第4章 part1



 デュアルホーン。
 マーシアの読みとった文字は、間違いなくそう書いてあった。
「まさか、あのデュアルホーン?」
 マーシアは、信じられないと言った顔で、立ち上がった。
「でも、ガリークランにやられて、撤退したって聞いているのに。残党かしら」
「ほ、ほんもののデュアルホーン……」
 ボロンはびくびくしながらも、好奇心を抑えきれない様子だが、ガブりんは明らかに警戒している。先ほども噛みつきに跳んでいったくらいだから。
「何しにきたのかな」
「物盗りかもしれないわ」
 マーシアの言葉の直後、
「違うぞ」
 ドアの向こうから聞こえてきた声に、皆身構えた。ガブりんだけ、なぜか身がまえないで、嬉しそうに「がうがう」と声を上げる。そしてその声の主が姿を見せた時、
「ウィル!」
 マーシアは思わず黄色い声をあげた。ウィルはため息を一つついて、シンイチを見る。
「どうもお前とは縁が切れないらしいなあ」
 そして、廊下にまた目をやる。
「あの変な連中、お前を狙ってるっぽいんだよな」
 廊下を指差す。皆が廊下を覗くと、そこでは、眠らされた不気味な柿色の装束の連中が床の上でいびきをかいている。マーシアが廊下にいた時は誰もいなかったのに。
「この宿には他にも宿泊客がいる。でも、あいつらはそろってお前のいる部屋目指して進んできていたんだ。他の客室には目もくれなかったんだぜ。お前、あいつらと何かかかわりがあるのか?」
「……わたしは決してこいつらの仲間ではありません。こいつらの仲間が、わたしを知っている。それだけのことです」
 シンイチは苦々しい表情になった。
「その通り」
 何処からか声が聞こえた。
「タイゾウ!」
 表情の変わったシンイチは左右を見回し、刀の柄を強く握りしめた。皆はどこから声が聞こえたのかときょろきょろ周りを見る。
「どこだ! どこにいる!」
「怒りを鎮めろ、シンイチ。くくく……焦っていては、敵の気配を感じ取ることもできんぞ」
 声はそのまま、どこからか聞こえてくる。
「今宵はほんの挨拶代わりだ、シンイチ。まさか、こやつらが手を出す暇もなく術にやられるこんな無様な結果になるとは思ってもみなかったがのう。くくく、このデュアルホーンとやら、わしの血をひさかたぶりに騒がせてくれるわい」
「姿を見せろ、タイゾウ!」
 シンイチは先ほどの冷静さをすっかり失っている。それをあざ笑うかのように、タイゾウの声は響く。
「今宵はただの挨拶。またすぐに会うことになろう。もっとも、次に貴様がわしと刃を交えれば、貴様が冥府にむかうかもしれんがなあ、はっはっは。そこにいる三人と、奇妙なトマトもそいつを楽しみにしておれ。シンイチが血の海に沈む様をな! はっはっはっは……」
 声が少しずつ小さくなる。同時に、廊下や部屋の中でぐうぐう眠っているデュアルホーンの連中が転送魔法でどこかへと姿を消してしまった。
「逃げた!」
 いきりたつシンイチ。部屋を飛び出そうとするが、すぐウィルが左腕をつかんで引きとめた。
「よせ! 命を取られなかっただけでもありがたく思えよ!」
「放してください!」
「落ち着け! お前はちっと落ち着いた方がいい!」
 ウィルが言うが早いか、シンイチは倒れて眠り始めた。ボロンとガブりんは仰天した。
「わーっ、シンイチにいちゃーん!」
「がううーっ」
「大丈夫だよ、寝てるだけ。そうでもしないとまたこいつは飛び出していきそうだからな」
 ガブりんに噛みつかれそうになったウィルはあわてて弁解した。その手にはスリプル草を持っている。
「それもそうね。寝て落ち着いてくれれば幸いだわ」
 マーシアはレイピアを鞘に収めた。
「それにしても、私たちのピンチに気が付いて駆けつけてくれるなんて、嬉しいわあ! やっぱり私のことを心配してくれてたのね!」
「偶然だってば! ちょうど俺は町に着いたところだったんだよ」
 一晩明けた。あれだけの騒動があったのに、客も宿の主人も誰一人としてそれに気が付いていなかった。昨夜ガブりんが牙で砕いたドアは、修復用の薬でこっそりと直しておいた。
「昨夜は見苦しいところを見せてしまい――」
 眠ったおかげで落ち着きを取り戻したシンイチの平謝りを、他の皆はやめさせる。
「いいんだよ。俺、だいたいの事情は皆から聞いたから。まあ、俺もお前の立場なら、あいつを追いかけていっただろうし」
 ウィルはマーシアにべったりひっつかれているが、諦め顔になっている。
「で、お前はこれからどうするつもりなんだ。あの連中、またお前を狙ってくるはずだ。まあ、あんな言い方をしたんだ、その場にいた俺達もターゲットに入っているだろうけど」
「そうですね。タイゾウがわたしを遊び半分で狙っていることは確実ですから、わたしはもっと修行を積んで腕を磨かねばなりません。もともとわたしがユトランドへ来たのも、修行と見聞を広めるためですので」
 その言葉通り、シンイチはグラスの町を発った後、バティストの丘めざして歩き出していた。ボロンとガブりん、ウィルとマーシアも一緒に。ウィルが見つかったことで、マーシアは報酬として四千ギルを支払ってくれた。これが彼女の出せるギリギリの額なのだとか。大したことなど何もしていないのに報酬を受け取ってもいいものだろうかと、シンイチは迷った末、ありがたく頂戴することにした。金は天下の回りもの。持っておくにこしたことはない。
「剣の修行なら私もつきあうわ! こう見えても、結構使える方なんだから! ねー、ウィル」
「なんで俺に同意を求めるんだよ。そりゃ使い手なのは知ってるけどさ――」
 ウィルはマーシアから逃げるのを諦めている、今は。
「というか、なんでお前らまでいるわけ? それ以前に人懐こいキラートマトなんて見るの初めてだぜ」
 ウィルはボロンとガブりんに問うた。それにはシンイチが答えた。
「ああ、彼らとは約束がありまして――」
「約束?」
「ええ、まあ」
 シンイチが話したくなさそうなので、ウィルはそれ以上追及しなかった。
 バティストの丘の、広々とした場所に到着した。修行するにはよさそうな場所だが、たどりついたころには日が暮れかけていたので、野宿することになった。一夜明けると、シンイチは日の出前から起きだし、身支度して外に出る。テントの中ではまだボロンとガブりんがぐうぐう眠っている。外に出ると、少し冷たい風が吹きつけてくる。太陽はまだ昇っていないが、東の空は明るく、周りを見るには困らない。
 しばらく素振りをしていると、ふと背後に気配を感じ、振り向いた。
「いい勘だな」
 少し離れているところに、ひとりの剣士が立っている。ずいぶん長く旅をしているらしく、着ている旅の着物はすりきれている。刀も使いこまれているが、そのぶん丁寧に手入れされている。表情は険しく、少し近寄りがたいところがある。
 シンイチは、一体誰なのだろうと思いながらも相手を観察する。襲うつもりはなさそうだ。
「俺も稽古を手伝ってやろうか?」
 その剣士が突然言った。シンイチは目を丸くした。冗談を言っているのか? だがすぐに、思いなおした。目の前にしている剣士は強いに違いない、でなければ稽古の相手をしようと言ってくれるはずはない。だが、なぜそんなことを言うのだろう。
「ご親切かたじけなく思います。ですが、なぜわたしの稽古相手になりたいと仰るのです? 貴方が野盗のたぐいではないという保証はどこにもありません」
「俺が野盗ならば、お前が素振りをしている最中に切り捨てている。お前の稽古に付き合おうと言うのは、ほんの気まぐれだ」
「……左様ですか」
 襲う気はないらしい? とりあえず信じてみようと思うシンイチ。
「では、お相手をお願いいたします」
 シンイチの返事に、剣士は応え、鞘から刀を抜いた。その動作には隙がない。
「参る!」
 一声と同時に剣士は地を蹴った。あっというまにシンイチに詰めより、斬撃を繰り出してくる。
(は、早い!)
 シンイチは防戦に回る。受け流すので精いっぱい。たまに攻撃の手を緩めるのでシンイチはすかさず斬撃を繰り出すが、ことごとく、軽く受け流される。鍔迫り合いになると、シンイチが必ず押されてしまう。シンイチは両手で刀を持っているのに、相手は片手で持っている……。
 激しい攻防の末、肩で息をしているシンイチは一度大きく後ろへ下がった。相手も後退するが、全く息を切らしていない。シンイチは刀を握りなおし、地を蹴った。シンイチの振りあげた刀が冷気を帯び、辺りの空気が急に冷たくなる。剣士はそれを迎え撃つ。刃同士がぶつかり合う。冷気が辺りに飛び散る。
 急に、冷気が完全に消えた。
(凍滅が……!)
 放とうとした奥義がかき消されたのだ。驚愕したシンイチの隙は大きかった。動きが止まったシンイチ。剣士は手首をひねり、わずかに力を入れてシンイチの手から刀をからめ落とした。
「その齢で奥義を放てるとはたいしたものだ。だが、一太刀であっさりとかき消されてしまうようではな。修行を重ねたのだろうが、これでは宝の持ち腐れだ」
 突然、巨大な岩の陰から、ウルフが牙をむいてとびかかってきた。
「見ておけ、小僧」
 剣士はシンイチの傍を走り抜けた。続いて、辺りの空気がまた冷たくなる。シンイチが後ろを向くと、剣士は、跳んできたウルフを迎え撃つ。冷気を帯びた刃で。
 剣士の腕が振られたと思うと、次の瞬間にはウルフを中心として、冷気が辺りに飛び散った。一気に周りの気温が下がる。その下がり方は、シンイチの比ではない。そしてウルフは、氷の塊に閉じ込められ、胴を真っ二つにされていた。大きな氷の塊が二つ、地面に落ちた。
「これが、凍滅だ」
 剣士は刀を鞘に収めた。
「あ、あの――」
 やっとシンイチは声を出した。剣士はすでにシンイチに背中を向けて歩き出していたが、一度立ち止まった。
「俺は弟子はとらん」
 それだけ言って、剣士はさっさと歩き去って行った。シンイチはその背中を見送って、そこに立ち尽くしていた。

 バティストの丘を越えた先にある小さな村。丘を下る途中で襲いかかってくるウルフの群れを撃退しながら進んできたため、この小さな村に到着したのは、夕方ごろ。普通なら昼ごろにはついているはずなのだが……。さっさと宿をとり、近くのパブで食事をとった。
「旅をするには金が必要。それはわかるだろ」
 周りの客で騒がしい中、ウィルは酒のジョッキから口を離した。
「どんなに切りつめても、いつかは蓄えが尽きる。そうなるとメシを食うことも宿に泊まることもできなくなるわけだ。そうならないためには、金を稼ぐ必要がある」
 シンイチは、甘酸っぱい味の飲み物(実際はスグリのジュースだ)が入ったカップから口を離し、小さくため息をついた。湯飲みを持つのと同じように、取っ手付きカップを両手で持っているので、他の者にはそれがおかしく見える。片手で持てばいいのに……。シンイチはウィルの話をろくに聞いていない。道中、むかってきたウルフの群れに何度も放ち続けた凍滅と、あの剣士が実際に繰り出して見せた凍滅を思い出していた。剣士の放った奥義はウルフをまるごと氷塊の中へと閉じ込めてしまったが、シンイチのそれはまだだった。ウルフの体半分程度しか――
 ウィルは続ける。
「でもなあ、俺達は、名指しで依頼されるほど声のかかるような有名クランに入ってないし、バウエン一家のように腕の立つ賞金稼ぎでもない」
「魔獣討伐ならば、一度わたしも経験したことはありますよ」
 そのセリフを聞き、ウィルはジョッキを落としそうになり、マーシアは手の中のフォークを皿に落とし、パンをかじっていたボロンとガブりんは思わず口を動かすのをやめた。
「お、おい嘘だろ、お前そんな歳で――」
「嘘は申しておりません」
 シンイチはジュースを飲みほした。
「わたしの里の者は一定年齢になると、魔獣討伐を行うのがしきたりです」
「魔獣討伐って、お前んとこは子供にそんな危険なことさせんのかよ! お前どう見たって十五、六――」
「わたしが討伐に行ったのは、一四の誕生日です。もちろん重傷は負いましたが、討伐は成功しました」
「な、何を討伐したの?」
「首なしの魔獣、ユトランドでは確かヘッドレスという種ですね。あばらと腕を折られましたが、何とか仕留めることは出来ました」
 まるで思い出話でもするようなシンイチの話し方。ウィル、マーシア、ボロンは思わず顔を見合わせた。ガブりんはまたパンをかじり始めた。
「ほら話、にしか聞こえねえ」
 ウィルはやっと言葉を出した。しかしシンイチはゆずらない。
「重ねて申し上げますが、嘘はついておりません」
 そうは言われてもにわかには信じがたいことだった。
「おや、あんたがた。モブ討伐の話をしているところを見ると、腕には自信がありそうだな」
 ウィルの頼んだ酒のおかわりを運んできたマスターが言った。ウィルは空のジョッキを返し、代わりに酒の入ったジョッキを受け取った。
「サンキュー。ああそうだマスター、ついでだから教えてくんねえか? モブ討伐の依頼が入っているかどうか。あ、ちなみに俺らはクランには入ってないぜ」
「おお、確かに一つあるな、先ほど入ったやつが。だが、あんたらが討伐するには、こいつは強過ぎるんじゃないのかね」
「強さのランクなんてどうでもいいから」
「そうか。じゃあこれなんてどうだ」


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