第2章 part2



 ウィルとマーシアはくたびれきっていた。シンイチといっしょに逃げていたはずだが、いつのまにかはぐれてしまい、二人は港町から離れたところの小さな林の中にいた。シンイチがやっと逃げのびた河原とは反対の方向にある。二人は、騎士団の足音が聞こえなくなったのを確認し、やっと緊張の糸を緩めることが出来た。二人が本当にしゃべれるまで回復するのには時間がかかった。
「あーあ、全くえらいめにあった。あいつら、二手に分かれてまで俺達を追いまわしやがって。どんだけタフなんだよ、ほんとに」
 ウィルは草の上に座り込んで、大きくため息をついた。マーシアは革袋から水を飲んだ。
「私たち何にもしてないのに。巻き込まれただけよね。あっ」
「どうした」
 マーシアの片手には、シンイチの万華鏡が握られたままだった。マーシアは万華鏡をのぞくのに夢中になった上、巡回騎士団に追われたので、シンイチに返すのをすっかり忘れてしまっていたのだった。
「あの子に返すの、すっかり忘れてた」
「……俺にはむしろ、お前がずっとそれを握りしめて走り回ってた事の方が驚きだよ」
 ウィルは立ち上がった。マーシアも、革袋をしまって立ち上がる。
「で、どうするんだよ。まさか返しに行く、なんて言うんじゃないだろうな」
「もちろん、返すわよっ」
 言うと思った。ウィルはため息をついた。
「で、返すのは構わないけど、どこへ行ったか分かってんのか? 逃げ回っているうちに、いつのまにかはぐれちまったろ」
 しばしの無言。が、マーシアはポンと手をたたいた。
「このあたりの精霊たちに話を聞いてみればいいのよ! 友達に精霊術を教えてもらったから、会話くらいならちょっとはできるわよ」
「ちょっと、ねえ。お前、そんな――」
「何にも知らないより、ずっといいじゃないの」
 マーシアは精神を集中した。周りの木々に住む精霊たちの声を何とか聞き取ろうとする。かぼそい声が聞こえてくる。ささやきかけるような小さな声。精神をその声に集中していると、やがて声が徐々にはっきりと聞こえるようになってきた。マーシアは問いかけてみた。東の国から来たばかりの少年を知らないか、と。
 精霊たちは笑いながら答えた。東の国から来たその少年は、シークの子供とキラートマトを脇に抱えて、鎧を着たバンガの群れから逃げるために北へ向かって走って行ったという。その年齢の少年とは思えぬほど脚がはやかったようだ。さらに草の精霊と風の精霊に聞いてみると、北に向かって走り続けていると言う。
「わかった、北に向かったのよ。それにしてもタフみたいね、まだ走っているそうよ」
「まだ走ってるってえ。信じられないな。で、その変な筒、何て言ったか忘れたけど、返しに行ってこいよ。巡回騎士団との追いかけっこはもう嫌だぞ、俺は」
 が、マーシアは既に術の詠唱に入っていた。明らかにその言葉からして、ウィルも術の対象に入っている。ウィルは妨害しようとしたが、時すでに遅し。風の精霊の言葉によって、二人とも勢いよく北に向かって突き進んでいった。
「ちょっと早く進みすぎちゃった」
 精霊たちが運んで行った先は、小さな町の入り口だった。風雨にさらされている柵と粗末な木の門がある。
「彼、ここには来てないみたいね。北にある町はここだけのはずだから、必ずここに来ると思うんだけど……」
「はー、何で俺まで巻き込む……」
 ウィルは頭をかいた。
「先に進みすぎたんなら、歩いて戻るか? 精霊の移動だと早すぎたんだろ、自分の足で行けばちょうどいいと思うが」
「婚約者をおいていくなんて、そんな薄情なことできるわけないでしょ! それに、ウィルがあそこにずっといたとしても、巡回騎士団がまた追ってくるかもしれないじゃないの」
 マーシアは頬を膨らませた。
「でも、後戻りするって言っても、どのくらい戻ればいいのか分からないのよね」
「さっきみたいに精霊に聞けばいいだろ」
「ここらへん、精霊の気配が弱いのよね。ちっとも聞こえてこないの。それに、聞くだけでも結構消耗しちゃうんだからっ」
 言った先から、彼女の言葉を証明するかのように、腹が鳴った。
 酒場でたっぷり食べてから、マーシアとウィルは宿で部屋をとる。
「なんでまた一緒の部屋にする?!」
「いーのいーの」
 部屋に入って荷物を置く。それからマーシアは窓を開けた。
「あっ。見て!」
 風に乗って飛んできた紙を捕まえた彼女は、それを見て、歓声を上げた。
「ほら、見てこのチラシっ。あのラブリーボイスがこの町に来るんだって! きゃー、ステキ!」
「へー、あのアイドルグループが?」
 マーシアと違い、ウィルはそんなに興味を示さない。
「あら、興味ないの」
「俺はそんなのどうでもいいの!」
「どこ行くの」
「本屋」
 荷物を持って部屋を出て行ったウィルの背中を見送るマーシア。
「きっとアレを買いに行くつもりなのね。月刊ボンガのインタビューに回答してから、あのマイナー雑誌が好きになっちゃったんだっけ。バカ笑いできるからって。ふあああ」
 マーシアは疲れを覚え、帽子を脱いで固い布団に寝転がった。精霊使いでもないのに、精霊と心を通わせて話をすることは、非常に消耗の激しい作業なのだから。たちまち彼女は眠りに陥った。
 外に出たウィルは、本屋と思われる小さな店に入る。棚にはいくつも本が並んでおり、彼は何冊かを手にとってパラパラと中身を見る。十分ほどして、魔術書と発売したての月間ボンガを一冊持って、彼は店を出た。宿に戻る途中、広場で、モーグリたちがラブリーボイスのステージを建設中なのを見かける。ウィルはあいにくラブリーボイスには興味がなかった。歌って踊れて戦闘もこなせるアイドルグループより、月に一度の笑いを提供してストレスを発散させてくれるマイナー雑誌・月刊ボンガのほうが好きだった。
(またインタビュー受けたいな。どんな風に改変して載せてくれるのか想像するだけでも楽しいのに)
 初めてインタビューを受けたのが二年前。「今年の魔術師たちの目標」というテーマでのインタビューだった。適当に「術を四つマスターする」と回答して、後に雑誌を読んだが、改変されすぎていて、笑いすぎ腹がよじれてしまったほどだった。それ以来雑誌を買うようになり、内容を読んでは、かなりひどく改変されたであろうインタビューの回答に大笑い。編集長のコメントにもまた爆笑。これほど笑ったのはついぞなかった。またインタビューを受けてもいいと思うようになったのはそれからだった。そんなに好きならいっそ入社すればいいと誰かは言うかもしれないが、あいにく彼は入社したいとは思っていない、あくまでインタビューにこたえたいだけ。
 一方でマーシアは雑誌よりも、ラブリーボイスの大ファン。赤魔術師としても剣術使いとしても有望視されている彼女が自称「修行の旅」を続けているのも、あちこちでライブを開くラブリーボイスの生ライブを見逃したくないから、と言われている。ウィルもそう思っているのだが、真相は定かではない。
「あーあ、ライブにつきあわされるんだろうなあ」
 さっさと自分ひとりで旅を続けたいところだが、マーシアのことだ、婚約者と勝手に決めた彼をまた精霊の力を借りて探し出してしまうに違いない。根は悪くないのに一歩道を踏み外せばたちまちストーカーになりかねないマーシア……。宿に帰りつき、部屋に入る。ノックしてドアを開けたところ、マーシアがベッドで昼寝をしているのが目に入った。
(ああそうか、慣れない精霊術で消耗したんだな)
 月刊ボンガを読みたいところだが、大声で笑った揚句彼女を起こしてしまいそうで気が引ける。ウィルは向かいの古びた椅子に座って、買ったばかりの魔術書を読んだ。マーシアが目覚めたのは夕方前で、そのころにはウィルが机に肘をついてうとうとし始めていた。
 翌日は買い物に費やした。食料をたんと買い込み、ウィルはついでに魔法薬の材料を少し買う。それから宿でウィルが金の残りを数えている間、マーシアは外で精霊の気配を探り出そうと集中していた。やがて気配を探り当て、精霊の言葉を聞いた。
「この近くに来ているって。昨日は野宿していたみたいね。お昼ごろにはここに到着するかもしれないわ。そんなに離れていないみたいだから」
「じゃ、迎えに行こうか?」
「今は駄目。疲れちゃった……」
 マーシアはベッドに倒れ込み、もう寝息を立て始めた。疲労が一気に押し寄せたのだろう。ウィルはため息をつき、彼女に布団をかけてやった。
「いつまで足どめ食らわなくちゃいけないんだよ、全く」
 昼ごろに目を覚ましたマーシアと一緒に、あの万華鏡の持ち主を探す。この町に来ているはずなのだが、どこを探しても見つからない。酒場、露店、古物商、役所、色々覗いてみたが、収穫はなかった。
「本当にこの町に来てるのかよ?」
「ほんとだってば!」
 結局、日が落ちて町に魔法の明かりがともされる頃、探すのに疲れた二人はやっと宿に戻ってきた。結局、目当ての人物は見つからなかった。
「もう町を発ったんじゃねえの? これだけ探してもいないしさ、それか町を避けてどこか別の場所に行ったとか」
「うーん……」
 これ以上待っても仕方ないので、明日の朝に町を発つことにした。旅していればいつかは会えるだろうから、その時に万華鏡を返せばいい、ウィルはそう言った。マーシアはしぶしぶ従った。滞在費もばかにならないのだから、彼らの財布のためにも……。
 翌朝、二人は宿を出た。
「絶対ここに来ると思ったのになー」
「精霊の読みが外れるってこともあるだろ」
「まあ、そうなんだけど。あっ」
 マーシアはウィルの腕を引っ張って走り出す。一体何なのかと、ひっぱられる。マーシアの向かった先は、ウィルが見つけた、作りかけだったはずのステージ。木でつくられた間に合わせとはいえ、それはステージとしての機能は十分に果たしうるものとなっている。
 このステージの前に人だかりが出来つつある。
「キャーッ、ラブリーボイスの生ライブ!」
 マーシアは興奮している。
(ああ、そうか。ラブリーボイスが町に来るんだっけか)
 ライブに興味の無いウィルはその場を去ろうとしたが、マーシアがその腕をつかんで離さない。やがてステージの上にラブリーボイスが上がる。続いて上がる歓声。ウィルは思わず耳をふさいだが、マーシアはその歓声にまじって黄色い声をあげている。
 ラブリーボイスの四人組が歌い出す。見物人たちは歓声を上げる。
(ああもう、勘弁してくれよ……うるさくて仕方ねえや)
 ウィルは強引にその場を去ろうとして、どこかに逃げ道はないかと周りを見る。
「あっ」
 ふと見つけた、その人影。見間違いかと思いながら、一歩後ろに踏み出す。マーシアの腕を強引に引っ張り、さっき見たばかりの人影に向かって、人混みをかき分けて進む。混雑が少しずつ緩和されて行く。その人影は、ステージから離れたところに立っていた。そうして、やっと見つけた人影は間違いなく、
「あっ、あの子!」
 シンイチだった。歌に聞き惚れているのか、ぼんやりしている。足元には、あの港町で見かけたシークの子供がいる。
 シンイチの傍にたどりつく二人。頭にガブりんを載せた状態のシンイチはやっと我に返り、
「あ、貴方がたは――」
「よかったー、やっと会えたな」
 ウィルは心底からほっとした。
「やっぱり町にいたじゃないの、ウィル!」
「うっせーなー。ほら、お前用事あるだろ、マーシア」
 ぐいとマーシアを引っ張った。マーシアは耳を動かし、自分の用事を思い出したようだ。
「ああ、そうそう。これ、返さなくちゃ……」
 荷物の中から万華鏡を取り出し、シンイチにわたした。
「あっ、わたしの万華鏡……」
 シンイチの顔にあらわれる、心底から安堵した表情。
「二度もお二人に届けていただいて、本当になんと――」
「いや、感謝の言葉はいいから」
 長くなりそうなので、ウィルはさえぎった。周りの歓声で耳がおかしくなりそうだったから。
『はあーい、今度はみなさんにもお手伝いをおねがいしまーす!』
 ステージの上から降ってきた声につられる歓声により、ウィルの声はほとんど消されてしまった。
 ラブリーボイスのグリアの二人がしばらく観客を見回し、やがて顔を合わせてうなずいて翼を広げて飛んでくる。
「はあい、あなたたち、お手伝いお願いできる?」
 彼女たちの言葉は、シンイチたちに向けられたものだった。

 ライブが終わった。ステージから降りたシンイチは、まだ顔を赤く染め、心臓を高鳴りさせていた。
「夢みたーい! ラブリーボイスのライブで踊れるなんて! 一生懸命練習してきた甲斐があったわあ!」
 それ以上にマーシアは興奮している。ウィルは頭をかいた。恥ずかしさで頬を染めている。
「全く、何で俺まで……まあ魔法でステージを綺麗にかざれただけ、いいか。俺踊れないし」
「たのしかったねー、ガブりん」
「がうがう」
 ボロンとガブりんも、曲に合わせて、即興で作ったダンスを披露したのだ。踊っていると言うよりちょこちょことステージをかけまわっているといったところだったが、ラブリーボイスには好評。
 ウィルは、まだ頬を真っ赤に染めているシンイチの顔を脇からのぞく。
(こいつ女に対してそんなに免疫ないんだろうな。手を握られたくらいで、あんなに頬をそめちまって。あの東の国ふうの踊りはすごいと思ったけど)
 シンイチは剣術だけでなく、母の意向で舞踊も習っていた。そのため、恥ずかしながらも、スローな曲に合わせた優雅な舞を披露することが出来たのだった。ちゃんとした衣装を身につければ映えるだろうが、あいにく舞のための衣装はなかった。
 シンイチはまだ興奮冷めやらぬまま。大勢の注目を浴びることは大の苦手だが、それ以上に彼の顔をまだ赤く染めさせているのは、ライブの終わりに、「ありがとう」とラブリーボイスたちが手を握って微笑み、礼を言ったことだった。母や姉以外の女性から手を握られたことなどない。そもそも知らぬもの同士がいきなり手を握り合うなんてことは、東の国ではなかったことなのだ。くわえてラブリーボイスの皆は美人揃い。女性慣れしていないシンイチが頬を赤く染めたのも当然であった。
「さ、ラブリーボイスの次のステージめざして、突っ走らなくちゃ!」
 マーシアは意気込んだ。ウィルは今のうちにと逃げようとするが、マーシアは彼の腕をがっちりつかんで離さない。
「なんで俺までつきあわせるんだよ!」
「婚約者を置いては行けないもん。どこで結婚式をあげるか決めなくちゃね!」
 ウィルが反抗する間もなく、マーシアは精霊術を詠唱、風の結界に包まれた彼らは、あっというまに見えなくなってしまった。
「あーあ、行っちゃったね」
 ボロンとガブりんは、つむじ風を見送った。シンイチはまだわずかに顔を赤らめたままだったが、やがて大きく深呼吸した。
「そうだね。じゃあ、わたしたちも行こうか」
「行くって、どこへ?」
「どこって、風が教えてくれているじゃないか」
 シンイチはつむじ風を追って、歩き出した。ボロンとガブりんは後を追い、皆は東へと歩き出した。

「あの小僧は……」
 シンイチたちが町を去ってから、何者かが建物の陰から彼らの去った後を見つめていた。


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