第3章 part2
ウィルは、カモアの町で嬉しそうにインタビューに答えているところだった。マイナー月刊誌「月刊ボンガ」の編集長は、シーク族特有のでっぷりとした腹をゆすりながら、にこにことウィルに質問している。そして回答をもらったあと、
「いやあ、あなたにはいつも感謝感激雨あられ! 毎度インタビューにはきちんと答えてくださいますからなあ」
「いえいえ、俺でよかったらいつでもどうぞ」
インタビューのお礼にと、編集長はウィルに甘い粘液の入った瓶をくれた。
「おお、こいつはいいや。あとで薬の調合に使えるぜ。やっぱり、編集長のおっさんは、わかってくれてるねえ。俺のほしいものを毎回くれるんだから」
荷物の中へそれをしまうと、ウィルはあるきだした。
マーシアの術から逃れて、急いでテレポで逃げ出した。それからずっと彼は、自分の術の痕跡を残さないように特殊な薬を作っては飲んでいる。それには甘い粘液が必要なので、今回のインタビューの報酬はありがたかった。材料の中には、特定の季節にしか咲かない花や、危険な場所にしか生息しない生き物のうろこなど、入手には困難なものもある。だが、月刊ボンガのインタビューに答えていれば、毎回編集長は報酬としてアイテムをくれる。ラッキーなことに、その報酬はウィルが今ほしいと望んでいるものばかりであった。彼がこころよくインタビューに答えるのは、雑誌を読んで大笑いしたいだけではなく、編集長が彼の望むものを渡してくれるからなのだ。
(はーあ、それにしても、昔、衝動的に言っちまったことを今でもしっかり覚えてるなんてなあ)
あの港町で偶然再会した時から、マーシアは本気でウィルと結婚式を挙げるつもりでいるのだと確信するのに時間はかからなかった。どう考えてもマーシアの方がウィルよりも年上なのだが、幼いころのあの言葉が本気のものだと未だに信じ込んでいる……。
「子供のころ、慰めたくて何とか口に出せた言葉が、アレだったなんて――」
宿に帰ったウィルの顔が真っ赤になった。彼自身、あの時のことは鮮明に覚えている。泣き続けるマーシアに「ケッコンしたら、いっしょにいられるから」と――。
「覚えたての言葉使いたかっただけなんだよなー」
ウィルは、荷物をデスクの上に置き、フードつきのマントを脱いでハンガーにひっかけた。昼寝しようかとベッドの布団に寝転んですぐ、彼は目を閉じて寝息を立て始めた。
いつのまにか、雨が降り始めていた。土砂降りの上に、雷までもが鳴る始末。彼は一時間も眠らないうちに目をぱっちりと開けてしまった。
「ああもう、雨がうるさい! 寝てられないぜ」
眠りの浅かったウィルは、機嫌の悪いまま、薬の調合をした。薬草を粘液と一緒につぼの中で混ぜ合わせるだけの簡単な調合法だが、その薬草のいくつかは高値で、飲まず食わずで数ヶ月働いてやっと種をひとつぶ手にすることが出来るか否かの値段。ウィルはそれらを惜しげもなく使っている。どろりとした甘い液体を飲み干すと、彼の魔力の痕跡は一時的に消える。おかげで、精霊たちの力を借りることのできるマーシアをまくのに役立っている。精霊たちは、魔力の痕跡から個人を特定することもできるからだ。彼の調合した薬は、嗅覚の優れた犬の鼻を一時的に効かなくさせるのと同じ効果があるのだ。
(俺が故郷を飛び出したのだって、必死で勉強してこれっくらいの高位の術や調合術を修めたのだって、結婚なんかしたくないからなのに――)
思い込みの強さと強引さがなければ、マーシアはいい子なのに……。
(あーあ、なんであんな事言っちまったかねえ)
頭を抱えながら、財布をひっつかみ、酒場へ食事をとりに行く。ちょうど、町に立ち寄ったクランが食事をとっているところで、広い酒場の席の半分は彼らによって占領されてしまっている。ウィルはカウンターの席に座り、メニューを見てから適当に注文する。運ばれてきた料理を食べ、酒を飲みながら、ウィルは、わいわいとにぎやかに食事をしているクランのメンバーを観察する。
(あれは、ガリークランだな)
ウィルは次の人物に目を止めた。黄色い服をきたヒュムの少年ルッソ。赤く大きなリボンが特徴のキャット・アデル。吟遊モーグリのハーディ。クランのリーダー、シド。そのうちハーディが「一曲弾くクポ!」と張り切りだして、誰も立っていないステージを借り、見事なストラディバリで演奏を開始。酒場の客は皆それに聞き入り始める。ウィルはクランの観察をしていたので、音楽など耳にはいってなどいなかった。ヒュム、ヴィエラ、モーグリ、バンガ、ン・モゥ、シーク、グリア。全ての種族が集まって和気あいあいと食事をとっている。ウィルは以前もガリークランを見たことがあるのだが、今のガリークランほど、メンバーが楽しそうにしているのを見たことがない。たぶん、ルッソがクランに加入してからだろう。リーダーのシドよりも、ルッソがクランの中心となっているのだ。
ハーディの演奏が終わって、酒場の者たちは一斉に拍手する。いちおうウィルも手をたたいた。ハーディはぺこりとかわいらしくお辞儀した。
食事を終えたウィルは勘定を払って出ようとする。出口で、ドアわきの壁にもたれかかっている一人の男に、何気なく目を向けた。その男は、長く旅をしているのか、着ている衣は擦り切れ、汚れがある。帯には刀をさし、その刀はよく使いこまれており、柄頭や鍔は傷や擦り減りがある。
目を合わせること無くウィルは酒場を出ようとする。あまりじろじろ見ていると喧嘩を売られるかもしれないからだ。
(おっかねえのには、あまりかかわらない方がいいんだよなあ。よほど己の腕前を買い被っている奴以外には)
が、相手の方からかかわってきた。
「ひとつお尋ねしたい、フリメルダという名に聞き覚えは?」
「フリメルダ?」
突然声をかけられたウィルは内心イヤイヤながらも、記憶をたどる。フリメルダ、女の名前だ。聞き覚えはあるが一体誰だったか……。
「ああ、そうか! 剣聖フリメルダ! 思い出した。剣の名手とうたわれる、あのフリメルダだろ?」
「その通り。で、今何処にいるか、知っているか?」
そこまでは知らなかった。その回答を聞いた旅人は小さくため息をつき、礼を言った。ウィルはさっさとドアを通り抜け、外へ出た。冷たい夜風が、ひんやりと彼の顔をなでては通り過ぎていった。
(あの様子だと、あの伝説の剣士を探してるっぽいな。でも、最近全然そのうわさ聞かないよな、フリメルダがどこかで活躍してるなんて――。まあいいや、俺には関係ないことだし)
宿に着き、ウィルはすぐにベッドに倒れて眠りについた。腹いっぱいになったらすぐに寝る、これが彼のライフスタイルであった。
厚い雲に覆われ、月の出ていない暗い夜。寝静まった町の裏通りを、何者かが足音もなく、駆け抜けていった。
翌朝、太陽が昇るより少し早く、ウィルは目を覚ました。大きなあくびを一つして、背伸びをする。窓を開けると、
「……ユトランドの住人じゃない誰かが、大勢で、この辺りを通ったようだな。しかも夜中ごろに」
ウィルは誰もいない通りを見下ろして、つぶやいた。残った魔力の微妙な違いを感じ取ってのコメント。高位の魔術を修めた者ならば誰でも魔力の分析が可能なのだ。
「わざわざ夜中に通るとは、何かありそうだなあ。かかわらないうちに、さっさとおさらばだ」
ウィルは身支度を整え、部屋代を宿のおやじに払って、大急ぎで宿を出て行った。
胸騒ぎ。何か嫌な予感がする。そしてウィルの予感は、めったに外れないのだった。
「とりあえず、グラスの町にでも行こうか」
ウィルがテレポを詠唱すると、彼は光に包まれた。これですぐに町につけるはずだった。
「あっ、やばい」
しかし、町から離れた森のはずれに到着してしまった。しかも、周りは、飢えたウルフの群れ。いきなり現れたウィルにたまげたが、すぐに、よだれを垂らして襲いかかってきた。
数秒後、ウルフの群れは、ブリザラの氷の中に閉じ込められていた。
「テレポは失敗したけど、歩いていくか。ここからなら夜までにはつけるしな」
ウィルは口笛を吹きながら、のんびりとグラスの町へ向かって歩き始めた。そして、彼がグラスの町に到着したのは、太陽が西の空に沈むころだった。
「あの戦いからまだひとつきも経っておらぬというのにこの有様……」
「我々が裏側を支配するに値する国だというのに――」
「あの方々が、この国の支配を諦めてしまわれるとは……だが我々は諦めはせぬ。あの生意気な小僧の率いるクランとやらに力を奪われてしまっても!」
深い森の中、不気味な連中は足音もなくどこかへ走っている。そしてその中には、タイゾウもまじっていた。
(こやつら、ユトランドのものではないことは明白だ。目的はおそらくユトランドの侵攻。昔の血をまた騒がせるのに一役買ってくれそうだな。先日シンイチと戯れた時以上に、面白いことになりそうだ)
森を抜けた不気味な連中は、グラスの町に向かって、走り始めた。
夕暮れをすぎ、空が夜の帳で覆われ、さらに町の明かりが消えていくころ、不気味な連中はグラスの町に到着したのだった。
夜が来た。柔らかな布団の中で、シンイチは眠っていた。だが、ふと目を覚ました。隣のベッドではボロンとガブりんがいびきをかいて眠っている。そっと身を起こしたシンイチは、ベッドから這い出る。布団ではないことを思い出すや否や、彼はベッドから床に落ちた。その派手な音で、ボロンとガブりんは目を覚ました。マーシアは隣室で寝ていたが、その派手な音が聞こえたらしく、ねぼけまなこで部屋のドアをノックし、開けた。
「す、すみません……起こしてしまって」
受け身はかろうじてとったものの、木の床はやはり痛いものだ。
「いーのよ。私もどうやら、起こされたみたいだもの」
マーシアのねぼけた顔が急にシャキッとした。部屋の隅にともしてある、申し訳程度の魔法の明かりで見ると、マーシアはすでに着替えてレイピアを手にしている。髪には寝ぐせがついたままだが。
「もしかして、あなたもですか?」
シンイチはすぐ立ち上がり、素早く着物を身につけ、帯を簡単にしめた。枕元の刀を素早く手にとって、帯にさす。
「まーね」
マーシアは、シンイチの身支度が整うまで廊下にいたが、支度を終えたとわかると、部屋に入ってきた。
「たぶん、あいつらの仕業よ」
マーシアはそっとカーテンを開けて外を覗く。シンイチも真似して覗いてみる。裏通りに面したその細い通路。目をよく凝らして見る。
足音も立てずに動き回る不気味な連中がいる。
「!」
シンイチは身構えていた。その不気味な連中の中に、確かにタイゾウの姿を見たのだから。
(タイゾウ! なぜここに?! わざわざわたしを追ってきたのか?)
「夜ぐらいゆっくり寝かせてくれないものかしら」
マーシアはため息をついてカーテンを下ろした。ボロンはまだうつらうつらしている。ガブりんは、唸り声をあげて警戒している。
「がう!」
いきなりガブりんがドアに向かって電光石火の勢いで飛びついた。しまっているはずのドアは、あっけなく、ガブりんの牙で噛み砕かれた。牙の破壊力はとんでもない。砕けたドアの破片の向こうで、ガブりんが何者かにかみついた。
「ぎゃあああ!」
男の悲鳴。シンイチとマーシアは武器を構え、ボロンは驚いたがすぐシンイチの後ろに隠れた。
ガブりんが噛みついたのは、柿色をした異国風の装束に身を包んだ男だった。ガブりんは牙を立てるのをやめてさっさと逃げ出し、シンイチの後ろに回り込んで隠れる。ガブりんが噛みついていた男は顔に傷を負い、だらだらと血を流している。
「このっ……」
ガブりんに向かって叩きつけられるであろう罵声は、最後まで出ることはなかった。マーシアがスリプルを唱えたのだ。男は眠気に耐えられず、その場に倒れてぐうぐう眠り始めた。
「こいつはいったい何かしら」
マーシアは用心深く男を調べる。装束の一部に、奇妙な飾りが付いている。異国の文字だが、言葉を多少かじったことのあるマーシアには何とか読みとることが出来た。
「デュアルホーン……?」
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