第6章 part2
デュアルホーンのうわさは絶えなかった。プリズンの上層部が連続で暗殺された事件が起きてから二週間ほど経過しているのに、どの町に立ち寄ってもデュアルホーンの噂が聞こえてくる。
「耳にタコができちゃいそうねえ」
最近、ボロンは薬草の収集にこっている。タマノモを収穫するために、アルダナ山からガレリア洞窟への道を歩きながら、マーシアはため息をついた。道は細く、坂道は急だ。崖が無いのが唯一の救い。
「何処へ行ってもデュアルホーンの話ばっかりで」
「あれだけ暴れれば嫌でも注目の的になるさ。少人数であってもな」
ウィルは額に手を当てる。
「それにしてもここはミストがちときついな。頭が重くなってきたぜ」
アルダナ山のふもとにいるのに、そこまで降りてきたミストが頭痛を引き起こしている。
「ぎゃーお!」
ガブりんは先ほどから興奮しっぱなしだ。ミストがモンスターを凶暴化させていると噂されているのだが、ガブりんの様子を見る限り、その噂は当たっているようにもみえる。ちょっと刺激されただけで噛みついてきそうな勢いなのだから。
「ガブりん、こわい……」
「大丈夫だよ、ボロン。下山すればいつも通りに戻るはずだ」
ボロンは友達に怯えてしまったが、シンイチはボロンの手を握ってやった。
襲いかかってくるモンスターたちも、ガブりん同様に凶暴。だが凶暴化したガブりんは容赦なく敵に噛みつきに行く。たいていシンイチたちの後ろにいることが多いのに。
「これ以上ミストが濃くならないうちに、さっさとガレリア方面に抜けちゃいましょうよ」
「だな、俺、もう頭が痛くて……」
ウィルは額を押さえてつらそうに歩いている。ミストの力を吸収して己の魔力を回復するので、皆の中でも、濃すぎるミストの影響を受けやすいのだ。
しばらく行くと、二股に分かれた道がある。片方はつり橋になっているが、片方はただのなだらかな道だ。だが、霧が濃いので、道やつり橋の先に何があるのかは分からない。
「変ね。確かここにはつり橋なんかなかったのに。拡張工事でもあったのかしら?」
マーシアは首をかしげた。
「ちょっと精霊たちに聞いてみる。ミストが濃いからどのくらい答えてくれるかは分からないけど」
マーシアは集中する。そして目を開けた。
「どっちの道も、ガレリア側に通じてるそうよ。でもつり橋の方が遠回りね。落石で道をふさがれた時のために最近作られたそうだけど……」
そこで激しい疲労が押し寄せ、マーシアは荒く呼吸しながら座り込んだ。
「ごめんなさい、ちょっと休ませて……」
「仕事の帰りに血を見ようと思うたが、貴様、なかなかやりおる。シンイチなどよりも遥かにな」
タイゾウは、毒の塗られた匕首を構えなおす。濃いミストの中、剣士は肩で息をしている状態で、刀を構えている。顔色が妙に悪くなってきている。
「は、シンイチ? 誰の事だ……?」
「知らずともよい事。まあいい、貴様は毒を吸い込んでおる、呼吸の荒さがその証拠じゃ」
「毒だと?!」
剣士の振り下ろした刀は空を切った。タイゾウの姿は消えた。
「無駄なこと。《空蝉のタイゾウ》たるこのわしは、分身を生み出せ――」
タイゾウの言葉が終わらぬうちに、剣士の刀が左側を切り裂いた。タイゾウの分身は、声だけを残して消滅した。
「貴様の命はあとどのくらいだろうなあ? 吸い込んだ量次第で決まるぞ、くっくっく……」
マーシアがやっと立ち上がった。
「おまたせー、ごめんね」
「あともうしばらく遅かったら、俺が倒れてた……」
「ごめんなさい、山を抜けたら私のあったか〜い手料理いっぱい食べさせてあげるから、それでスタミナつけてちょうだいな。これでも花嫁修業してるのよ」
「おねーちゃんの手料理食べたい!」
「ありがとう」
皆は道を歩いて行った。
「あれ?」
前を歩いていたボロンは何か見つけた。何かが地面に倒れ伏しているようだ。近づいてみると、いつか会った剣士だった。マーシアは首をかしげた。
「何で、こんなところで寝てるの?」
「寝ているのではありません」
ガブりんが噛みつこうとするのをやめさせ、シンイチは剣士の容態をみる。体は冷たく、脈も呼吸も弱い。意識があるかどうかもよくわからない。そして何よりこの顔色の悪さ。
「この人は、毒にやられています。それも、わたしの故郷で採れる毒の粉を吸ったようなんです」
エスナで剣士の応急処置をする。術で毒はだいぶ抜けた。だが意識は戻っていない様子だ。顔色はだいぶ良くなったのに、目を開けないのだ。
「とりあえず安全な場所まで運びましょう。このくらいなら、毒の回りも遅いはずですから」
マーシアの術を使っての高速移動が一番早いのだが、このミストの影響が強い場所では精霊に働きかけるのが難しく、ここでは使えないのだとか。テレポはウィルしか使えないが、この移動の術だけは下手で、しかもウィル本人だけしか運べないのだとか。仕方ないので、山のふもとまで人力で運ぶことにした。ふもとまで行けば、マーシアが術を使えるようになるからだ。
「じゃ、洞窟までひとっとびよー」
風の結界をまとってガレリア洞窟に飛び込む。いくつかアントリオンを跳ね飛ばしたが気にしない。明かりをともし、結界を張ってモンスターを近づけなくする。ガブりんはうっかり結界に触って痛みを訴えた。
「この様子なら、あとは解毒薬を飲ませれば治ります。とんでもなく苦いものですが……」
剣士の容態を見たシンイチはウィルに器具を借り、自分の荷物からいくつかの薬草を取りだす。薬草をすりつぶすと、きついハッカのようなにおいが周りに漂う。ガブりんは嫌そうな声をあげ、逃げようとして結界にぶつかった。水筒の水を小さな鍋で沸かして、すりつぶした薬草を煮る。ウィルは興味深そうにシンイチの作業を見ている。そのうち、煮詰まってきて、緑の汁はさらに濃い緑に変わった。火を消して少し冷ます。それをカップに注ぐ。緑茶をはるかに濃くした色で、しかもにおいはなかなかきつい。
「ハナがもげちゃう……」
ボロンはシンイチの後ろに回り込んだ。
「き、きついにおいね……モルボルよりはずっとマシだけど……」
マーシアは風下から離れる。ウィルは気にしていないようだ。シンイチは剣士の体を何とか起こし、膝で背中を支えてやると、その口にカップを当て、中身を少しだけ注いだ。薬が気管に入ったか、剣士はむせた。さらに、あまりの苦さに意識が戻ったようだ。
「ぎえーっ」
同時に、ボロンが、小さな鍋に残った薬をなめてみて、そのあまりの苦さに悲鳴を上げた。
「な、何だこの苦いもの……」
「よかった、意識が戻った。これ、解毒剤です」
「げ、解毒剤……?」
「飲まないと毒が抜けませんよ」
シンイチは、相手が毒で弱っているのをいいことに、無理にカップの中の液体を飲ませた。苦い解毒剤を何とか飲みほした剣士は、現状の説明を求めた。シンイチはなるべく簡潔に、アルダナ山のふもとを越える途中で彼を見つけた事、毒にやられていたのでエスナで応急処置をしてガレリア洞窟へ急いで運びこんだ事、薬を作って飲ませた事を話した。
「……そうか」
剣士は大きく息を吐いて、岩壁にもたれた。苦い薬を無理やり飲まされたので、気分が悪くなったようだ。
「……小僧。お前、何故俺を助けた?」
「貴方に以前助けていただいた、その恩返しです」
「俺が何かしたのか?」
その返答に、シンイチの顔が一瞬だけひきつった。憶えていないのか、それともアイセン平原でのことを、助けたとも思っていないのか……。
「わ、わたしの記憶違いでした。し、しかし、毒にやられた貴方を放っておく事などできませぬ。それは人の道に反する事です!」
何とか話を続ける。
「ええと、一晩経てば毒は抜けます。……もう夕刻ですが、何か召し上がりますか?」
「いらん……さっきの薬のせいで、食う気が起きん」
「左様ですか。では、ほかに御用があれば何なりとお申し付けください」
「ほっておいてくれ。少し眠りたい……」
十分も経たないうちに、剣士は睡魔に負けて眠ってしまった。体を冷やさないようにと、シンイチは自分の着物の上っ張りを彼にかけてやる。
(この薬、食欲が減退してしまう上に眠くなる。良薬は口に苦しと言うけれど、極端すぎる気がするな。解毒作用があるのが唯一の救いと言ったところだろう)
食事をとりながら、シンイチは思った。傍らでは、ボロンがマーシアにスープのおかわりをねだっている。塩の入れ過ぎだとウィルは文句を言った。このスープ、シンイチには少し塩辛かったが、ボロンは気にいったようだ。ガブりんはスープには興味を示さず、干し肉をかじっている。
(あの人の毒は、わたしの国で採れる毒草から作ったものだ。症状から見ても間違いない。だが何故この国でこんな毒が使われるんだ? 一体誰なんだ、あの人に毒を盛ったのは……)
ふとタイゾウの顔が頭の中に浮かぶ。
(奴なら、やりかねないな。しかしなぜあの人を襲ったんだ? わたしとは関係の無い人なのに。戯れか、それともデュアルホーンの命令で無差別殺人でもやるつもりなのか?)
故郷の里で、タイゾウがどんな評判の男だったかを思い出す。腕もたつし、毒物の権威でもあった。一方で血に飢えており、衝動的に殺人を犯すため、一時は牢獄につながれていた。里の治安のためには追放もありだと人々は話しあった。しかし長はそうせず側近たちを説き伏せてタイゾウを己の護衛役とした。一体何を考えて長は危険人物を護衛役とさせたのか、誰一人として里の者は知らない。その結果、二年前の惨劇を招くことになった。
(長の判断は完全な過ちだった、本当に。……タイゾウを無理に死罪にするか追放していればこんなことにはならなかったのに……)
辛いスープで喉が渇いたので水を飲んだが、先ほど薬を作るのに使ってしまったので、一口で水筒は空になってしまった。
……。
翌日。剣士はすっかり回復した。ただ、薬の眠気がまだ解消し切れていないらしく、たまにあくびをしている。洞窟から出発する前に、剣士はウィルを捕まえて、いくつか質問する。ウィルは仰天したが、しぶしぶ答えた。回答を聞いた剣士は、ウィルをはなしてやった。
向かうのが反対方向なので、洞窟の入り口で別れる。
「お元気で!」
シンイチの見送りの言葉。だが剣士は反応せず、そのままルピ山へと歩き去って行った。
「もー、シンイチ君に助けられておきながら、お礼の言葉もないなんて!」
剣士の後ろ姿が見えなくなった後、マーシアはふくれっつら。
「そういう人なんですよ、きっと」
シンイチは気に留めていない様子。
「わたしは気にしていませんよ」
「心が広いのね、シンイチ君て」
皆はビスガ緑地へ向かって歩き出した。ボロンはタマノモをたくさん詰めた袋を持ってご機嫌だ。ガブりんはタマノモを食べようと思っているらしく、よだれを垂らしている。だが友達のものをさすがに勝手に食べたりはしないようだ。必死で我慢している。
ウィルは歩きながら、洞窟の前で剣士に投げつけられた質問について、思い出していた。
『お前、ゾンビパウダーというのを知っているか?』
『あ、ああ。古代の呪法で作る、とんでもねえ薬さ。ゾンビを何体か倒せば作れるんだが――』
『作り方などどうでもいい。俺が知りたいのは、その効果だ。飲むと何が起きる?!』
『……確か、俺の読んだ古文書には、服用するとそのうち体が腐敗して崩れ、最後には生きながらにして屍になると書かれていた。ただ、他の古文書にはどう書かれているかは、知らないぞ』
『生きながらにして屍になる……死ぬということか?』
『うーん。死にはしないと思う。あくまで《生ける屍》になるらしい……実際に見たこと無いから、本当のところはよくわからんな』
『治す方法はあるのか? 術ではだめか?』
『古代の呪術を現代の術で治せるわけないだろう。まあ、治療薬はあるが、俺はそんな薬作れないぜ。古文書には作り方が少しだけ載ってるけど肝心かなめの材料が書かれていなかった。って、そんな怖い顔するなって!』
『誰か作れる者はいないのか?! 俺はどうしても治療薬がほしいんだ!』
『うーん……。そんじょそこらの奴じゃ、とても無理だよ。自称・天才で神出鬼没のエゼル・バルビエはどうか知らんが、エゼルで駄目なら、湿地の魔女だけだろうな。あんたもユトランドの住人なら、魔女の噂くらいは知ってるだろ?』
『そうか……』
質問はそこで終わった。剣士は何か考え込んでいた。
ウィルはため息をついた。一時は寝食を忘れて古代の術や調合の研究をした事があるので、そんじょそこらの魔法学校の学生よりは、知っているつもりだ。その効果、その副作用、その治療法。だが自分で調合したり術を試そうとは思わない。恐ろしいからだ。
(ゾンビパウダーの治療薬。確かにその薬は存在するが、俺には作れない。あのエゼル・バルビエはどうか知らんが、そいつを除けばやはり湿地の魔女しか作れないはずだ)
ウィルは立ち止まって、後ろを振り返る。雲ひとつない、晴れ渡った空。ルピ山が見える。
(だが、古代の呪法の薬を作るには、薬草だけじゃ足りないんだよなあ。俺の読んだ古文書にはその肝心の材料が書いてなかったけど、ろくなものじゃないことは確かだ)
ウィルは身を震わせた。
(ゾンビパウダーの治療薬をあんなにほしがるなんて。身内がゾンビパウダーを飲んだのか?)
マーシアがウィルを呼んだので、彼はしぶしぶ足を速めた。
歩いている途中、ふとマーシアが脚を止めた。
「ねえ、ちょっと思い出した事があるのよ」
皆は立ち止まって彼女を見た。
「あの剣士さん、何年か前にどこかで見た覚えがある。どこかは思い出せないの。でも、やっぱり見た覚えがあるわ。そうだ! あの人、クランにいた凄腕の剣士よ、間違いないわ!」
「クランにいた? でも今は一人でしょう?」
「クランが解散したか、何か事情があってクランを抜けたのよ。でも、確かにあの人はクランいちの、剣の使い手だったわ。私、そのクランに護衛の依頼を出したことがあるもの。あの人の剣さばきは、それは見事なものだったわ」
「その人の名前は?」
「ごめんなさい、さすがに分からないわ。だって、リーダー以外誰も名乗らなかったし、言葉を交わした事もなかったし」
シンイチはがっかりした。あの剣士の名前を知っておきたかったから。
(しかしよく考えると、わたしもあの人に自分の名前を名乗っていないな。自分の名前を名乗らないのに相手にそれを聞くなど失礼だ……)
しかしシンイチが名乗ったところで、相手がシンイチを名前で呼んでくれるだろうか。かわらず「小僧」呼ばわりかもしれない……。
(それにしても、クランにいたときから凄腕だったのか。ならば剣聖と呼ばれるひとと手合わせしたくなるのも当然だろう。あの人の本気の太刀筋がぜひ見たい……わたしと、本気で手合わせしてもらえないものだろうか。いや、今のわたしの実力では、首が飛ぶのがオチだな)
最初に刃を交えたあの時から、彼を越える剣士になる事が、シンイチの目標となっていた。
(わたしはまだまだあの人に敵わない。だが、いつかきっとあの人を越えてみせる!)
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