第9章 part1



 匕首で心臓を貫かれたシンイチは地面にくず折れた。だが、その体が急に不気味な光を発し、一瞬にして泥の塊と化した。
「に、偽物……?! 馬鹿な!」
 タイゾウは、仕留めたはずの獲物が急に泥土となったことに驚愕する。
「それにしても何だこの霧は……!」
 どんどん霧が濃くなってくる。ゾンビのうめき声が聞こえてくる。戦っているはずのウィルとマーシアの声が全く聞こえてこない。
「これが偽物ならば、奴らどこへ行ったというのだ……」

 湿地の魔女の小屋。
「にいちゃん、にいちゃああん! 死んじゃやだあ!」
 ボロンは、倒れたままのシンイチにすがりついて泣き声を上げている。背中の大きな傷口と心臓付近の傷口から血を流し続けているシンイチに、ウィルとマーシアがそれぞれケアルラとケアルをかけているが、傷がなかなかふさがらない。
「そんなに喚くんじゃないよ、シークの坊や」
 湿地の魔女は、出来たばかりの薬を持ってきた。その薬を背中に垂らすと、かぐわしい薬草の香りと共に、彼の傷はあっという間にふさがった。
「久しぶりに調合したねえ、このエリクサー」
 湿地の魔女は満足そうだ。ボロンがゆすぶっていると、シンイチの意識が戻ったらしく、彼はゆっくり目を開けた。
「にいちゃん!」
「がー!」
 今度はうれし涙を流し、ボロンはシンイチに抱きついた。ガブりんもそれに倣う。
「あ、ありがとうございます!」
 ウィルとマーシアは、半ば怖がって、半ば感謝して、湿地の魔女に礼を言った。二人揃って、湿地の魔女に会うのはこれが初めてであった。湿地の魔女は不気味な微笑みを二人に投げる。
「この東国の坊やを色々観察してたら急に攻撃されてしまったからねえ。くたばってしまうとこっちが困るから、呼び寄せて治した、それだけのことさ」
 湿地の魔女は、ギィとシンイチがゾンビパウダーの治療薬を作りに来た時、シンイチの髪に触れて術をかけたのだ。シンイチの耳目を通して見聞きする、スパイ目的で開発された古代の術。なぜそんな術をかけたかと言うと、単なる暇つぶし。異国出身のシンイチを通してものを観察すること自体が面白そうだと思ったのだろう。
「最近この辺をうろつき始めたあのタイゾウとかいうヒュムが、この坊やを襲う事はもう分かり切っていたからねえ。身代りをあらかじめこしらえておいたんだよ。あの霧を発生させたのもアタシさ。身代りを使うのがちょっと遅かったけど。あのタイゾウとかいう奴があんな方法で坊やを攻撃してくるとは思わなくてね。心臓を貫かれる寸前でここへ呼べたのは運が良かったかもしれないね」
 ボロンとガブりんに抱きつかれているシンイチは、床に座り込んだまま、未だしっかりしていない頭で湿地の魔女の話を聞いていた。まさか今まで湿地の魔女の術にかけられていたとは……。
「それでも、助けてくださって、ありがとうございます……」
「暇つぶしがなくなるのは、困るからね」
 湿地の魔女はしれっと言った。
「そうだ、坊や。ちょいとした話を教えてあげようか」
 湿地の魔女は言った。タイゾウが薬を作るよう湿地の魔女に依頼した事を。一時的に超人のような力を得られるのだが、服用する量次第では間違いなく命を落とすモノ。タイゾウはそれを作らせるために金をどこかで調達し、材料も持ってきた。湿地の魔女はちゃんと薬を作ってやり、渡した。だが数日ほどでまたタイゾウはやってきて「もっと強い作用の薬を作れ」と言った。湿地の魔女はちょうどシンイチの身代りとなる泥人形を作っている最中だったので断った。タイゾウは腹を立てたが湿地の魔女を殺すことはせず、そのまま去ったのだった。
「タイゾウが依頼したのは聖戦の薬だな、きっと」
 ウィルのつぶやきに、湿地の魔女は反応する。
「その通りさ。飲み過ぎてくたばるだろうと思っていたんだけどねえ。案外しぶとかったねえ。さらに血に飢えて、しかも戦闘能力が上昇した状態になった。あの状態だともう中和はできないよ」
 他人事のような言い方。何か言いかけたシンイチを制し、湿地の魔女は言った。
「依頼とは、依頼者とそれを引き受ける者と報酬があって成り立つものさ。その依頼の内容が第三者に悪影響を与えるものだろうとね」
 シンイチは口を閉じてしまった。そう、その後の結果がどうであれ、魔女は依頼を果たしたにすぎないのだ……。
「明日の朝、フロージスに戻るんだね。そうすれば事態は変わっているだろうから」
 湿地の魔女が言うには、この近辺には時間の流れが異なる場所があり、そこで一晩過ごすと、他の場所ではおよそ一ヶ月ぶんの時間が経過してしまうらしいのだ。
 湿地の魔女の小屋を去る前、
「おばちゃん、ありがとー」
 ボロンは礼を言ったが、ウィルとマーシアは青ざめたのだった。
 湿地の魔女の言った「場所」とは、彼らが先ほどまでキノコを採取していた地点に建つ小屋だった。到着するころ、ちょうど夕方になり、小屋で一泊することにした。魔力の霧は晴れ、タイゾウもゾンビの群れもいなくなっている。近くの池は澄んでいたので、シンイチは水を汲んできて湯を沸かし、血だらけの着物を洗う。修復の薬を垂らすと、斬られた箇所が勝手に直る。自分の手で縫わなくても薬を垂らすだけで直るとは、とても便利だ。
 日が暮れてから、簡単だが具だくさんの温かな食事をとった。相変わらず塩気が強かったが……。昼間の出来事でくたびれていたので、皆はすぐ寝てしまった。

 月が南の空へ昇るころ、例のねちっこい視線で目がさめたシンイチは火の玉に案内されて再び湿地の魔女の小屋に行った。一人で訪れた彼に、湿地の魔女は不気味な笑みを投げた。
「他の奴らがいると、邪魔っけだからね。だからあんたに一人で来てもらったのさ」
「左様でございますか。ご用件は?」
「まずは、あんたの髪の毛を少しよこしな。ちょっとしたことに使いたいからね」
 何に使うのだろうと不思議に思ったが、逆らわぬ方がいいと思いなおし、シンイチは、背まで伸びた髪を束ねる紐をほどく。特に手入れしていないのに枝毛も癖毛もない綺麗な黒髪がハラリと広がる。湿地の魔女はシンイチの髪に手を滑り込ませ、手櫛をいれるようにサーッと動かす。彼女の手が髪から離れると、手の中にはおよそ十本もの長い黒髪が残されていた。
「綺麗な髪だねえ、うらやましいよ」
「はあ、ありがとうございます」
 髪を褒められても嬉しくない。シンイチはまた首の後ろで髪を束ねなおした。
 湿地の魔女は色々な薬草や液体をつぼに入れ薬を作った。その材料は全てタイゾウにとってこさせたものだ。つぼにたくさん入れた割に、出来た薬はほんの少しだけ。細くて小さな瓶には、血のように赤い不気味な液体が入っている。
「特製の目薬だよ。さしてごらん」
 これが目薬? 毒薬ではないのか? こんな不気味な液体を目に入れるのは嫌だが、断る勇気は無かった。おそるおそる両眼に薬を垂らす。生温かいドロリとした液体が両眼に落ちると、途端に激痛が走り、視界が真っ赤になる。痛みで、思わずぎゅっと瞼を閉じてしまう。手から離れた瓶が床に落ちる音。両手で目を押さえ、必死で痛みをこらえる。それでも痛みを訴える声は漏れ、立っているのも困難になって膝をついてしまう。痛みが引いたのは一分ほど後だったが彼には一時間にも感じられた。息を切らしながら手を離す。真っ赤な視界はいつもどおりに戻っており、彼は目から涙を流していた。見上げると、湿地の魔女が笑って見下ろしている。
「うまくいったみたいだねえ」
「あの……この目薬は一体……」
「将来、あんたの役に立つ薬さ。効果? そのうちわかるよ。さ、もう帰りな」
 一体何の役に立つのかと不思議がるシンイチを帰した後、湿地の魔女は次の行動に取りかかった。シンイチの頭髪を一本、不思議な文様のつぼに入れ、呪文を唱え始める。すると、つぼから真っ白な光の玉が現れる。
「さ、目当てのものを採るとしようかねえ。ふふ」
 湿地の魔女は不気味に笑った。光の玉は勢いよく小屋を飛び出していった。

 朝起きると、雪雲が辺りの空を覆っている。
「すげえや、本当に一ヶ月くらい過ぎちまった! 紫冬の月だぞ、あの雲が出てくるってことは」
 ウィルは起きるや否や、めんくらった。
「寒いわけだわ。早くフロージスに行きましょうよ。それにしても、フロージスって今年はきっと大寒波よ。こんなに寒いんだから!」
 マーシアの言葉が終わらぬうちに、ボロンはくしゃみした。ガブりんのヘタが、寒さでしおれてしまった。一方、シンイチは、体から生気が抜き取られたようなだるさに襲われ、起き上がるのも億劫に感じた。寒さのせいだろうと片付け、のろのろと起き上がった。
 フロージスについたのは昼ごろ。先に宿をとり、それからパブに入る。注文を終えて料理を待っているとき、マーシアは何気なく掲示物に目をやる。手配書が新しく貼りかえられている。一ヶ月も経つのだから(彼らにとってはたった二日か三日ほどだが)、変わっていても不思議ではなかろう。
 シンイチは不思議なことにいくら食べても腹が満たされなかった。結局六人前ぶん食べてやっと満腹になったのだが、当然、皆はその食欲に驚きあきれる。腹を満たした後、ウィルとマーシアは手配書を眺め、パブのマスターから色々話を聞いてみる。
「そういえば、あんたらの連れの大食漢のヒュムの坊主を捜してる連中がいたよ」
「シンイチを? 一体誰が?」
「東の国から来たクランさ。あの坊主みたいな服装した奴らだ」
 シンイチと同じような服装のクランとはイーストランドだろう。
「というかさ、おっちゃん。よくシンイチがそのクランの目当ての人物だってわかったな。東の国から来た奴らなんて他にもいっぱいいるだろうに」
「そのクランの連中が坊主の特徴を話してくれたんだよ。ええと、歳は十五か十六くらいで、背まで伸びた黒髪を束ねていて、刀をふた振り持っていて、青を基調とした旅の衣を身につけてる、お人よしそうな少年。確かそう言っていたなあ。六人前のメシをぺろりと平らげるような大食漢だとは聞いてないがね」
「確かに、シンイチ君だってすぐわかるわね……」
 宿に帰る途中、ウィルはシンイチに、イーストランドがシンイチを捜しているらしいと伝える。シンイチは一体何の用なのだろうと首をかしげた。捜される理由が何も思いつかないからだ。
 宿にたどりつき、部屋に入る。
「この月の二週間くらい前からパブに貼りだされてた手配書、あれは間違いなくタイゾウ一人だけだったぜ。しかもとんでもない高額の賞金を懸けられてた。罪状は、プリズン上層部およびユトランド治安管理局上層部の暗殺、保護モンスターの虐殺、そんでもってデュアルホーンと組んでユトランド各地を暴れ回っての破壊工作。今までいろんなクランが討伐に向かったが、返り討ちにされるか逃げられるかの、どっちかの結果に終わったそうな。バウエン一家ですら駄目だったらしいぜ」
「その上、タイゾウがデュアルホーンの残党を自分の手で殺したそうなの」
「それは本当なのですか?」
「治安管理局の上層部を殺した時、ちょうど警備兵がかけつけたらしいのね。タイゾウ本人がそう言って、逃げたらしいのよ。で、未だに捕まってないのよね」
 シンイチは苦い顔になった。ウィルはその顔を見ていたが、問うた。
「シンイチ、タイゾウは昔っからああいう奴だったのか?」
 シンイチは、自分の知る限りのことを話す。元々シンイチの故郷は武術者を多く輩出するところであり、傭兵業も引き受けている。魔獣退治や戦が起きれば傭兵となって戦地に赴く。タイゾウもその一人であった。タイゾウは、里で一番腕の立つ武人であり毒物の権威でもあり、合戦経験も豊富だったが、三十年前の、最後の戦で傭兵のひとりとして出陣して以来、血に飢えた狂人に変わってしまった。戦から戻ってきた後、誰かれ構わず衝動的に殺す時があり、一時は牢獄につながれていた。里の者は追放を願ったが、長は己の護衛役として任命した。その結果起きたのが二年前の惨劇だった。
「おそらく長は、次に来るであろう依頼でタイゾウを投入し戦死させるつもりだったのでしょう。あれでもタイゾウの腕は里一番、依頼の際にタイゾウを指名する依頼者もいたくらいですから」
 シンイチはうつむいた。その肩が小刻みに震え、こぶしが固く握られる。が、顔を上げるや否や、ドアにすばやく歩み寄った。
「どなたですか? 先ほどからわたしの話を聞いておられるようだが」
 シンイチは自らドアを開ける。そこに立っていたのは、イーストランドのヴィエラであった。

 フロージスの北にあるカノル砦。シンイチたちは、イーストランドと話をするために案内された。例え祖国出身の者と話をすると言えども一人にすると何をするか分からないから、とウィルがシンイチについてきた。マーシアはボロンとガブりんのお守で宿に残っている。
「久方ぶりだな、シンイチ」
 口を開いたのは、イーストランドを束ねるリーダーのゼンゲン。あの不思議な小屋で一晩を過ごしたシンイチからすれば、ほんの二日か三日、会っていないだけだが……。
「お久しゅうございます、ゼンゲン殿。わたしに御用がおありとうかがいましたが」
「おぬしに足労願ったのはほかでもない。おぬしはこのユトランドでタイゾウに会った事があるか? もしあるならばその時のことを話してもらいたい。我らはこのためにおぬしをずっと探していたのだ」
 最初にシンイチが彼らと会った時、自己紹介の際に己の出身地について話したのだが、その時には何も問われなかった。タイゾウがこのユトランドにいるということを、イーストランドが知らなかったためであろう。シンイチは、ユトランドに来てからタイゾウに何度か襲われたことを話す。その間、いつもの喋り方が完全に消えて、東国の言いまわしのみで喋るので、ウィルには話の内容が所々理解できない。
「二年前におぬしの里で起きた惨劇については、耳にしている。あれ以来、《空蝉のタイゾウ》は我が国で指名手配されていることも、おぬしは知っていよう。ユトランドへ渡る前にも、何度か我らは奴を追ったが、いずれもあと一歩のところで逃げられてしまった」
「タイゾウを逃さず仕留めておれば、皆様方のお手を煩わせる事もなく、さらにはこのユトランドの平安が脅かされるようなことにはならなかった……。全ては、我らの不徳の致すところ……」
 うつむいたシンイチに、ゼンゲンは諭すように言った。
「面を上げよ、シンイチ。おぬしの里の武術者たちが束になっても奴を仕留めることは出来なかったのだ、おぬし一人が責めを負う事ではない」
 やっとシンイチは顔をあげた。ウィルはほっと息を吐いた。ハラキリせずにすみそうだ。
「そう言えば、さあ」
 ウィルはふと思いついて口を開いた。
「タイゾウの話をさせるためだけにシンイチを捜してたのか? もしシンイチが一度もタイゾウと遭っていなければ、呼び出すだけ骨折り損だけど――っと失礼」
「タイゾウは同じ郷里の者に異様な執着を持っている。祖国で我らに追われていた時、同郷の出身者のクランだけを何度も襲い、最後には惨殺してしまったのだ。他のクランとは一切刃を交えなかったのに……」
「なるほど、シンイチもひょっとしたら同じ目に遭ったんじゃないかと思ったんだな」
「左様。それに、我らは知りたい事があるのだ。奴の持つあの術。我らが何度もあと一歩のところでタイゾウを逃がしてしまったのは、奴の持つあの術のためだ。もしシンイチが何か知っているのならばぜひ聞きたいと思っていたのだが、先ほどの話の内容からしても……はあ」
「シンイチ、おぬしに問いたいのだが」
 ため息をついたゼンゲンの次に口を開いたのは、ゼンゲンの後ろにいる忍者。
「なぜあのタイゾウが《空蝉》と呼ばれるか、その所以を知っているか」
「タイゾウの持つ分身の術によるものと存じます」
「その通り。あの術を破らねば、ユトランド中のクランが奴に襲いかかったとしても、分身をおとりにして本体は逃げ出してしまうだけなのだ。おぬし、何か知らぬか、奴の分身を破る方法……」
「いえ、皆目見当がつかぬ次第……」
「左様か。何度もタイゾウと遭っているおぬしならば何か気付いた事があろうと思ったが……」
「無理な質問をするな、ギスケ」
 殺気。
 シンイチが刀の柄に手をかける。半秒遅れてイーストランドがそれに倣う。シンイチは振り返って、空を切って飛来したモノを刀で弾く。石畳に落ちたのは、毒の塗られた鉄の爪。ピリピリした不快なにおいが鼻を突く。一体何のにおいだとウィルは思ったが、東国の者たちの反応を見て、深く吸わないことにした。毒の類だろうから。
「くたばってはおらなんだか、シンイチ。それにしても、やはりお前はからかい甲斐のある小僧っ子じゃ。血に飢えるまでわしを戦場に何度も送った挙句、牢の中につなぎとめた里の連中などよりもずっと遊び甲斐があるわい。それになあ、国にいたころにわしを追ってきた奴らのどす黒い血に比べれば、貴様の血ははるかに綺麗な赤だったのう」
 壁のてっぺんに、タイゾウが姿を現した。シンイチは歯噛みし、両手で握った刀の柄をより強く握りしめた。
「タイゾウ、貴様……!」
 だが、シンイチから目をはなし、タイゾウはゼンゲンを見た。
「ほお、懐かしい面々もおるわ。ゼンゲン、一年半ぶりかのお」
「貴様には二度と会いたいとは思わぬ。だが、我が国とユトランドで指名手配されている以上、貴様を逃すわけにはいかん!」
 タイゾウはかんらかんらと笑った。
 ウィルはタイゾウの一挙一動から目を離さず、同時に集中して魔力の分析を開始。タイゾウはウィルの期待通り、分身した。一人しかいなかったのに、三人に増えたのだ。タイゾウの一人がシンイチに向かって、もう一人はイーストランドへ向かって、最後の一人はゼンゲンに向かって飛びおりた。
「コジロウ、ジンペイ、ギスケ!」
 ゼンゲンの指示で、二人の用心棒が迎え撃つ。タイゾウの背後からギスケが跳びかかる。
「ハヤテ、サキ! シンイチの援護を!」
 もう一人の忍者とヴィエラがシンイチの方へ跳んだ。
 それぞれのタイゾウが、毒塗りの匕首を両手に握って、応戦した。強い。腕利きの用心棒たちを複数相手にしているのに、対等に戦い、一歩もひかない。分身がまた一人、ゼンゲンの後ろから姿を現した。ゼンゲンはすぐ応戦する。二対一の状況だがゼンゲンは対等に戦っている。
(何か、分身を破る方法――)
 タイゾウの眼中に入っていないらしいウィルは、必死で考えた。分身がまた現れるとは……。ゼンゲンの袈裟斬りがタイゾウを派手に切り裂くが、それは分身であった。手ごたえは全くなかった。もう一人のタイゾウも切り裂かれたが、やはり手ごたえなし。ウィルは、分身の消え方に目を見張った。切り裂かれた分身は文字通り煙の如く消えたのだ。そしてその煙は、あの毒の塗られた小さな鉄の爪から出てきている。皆には見えないのだが、ウィルには見えるのだ。煙は鉄の爪の中におさまる。
(そうか! わかったぞ、タイゾウの分身の正体が!)
 ウィルは怒鳴った。
「シンイチ! 奴にカマイタチだ!」
 シンイチは、ハヤテとサキの猛攻を防いでいるタイゾウにカマイタチを放つ。風の刃がタイゾウを切り裂くや否や、タイゾウはまるで煙の如くかき消えた。これも分身。ならば、コジロウとジンペイ、そしてギスケが戦っているのが、本体。ジンペイの放った奥義・天雷が外れる。テレポで逃げられたのだ。一陣の風が吹き、落ちている鉄の爪からまた煙が出てくるが、さらに強い風が吹き、ゼンゲンとウィルの後ろで形を作りつつあった煙が吹き飛ばされた。シンイチの放ったカマイタチが煙を吹き飛ばしたのだ。ウィルはぎょっとしたが、今度はシンイチの背後を狙う煙をブリザラで凍結させる。その際、シンイチの目には、ウィルが術を放とうとした時、その体が赤く光ったように見えた。
(赤い……)
 シンイチは、突然ウィルが赤く見えだした事に驚いたが、それ以上に驚いたのは、
(見えた……あの煙がタイゾウの姿へ変わるところが、見えた!)
 そして、タイゾウの姿と気配を探す者たちの中に、タイゾウの存在を「見た」。赤い煙が風に乗って漂い、タイゾウの姿を形作っていく!
「コジロウ殿! 後ろ!」
 とっさに振り返ったコジロウは、音も気配もなく、それこそ煙のように現れたタイゾウの振り下ろす匕首をすんでのところでよける。脇からハヤテが斬りかかる。タイゾウはいったんテレポで退く。岩壁の上に乗り、片手を上げる。
 片手をあげた途端に、何かのはじける音がして、毒の煙が辺りを包む。そして毒の煙を吸うと体がしびれる。タイゾウは重傷を負いながらも、それを見届け、笑って崖から落ちた。その光景がシンイチの頭の中でよみがえった。タイゾウが片手をあげた途端、シンイチはカマイタチを繰り出した。何かのはじける音がして、毒の煙がカマイタチの風で吹き飛ばされる。
「二度も同じ手が通ずると思うな!」
 シンイチがもう一度カマイタチを放つが、タイゾウはそれより早くテレポで逃げた。
 高笑いだけを残して。


part2へ行く書斎へもどる