第8章 part2



 戻ってきたシンイチは丸一日眠り続けていた。その間も、ずっと刀を手放そうとしない。ボロンとガブりんはシンイチの傍から離れようとしなかった。
 日が暮れてから起きだしたシンイチは、テントの中で長い話をした。ギィと共に湿地の魔女の元へ行き、ゾンビパウダーの治療薬を作った事。それをガリークランに拾わせて剣聖フリメルダを治療させた事。一週間ほどの休息の後、デルガンチュア遺跡にて剣聖とギィが戦った事。命の灯が尽きようとするギィから刀を託され、モーラベルラへ戻ってきた事。
 話が終わると、長い沈黙がテントを支配したが、ウィルが最初に口を開いた。
「お前の今までの冒険はよくわかった。だがな、俺は、もしかしたらゾンビパウダーの治療薬の材料にするためにお前を生贄として差し出すつもりだったんじゃないかと思ってたんだぞ!」
「ウィル、ちょっと――」
「俺達がどんだけ心配していたか、ちっと考えろ! エアポートは使えなくなるわ、暴動は起こるわ、フロージスに行けなかったから本当にハラハラしっぱなしだったんだぞ! お前のお人よしっぷりに付けてやれる薬はねえなホントに!」
 ウィルは立ち上がり、テントの外へ出て行った。しゅんとしたシンイチに、マーシアは言った。
「大丈夫。ウィルはああ言ったけど、本当はシンイチ君が戻ってきたから嬉しいのよ。もちろん心配してたわよ、ホントに。毎日イライラしちゃってて、見ていてこっちが心配になっちゃった」
「左様ですか……」
「明日になったらいつもどおり接してくれるわよ、だからそんなに落ち込まないで」
「……」
 マーシアの言葉通り、ウィルは「いつも通り」になった。シンイチは数日暗い顔をしていたが、そのうち笑顔を見せ始め、復興作業を手伝うようになった。ただ違う事と言えば、帯には刀をふた振りさしている事だけか。
 日々は過ぎていき、モーラベルラの復興は順調に進んだ。各地から駆けつける増援の力もあって、青秋の月に入る頃には、町の修復はほぼ完了した。後はその機能を完全に復活させるだけの時間が必要だった。

 トラメディノ湿原。
 湿地の魔女は、不気味な微笑みを投げた。
「タネの補充をしに来たのかい? 物好きだねえ」
 タイゾウは、簡潔に言った。
「今度はフロータイボールのタネがほしいのではない。わしの力を増幅させるものがほしいのじゃ、もちろん金は貴様の望むだけ支払う。若いころのように、もっと力がほしいのじゃ!」
 タイゾウは血に飢えた目を魔女に向けている。魔女は帽子の飾りごしにタイゾウの顔を見る。
「そうだねえ、あんたのような血に飢えたやつをカンタンに変えてしまう薬がある。そいつを服用すればあんたの力は増幅できる」
「おお、それならば良いな! さっそく作ってはくれぬか?」
「作ってやらなくもないけどね。今度来るときは、もっと暗くてメツッとした依頼を持ってくるんだね。材料はここでは手に入れにくいから、あんたが自分で持ってきな。それと払ってもらう金額は――」
 数日後、タイゾウは材料をそろえてきた。薬を調合した魔女は、瓶をタイゾウに渡す。調合の間タイゾウはなにやらぶつぶつ言っていたが、魔女は何も言わなかった。薬を受け取ってから、一体どこで調達したのか、タイゾウは魔女の言うとおりの額をちゃんと支払い、小屋を出た。

「我らデュアルホーンの数も僅かか。十人いたのに、二人に減ってしまうとは」
 デュアルホーンの残党たちは、ため息をついた。カモアの大地祭で一人、ルピ山で五人、モーラベルラで二人。
「タイゾウはたしかに戦力にはなるが、ここのところは暴走しがちで困るわい。血が見たくてたまらぬとはな……」
「それさえ無ければ、我らは満足だというのに」
 不意に、残党たちの首が、宙を舞った。体は派手に血しぶきをあげ、草の中へどうと倒れた。宙を舞った二つの首は、ボトボトと坂の上に落ち、そのままゆっくり転がって行った。
「もう、お前らなんぞとつるむのは止めじゃ。やはりわしは、誰にも仕えずに暴れ回っていた方が性にあっている。あの長の奴がわしを無理に護衛役としたのも、間違いであったな! 戦以外でこのわしを使おうなど……!」
 タイゾウは冷たく笑って、さっきまで喋り合っていた二体の亡骸を見下ろした。
「この薬、とても素晴らしい! このわしのために存在しているようなもの! 飲むだけで力が湧いてくる! 昔のような力が湧いてくる!」
 小瓶に入った少量の液体。たまにボコボコと気泡がわきでてくる。タイゾウは小瓶を見つめ、くっくと笑った。
「もっと、もっと血を見たい! くひひひひひひ!」
 タイゾウの不気味な笑いは、あたりにこだました。
「ひゃははははははは……!」

 紅秋の月。久しぶりにフロージスへ降り立つ。
「シンイチの奴、いつまで話しこんでるんだよ、まったく。もう空が赤いぜ」
「まあいいじゃないの。話に花が咲いてるのよ。私だって、友達と話す時には時間を忘れてしゃべるもん。いつのまにか飲み物が冷めちゃってて驚いたことあったわあ」
「どんだけ大輪の花を咲かせたんだろうな。そいつが枯れるのはいつになる事やら」
 その時、パブにシンイチが飛び込んできた。ずいぶん急いできたらしく、顔がすっかり上気している。それもそのはず、彼はさっきまで、護衛の依頼のために町に寄っていたイーストランドと話をしていたのだ。同じ国の出身同士、話に花が咲いたため、遅くなってしまった。
「申し訳ありません、遅くなりました!」
「うん、遅かった」
 読みかけの月刊ボンガを閉じたウィルは、機嫌の悪さを隠しもしなかった。
 それぞれ好きなものを注文して、少し早目の夕食をとる。ボロンがシンイチの真似をして箸を使おうとするが、フォークのように握ってしまっている。握り箸は行儀が悪いとシンイチに言われ、持ち方を何度も直された。ガブりんは床の上でパンをかじっている。わざわざパンのバスケットが床に置かれているのはそのためだ。ガブりんは椅子に座らない。
 ふとマーシアはサラダの器から顔をあげて、パブのカウンターの方を見た。何かを聞きとろうとするかのように、兎耳が動く。
「ねえ、あれ見て」
 つられて、皆はカウンターを見る。カウンターには治安管理局の制服を着たヒュムたちと鎧を身に付けたバンガたちがおり、パブのマスターに何か手渡している。紙のようだ。マスターは手数料を受け取り、紙を掲示板に貼りつけた。絵が描かれており、下には数字も書かれている。
「新しい依頼書、かしら」
「指名手配書のようですね。こらっ」
 シンイチは、大人のパンを腹に収めたガブりんが皿に手を出そうとするのを、パシッと手を叩いてやめさせる。手を叩かれたガブりんは大人しくひきさがる。ボロンの手くせの悪さは治ってきても、ガブりんの盗み食いは直らない。屋台や店から盗まなくなっただけ、まだいいかもしれない。
「ユトランド治安管理局がでてくるなんて、よっぽど大物のモブだろうな」
 ウィルはムニエルを薬草酒で流し込んだ。
「そうでなければ、デュアルホーンの手配書が新しくなったか、だな」
 デュアルホーンの残党たちの人数が減るたびに、掲示板の手配書は張りなおされている。ルピ山、モーラベルラで大勢発見されたので、デュアルホーンの残党の数はかなり減ったはずだ。……何度か遭遇しているシンイチたちとて、彼らの正確な人数は分からない。
「さっさと全員捕まってほしいぜ」
 ウィルはつぶやいた。

 タイゾウが再び湿地の魔女の小屋を訪れたのは、彼が薬を作ってもらってからわずか三日後のことであった。
「魔女よ、薬を作ってくれぬか」
 薬を作っていたらしい魔女はタイゾウの顔を見ると、いきなりけだるそうな顔になり、つぼから紫の煙を噴き上げるのをやめさせる。
「おや、あの薬、もう切らしてしまったのかい」
「いや、もっと強力な作用を持つ薬がほしいのだ!」
 タイゾウの目は血走り、体からは血の臭いがただよってくる。魔女はタイゾウを上から下まで眺めると、
「今はそんな気分じゃないね」
「何だと!」
「あたしは今忙しい。あんたの目的なんて、今はどうでもいいんだ。おっとあたしを手にかけるつもりかい。やめときな。あんたのほしがっている薬を作れるのは、あたしだけなのだから。今ここであたしを殺してしまったら、あんたのほしいものは二度と手に入らないよ。もっとも、あたしを殺せるはずはないんだけどね」
 タイゾウは、匕首から手を離した。そして、じりじりと後ろに下がる。
「わかった。今の貴様には何を話そうとも無駄なのだな。仕方ない、また来るぞ!」
 鼻息荒く小屋を出て行ったタイゾウの背中を見送り、魔女は先ほどの仏頂面とは反対の、不気味な笑みを浮かべた。
「血に飢えるあまり力を追い求めるとは、哀れだねえ」
 口に出しているのに、ちっとも憐みがこもっていなかった。
「さて、続きを――」
 魔女は呪文をぶつぶつ唱え始め、つぼから今度は黒い煙を吹きださせた。

 夕方。トラメディノ湿原周辺に、たくさんのモンスターの群れが、骸となって転がっていた。コカトリス、アントリオン、ラミア……。中には、カームカンパニーが希少種として保護すべきと叫んでいたモンスターも。新聞や雑誌はこの事件をこぞってとりあげた。何しろモンスターたちはおたからを回収されておらず、単に殺されているだけだったのだ。
 その翌日は、フロージスは朝から雷雨に見舞われた。
「モンスターの大量殺戮ねえ」
 宿の簡易食堂の壁に貼られた掲示物を見て、ウィルは気の抜けた声を出す。寝起きなのだ。
「保護モンスターもその対象。今度はモンスターにまでデュアルホーンの手が伸びたのかあ?」
「でも、何のために殺してるのかしら。おたからを手に入れないで、ただ単に殺しているだけなんて目的が何も見えないわ」
 マーシアはそう言って、自分の皿に手を出そうとするガブりんからさっと皿を取り上げた。ガブりんは不満そうな声を上げる。
「あるいは、殺戮を楽しんでいるだけかもしれません」
 シンイチは、ガブりんが手を伸ばす前に自分の皿を持ち上げた。乳粥の入った皿なのだ、ひっくり返されると困る。
「殺戮を楽しむ? どういうことだよ。何か得する事でもあるのか?」
「得する事は何もありません。ただ単に殺すのが楽しい、それだけです」
 シンイチはそう言って食事を終えた。ちょうどチーズの塊が入った皿が運ばれてきた。ガブりんは大喜びで、固いチーズをかじり始めた。
「楽しむために殺すのかよ、そんなことありえるのか?」
「ありえますよ」
 シンイチの中では、そんなむごい事をする者の顔と名前がはっきりと浮かび上がっている。
(タイゾウに決まっている。あの男以外に考えられん)
 雷雨がおさまると宿を出て買い物に向かう。食料、塩、水、薬。買い物を済ませてから昼食のためにパブに入ると、ちょうど、ユトランドプレスの社員があわただしく駆けこんできて、号外を貼りつけたところであった。
「ユトランド治安管理局の上層部暗殺! 犯人は現在逃亡中」
 昼食を済ませてから、トラメディノ湿原へ向かう。エーテルの材料の一つとなる植物が、その湿原にしか生えていないせいだ。苦い思い出のあるシンイチとしては、行きたくないのだが……。
「ウィルにいちゃーん。エーテルの作り方教えて!」
「教えてもいいけどよ、お前がこないだコゲつかせた俺の道具、ちゃんと洗ったんだろうな?」
「あらったもん。ほら」
 最近、ウィルは調合道具のいくつかをボロンに持たせて、道具の扱い方を教えているのだった。
 目的地は、小さな小屋の傍だった。
「沼や池には近づくなよ。モンスターが潜んでるし、底なし沼だというからな」
 ウィルはそう言って、桟橋の脇に生えている小さなキノコを採る。それがエーテルの材料の一つであろう。しばらく、皆は黙々と作業する。シンイチは、ふと立ちあがった。
「にいちゃん、どうしたの」
 直後、シンイチはボロンを抱えて跳んだ。シンイチが立っていた所に何かが勢いよく突き刺さる。毒の臭いを放つ鉄の爪。そして気配など感じさせずに姿を現したのは、タイゾウであった。全身から殺気を放ち、血のにおいをぷんぷんさせている。目は血走り、草色の装束は赤黒く染まっている。
「くひひひ……よけおったな、シンイチ」
 タイゾウは不気味に笑った。シンイチはボロンを小屋の中へ放り投げ、抜刀する。赤いさびの浮いている匕首を握ったタイゾウは、鼻をひくひくさせた。
「やはりモンスターの血だけでは足りないのお。あの戦以来、わしの渇きを癒してくれるのは、わしや貴様のように血と戦に飢えた奴の流す鮮血だわい」
「貴様とわたしが同じだと?! 戯言をほざくな、貴様!」
 やはりモンスター殺戮の犯人はタイゾウだった。シンイチはタイゾウに「血に飢えた奴」と言われ、激怒した。タイゾウの血の臭いにつられたのか、ゾンビの群れが沼の中から姿を現し始めた。ウィルとマーシアは、シンイチを心配する余裕もなくなった。ゾンビを追い払わねばならないのだ。自分たちの周囲の確認が精いっぱいで、離れたところにいるシンイチの姿は見えなくなっている……。
 深い霧が急に立ち込めてきた。ただの霧ではない、魔力の霧だ。タイゾウが起こしたのか?
「シンイチぃ、貴様の血をよこせええええ!」
 タイゾウが匕首を握り、おそいかかった。電光石火の匕首の攻撃を、シンイチは何とか受けながす。ギィのように手を抜いてはくれない上、タイゾウの腕はギィに匹敵する。さいわい匕首には毒が塗られていない。それだけが救いだ。濃い霧で視界の悪い中、激しい攻防が続く。シンイチの繰り出した袈裟斬りをすんでのところでかわしたタイゾウ。シンイチが手首を返して再度斬りつけるもその姿は消えた。分身だ。背後から膨れ上がる別の殺気に気づくのが遅れたシンイチはすぐ身をひねったが、その無防備な背中に、匕首の一撃を受けた。シンイチの左肩から背骨にかけて斜めの傷が一直線に走った。身をひねったおかげで急所はかろうじて外れたが、傷自体は決して浅いものではない。タイゾウは匕首を逆手に握り、今度は急所めがけて振り下ろした。
 手ごたえがあった。タイゾウの視界が赤く染まり、匕首の先にある重いものがくず折れる音。
 タイゾウの匕首は、背中からシンイチの心臓を正確に貫いていた。


part1へもどる書斎へもどる