第1話



 その遊園地は、既に閉園している。大きな鉄の門に鎖が幾重にも巻きつけられ、南京錠もついている。風雨にさらされ、ペンキがはがれて錆のういてきている鉄の門の向こうには、これまた手入れのされていない錆だらけの遊具が見える。閉園してから最低でも十年以上は経っているのだ、手入れされなければ、どんな頑丈な遊具でもさびて壊れてしまうに決まっている。そして、こういった閉園後のオンボロ施設には、肝試しと称して、近くに住む者や遠方からわざわざ来た不良などが入りこむものだ。

 近く、この閉園された遊園地が、取り壊されることになった。

 遊園地取り壊しの日が決まり、遊園地の周囲には、取り壊しの日程を書いた看板が立てられた。
「ああ、ここ、取り壊すのか」
 ユウスケは、看板をみてつぶやいた。
「最後に来たのは子供の時だったよなあ」
 高くそびえる、錆だらけの門を見上げる。うす曇りの昼間、休日とはいえ、全く人気のない遊園地は不気味だった。無人の施設。遠くで、車が道路を走る音が聞こえてくる。この遊園地が開いていたころは、この辺りはよく渋滞したものだったが、閉園した今となっては、ブルドーザーやショベルカーなどの工事用車両しか、その姿は無い。今日は休日、工事に携わる者は誰もこの場に来ていない。
 ミュウツーのユウスケは、先ほどコンビニで買ってきたばかりのチョコレートをかじりながら、しばらく門の奥に見えるものを見ていた。さびだらけの遊具しか見えない。あんなに楽しかった遊園地。行かなくなったのはいつからだろうか。
(……)
 しばらくチョコレートをかじりながら、さびしい遊園地を見ていたユウスケは、雨が降るからそろそろ帰ろうと思い、回れ右をした。

 カラン。

 背後から聞こえた音に、ユウスケは我に返った。
「今の音は……?」
 金属音がした。何かが落ちるかぶつかるかして、その音が立ったのだ。
 ユウスケはまた回れ右をして、門の隙間から、遊園地を見まわす。先ほどはただ遊園地を懐かしんでざっと眺めていただけだったが、今度は、音の正体を確かめるために、念入りに見回す。
「あっ」
 音の正体を見つけた。何のことは無い。地面に転がっている、錆びた金属パイプだ。メリーゴーランドの支柱のてっぺんについている飾りを支える柱で、その先端には、ポニータを模した形のかざりがついている。
「なーんだ」
 ユウスケは音の正体に安堵して、今度こそ回れ右した。ほっと胸を撫でおろして、独りごとを呟いた。
「てっきりオバケか何かかと思ったよ……」
 ちょうど遠くから雷鳴が聞こえてきたので、雨が降る前にと、ユウスケは遊園地から急いで遠ざかった。彼は傘を持ってくるのを忘れていたのだ。
 結局雨に降られ、ユウスケはスーパーマーケットで傘を買うはめになった。安物のこうもり傘を広げて、のんびりと道を歩く。行きかう町の住人達は、傘をさしたり、濡れないようにと大あわてで走ったり。
 ユウスケの住まいは、大学から一区画離れたアパートの一室だ。現在、独り暮らしの大学生。
「さあてと」
 ハンドタオルでぬれた体を拭いてから、ユウスケは、体を温めるためにコーヒーでも飲もうと思い、小さなやかんに水を入れて火にかける。コーヒーを淹れた後、ラジオをつける。部屋にテレビを置いていないが、ニュースを知るならラジオで充分。アンテナをめいっぱい伸ばしてから、つまみを回して上手くラジオの放送を拾う。ニュースキャスターの声が鮮明になったところで、つまみを回すのをやめる。
 ラジオのニュースが流れる。天気予報では、今週の天気はぐずつくようだ。梅雨に入るのだから仕方がないだろう。窓の外を、雨がざあざあ降り注ぐのも見える。帰る途中よりも、降り注ぐ雨の量が増している。早く帰れてよかったとユウスケは思う。
 ゴロゴロと雷が遠くで鳴っている。稲光も見える。雷の好きな近所の住人達は、今頃、雷を求めて出かけてしまっていることだろう。あんな、眩しくてうるさい雷の、何がいいのだろう。電気タイプではないユウスケにはわからない。
「あ、そうだ。講義のレポート書かなくちゃ。提出は火曜日だったね」
 通学用カバンからレポート用の資料を取り出し、ユウスケはそのままレポート書きを開始した。雷の苦手なユウスケだが、レポートを片づけている間なら雷のことをしばし忘れられるだろうと思ったのだ。ラジオのニュースと、雨が窓をたたく音と、風が時折吹きつけてくる音をBGMのかわりにし、ユウスケは黙々とレポートを片づけていった。

 休日が終わり、ユウスケは大学へと向かう。朝一番の講義は必須履修なのでサボるわけにはいかない。いつまでもぐずぐず布団で寝ずに飛び起き、食パンとミルクで朝食を済ませ、アパートを出る。
 大学の、講義の行われる教室へ入る。大勢の学生が受ける講義のため、教室は階段のような形をしている。上から下まで、一段ずつ席が作られ、横長の机に五名座れる。そして、一番下の段では大きな黒板が壁に貼り付けられ、その前には教卓がある。ここで、講師が講義を行うのだ。そして学生は好きな席に座り、講義を受ける。
 ユウスケは、いつもの、教室の中央の段にある席に座る。カバンを開けてテキストやノートを取りだしていると、その隣に「よお」と明るく声をかけて、座ってくるジュペッタ。友達のヘイタだ。
「ふああ、やっぱり朝一番は眠いよなあ、ユウスケ。というか俺朝が苦手だわ」
「そりゃ眠いに決まってるって。僕だって我慢してるんだし」
 ユウスケも、ヘイタ同様、大きなあくびをひとつした。
 講義開始のベルが鳴り、学生たちは慌てて席につく。講師のエテボースが、それぞれの尻尾にテキストとプリントを持って入室する。そして、教室の再下段まで降りて、講義を開始した。
 ユウスケは眠気と闘いながら、黒板に書かれるものをノートにメモする。ヘイタはノートに落書きして、退屈な講義が早く終わらないかと願っていた。
 九十分は長い。学生たちの集中力はとっくの昔に途切れている。テキストやノートの下に漫画を隠して読んでいる者もいれば、ノートに落書きしている者もいるし、堂々と机に伏せて惰眠をむさぼる者もいる。
 ユウスケは次第に自分の目の前がぼやけてきたのを感じた。数秒だけ眼を閉じればそれも治るかと思ったが、そうはいかなかった。眠気がどんどん増してくる。
 はっと気がついた時、講義は終わりに近づいていた。ユウスケは、慌ててメモを取ろうとシャープペンをノートからとりあげる。眠気に負けても手は何とか動いていたので、さぞやみょうちきりんな落書きがノートに書かれているだろうと思いきや、
 ゆうえんち
 これだけがしっかりとノートの真ん中に書いてあった。
(あ、遊園地か……)
 昨日、閉園後の遊園地へ行ったことを思い出す。とにかくユウスケは大あわてでメモをとる。黒板のものを全て書き写したところで、講義終了ブザーが鳴った。ヘイタはメモもとらず、小さく船をこいでいた。
 午前の講義を終えたユウスケとヘイタは、学生食堂で合流する。小さな隅の席で、ふたりはから揚げ付きカレーライスを食べながら話をする。
「遊園地って、あそこだろ? あのおんぼろの」
 ユウスケが遊園地の話をすると、ヘイタはから揚げを無理やり呑み込んでから喋る。
「とっくの昔につぶれた遊園地で何したんだよ、お前」
「別に。ただ昔を懐かしんでただけ」
「あそこってさ、たまに誰か忍びこんでるだろ。おんぼろだから、肝試しスポットになってるとか、そんな感じで」
「え、そうなの」
 ユウスケはスプーンを口に入れたまま、眼を丸くした。
「そうなのって、お前ねー」
 友人の反応に、ヘイタは額にしわを作る。さらに何か言いたそうだったが、それ以上は言わなかった。
 ユウスケはスプーンを口から出す。
「でさ、今週末に本格的に取り壊しが始まるから、また土曜日になったら行ってみようと思うんだ。見納めってやつ」
「別に行ってもいいんじゃね?」
 その時は、ただ行くだけ、すぐ帰るのだと軽い気持ちでユウスケは話していた。
 だが土曜日、その軽い気持ちはたちまち消え失せることとなる。


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