第5話
ユウスケとヘイタの体は、お化け屋敷の中へ放り込まれた。謎の力で、壊れかけのドアが完全にピッタリと閉じられてしまった。
おにいちゃんたち、はやく。
ユメコの声が響くが、あいにく二人は聞いてなどいない。空中にふわふわ浮かんでいる自分の体を何とかしようとばたばた暴れていたのだから。
不意に、二人の体を浮かせる謎の力が消えた。二人の体は万有引力の法則に従い、埃だらけの床の上へと落下した。衝突音と共に、埃が舞う。しばし二人はくしゃみと咳ばかりして、しかも体の痛みで立ち上がることすらできない状態であった。
舞い上がった埃は、やがて再度床の上にゆっくりと落ちていく。それにつれて視界はより開けたものになって行く。
「おい、ここって……」
落ち着きを取り戻した二人は周りを見回す。本来なら明かりのほとんどないお化け屋敷であろうに、壊れた窓から薄明かりが差しこみ、周囲をある程度明るく照らしてくれている。それを頼りに周囲を見まわす。辺りは埃だらけで、脅かしのためのセットは床に倒れたり、風雨にさらされて塗装がはげたりと、別の意味で不気味だ。
不意にユメコの姿が空中に出現し、二人は悲鳴をあげた。お化け屋敷のおどかしの演出などではない、本物の幽霊が現れたのだ。
「出たあああああああ!」
ねえ、おにいちゃんたち。
「や、やべえええ。ちびる……こ、腰が抜けたああ」
涙目のヘイタは、脚をガクガクさせながら腕だけで這いずっている。立てなくなったと言うのは本当らしい。ユウスケはなぜかヘイタにしがみついていた。
ユメコは二人に近づいた。
ねえ、おにいちゃんたち。こっちきて。
が、腰が抜けたヘイタは立てないし、ユウスケはそのヘイタにしがみついた状態なので、当然立てない。
ユメコは、ちっとも立ってくれない二人にしびれをきらしたようで、ぷくっと頬を膨らませた。
「わああっ!」
謎の力で、再び二人を宙に浮かせたのだ。
「おろせ、下ろせったらあああ!」
ヘイタは必死で喚く。既に泣き声となっているが、ユメコは聞いちゃいない。そのままふわふわと浮いて、お化け屋敷の奥へと向かう。
「下ろせったら、下ろせえええ!」
ヘイタは涙すら流しながら訴えた。ユウスケは声を出すどころか、がたがた震えて縮こまるばかりだ。失禁しないだけいくぶんかマシというところ。
お化け屋敷の内部は、古い洋館のデザインであった。すなわち、分厚いじゅうたんや壁にかかった油絵や、天井から垂れさがるシャンデリアといった、ステレオタイプなデザインだ。遊園地が繁盛していたころは、お化け屋敷なりに清潔を保ちながらもある程度おんぼろなデザインを留めていたのだろうけれど、今となっては本当にただのおんぼろ屋敷だった。絨毯の上にはほこりの絨毯が敷かれ、壁の絵はいくつか落ち、あるいは差しこむ日光で絵が日焼けして変色している。天井のシャンデリアは蜘蛛の巣だらけとなっているか、あるいは天井からの支えを失って床に落ちライトが割れている。
人工的に不気味につくられたものが、時間の経過でさらに不気味に変わったその姿は、音響やライトアップなどの効果がなくとも充分過ぎるほど恐ろしかった。しかも本物の幽霊が目の前にいるとあっては。
声が枯れるほど叫んで疲労したヘイタに対し、ユウスケは現状に少しずつ慣れてくると、周囲を見回す余裕が再び出てきていた。彼らが今ふよふよ浮いている場所は、絵画の釣り下がった通路。その先にはリビングらしき広めの場所がある。家具はほとんど見当たらない。
彼らが家具のないリビングに入ると、急にユメコはリビングの一角に向かっていく。そこにあるのはただのおんぼろドアだが、よーく見ると「関係者以外立ち入り禁止」とおそろしく興ざめする看板がつり下げられている。
ここだよ。
不意にユメコがドアの前で止まった。そして、ユウスケとヘイタの体は、またしても乱暴に床の上に放り出されてしまった。またしても、分厚い埃が辺りに舞いあがり、ユウスケとヘイタはひどい咳とくしゃみに襲われる。
このドアの向こうだよ。
ユメコはドアの中に半身を突っ込む。幽霊なのだから通り抜けられるのだろう。が、生身のユウスケとヘイタは通り抜けることなどできやしない。
ユメコはドアの向こうへ消えていく。咳とくしゃみの攻撃から何とか立ち直った二人は、顔を見合わせ、ドアを見つめる。
「この、向こうって言ったよな」
喚きすぎて声がガラガラになっているヘイタの問いに対してユウスケは生唾を飲み込んでうなずいた。
もう帰りたい。だが、ここまで来てしまったら帰りようがないはずだ。疲労と不安と恐怖が正常な判断を鈍らせてしまっており、「回れ右してお化け屋敷を出る」という選択肢は彼らの頭の中にはすでにない。
ユウスケは立ち上がって、「関係者以外立ち入り禁止」の札が下がっているドアノブをにぎる。錆ついているのか上手く回らないが、それでもしつこくガチャガチャ回していると、向こうがようやっと折れてくれて、完全に回して開ける事が出来た。
押しても開かないので、ノブを手前に引っ張る。ドアはギギギと嫌な音を立てながら、ユウスケの前に道を開いた。
埃と蜘蛛の巣のカーテンがドアの向こうからお出迎え。近くに落ちていた絵画用の枠を使ってそれを払い、ユウスケは奥に首を突っ込んでみる。大きな窓が天井にあり、外からの光が注がれてくるおかげでとても明るい。
「遊園地の裏方ってこんなだったんだ」
ユウスケは思わず口に出していた。埃だらけの室内には、いくつもロッカーや棚があり、小道具が床に散乱している。ロッカーは遊園地に勤務する者の私物を入れるためだろうか。ほとんどの扉が閉じられているが、開いているものもある。部屋の一角を陣取る、良くある折り畳み用の長机とパイプ椅子は埃をかぶって錆だらけとなっていた。机の上には、修理道具と思われる工具が置かれているのだが、同じく錆だらけだ。たぶんこの部屋では、スタッフが休憩をとったり、小道具を修理したりしていたのだろう。
その部屋の中央で、ユメコが浮いていた。
おにいちゃん。
「な、なんだよお」
まだ腰が抜けているらしいヘイタが、ユウスケの下から室内を覗きこみ、ぶるっと身震いする。怖いなら覗かなければいいのにと思うユウスケ。
ユメコは、浮いたまま、一つのロッカーを向く。他のロッカーと比べて、赤っぽい扉をしており、きっちり閉ざされている。
あれ、開けて。
その言葉でユウスケとヘイタの頭の中に浮かんだのは――口にしたくない光景。
ユメコはお構いなしに、早くしてとせかした。
ユウスケは仕方なくさっきの絵の枠をつかんだまま中に入り、床に散乱する小道具をできるだけ避けて歩く。そして、小さい身震いを抑えきれぬまま、赤っぽい扉のロッカーの前に立つ。枠で殴ってみるが、びくともしない。プラスチックの枠は反対にヒビが入ってしまった。
「お、おい……」
ヘイタはぶるっと身震いする。ユウスケは構わず、ひびのはいった枠を捨て、机の上に置かれた工具を取る。スパナやペンチで扉をがんがん殴ってみたが、へこんだだけに終わった。
「なら、これでどうだ?」
てこの原理を使った、長い釘抜きだ。錆びているとはいえ金属製だ、ロッカーの扉をたたき壊すなりこじ開けるなり、そのぐらいはできるだろう。
はやく。
ユメコがせかす。自分でやれよと思いながら、ユウスケは釘抜きをバットのように体の横に構え、思い切り振った。
があん、と、ロッカーの扉は勢いよくひしゃげ、ユウスケの手は一気にしびれた。ひしゃげたロッカーの隙間から、妙な臭いの気体が漏れ出る。
釘抜きを落としたユウスケは、手のしびれが取れるまで待ってから釘抜きを拾い、もう一度バットのように振りまわして、ひしゃげた箇所を思い切り殴りつけた。
さっきより派手な音がして、ロッカーの扉が今度こそ、大きくひしゃげた。そして、釘抜きをロッカーの扉の隙間に押し込んでから、てこの原理で無理やりこじ開ける。錆ついた音を立てて、ロッカーの扉はようやっと開かれた。
手がしびれたままのユウスケは、息を切らしながら、ロッカーの中を覗いた。
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