第3章 part1



 丈の高い草むらがたくさん、街道の周りに生えている。シンイチの見たことのない草だ。いちいち触って確かめてみるが、どれもただの雑草だとボロンは言った。
「でね、シンイチにいちゃん、魚のよく釣れる穴場、こっちにあるんだよ」
 そこに到着したのは昼下がり。
「ところで」
 ボロンの案内した穴場。傍には細めの木が何本か生えている小さな川。枝と丈夫な糸を使って魚を釣っているとき、シンイチは問うた。ボロンは、釣れた魚を枝にさして、起こしたばかりの火の周囲に並べている。ガブりんはまちきれないのか、よだれを垂らしている。だが、一生懸命我慢しているだけ褒めてやってもいいだろう。
「昨日、わたしが君にデュアルホーンのことを聞いた時、何かにたとえたね。何だっけ、よく聞き取れなかったんだが」
「んー。ああ、アレね」
 シンイチが小魚を釣り上げると、ボロンはうまくそれを捕まえた。
「カミュジャ、だよ。このユトランドだとすごく有名なんだよ!」
「そのカミュジャ、とは何だい?」
「なんてーのかな、でっかい組織ってやつ! 昔っから有名だよ! 悪いことするとカミュジャが来るよって、言われるくらいにね」
「へえ、烏天狗みたいなものか……」
「からすてんぐ?」
「わたしの故郷では、悪いことをすると烏天狗がさらいに来るぞと、言われるんだよ。カラスと人間を混ぜたような物の怪で、空を飛ぶことが出来るらしい。実際にわたしは見たこと無いけどね」
 焼けた魚を食べる。小ぶりな魚が多いが、身はそれなりに美味い。食べながらボロンは話をした。知っている限りのカミュジャの知識。シンイチは、「カミュジャとは、昔からユトランドでその名を知られた組織である。その組織自体は存在するのか分からず、伝説と思われてきたが、デュアルホーンとの衝突によってその存在が明らかにされた」と頭の中でまとめた。さらに、子供をいさめる時にその名を口にするということは、カミュジャは人身売買を主とした犯罪組織なのかもしれない。あるいは昔どこかの国だったのが没落し、生き残りが国の再興を願って作りあげた組織なのかもしれない。シンイチの故郷東の国にも、カミュジャのような組織は存在する。裏世界と言うのはどこにでも存在するようだ。
 魚を食べ終わり、水をかけて火の始末をする。ここから少し歩いたところに、休むのにちょうどいい岩場があるからと、ボロンは北を指差す。目を凝らすと、その岩場が見えてくる。ボロンにとってちょうどいいということは、シンイチにとっては窮屈ということにもなるかもしれない……。泥の中で眠るよりはいいかもしれないが。
 さあ歩き出そうとすると、東の方から小さな竜巻が向かってくるのが見える。こちらへ強い風が吹き付けた。立っているのも困難なほど強い風だ。竜巻が勢いよく向かってきて、彼らが逃げる間もなく、吹き飛ばした。
「あっ、ごめんなさい!」
 聞き覚えのある声が、シンイチたちの前から聞こえた。風がピタリとやむ。受け身をかろうじてとったシンイチと、無様に頭から草に突っ込んだボロンとガブりんは、その声の主を見て、あっと声をあげた。
 マーシアが、目の前に立っていた。
「ねえ、いきなりで悪いんだけど、私のフィアンセ、知らない?」
「ふぃあんせ?」
 首をかしげるシンイチ。
「婚約者の事よ! ウィルを見なかった? ほらあの、真っ白なネコ耳つきフードをかぶってる――」
「ああ、あの方ですか。い、いえ、お会いしていませんが……」
「もう、ここにはいないのね。ホントにもう。結婚式場の下見ができやしないじゃないの」
 マーシアは頬を膨らませた。
 そしていきなりシンイチの手をとり、
「ねえ、貴方達も一緒に探してちょうだい!」
 突然の言葉、シンイチは硬直した。
「ヴィエラとヒュムが結婚するなんて聞いたこともない、なんて思ってるんでしょ。でも、ウィルは私のフィアンセなのっ。そう言ってくれたんだから!」
 頬をそめたマーシアはくどくどと、ウィルと彼女が婚約するまでの説明を始めた。
 その長い話を要約すると、次のようになる。

 マーシアとウィルが「婚約」したのは、十五年前のこと。ヴィエラの集落がある森の近くに、ウィルの住んでいた村がある。森にはたびたびモンスターが現れて村や集落を襲うこともあるが、それ以外ではいたって平和であった。そんなある時、大移動するベヒーモスの群れが、運悪くヴィエラの集落の一部を破壊して食糧を食い荒らし始めた。食物をもとめて移動するベヒーモスは珍しくはないが、群れをなす事はなかった。数が多すぎたために、ヴィエラたちや村の若い衆だけではベヒーモスの群れを追い払うことは出来なかった。結局あちこちにクエストを出して色々なクランに駆けつけてもらい、数日かけてやっと全て追い払うことが出来たのだった。このベヒーモスの群が去った後、ヴィエラの集落だけでなく、村の食料庫も目をつけられて、ベヒーモスに蹂躙され壊滅状態。村も集落も、死傷者多数。親を亡くして孤児となった子供たち。マーシアもその一人であった。

「悲しくてさびしくて、毎日泣いてばっかりだった……。そんなとき、ウィルが慰めてくれたのよね。『じゃあ、おおきくなったらケッコンするから。そしたらずっといっしょにいられるからさびしくないよ』って。本当にうれしかったわ、驚いちゃったけど――」
 たぶん、当時のウィルは結婚の意味を知らなかったのではないだろうか。
「口約束だし書類も何もないんだけど、私はウィルと結婚するの! 種族が違うから子供は出来ないだろうし、ヴィエラの私の方が長生きしてしまうだろうけど、それでもいいの!」
 それからマーシアはシンイチに向き直るや否や、
「てなわけで、ウィルを探すの手伝ってくれる? あなた歳のわりに強いみたいだし、それ相応の報酬は出すから」
 マーシアに手を握られっぱなしで顔が真っ赤になっていたシンイチ。なかなか言葉が出てこない。
「ま、まあ……袖すりあうも多生の縁とは言いますが、その――」
 実際こんな時に使うことわざではない。
「東の国の言いまわしはどうでもいいから! 行きましょ!」
 マーシアはシンイチたちの返事も聞かず、腕を引っ張った。シンイチは半ば引きずられるようにしてついていき、ボロンとガブりんは一度顔を見合わせた後、ちょこちょこと駆け足でついてきた。
 皆が去った後、しばらくしてから、草むらから顔を出した何者か。
「やはりあの小僧は――」
 何者かは、すぐに駆けだした。その顔に、不気味な笑みを浮かべて。

 無理やりマーシアに引きずられながら草原を抜ける。草原を抜けると、草は少なくなり、木々が目立ち始める。もとは林であったようだが、木々は半分以上切り倒されている。
「どうしようかなあ」
 マーシアは地面の上に、近くの枯れ木から折った枝で、何やら描いては消している。
「この陣だと駄目だし、これだけだと消耗が大きすぎて私がもたないし――」
 ボロンとガブりんは岩にもたれて休憩中。疲れた様子も見せないシンイチは、マーシアの描く不思議なものを見つめている。東の国では見たことの無いものだ。円を描き、その中に色々な物を描いては、マーシアは消してしまう。それがシンイチには面白く見えた。落書きではないことはわかっている。白魔術や黒魔術に関係したことなのだと、頭の中で考える。東の国でも地面に何かを描いてその力を引き出す術は存在するが、それは五芒星を描いて行う。
「おもしろい陣ですね。何の力を持つのですか?」
「これ? 普通の転送用の魔法陣なんだけど、珍しいの?」
「円を描く陣を見たのは初めてですから……」
「あなたの国じゃ違うのね、きっと。あっ、そうだ」
 マーシアは何かを閃いて、今まで描いてきた魔法陣を全部消してしまい、代わりにものすごい勢いで別の陣を描き上げた。
「どこへ行っちゃったか分かんないなら、こっちから呼び出せばいいのよ! 万事解決!」
 円の中にいくつもの星や円や奇妙な文字が描かれている。この陣でいったい何が起こるのだろうとシンイチは首をかしげた。
「あっ、駄目だわあ、こりゃ」
 マーシアはうなだれてしまった。
「召喚に必要なものを何にも持ってなかったんだったわ……あーあ」
 結局消してしまった。真似をして描いていたシンイチだったが、結局自分のも消した。描いたままにすると何かが起きるかもしれないと思ったからだ。
「魔法陣は諦めなくちゃだめね。ウィルは結構ひとを撒くのが上手いから。一体どうしてそうなっちゃったのかしら。普通に学んだだけじゃあ、あんなに上手く術の軌跡を消せないのに」
「おねーちゃんがそのひとのこと追いかけまわすからじゃない?」
「がうがう」
 ボロンとガブりんが言うも、マーシアは聞いていない様子。
「しょうがないわ、地道に探しましょう。式には、やっぱりジングパールをあしらった指輪なんてよさそーねー、後は、ラブリーボイスをゲストとして招待出来たらいいんだけど――」
 ひとりで結婚式の妄想に入り浸り。その間、ガブりんは岩をかじって牙をけずり、ボロンは大あくびを繰り返し、シンイチは自作のデタラメな魔法陣を地面にカリカリと描いては消して、それを繰り返していた。
「よし」
 マーシアが何かを決意したようだった。
「とにかく、あちこち探すっきゃないっ。精霊に聞いた方が早そうね」
 言うが早いか彼女はレイピアの柄に手をかける。シンイチは立ち上がる。
「でもその前に、モンスター退治っ」
 マーシアとシンイチがそれぞれの武器を鞘から抜き放ったと同時に、空を切って飛来した何かをたたき落とす。地面の上に落ちたのは、鈍い光沢を放つ刃物。薬のにおいがする。
(このにおい!)
 鼻を突くきついにおいに、シンイチは反応した。東の国の毒草のにおいだ。
「モンスターじゃなさそうね。出てらっしゃい!」
 マーシアがレイピアを、刃物の飛んできた方向へ向け、大声を出す。言われなくともと言わんばかりに、大きく茂った草の塊から、何かが飛び出した。
 飛び出してきたのは、初老のヒュムの男だった。草色の、東の国の装束に身を包み、険しい表情で、手には毒をぬった刃物を持っている。それが匕首であることは明白。
 男はシンイチに斬りかかった。シンイチは相手の匕首の攻撃をいずれもぎりぎりのところで防いでいる。防ぐことしかできない。斬りかかる隙がないのだ。男は不気味に笑っているのに、シンイチは真剣そのものだ。
 男は、不意に大きく飛び下がって距離をとる。
「久方ぶりだな、シンイチ、くくく……」
「貴様……!」
 男とシンイチの間で、殺気がぶつかりあった。
「知り合いなの?」
 どこか質問がずれているボロン。互いに殺気だったこの様子を見る限り、シンイチとこのヒュムの男は知り合いというより不倶戴天の敵同士といったほうがぴったりではないだろうか。初老の男は不気味な笑いを浮かべ、いきなり魔法の光に包まれ消えてしまった。
「テレポね……どこかへ行ったのね」
 マーシアはレイピアを鞘に収めた。シンイチはまだ刀を手にしたままだ。
「シンイチにいちゃん……今の変な奴は誰なの?」
 改めてボロンが質問する。
「……奴は、二年前にわたしの里から逃亡した悪漢だよ。いや、悪漢という言葉ではとてもあの男の全てを言い表すことなどできないと思うが――まさかこんなところで出会うとは思わなかった」
 怒りのこもった口調。表情にもそれが現れている。
「へー、別にあなたを狙う刺客じゃあ無かったのね」
「当たり前です!」
 シンイチは思わずマーシアに怒鳴った。
「とにかく、奴がまた現れないうちに、ここを発ちましょう! 先ほどみたいに、いきなり襲いかかってくるかもしれません」
 シンイチは言うが早いか、刀を鞘に収め、北に向かって急ぎ足で歩き始めた。他の皆はそれを追いかけた。

 グラスの町に到着したのは、それから数日後の事。幸い、モンスターに時々襲われる程度で、あの時の刺客らしきヒュムの男には一度も襲われなかった。そしてウィルにも会うことはなかった。町に到着してからすぐ宿をとり、相部屋に入って荷物を下ろした。
 外は曇りであったが、宿屋に入ると、すぐに雨が降り始めた。
「そういえば、あの変な奴、結局なんだったの。あなたちっとも話してくれなかったけど」
 宿の食堂兼酒場にてたらふく夕食を詰め込んだ後、部屋に戻った皆は、シンイチを見た。ガブりんだけは、床に寝そべって寝息を立て始めたが。
 マーシアはベッドに腰掛け、ボロンは机の上に乗る。シンイチはなぜかもう一つのベッドの上に正座して(座布団と同じ座り心地だったからかもしれない)、話を始めた。

 シンイチの故郷は、国の西にある。里の規模は小さいが、国の歴史において、男女を問わず優れた武術者を輩出してきたところとしてそこそこ知られている。当然シンイチも、歴史上の武術者のような立派な武人となるべく、幼いころから稽古をつけられてきた。父は誰であろうが厳しく接し、決して甘やかすことはなかった。里の子供たちがそうであるように、シンイチは武術以外にも礼儀作法や舞踊、学問、色々と教え込まれて育てられた。
 現在から二年前の冬に起きた逃亡事件。逃亡した男の名は、タイゾウ。里の武人の中でも特に武術に優れており、里の長老に護衛役として仕えていたが、ある時突然長老を暗殺、他の護衛を何人も斬り殺して逃亡した。里は総力を挙げてただちにタイゾウを追跡した。腕の立つタイゾウは里の武人たちを殺害しながら逃亡。里の者は、一時はタイゾウを崖っぷちに追い詰めることに成功したものの、タイゾウは自ら崖を飛び降り、下を流れる大きな川に飛び込んで、そのまま流されていった。それきり、タイゾウの行方を知る者は誰もいなかった。

「激流に流されて行ったから、死んだと思っていたけれど、まだ生きていたとは――」
 シンイチは、話し終えると、膝の上でこぶしをぐっと握りしめた。怒りで奥歯をぎりぎり噛みならしている。
「あの変なヒュムの男については、これで知ることが出来たわけね」
 マーシアは脚を組みかえた。
「でもその殺人鬼が、なんであなたを襲ったの」
「あれは挨拶のつもりだったんでしょう。わたしに斬りかかったあの時、あの男は本気を出してはいなかった……!」
 マーシアは目を丸くした。ボロンは驚きの声をあげた。ガブりんは寝たまま、いびきをかいた。
「どうして、あなたはそんなにあの男を憎悪しているの」
 マーシアの質問。ぶしつけにもほどがあったが、シンイチは、応えた。
「あの男は、わたしの母を殺したんです!」

 雨が上がり、月が雲の陰から時々顔を出している。
 タイゾウは、その周りを、大勢の不気味な連中に取り囲まれていた。
「貴様があのタイゾウだな。里で殺人を犯し、逃亡したと言う――」
 不気味な連中のひとりが、言った。タイゾウは、口を開いたその独りにだけ視線を向ける。
「率直に言おう、我々は、貴様を雇いたい」
 タイゾウはそれを聞き、かんらかんらと笑う。
「雇いたいだと? このわしを? ただの老いぼれ野盗となった、このわしをか?」
「貴様がただの老いぼれかどうか、数日前に答えは出ている。我々は貴様の腕を高く評価しているのだぞ。もう一度言う、我々は、貴様を雇いたい」
「わしを雇って何をさせたい。まずは、そいつを聞かせてもらおうか。返事はそれからだ」
「愚問にもほどがある。貴様にさせたいことは一つしかないだろう」
 返答を聞いたタイゾウは、またかんらかんらと笑った。
「よかろう、だがこちらが望むだけの報酬は支払ってもらうぞ」
「我々は貴様をあざむきはしない。安心しろ」
 月が雲に隠れ、しばらくしてから顔を出す。すると、その場には、人っ子一人いなかった。まるで煙のようにかき消えてしまったかのようだった。


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