第1章 part2



 港町。昼間の騒動は収まりを見せ始めていた。
「どこ行ったのかな、あいつ」
 騒がしくなり始めた酒場で、彼は一人カウンター席で酒を飲んでいた。ネコ耳のついた白いフードをきた青年。シンイチとフモニの喧嘩の仲裁に入ろうとした男だ。
「これだけ町が騒がしくなって一躍有名人になったんだ、どこかで質問攻めとか英雄扱いされているとばかり思ってたけどな。見つからないってことは、町の外に出て行ったのかな」
 荷物の中から本を取り出し、読み始める。それは魔術書ではなく「月刊ボンガ」であった。
 しばらくすると、酒場の扉が乱暴に開けられ、どやどやと傭兵の一群が飛び込んでテーブルをひとつ占領した。読書の邪魔だと思いながらも、彼は読み続けたが、結局我慢できずに宿に戻ることにし、金を払って酒場を出た。
 夕暮れ、宿に辿り着いた彼は部屋に入ると、荷物を乱暴に寝台に投げ出した。その荷物の隅には名前が乱暴にナイフで革に刻まれている。
 ウィル。

「昼間のケンカすごかったな〜」
 長い兎耳をピクピク動かしながら、ヴィエラの赤魔道士は食事をとっていた。
「まさかあんな小さな子が、大の大人相手にケンカ売っちゃうなんて。それに、あんな乱暴そうな人を肘の一撃だけでノシちゃうなんて、信じられないなあ」
 昼間の出来事が、彼女の頭の中によみがえる。小さな子供をかばった、東の国出身と思われるヒュムの少年。まだ二十歳にも満たぬであろうその少年は、相手のバンガの戦士を、武器に手をかけることなく体術のみで倒してしまった。
「結構鍛えられていた、という風には見えなかったわねえ」
 傭兵の一団が入ってきて、がやがや騒ぎだした。彼女は巻き込まれる前にと食事を胃袋に納めて、食事代を支払って宿を出た。
「あら」
 彼女は、前を歩く大きなネコ耳フードに目を止めた。数秒ほどじっと見つめながら口の中で誰かの名前をつぶやいていたが、そのフードをかぶった人物が宿に入るために横を向いた時、
「あっ」
 彼女は思わず駆けだしていた。一度石につまずいて転んだが、すぐ立ち上がって、宿屋の扉を開ける。
 宿のおやじに部屋の番号を聞き、それから彼女はスキップしながら廊下を通って、目当てのドアをノックした。返事をしてドアを開けたのは、間違いなく、先ほど見つけたネコ耳のフードをかぶっている魔術師だった。
「あっ!」
「おひさしぶり、ウィル!」
「マーシア、なんでこんなとこに!」
「んもー、そんなことどうでもいいじゃない!」
 ヴィエラは人目もはばからず、ウィルに抱きついた。
「せっかく婚約者に会えたんだもん!」
「おまっ……婚約ったって、子供のころにした口約束だろ。しかもそいつは……」
「でも、書類も何もなくても、約束は約束だもん!」
 マーシアは耳をぴくぴく動かし、ぎゅっと腕に力を込めた。
「ヴィエラとヒュムの結婚なんか聞いたこと無いぞ。それに、ヒュムの方がずっと寿命が短いんだから、結婚したって先に死んじまうぞ、俺」
「いいもーん。その後誰とも結婚しないから」
「……そういや、お前何歳だっけ?」
「オンナに年齢聞くのは、マナー違反でしょっ」
 マーシアはずかずかと、ウィルを押しながら、部屋の中に入った。
「おい、マーシア……!」
「泊めて頂戴」
 マーシアは自分の荷物をウィルの荷物の隣に置いた。ウィルはため息をついた。マーシアの強引さは、彼が一番よく知っていたからだ。
「俺、床で寝るしかないかなあ」
 その言葉通り、朝を迎えた時、マントにくるまって眠っていたウィルは体が痛くて目が覚めた。マーシアはベッドでぐっすり眠っている。結局ウィルは彼女にベッドを譲り、自分は床の上で眠ったのだった。
 宿を引き払い、外へ出る。マーシアはまだ眠そうな顔をしている。彼女は何時でも朝寝坊。遅ければ昼まで寝ているのだ。ウィルは彼女の手を引っ張り、町を歩いて行った。
「どこ行くの〜?」
「人を探してるんだよ。お前知らないのか、昨日の――」
「あー、広場での喧嘩でしょ。私ちょっとしか見てなかったよ。お店に行かなくちゃいけなかったから」
 その時、
「探し人だってえ?」
 二人を後ろから呼びとめる者がいた。

 朝日が昇るころ、シンイチは、差し込む朝日の光で目を開けた。身を起こそうとして体が天井の岩に当たる。
「あいたたた……」
 這い出て、自分がどこにいるのかをまず思い出す。そうだ、昨日、ボロンとガブりんにこの岩場に泊めてもらったんだった。見ると、ボロンとガブりんの姿はない。もう起きているらしい。だが辺りに彼らの気配はない。自分の荷物と財布は無事……。
「あれっ? 無い。落としたのか……町に戻って探すしかないかな」
 シンイチが川の冷たい水で顔を洗っていると、
「シンイチにーちゃーん!」
 後ろから声。川から顔をあげて、手拭いで顔をざっと拭いたシンイチの目に、果物を抱えて走ってくるボロンとガブりんの姿が。
「おはよー、よく寝れた?」
「うん」
 体が痛いのは、内緒だ。
 ボロンは草の上に、もぎたての果物を下ろす。虫食いも所々あるが、美味しそうだ。まさか盗んできたのではあるまいなと、一瞬シンイチは疑った。
「そこらへんの木に結構実ってたから採ってきたんだよ!」
 ボロンは果物を川の水で洗って、差し出した。
「食べてごらんよ、おいしいよ!」
 盗んできたわけではなさそうだ。シンイチは言われるままに一口かじる。みずみずしい。汁気たっぷりの甘い果実。食べたことの無い果物だ。柿とは違う、赤い果実。ガブりんは果物を三つもいっぺんに口に入れてガジガジかじっている。味わって食べると言うことをしないのだろうか。
 果物で腹を満たした後、ボロンは聞いた。
「でさ、シンイチにいちゃん。これからどこ行くの?」
「どこって、わたしの旅の目的地はないよ。あての無い一人旅だからね。まあ、まずは旅の食料を少し手に入れないといけないが……また港へ戻るのはなあ」
「でもここらへんで一番近い町は、歩いて四日かかるよ。おいら、行ったことあるもん。おなかすくからさ、やっぱりたくさん食べ物買っていった方がいいよ、干し肉なら果物より日持ちするし軽いしね」
 ボロンの言葉に従って、シンイチは港へ戻ることにした。昨日の噴水の一件で、シンイチは一躍有名人になってしまった。また町の人々の視線を浴びなくちゃならないのかと思いながらも、シンイチはしぶしぶ町に戻った。ちょうど店が開き始めたところで、いたるところで商人の掛け声が聞こえてくる。さっさと買い物を済ませて帰ろうと思い、商店街へ駆けこんだ。
「お前ら、人を探してるって言ったよな」
 突然聞こえてきた声に、人々に交じってシンイチは思わず立ち止まる。商店街の奥から聞こえた声は間違いなく、昨日の乱暴バンガ・フモニのものだ。歩いて行くと、フモニの横顔が見えてくる。やはり巨体。見間違うはずがない。
 フモニに絡まれているのは、昨日、シンイチとフモニの間に割って入った、ネコ耳フードの魔術師の青年。そしてヴィエラの赤魔術師。
 フモニは大声で言った。
「そいつは、昨日俺様をノシやがったあのヒュムのガキのことかあ?」
「そ、そうだよ」
 気圧されたのか、青年の声は少し小さい。フモニはニヤリと笑い、
「そんなら話は早い。お前ら、奴を探してここに連れてこい」
「その必要はありませんよ」
 皆が、声の出所に注目する。
 シンイチは、フモニに向かって、歩いて行く。
「ほお、案外近くにいたんだな、小僧」
「わたしに何の用ですか。こちらのおふた方は、わたしと何の関係もない方のはずですが」
「用があるのはお前だけだぜ」
 フモニの体から殺気が放たれている。周囲の人々は徐々に距離をとりはじめる。だが野次馬は増える一方だ。
「で、どのような御用です?」
 そう聞きはしたが、シンイチは相手がどうしたいのかをわかっているつもりだ。でなければ、立ち姿勢を変えたりなどしない。
「こいつが、貴様に用があるんだよ!」
 フモニが広刃剣を抜いた。やはりこうきたか。シンイチは眉をひそめた。やたらつるぎをみせびらかしたがる奴にろくなのはいない、故郷の父はいつもそう言っていたものだ。ユトランドでは違うのだろうか。
「貴様も抜け!」
 話し合いは通じそうにない。シンイチはしぶしぶ刀の柄に手をかけた。周りがざわめいた。
「お、おい――」
 ネコ耳フードの青年の言葉は最後まで続かなかった。フモニが声を張り上げ、剣を振りかざしたのだ。振り下ろされる刃を、シンイチは電光石火の抜刀と共に手首を返して受け止める。力が強い分、シンイチの手が少ししびれる。
「昨日は貴様に一発も食らわせられなかったんでな、その分こいつがうるせえんだよ!」
 フモニの攻撃は上から繰り出されてくる。シンイチは何度か受け流し、何度か身を引いてかわす。力が強い以外はたいしたことない相手だ。父や師匠や兄姉たちと何度も刃を交えた時の記憶が体の中によみがえる。何度も傷を負わされたものだ。彼らに比べれば――
「どうした小僧! 反撃できねえほど怯えちまったのかあ?」
 シンイチは大きく一歩飛び下がった。
「いいえ。むしろ、本当に反撃するとあなたはしばらく布団の上で暮さねばならなくなりそうですので、それを心配しているのですよ」
 それが逆鱗に触れた。フモニは大声をあげて、剣を振りあげた。
「貴様ああああああああ!」
 シンイチは目にもとまらぬ速さで刀を二度振った。振った勢いで風の刃が生まれ、フモニの鎧を直撃する。
「カマイタチだ……」
 ぽかんとした顔で、ネコ耳フードの青年はつぶやいた。
 カマイタチはフモニの鎧を傷つける。だがフモニはひるまない。シンイチはもう一度大きく飛び下がって、剣の一撃をかわす。
「反撃してほしいのですね? ならば、もう容赦はしませんよ」
 フモニのもう一撃。直撃すればシンイチの頭が卵の殻みたいに簡単に割られてしまいそうな勢いで、剣が振り下ろされてくる。
 シンイチは刀を両手で握りなおし、フモニの剣の一撃をかわす。そしてフモニが剣を引き上げる直前、その懐に飛び込んだ。同時に、一筋の銀の閃光がフモニの鎧を打ち砕く。冷気が周囲の野次馬たちを覆った。その冷気の直撃を食らった、フモニの割れた鎧の下は完全に凍りついている。
 奥義・凍滅。
 シンイチが体を引くと同時にフモニはどうと倒れた。鎧の下の凍結部分は、徐々に広がりを見せている。その凍結のショックが強かったものと見え、シンイチが細心の注意を払って様子を調べても、起き上がらなかった。
「死んではいませんよ、ご安心を」
 シンイチが刀を鞘に納めると同時に、周りから盛大な拍手。同時に周りの視線を浴びている事に気が付いた。また目立ってしまった。
「じゃ、じゃあこれで……」
 赤面したシンイチは後ろを向いて、逃げ出すように商店街を抜けて行った。
「すげえや」
 ウィルはその後ろ姿を見送り、つぶやいた。マーシアはうなずいた。
「あっ、やべえ! あいつに用があるんだった! おーい!」
 駆けだしたウィルとマーシア。二人は町の外でやっとシンイチにおいついた。
「あー、どこ行くかと思ったよ、追いつけてよかったあ」
「はあ」
 シンイチは、息を切らしている二人に、驚きのまなざしを投げた。
「して、わたしに何の御用ですか」
「あっあのさ、こいつなんだけど。お前さ、昨日落としたろ、あそこで」
 汗を拭き拭きウィルが差し出したのは、小さな竹筒だった。
「あっ、それはわたしの――」
 シンイチの反応。そう、荷物からなくなったのは、この竹筒だったのだ。
「助けてもらったお礼も兼ねて、これ拾ったから返すよ」
「ありがとうございます、恩に着ます」
 丁寧にお辞儀をして、シンイチはウィルからその竹筒を受け取った。見ていたマーシアは言った。
「その変な筒、なあに?」
「わたしの宝物ですよ。幼いころ、母上から頂いたものです。よろしければ、ご覧になりますか?」
「うん、ありがとう」
 マーシアは竹筒を受け取った後、シンイチの言葉に従い、穴がある側を目に宛てて太陽に向けた。
「なんだか望遠鏡みたいね。あっ。キレイ!」
 マーシアの目に入ったのは、竹筒の向こう側でキラキラ光り輝く小さな色とりどりの世界。回すとそれがいくつも変化して違う模様を作る。
「万華鏡と言う玩具です。きれいでしょう。母上が作ったものです」
「うん、キレイ! ステキ!」
 万華鏡に夢中になっているマーシアをほっておき、ウィルは言った。
「ところでさ、お前急いで逃げたほうがいいぜ」
「えっ」
「お前一騒動おこしたろ、さっき。もう役人が来てお前を探してるぜ」
「やくにん……奉行や岡っ引きのことですか?」
「ブギョーだかオカッピキだか、東の国の役人用語は知らんが、まあそんなものだと言っておく」
「で、逃げたほうがよい、と仰るのですか?」
「その通り、お前もの分かりいいな! つかまるとしばらく臭い飯を食うことになるぜ。あの乱暴者を倒したとはいえ、騒動を起こしたことは間違いないんだからな」
「わたしはむしろ巻き込まれた側なのですが――」
 その時、後ろから聞こえた声。
「こらー、お前たちだなー! 町中で決闘したのは!」
 数名の、鎧に身を固めたバンガたちが走ってくるのが見える。鎧をガチャガチャ鳴らしながら。しかもその鎧を見た時、
「やべえっ、役人じゃねえ。巡回騎士団の連中じゃねえか! 逃げるぞ! とっつかまったら臭い飯じゃあすまねえからよ!」
 ウィルはシンイチとマーシアの手を引っ張り、駆けだした。
 広い大地で、追いかけっこが始まった……。


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