第8章 part1
シンイチが剣士と一緒にモーラベルラを発ったその日の夕方。
「にいちゃん……」
ボロンは、ずっとしょげたままであった。ガブりんも同じく。青々としたヘタがしおれている。シンイチに時間をかけて説得され、「必ず帰ってくる」と約束してもらった。それでも……。
「すっかりふさぎこんじゃって」
日が暮れても食堂に夕食を食べにこないボロン。ウィルの部屋に入って、マーシアはため息をついた。
「シンイチ君がいなくなったのが、よほどショックだったのね。本当のお兄ちゃんみたいに懐いていたものね」
「全く、あの馬鹿野郎……。びっくりしたまんまで、あいつの意味のねえ説得に首を縦にふっちまった俺らも悪いが――」
ベッドに腰掛けているウィルは不機嫌な顔で、サイドテーブルに肘をついた。マーシアは彼の隣に腰掛ける。
「あの二人、エアポートへ向かったの。精霊たちが言ってた」
「エアポート? フロージスへ行くつもりなのか?」
「そうだと思う。何故なのかは知らないけど。……今日の最後の便は出てしまったし、もうエアポートはしまっちゃったから、追いかけようがないわ」
「はー、よりによって、ゾンビパウダーなんて物騒なモン調べてる奴と一緒に行くなんざ、シンイチのお人よしには付けるべき薬が――」
ウィルの顔が急に青ざめた。口が開いて、すぐ閉じる。いきなり勢いよく立ちあがり、ウィルは両手で頭を抱えた。
「あああ、何て事教えちまったんだ!」
「どうしたの?」
「あいつはゾンビパウダーの治療薬をほしがっていたんだ! そいつを作れるのは、エゼル・バルビエか湿地の魔女しかいないと、そう教えちまったんだ! あいつは治療薬を作りにフロージスへ渡ったんだ!」
きょとんとするマーシアに、ウィルはたたみかけるように言った。興奮のあまり、声が裏返ってしまっている。
「ゾンビパウダーは古代の秘薬の一つで、そいつを治療するには、どうしても代償が必要なんだ! 俺の見つけた最古の文献の中じゃあ、治療薬を作るのに、代償として、生きた存在が必要だとか何とか書いてあったんだ(これは俺の直訳なんだけどな)、あいつは代償とするべくシンイチを連れて行ったんだよ! 俺らの同行を拒否したのは、湿地の魔女のところへ連れて行くのを知られたくなかったからだ!」
「えええっ」
やっとマーシアにも呑み込めた。彼女も、湿地の魔女についての噂は聞いた事がある。あらゆる呪術に精通し、だが気分屋でもある湿地の魔女。
「そ、それじゃあシンイチ君は今頃――」
「くそーっ、もうエアポートはしまってる! シンイチの持ち物なんてここには何もないから召喚の魔法陣も使えない! 明日の朝一番の飛空艇に乗るしかない! 間に合ってくれればいいんだが。それか、あいつがシンイチを生贄にするのを思いとどまってくれれば……!」
だが、物事は思い通りにはならぬもの。
翌朝、エアポートは緊急閉鎖となったのだ。
大量のフロータイボールが、どこからかわいてでた。駆除のためにクエストが出され、立ち寄ったクランがそれを引き受けてエアポートへ続々と向かう。だが、フロータイボールの数はいっこうに減らない。倒されれば倒されるほど、どこからかわいて出てくるのだ。複数のクランが駆除にあたり、疲労が蓄積してくると他のクランと交代する。それでも、フロータイボールの数は減らない。それどころか、増えてきているようにも見える。
昼ごろ、突如、駆除に当たったクランたちが次々に暴動を起こし始めた。
ルピ山のふもと。
朝早くから、エアポートが開くまでの時間つぶしに、と、マーシアはボロンを説き伏せて、ルピ山へ薬草を採りに出かけさせることにしたのだった。
「はー、何で俺まで――」
「だってウィルったらずっと苛々してるもの。夫の不満を解消するのも妻の役目だもん」
「だから俺は結婚なんて――」
ウィルの言葉は最後まで聞き入れられなかった。
柿色装束が何人か、姿を現したからだ。デュアルホーンの残党たちの突然の出現。ボロンとガブりんは怯えてマーシアにしがみついた。マーシアはレイピアの柄に手をかけ、ウィルは魔力の蓄積を開始する。二人は背中合わせになる。柿色装束の数は四人。前方に二人、後方に二人。
「貴様ら、武器をおさめい」
柿色装束の一人が言った。
「我らは貴様らに問うために来たのみ。危害は加えぬ」
「どうかしらね?」
マーシアはレイピアの柄に手をかけたままだ。
柿色装束は言った。
「あの刀術使いの小僧はおらんのだな。我らの一人を打ち破った腕をほめてやろうと思うたのに。まあいい。……貴様ら、マクイスと名乗るヒュムの男を知らぬか」
マクイス?
皆が知らないと答える。
「知らぬと申すか。うそいつわりはあるまいな」
「本当に知らんよ、俺たちは」
「そうか……」
柿色装束たちが動くより早く、マーシアたちの間に何かが割り込んだ。草色の装束をまとったヒュムの男だ。だが同じ草色の装束でも、タイゾウではない。しかも、その男が、四人いる!
「ま、マクイス……!」
柿色装束のひとりが驚愕の声を上げる。マーシアたちをかばうように立ったそのヒュムの男は、マクイスと呼ばれたのだ。
「貴様ら、指名手配されている奴らだな」
マクイスと呼ばれた男は静かに言い、手にした刃物を振った。驚愕した柿色装束たちが反撃に転じる暇もなく、皆、そろって急所を突かれて倒れ込んだ。
「す、すげえ」
ウィルは思わず声を出す。柿色装束たちは完全に昏倒している。マクイスと呼ばれた男の持つ刃物には薬が塗られているのだ。
男は、皆を見た。
「怪我はないか」
「は、はい……」
マーシアはぽかんとしていたが、返事だけは出来た。男は何かの印を組む。すると、四人の男のうち三人が消え、一人だけがその場に残される。四人が一人になったのだ。
「な、何だその術は……分身できるなんて初めて見たぞ!」
「これは私の技。幻ではなく全て実体だ。どこで覚えたかは知らぬ」
「おじちゃんて、こいつらの知り合いなの?」
ボロンの言葉を、男は否定する。
「いや、知らんな」
「でもおじちゃんてマクイスって言うんでしょ。こいつら、おじちゃんの事聞いたよ」
「確かに私はマクイスと言うが、こやつらの事は知らぬな」
この男は確かに自分をマクイスと名乗った。だがデュアルホーンを知らないと言う……。デュアルホーンの捜す「マクイス」と同名の人物であるというだけなのだろうか。
「とにかく、また襲われるかもしれん、早いところ町に戻った方がいいだろう」
その時、キャピトゥーンの群れが視界の隅を横切った。マクイスと名乗った男は、それを追って姿を消した。
「帰ろうぜ、また襲われたら今度こそ殺されるかもしれない。エアポートも開いたころだろうし」
ウィルは、倒れているデュアルホーンに目をやる。今は昏倒しているがいつ目覚めるか分かったものではない。
「そーね。せっかく薬草とりにきたのに残念だけど……じゃ、ちょっと凍ってもらいましょ」
ブリザドとブリザラの氷柱が、デュアルホーンたちを完全に閉じ込めた。
「がう!」
急にガブりんが道のはずれに何かを見つけた。どうやらそれは、坂道を滑り落ちてわき道に落ちたらしい、大人ほどの大きさもある氷柱。だがそれは魔法の氷ではない。四角柱の形をしているが、形はややいびつだ。
「この氷の感じ、シンイチの使う奥義だな。魔法の氷ならもっと綺麗な柱になってるはずだし」
ウィルは氷をためつすがめつ観察する。その氷の中には見覚えのある柿色装束の男が閉じ込められている。
「さっきあいつらが言っていたな、『我らのひとりを打ち破った』って。シンイチがこいつを倒したって事か」
「シンイチにいちゃんがこいつを倒したの、すごい!」
「一対一だったから倒せたんだろ。さっきみたいに多勢に無勢だったらシンイチは負けていると思う。あいつらはかなり強そうだったしな」
「でも、シンイチ君の奥義の氷って、こんなに大きかったかしら。レインボーチョコボを討伐した時のは、この半分くらいしかなかったはずなのに」
「大きさなんかいちいち覚えてないよ。さ、帰ろうぜ」
モーラベルラの方向へ向かって歩いて行く途中、皆は異変に気がついた。
雪がやんでいる。
いつもは町の魔術師たちによる人工降雪で辺りは粉雪が降っているのに、今は雪がやんでいる。そして町の方から立ち上る黒い煙。空に羽ばたくフロータイボールたち。民家に突撃するフロータイボールたちは次々に爆死していく。
「デュアルホーンの起こした暴動だ!」
避難訓練をしていたのか、荷物を持ってルピ山へむかって避難する人々。町の警備兵や、クランが、暴徒たちの鎮圧にあたっている。だがその相手を見ると、町の住人ではなくクランだった。
「なんだあれ、クラン同士が戦ってる」
「操られてるのよ、きっと!」
小高い丘の上から見ると、モーラベルラで起きていることが手にとるようにわかる。フロータイボールの群れは皆、エアポートから姿を現している。町の中央広場でクランや警備兵が暴徒と戦っている。いくつかのクランは、カモア大地祭の警備にあたっていたのを見た覚えがある。寄生体を取り除かれた者もいる。一度寄生されると抗体が出来て、次は寄生できなくなるのだ。そのため、彼らは正気を保ったまま戦う事が出来ている。
「暴動の事件を忘れかけたころにコレかよ」
ウィルは、ルピ山に向かって避難する人々を見る。
「デュアルホーンの手先と勘違いされないように、ちょっとここを離れるぞ」
この時期ゼドリーの森ではモルボルの繁殖期のため、ハンターやクラン以外に近づく者はいない。そのためルピ山に続々と到着する人々。ウィルたちは大急ぎでその小高い丘を離れ、山を下ってガレリア洞窟方面へと向かった。
モーラベルラのエアポート。
「わしも、その分け前にあずからせてもらうかのう」
召喚用の魔法陣を描いた後、タイゾウは匕首を握りしめ、エアポートの屋根から飛び降りた。稲妻のように道を駆け、手当たり次第に匕首で切り裂いていく。斬る者は誰でも構わない、ひとだろうがモンスターだろうが。
「血だ、血のにおいだ! ギャハハハハハ!」
タイゾウの甲高い笑いがこだました。
「タイゾウの奴、また血に飢えておるわ」
エアポートに残った、デュアルホーンの残党二人は、ためいきをついた。もう一人が、召喚用の魔法陣を描く。これはタイゾウの描いた一度きりの使い捨て魔法陣と違って、魔法陣を破壊されない限り永遠に呼び出せるものだ。
「勝手に飛び出していきおって――」
その時、彼らが腕につけている指輪の宝石が光った。四つの宝石はピキピキと音を立て、粉々に砕け散った。通信用に使われる宝石だ、それが割れたと言う事は、宝石の持ち主の身に何かがあった事を現している。
「奴らが、やられたのか……!?」
「奴らはマクイスを探しにルピ山に行っていたはず。一体誰にやられたのだ? いあわせたクランの連中か?!」
だがそれ以上心配する余裕はなかった。フロータイボールの群れの一部が彼らに向かって突進してきたのだから。
「しょせんはモンスター、我らの命令など聞く事もないか」
屋根の上に、フロータイボールの死骸が積み重なっていった。
「そろそろ引き上げるぞ、タイゾウを――」
背後から飛びかかった何かが、デュアルホーンの背中を切り裂いた。
暴動の鎮圧とフロータイボール討伐には二日間も要した。首謀者と思われる二人のデュアルホーンは、死体となってエアポートの屋根で発見された。背中には鋭利な刃物によって付けられたと思われる切り傷。そしてその傷口からは、ユトランドに存在しない毒が検出された。ジャッジに守られていたためかクラン側の死者はいなかったが、一般人の死傷者は多数。フロータイボールの突進や、崩れるがれきの下敷きになったことなどが原因であった。暴徒たちは次々に魔法医の元へ運びこまれてから、フロータイボールの幼生摘出を開始。鎮圧にあたったクランは暴徒をしずめた後でフロータイボールの群れを討伐しにかかる。そのうち召喚用の魔法陣が発見され、すぐに魔法陣は消去された。フロータイボールの召喚は止まり、あっというまに群れは完全に討伐された。モーラベルラ暴動の鎮圧完了から半日後。避難した人々は町に入る。町は、フロータイボールの捨て身の突進によってがれきと化した建物が多くなっている。フロータイボールの死骸はそこかしこに落ちており、辺りを血の池で赤く染め上げている。
「これはひどい……」
誰が見ても、それしか言葉は出なかった。がれきとなった民家、まだわずかに煙を上げている役所、地面に散乱したフロータイボールの死骸。クランはクエストを受けて、町の整備を行うべく活動を繰り広げる。たくさんのクランや警備兵たち、町の住人達、それぞれが復興作業を開始する。
「首謀者は結局デュアルホーン、か」
エアポートの片づけを手伝っているウィルは、フロータイボールの死骸を次々に町の外へ転送するが、描かれていた魔法陣の跡を見つけ、つぶやいた。自分の描いた転送用魔法陣ではない、これは召喚用の魔法陣だ。
復興作業から二週間ほど経過した。各地からクランや商人たちが駆けつける。灰秋の月に入ると、急に辺りは肌寒くなった。復興作業のために町の魔術師たちも総動員しているので、地域に雪を降らせる余裕がない。町の設備はまがりなりにも回復し最低限の機能を果たすことは出来るようになってきた。民家の修理には大工が総動員され、作業しやすいよう晴天を維持するために専属の魔術師たちがしばらくこの地域の雲を払う。破壊された建物のうちごく損傷が軽いものは修復の薬で修理され、半分以上崩れていたり瓦礫と化したものは建て直しとなった。エアポートは再開し、フロージスから救援が到着し始める。
「それにしてもいっぱいクランが来ているなんて驚きね」
町はずれの小さな丘には、テント村ができあがっている。宿が完全にその機能を回復するまでは、クランや旅人はここに泊まっているのだ。外で食事の支度を終えたマーシアは、カンテラに油を補充し、芯に火をつける。小さなテントの中は明るくなった。今日一日の作業が終わり、ウィルはくたびれた顔でテントに戻ってきた。フロータイボールの死骸撤去の次は、怪我人の治療と治療薬の調合をやっていたのだ。
「あー、疲れた……」
「お疲れ様〜」
マーシアの仕事は、怪我人の治療やボロンを連れての山のふもとへの薬草摘みなど。ある意味ではウィルより大変な作業なのだが、彼女は元気はつらつ。テントの中からボロンが顔を出したが、薬草をつぶす作業を手伝っていたらしく、テントの中からは草のにおいがする。マーシアの傍にガブりんが寝そべっているのは、おそらくこの草のきついにおいに耐えられなかったためであろう。
「おかえりー、ウィルにいちゃん」
「おう……」
ウィルはマーシアからカップを受け取り、薬草酒の湯割りを飲む。苦味のある酒が喉を通ると、体が温まり、消耗された魔力が多少回復する。
「お前テントの中で薬草をすりつぶすなよ! においが漂ってきてるじゃねーか!」
「だって外寒いもん……」
「寒いって……寝る場所なんだからちょっとは考えろよな。薬草くさくて嫌になってきたぜ」
ボロンの寂しさを紛らすためにマーシアの助手をさせているのだが、良かったのか悪かったのか。ここ数日、薬草のにおいに満ちたテントで寝るのを余儀なくされている。
「結構クランがいっぱい来てるから、復興は早く進みそうね〜」
「あのフロータイボール大量発生の噂を聞いて駆けつけたんだろ、いくつかは。で、復興作業のためにモーラベルラ治安管理局が依頼を出した結果、残りの連中が来たんだよ」
マーシアからスープ椀を受け取り、ウィルは軽く息を吐いた。
「復興が完了するのは、早ければ紅秋の月。でも実際は、ルピ山やゼドリーの森からやってくるモンスターを追い払う必要があるから、警備にいくつかクランが駆り出される。もうちょっと遅れそうだな」
「建物が多少壊れた程度なら、魔法薬で修理できるけど、全壊したら建て直ししかないものね」
遠くの空はいつの間にか曇り始めた。だがこの辺りは、雲よけの魔法をかけてあるので雨は降らない。
「がう?」
干し肉をかじるガブりんはふと、周りをきょろきょろ見回した。
「ガブりん、どうしたの」
ボロンが問うた。ガブりんは、北の方向をじっと見つめ、かじりかけの干し肉を急に捨てて駆けだした。
「ガブりん?!」
「おい、何処へ行く!」
ボロンとウィルはすぐガブりんを追った。マーシアはとりあえず焚き火を消し、後を追った。ガブりんは意外と足が速く、足の速いマーシアが全力疾走しても追いつけなかった。モーラベルラの町の外へ出る。町の外は雨が降っており、魔術師たちの張り巡らせた結界の外に出た途端、大雨が彼らの体を濡らした。防水の魔法をかけておくのを忘れていたため、服がぬれる。
ガブりんは、道半ばで立ち止まった。やっと皆がおいつく。街道の魔法の光が辺りを弱弱しく照らしており、ガブりんの姿が見える。
「ガブりん! 何を見て――」
遠くから聞こえてきた足音に、皆、その方向を見る。誰かがゆっくりと近づいてきている。その誰かが近づくにつれ、街灯の魔法の光の中にうっすらとその姿がハッキリ照らし出されてくる。
雨の中、ずぶぬれになりながら歩いてくるのは、シンイチだった。一振りの刀を大事に抱え、とぼとぼと歩いてくる。
「シンイチにいちゃーん!」
「がう!」
ボロンとガブりんは同時に飛び出した。シンイチは、彼らが走ってくるのを見つけたようで、立ち止まった。
「にいちゃん、にいちゃん!」
「がー」
ウィルとマーシアも追いつく。
「シンイチ君――」
「シンイチ、お前――」
二人は言葉が途切れた。暗い顔をしたシンイチの両目は、真っ赤になっている。まるで、さんざん泣いた後のよう。そして彼の抱いている刀は彼のものではない、彼は腰の帯に既にさしている。
「ただいま、戻りました……」
シンイチは消え入るような声で、言った……。
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