな!」
 見ると、綺麗に水の上がっている噴水のあたりで、一人の巨漢バンガと一人の小さなシークの子供が向かい合っている。シークの子供はまだ十にも満たない幼子。体は薄汚れ、痩せている。
「お、おいら盗んでなんかないやい!」
「嘘つくんじゃねえ! てめえが有名なスリ小僧だってことは、ここらへんじゃよく知られてんだぞ!」
 巨漢バンガの威圧にも負けず、シークの子供は言い返す。
「そーだよ、おいらはスッてんだよ! スリ小僧のちびシーク・ボロンとはおいらのことだしさ。でもおまいみたいな、貧乏そうな奴からは盗んだりしねえ!」
 その言葉がバンガの逆鱗に触れた。噴水を取り囲みつつある人々の囲いから、「ありゃヤバイね、乱暴者のフモニだぜ」と声が聞こえてきた。
 バンガが腰の広刃剣を抜くのと、シンイチが二人の間に割って入るのは、同時だった。
「子供相手にそのような乱暴はやめなさい!」
「何だ貴様、邪魔立てする気か、小僧!」
 シークのボロンは、突然の割り込みに、目をぱちくり。とっさに逃げ出そうとするが、
「まあまあ、おふたりさん」
 誰かがさらに割って入ってきて、逃げようとしたボロンの襟首をつかんだ。見ると、現れたのはネコ耳のついたフードをかぶった魔術師の青年。背はスラリと高く、歳は二十歳を少し過ぎたと言ったところか。知性ある青い瞳に、どこかいたずらめいた光を宿している。
「そんなに疑うんなら、ここで調べればいいでしょうに」
 ボロンを投げてよこす。フモニはボロンを捕まえると、わめくボロンを逆さづりにして服を調べ始め、やがてボロンをシンイチにむかって投げつけた。あの反応、ボロンは財布を持っていなかったようだった。が、フモニはそれが気に入らなかったようだ。ボロンをかかえたシンイチに向かって、まるで八つ当たりするようにこぶしを突き出してきたのだ。
 シンイチは首を左へ傾け、つきだされたこぶしをかわす。ボロンは思わず、シンイチの腕の中で頭を抱えた。魔術師の青年は目を見張った。
「わたしに八つ当たりですか?」
 ボロンをおろし、シンイチは少し下がって距離をとる。そしてフモニを正面から見据える。フモニはそれを挑戦と受け取ったか、
「目ざわりなんだよ、てめえはあ!」
 今度はこぶしではなく、剣をふりあげた。シンイチはさらに一歩下がった。
「お、おい――」
 青年の言葉は最後まで出てこなかった。
 シンイチは目にもとまらぬ速さで相手の剣をかいくぐり、肘を強く突きだして、鎧に守られていない急所を強く突いた。急所を突かれたフモニは、うめき声をあげ、その場にどうと倒れて痙攣した。
 あっけにとられている青年とボロン、周りの野次馬。シンイチはフウと息を吐いた。
「少ししたら起き上がれますよ、ご安心を」
 港町の乱暴者フモニが、東の国から来た少年に倒された話は、あっというまに港に広がった。今まで誰もあの巨漢バンガには勝てなかったのに……。その少年がどこにいるのか、探し始める輩も現れる始末。
 一方、噂の本人・シンイチは、大慌てで港町を出ていたところだった。人の視線を浴びるのは好きではない。目立つのが苦手な彼にとって、初めてのユトランドで必要以上に注目を浴びることは苦痛以外の何物でもない。彼は宿をとるのも忘れて、大急ぎで町を離れてしまった。
(昔からこういう注目が苦手だからなあ、わたしは……)
 太陽が西へ落ち始めたころ、河原にたどりついた。そこでやっと落ち着きを取り戻す。
 川の水を一口飲んで喉の渇きをいやす。同時に、背後から足音が聞こえ、とっさにふりかえる。
「はー、はー」
 砂利を蹴りあげ、走ってきたのは、ボロンだった。
「やっと、やっと見つけたあ」
 ボロンはシンイチの傍まで走ってきて、荒く呼吸した。呼吸が落ち着くまでしばらくそのままシンイチはボロンをあっけにとられて見つめていた。
 ボロンはキラキラした目を、シンイチに向けた。
「あの、あのねっ。おいらを助けてくれてありがとう! ガブりんも喜んでたよ!」
「がぶりん?」
 ボロンが、「おーーい」とどこかに向かって叫ぶ。すると、ひょっこりと顔を岩の陰から見せたのは、キラートマトだった。
「あっ!」
 そのキラートマトの手には、かじりかけの壺焼きが握られている。しかも口の周りは油でテカテカだ。
「わたしの壺焼きじゃないか!」
「えっ、おにいちゃんの壺焼きだったの?」
 ボロンはシンイチとキラートマトを交互に見る。
「だめじゃん、ガブりん。おにいちゃんに返してよ、それ」
 キラートマトがしょんぼりして食べかけの壺焼きを差し出すが、シンイチはことわった。
「いや、いいよ、もう。食べてくれて結構。わたしはもう一個食べてしまったし」
 またボロンの顔が輝いた。
「いいの? じゃあいただきまーす」
 キラートマトの手渡す壺焼きをボロンは一口で食べた。
「あー、やっぱり壺焼きは一口でおなかいっぱいだね! ねえガブりん」
「がう」
(そうか、この子たちは盗みでその日暮らしをしていたわけか)
 二人一組の盗人というわけか。一人が金を盗み、一人が食べ物を盗んでいた。
 ボロンは口の周りを油でテカテカに光らせたまま、シンイチに言った。
「ねえおにいちゃん、名前なんてーの?」
「……シンイチ」
「シンイチにいちゃんだね」
 ボロンとガブりんは、ちょこちょこ近づいてきた。サイフをすられるのでは、とシンイチは警戒した。
「さっきのお礼にさ、おいらたちが寝泊まりしてるところ教えてあげるよ! 町ん中じゃあさ、シンイチにいちゃんがすんごい噂になってて、にいちゃんを捜しているやつまで現れる始末だよ。そんな中で宿をとるなんてできっこないじゃん? だからさ、泊まってきなよ!」
 丸めこまれる形で、シンイチは子供たちについて行くことになった。視線を浴びて注目されるのが苦手なシンイチは野宿しようかと考えていたのだが、ボロンの言葉を一応信じてみることにした。眠れそうにない場所なら、断るだけのことだ。
 ボロンとガブりんが案内したのは、川下にある小さな岩場。たくさんの藁が積み上げられた簡単な寝床があり、上には麻布がかけてある。布団の代わりのようだ。適度に雨風をしのげる場所にあるため、藁は少々湿っている程度。触ってみると、よくもまれた藁は少々チクチクするものの、それなりに柔らかい。
「ここ、おいらたちの寝床なんだ。ちょっと狭いかもしれないけど……」
 確かに、シンイチには狭い。体を相当丸めれば眠れない事もないけれど……。せっかくの好意をむげにしないためにも、とシンイチはちょっとひきつった笑いでこたえた。
「いや、ありがとう。充分だよ」
 日が暮れると辺りは急に冷え込んだ。ボロンは枯れ草を集め、石を枯れ草の周りに円形に並べる。それから火打石を打ち合わせて、何度か失敗した揚句、結局シンイチが自分の火種をやって、火をつけたのだった。
 川魚をうまく追いやり、ガブりんは器用に口にくわえて持ってきた。木の棒に突き刺して火の周囲に並べ、焼けるのを待つ。異国の魚も自国の魚も、形は一緒なんだなとシンイチは思った。やがて、魚の焼けるいい香りが漂う。
「がうがう!」
 ガブりんは嬉しそうに脚をブラブラ動かし、自分の魚を手に取った途端に、一口でがぶりと骨をかみ砕き、呑み込んでしまった。シンイチはそれを、あっけにとられて見つめた。
「ガブりんはいつもこうなんだよね」
 ボロンは、熱い魚をほおばった。
「ね、ね、東の国ってどんなとこ? ガブりんみたいな魔物いるの?」
 なぜ出身地が分かったのかとシンイチが質問すると、
「だって、そんな喋り方するのって東の国の人ばっかりだもん。北から来る人はまた別の喋り方するしさ」
 ユトランドの北に位置する常冬の国……名前は聞いたことがある。だが寒さの苦手なシンイチがその土地に足を踏み入れられるだろうか。いや、いつかは行ってやる。
「世界はまだまだ広いんだな」
「何いってんの、シンイチにいちゃん」
「いや、わたしの独り言だよ」
 夕食が終わると、ボロンとガブりんは藁の隅っこに並んですぐ眠りに落ちた。シンイチのためにあけてくれたのだろう。シンイチは帯から刀を外して自分の手にしっかり持ち、いつでも抜刀できるよう、姿勢を整えようともぞもぞする。藁の上ではその姿勢は取りづらいし、いざ抜刀したとしても手が岩の天井にぶつかってしまうかもしれないが……。
(せ、せまい……)
 思った通り、ねどこは狭かった。まるで赤子のように手足を小さく丸めねば、この場所に寝転ぶことは不可能。
(これで刀を抜けるかどうか心配になってきたなあ)
 何とか姿勢を整えることに成功した。シンイチは、急に疲れを覚え、姿勢が定まると同時に目を閉じた。
 ユトランドに来て最初の一日が終わりを告げた。


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