第5章 part1



 シンイチがユトランドに来てから二ヶ月になる。オーダリア・カップの開かれる日、フロージスの町は、会場に向かう人々でにぎわっている。
「ふー、間に合ってよかったぜ。いい席とれたしな」
 観客席にやっと腰を下ろせたウィル。
「まさか飛空挺酔いで足止め食らうとは思ってなかったけどな」
「す、すみません……」
 シンイチは真っ赤になってうつむいた。膝に座っているガブりんと同じくらい赤くなる。
「まあいいじゃないの。初めてなんでしょ、飛行艇」
 ちゃっかりマーシアはウィルの隣に座って腕を絡めている。その赤い帽子には、レインボーチョコボの羽が飾りとしてさしてあった。ウィルは小さく息を吐いて、周りを見てみる。客はそれぞれ席に座っていく。だが彼が気になったのは、警備兵の多さだ。
(なんだ、あの数。どっかのお偉いさんが見に来てるのか?)
 大きなラッパの合図が響いた。オーダリア・カップが始まった。シンイチは、出場するクランの一挙一動を、目を皿のようにしてじっと見ている。出場するクランは全て強豪ぞろい、シンイチがその戦いぶりに目を奪われたのも無理はない。
「きゃーっ、ラブリーボイスーッッ」
 準決勝戦。マーシアが思わず黄色い声を上げる。ファンが一斉にラブリーボイスを応援する。激闘の末に勝利し、ファンたちは一斉に歓声を上げた。
 決勝戦。ラブリーボイスの対戦クランを見て、シンイチは思わず「あっ」と声をあげた。対戦相手はシンイチと同じく東国出身のクラン・イーストランド。
「シンイチにいちゃん、あのひとたち知ってるの?」
 ボロンが問うた。
「知っているも何も、わたしの国では彼らの事は有名だよ。腕利き揃いの用心棒たちで、ユトランドへ渡ったと聞いたけど、まさかこんな所で彼らの姿を見られるなんて!」
 シンイチは興奮している。彼らと同じ国の出身として当然だろう。そしてイーストランドの戦いぶりは目を見張るものがあった。見事な刀さばきや連携によって、ラブリーボイスの奮闘にもかかわらず、イーストランドは彼女らを打ち倒した。
「あーあ……」
 マーシアはがっくりと肩を落とした。一方でシンイチは興奮冷めやらぬ状態。勝敗がついたとき、思わず歓声を上げたほどだ。その興奮は会場を出ても止まらぬほど。パブで食事をとった後、シンイチは修行のために荷物をつかんで飛び出していった。ボロンとガブりんがそれを追う。
「あいつ、トーナメントでの興奮をまだ引きずってやがる」
 ウィルは、シンイチたちの飛び出していった出口を見た。
「まあ、同じ国のひとが活躍してるんだもの、目標にしちゃったんじゃない?」
 先ほどまでの落ち込みはどこへやら、マーシアは笑っている。
「おい、聞いたか」
 カウンターの方から聞こえてきた。
「昨日さ、モーラベルラ・カップでさ、表彰式で爆発が起こったらしいぜ」
「聞いた、聞いた」
「怪我人出たでしょ」
「いや、爆発したのは会場の飾りらしいんだ。でもさ、爆発の後で病人が山ほど出たらしい。魔法医がてんてこ舞いだったそうな」
「病人? 火事の煙を吸い込んだとか?」
「いや、毒物らしいぜ」
「そうなんだ。それで、オーダリア・カップじゃあ警備が厳重だったんだな」
 そういうことか、だからあの警備の多さは……。
「でもさ、一体誰がやったんだ?」
「それが分からんから、ユトランド自治協会がクエスト出してるらしいぜ」
「でも、よりによって、強者ぞろいの集まるところでこんな騒ぎを起こすなんて、何を考えてるのかしら」
 ウィルはマスターに代金を払って、外へ出た。マーシアがついてきた。
「どこ行くの?」
「本屋」
「私も行く! ラブリーボイスの直筆サイン入りの本が出てるはずだもの」

 町はずれ。アイセン平原の傍まで来ると、シンイチは、さっそく素振りを開始しようとしたが、ボロンに邪魔された。
「ねー、シンイチにいちゃん。おいらにも剣を教えて。おいらも何かできるよーになりたいの」
 レインボーチョコボ討伐後にウィルに言われた事を今も気にしているのだろう。役立たずと言われたのがショックだったのは間違いない。
「やめた方がいい。わたしが教えたら、君は必ず大怪我をするから。木刀で脳天を割られるのは嫌だろう?」
「ひええ……」
 脅しに近い言葉が効果を表した。代わりにシンイチが教えたのは、簡単な傷薬の作り方。しかしながらその薬を作るのに必要な草が、そもそもユトランドに自生しているかどうかもわからない。
「そんな変な名前の草、本当に薬草なの? ドクダミ、なんて、すっごく危なそう」
「ちゃんとした薬草だよ。それに火を通せばくさみが抜けて食べられる。だが、薬草に関しては、わたしよりウィルさんの方がずっと詳しいと思うよ」
 シンイチは、何か生えていないだろうかと改めて周りを見る。だが、薬草はない。
「そういえば、ここは道が続いてる。どこまで行くのだろう」
 アイセン平原は道が続いており、人が通るのか、整備もある程度されているようだ。シンイチは少し歩いてみることにした。ボロンとガブりんがついてくる。途中、看板を見つけたので読んでみるが、あいにく風雨にさらされ続けたのでところどころしか読めない。片方はフロージスの町へ向かうための方角が書かれているが、もう片方は「英雄ガオルと……」読めたのはそれだけ。ガブりんが看板の支えをかじりはじめたので、シンイチはあわてて引き離した。
 離れたところから足音が聞こえるより先に、シンイチは振り返った。ボロンとガブりんがつられて振り返る。
「貴方は……!」
 いつか会った、あの剣士だった。相手は少しの間シンイチの顔を見ていたが、
「ああ、お前か」
 思い出したようだ。
「またわたしの稽古のお相手をして下さるのですか?」
「図に乗るな、小僧」
 シンイチは冗談のつもりで言ったが、通じなかったと見える。
「俺が本気で刃を交えたいのはただ一人、剣聖フリメルダだけだ。お前なんぞ眼中にない。まあ、以前ソードキングと名乗る下らん奴と一戦交えたが、お前の方が何倍もマシな腕だったな」
「フリメルダ?」
「シンイチにいちゃん知らないの? 剣の達人の女の人だよ。正義の味方なの。最近は噂を全然聞かないけど……」
「いや、初めて聞いた……」
「知らんのも無理はないかもしれんな、異国から来たばかりのお前なら」
 剣士とシンイチが刀の柄に手をかけたのは同時だった。が、抜くのは剣士の方が早かった。
 キンと鋭い金属音。刀がはじいたのは、金属の鋭い鉤爪。鋭い切っ先が取り付けられており、毒が塗られている。憶えのある毒のにおいに、シンイチは反応した。ガブりんはぶるっと身震いした。
 それの飛んできた岩陰から、何者かが姿を見せる。見覚えのある草色の装束。そして毒の塗られた匕首。さらに複数、柿色の装束を着た者たちがあちこちの陰から現れる。全部で六人。
「散らばって気配を分散させていたか。気がつかなかったな……」
 剣士はぼそりと呟いた。
「ひえええ」
 ボロンは周りをきょろきょろ見渡すが、すっかり囲まれている事を知り、怯えてしまった。
「久方ぶりだな、シンイチ」
 草色の装束を着た男タイゾウは不気味に笑う。シンイチは刀の柄をぐっと握りしめていた。爪が目釘に食い込みそうなほど強く。
「タイゾウ、寄り道とはこのことか」
 柿色装束のひとりが、タイゾウに言った。タイゾウはうなずいた。
「顔なじみに挨拶していこうと思うてな。お前たちは先に行っておれ、わしはすぐ追いつく」
 柿色装束の連中はテレポで消えた。剣士は、シンイチが怒りで全身を震わせているのを見た。どうやら、タイゾウという男と、この少年は敵対関係にあるようだ。その証拠に、剣士やボロンは完全に無視されている。
「挨拶だと?! 何のつもりだ!」
「貴様がまだ生きておるか確かめたかっただけの事、別に死んでおっても構わんのだがな」
 タイゾウの挑発。シンイチは必死で怒りの爆発をこらえている。
「お前を見ていると血が見たくなってきたわい。……そうだ、あの時、血の海に倒れ伏したアヤメの姿はこれ以上ないほど、美しかったぞ。お前もそうなりたいか?」
 剣士が止める間もなく、頭に血が上ったシンイチは地を蹴った。
「貴様ああああああ!」
 シンイチの刀はタイゾウを切り裂いた。
 はずだった。
 刀は空を切り、シンイチは大きくよろけた。そこに立っていたはずのタイゾウの姿はどこにもない。
「くっくっく、どこを狙っている、シンイチ」
 タイゾウの声は、シンイチの真後ろから聞こえた。同時に、異臭もする。鼻を突くピリッとしたにおいが……。
「に、にいちゃん!」
 ボロンの怯えた声。シンイチはすぐ後ろを向いた。シンイチの数歩後ろに、余裕の笑みを浮かべたタイゾウが立っている。
「わしの二つ名、忘れたわけではあるまい」
「……《空蝉のタイゾウ》。そうか、分身か……!」
 またシンイチは刀を振った。今度は、タイゾウが大きく後ろへ移動してかわす。これは本体。
「少し遊びすぎたかな。そろそろ行くとしよう」
 タイゾウは、刀が振り下ろされる直前、テレポで消えた。シンイチの刃はまたしても空を切り、地面に刺さった。
「いなくなったか」
 剣士は刀を鞘に収めた。シンイチは宙を見つめたまま動かない。その顔からして、心ここにあらずといった状態。が、急にその顔が青ざめ、呼吸が荒くなり、彼は膝をついた。
「シンイチにいちゃん?!」
 ボロンとガブりんが駆け寄るも、その声はシンイチには届かなかった。目の前が揺らぎ、地面がせり上がって彼にぶつかった。

 夕方前、フロージスの魔法医の元へ担ぎ込まれたシンイチ。ウィルとマーシアはちょうど薬を買って隣の薬局から出てきたところだったが、
「シンイチ!」
「シンイチ君!」
 二人揃って、剣士の背負ってきたシンイチを見て仰天した。剣士の後ろからボロンとガブりんがついてきている。
「全く、世話の焼ける奴……」
 剣士は背中のシンイチを下ろすが、シンイチは起き上がらない。青ざめた顔のまま、目を閉じている。意識がないのだ。
「シンイチ、一体どうしたんだよ! あんた一体何をした?!」
「俺は何もしていない。事情はそこのちびに聞け」
 剣士はくるりと回れ右して、ウィルが止める間もなく、足早に去った。
「ああもう、もう行っちまった」
「そんな事より早く診せましょう!」
 ン・モゥ族の魔法医は、シンイチの症状を毒物によるものと診断した。寝台に寝かされたシンイチは診察の間も目覚める様子が無い。
「話には聞いていましたが、モーラベルラ・カップでの症状と一緒ですね」
 昼間、パブで聞いた噂話を思い出す。カップ表彰式の後、飾りが爆発し、その後、病人が大量に現れたのだ。
「とにかく今夜は安静にする事ですね。命に別条はありませんが、我々も早くこの症状を緩和できる薬を作れるようにしますから。この方が最初の発症なので……」
 魔法医が出て行ったあと、ウィルとマーシアはボロンから話を聞いた。べそべそ泣きながらの話だったので、断片的にしか情報を拾えなかったが、
「アイセン平原であのタイゾウとかいう奴が襲ってきたんだな? で、そいつが去った途端にシンイチが倒れたと」
 おそろしく簡潔にするとそうなる。
「しかし毒物と言ってもなあ、魔法は使ってないんだよな。となると、薬草を混ぜたのを使ったんだろうけど……一体何を使ったんだ?」
 その答えを出したのはガブりんだった。ガブりんのヘタに、小さな袋がひっかかっていたのだ。
「何だこれ――いてっ、噛みつくんじゃねえよ、このバカトマト!」
 ヘタについていたのは小さな粉袋。中には金粉が少しだけ残されている。わずかだが鼻を突く異臭がその袋から漂ってくる。これ以上吸わない方がいい。
「たぶんこいつが件の毒物だな。どんな種類の毒かはわからんけど」
 ウィルは椅子から立ち上がった。
「どこ行くのよ」
「奥の部屋を使わせてもらうんだよ。専門器具が無いと解析できねえだろ」
 ウィルはそれだけ言って、さっさと部屋を出て行った。
「シンイチにいちゃん……」
「がう……」
「大丈夫よ。ウィルならきっと毒を解析してくれるわ。だってウィルは、王立研究所の研究員なみの知識と技術を持っているんだもの」
 マーシアは言った。本当は、マーシアとの結婚が嫌で必死で勉強して覚えたのだが……。
 一方ウィルは医者や薬剤師を説き伏せて器具を使わせてもらい、一緒に粉の解析に励んでいた。解析は少しずつ進められ、色々な種類の毒草や粉末を混ぜてつくられたものと分かってきた。吸い込むことで症状を引き起こす毒だ。
(見た事ないモンが使われてるな。こいつはユトランドの毒草じゃない、他の国のモンだ。ひょっとしたらタイゾウってやつの国から持ってきた植物か?)
 ユトランドに生えていない植物かもしれない。
(そうだ、シンイチもタイゾウと同じとこの出身だよな)
 ウィルは研究室を出て、シンイチの寝ている病室へ急ぐ。
「おい、シンイチの荷物、あるか?」
 皆はウィルの突然の言葉に驚いたが、すぐ荷物を見せた。
「とりあえず借りるぜ。解毒剤のヒントになるものがあるかもしれねえから」
 ウィルは荷物を持って研究室に戻った。机の上に荷物の中身をあけて、薬が無いか探す。旅の荷物に交じって、その中には塗り薬が入っている。油紙の包みの中には、悪臭のする葉っぱと乾燥させた葉っぱが束になって入っている。ウィルの見たところ、使えそうなのは塗り薬と葉っぱだけだ。部屋の皆で塗り薬と葉っぱを解析したところ、塗り薬はただの傷薬であったが、葉っぱは、ユトランドには自生していない、東国にしか生えない薬草だ。だが、これなら使えるかもしれない。たしか薬草として使われているモノなので、試してみる価値はある。

「さあ、合図を出す。そうすれば、あの小僧に仕込んだ奴は動きだす。だがまだこれは実験段階だ、上手くいかないかもしれん」
 柿色の装束を着たデュアルホーンの残党たちは、何かの術を詠唱した。すると、彼らの手の中に持っている袋が不気味な光を放ち、袋を破って何かが成長を開始する。袋の中に入っていたのは小さなフロータイボールだ。
 フロータイボールは鳴いた。
 タイゾウはそれを見ながら、ほくそ笑んでいた。
(シンイチ、これで貴様もわしと同じ立場になろう。貴様の手が血まみれとなるのもすぐだ)

「な、何だこれは……」
 ウィルは絶句した。シンイチの持っていた薬草の成分が有効かどうか、金色の粉の成分を調べている途中だったのだが、粉が急にモゾモゾと不気味に震え、幾つかからは尻尾が生えた。
「芽? いや尻尾? まさかこれは!」
 ウィルは反射的に研究室を飛び出した。通路から聞こえる悲鳴。
「シンイチ君、どうしちゃったの?!」
「シンイチにいちゃん?!」
 マーシアとボロンが通路に飛び出している。そこへ駆けつけたウィル。
「おい、どうした!?」
 その答えはすぐに出た。病室から、シンイチが襲いかかってきたのだ。その肌は異様に青ざめ、目つきがガラリと変わって、まるで魔物の形相だ。襲ってきたと言っても歩きは異様にフラついているため、ウィルはすんでのところでかわす。シンイチは勢い余って壁にぶつかった。
 倒れたシンイチは起き上がる。
「許せよ!」
 ウィルはすぐシンイチに近づき、みぞおちに膝蹴りをたたき込む。
「げうっ……」
 喉の奥から鈍い音がした。そして、シンイチが吐きだしたのは、クルミほどの大きさの丸い物体。胃液にまみれてはいるが、間違いなくフロータイボールの幼生だ。
 ウィルは、床にくず折れたシンイチの様子を調べる。
「ね、ねえシンイチにいちゃんは……?」
「心配いらねえよ。また昏睡状態に戻っただけだ。寄生体を取り出すのが間に合ってよかったぜ」
 フロータイボールの幼生を研究室に持ち帰る。新たな発見に、研究室は大騒ぎ。夜を徹しての研究となった。
「……そうでしたか。またご迷惑をおかけしました」
 ウィルが調合した薬によって、シンイチが目覚めたのは、昼過ぎだった。念入りに検査を受け、結果待ちのためまだ病室にいる。彼が倒れてからの記憶は全くなかったので、一部始終を皆から聞かされ、驚いている。
「謝るなよ。お前の意志でやったことじゃない。ふああ」
 数時間の仮眠をとったウィルは、濃く淹れた紅茶を飲んで一息ついた。それでも眠いのを隠すつもりはないようで、あくびを何度も繰り返している。
「で、ウィル。どうなの、あの毒が何だったかわかったの」
 マーシアの問いかけに、ウィルは手短に説明した。あの金色の粉末を吸い込むと、深い昏睡状態に陥る。だがその粉末の中にはフロータイボールの幼生となるタネも混ぜられている。そのタネも同時に吸い込むことになるのだが、昏睡状態に陥っている間、タネは一匹ぶんだけ栄養をもらって確実に成長する。そして親のフロータイボールの合図で寄生対象を乗っ取るのだ。もし寄生している相手の意識が無い状態ならば、確実に己の意のままに肉体を操ることが出来る。逆に意識のある相手ならば、なかなか乗っ取ることができないので、代わりに内臓を喰い破って餌にするのだ。
「うう、こわい」
「がう……」
 ボロンとガブりんはそろって、寝台のシンイチにしがみついた。
「それにしても、こんな手のこんだ毒物を作り出してばらまくなんて、デュアルホーンの奴らは一体何を考えてるんだ」
 ウィルの疑問は数時間後に明らかになった。

 モーラベルラの町で、大勢の病人が謎の暴動を起こしたからだ。


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