第9話



 さて、ユウスケとヘイタはぼろぼろのムンナぬいぐるみを持って、目的地へたどりついた。
「ようし、やっとついたぞ」
「案外遠かったね」
 汗だくになりながらもたどりついた中古マンション。近くに建つ看板を見れば、まだ築三十年になるかならないかの、ちょっと古いものだ。柵に囲まれた敷地には子供の遊具がある。塗装の禿げてきたブランコと鉄棒があり、馬跳びがわりの半分埋まった古タイヤもある。ここには確かに、ユメコの言っていた「ぶらんこのあるおうち」なのだ。
 ヘイタとユウスケはまず大家を探した。中古マンションの一角に大家が住んでいたので、すぐ見つかった。庭の手入れをしているフーディンの大家に、ふたりはぼろぼろのムンナぬいぐるみを見せた。
「あの、このぬいぐるみを持っていたひとに心当たりありませんか? ええと、拾ったので、届けに来たんですけど……」
 既に営業しなくなった取り壊し前の遊園地の中にあった、とは正直に言えない。
 フーディンの大家は、じろじろとうさんくさそうにぬいぐるみを見つめる。それから、ポンと手をたたく。
「ユメコユメコ、はてな……おお、覚えがあるぞ。確か――」
「確か?」
 ユウスケとヘイタは思わず身を乗り出した。なりゆきを見守ってふわふわ漂ったユメコもまた、身を乗り出した。
 大家は言った。
「二階に住んどる女子大生の名前がユメコじゃ!」
「い、いやあの、ユメコという名前のぬいぐるみの、持ち主について知りたいんですけど……」
 ヘイタが言いかけたところで、ふわふわ漂うユメコが声をあげた。

 ゆめこ!

 庭に響くほどの大きな声だったのでユウスケとヘイタはぎくりとしたが、フーディンの大家は彼女の声が聞こえなかったようであった。そのまま階段を指差し、上がって行くようにと告げて、土いじりに戻ってしまったからだ。
「あー、ビビった」
「バレなくてよかったあ」
 土埃の多い階段をのぼりながらユウスケが胸をなでおろす。ヘイタは汗びっしょりだ。しかしふたりとは逆にユメコの喜びようといったら。

]  ゆめこ! ゆめこ!

 ふたりの頭上をふわふわ飛び回りながらはしゃぐユメコ。自分の名前を呼ばれたから嬉しがっているのかと、ヘイタが問うてみれば、ぷんぷん怒ったユメコが返事をする。

 ちがうもん。ユメコはゆめこのおともだちだもん! ゆめこはユメコといっしょにいたんだもん、ずーっと!

 ユメコはゆめこのおともだち。ということは、ユメコの持ち主は「ゆめこ」という名前なのだろうか。さっき話をした大家も、「ユメコという名の女子大生」がいると言っていたし……。
 二階に到着したところで、ヘイタとユウスケはハッとした。その女子大生がどの部屋に住んでいるのか、大家に聞くのをすっかり忘れていたのだ。
 とりあえず、廊下に並ぶドアの表札を見て、「ユメコ」という名が無いか確かめていく。しかし防犯上、名字は書いても名前までは書かないようで、どのドアの表札も名字のみとなっている。ユウスケとヘイタは、最後のドアの表札を見た後、顔を見合わせて盛大にため息をついた。
「ユメコってひとがどの部屋に住んでるか、これじゃー全然わからないな。どうする?」
「どうするったってよお。戻って大家に聞くか」
「えー、また聞きに行って大丈夫かな? ストーカーとか思われたりしないかな?」
「だってユメコってのは名前だろう? だったらさ、なんちゃらユメコっていうやつがどの部屋にいるかを聞けばいいんだよ! 二階にいるってことはもうわかってんだしさ」
「……それもそうだね。インターホン押しまくって不審者扱いされるよりはいいかも」
 ふたりが早速回れ右したところで、ユメコはぷんぷん怒りながら体当たりを喰らわせてくる。

 はやく、はやく!

「じゃあお前が、そのユメコってのがどの部屋に住んでたのか教えろよ!」
 ヘイタが怒鳴ったところで、ユメコがくるりと後ろを振り返る。そして叫ぶ。

 ゆめこ! ゆめこだ!

 えっ、と驚きの声をあげて、ユウスケとヘイタは後ろを振り返った。
 一体いつのまにあらわれたのか、そこにいたのはひとりのゴチミル。野菜類がはいったビニール袋を片手に下げて、もう片方の手には大きなカバンを持っている。
 数秒、気まずい沈黙がおとずれる。しかし、興奮しているユメコだけは、ゆめこゆめこと繰り返しながら、ゴチミルの周りを飛びまわっている。
 ユウスケはぬいぐるみを持ったまま、ゴチミルに問うた。
「あの、えっと、すいませんけど、ここにユメコさんて名前のひとが住んでるって聞いたのですが」
「わたしですけど」
 ゴチミルは明らかに警戒している。それはそうだろう。おそらく互いに面識のない男女が中古マンションの廊下で向き合っているのだ。自分を訪ねて来たという男ふたりを前にして、ゴチミルはちょっと後ずさりして、階段のほうに下がろうとしているようだ。
「ええっとですね、ユメコさん?」
 ユウスケは、ぬいぐるみを突き出した。
「これ、あなたのですよね? 住所書いてあったから、持ってきたんですが……」

 ゆめこ、ユメコだよ!

 あっけにとられるゴチミルの頭上で、ユメコがぐるぐると円を描いてとびまわっている。しかしその声も姿も、ゴチミルにはわからないようだ。しかしユメコの反応から見て、このゴチミルがぬいぐるみの持ち主であることに間違いはなさそうだ。当時、持ち主はまだゴチムだったろうに、よく見分けられたものだとヘイタは内心感心する。一方で、あっけにとられたゴチミルは、ぼろぼろのぬいぐるみとユウスケたちを交互に見る。
「なに、そのボロい……」
 その言いかけの言葉に、ユメコは反応した。

 ぼろい! ひどい! ゆめこ、ユメコわすれたの!?

 忘れたの、と責めるユメコだが、幼い時にかわいがっていたとはいえ、時間がそれなりに経過している以上、ユメコがその存在を忘れられていても何ら不思議ではない。成長の過程で、子供は大抵こういったおもちゃを卒業してしまう。卒業後はそのおもちゃを押入れなどにつっこんだまま、忘れてしまうことが多い。だから目の前のゴチミルが怪訝そうな顔をしたのも当然だ。彼女は、きっとユメコのことを忘れてしまっている。
 ゴチミルの反応に、半ば期待を、半ばあきらめを抱いているユウスケとヘイタ。しかしユメコだけはぐるぐると飛び回りながらも、何とかゴチミルに思い出させようと必死だ。ひたすら体当たりを繰り返すも、ゴチミルの体をすり抜けてしまう。
 そんなユメコの無駄な努力なんていっこうに気付かないままで、ゴチミルはじっとぬいぐるみを凝視した。
「……」
 それこそ穴が開きそうなほど熱心な凝視なので、ぬいぐるみを持っているユウスケはその視線に射抜かれるのではないかと勘違いしたほどだった。やがてゴチミルは、視線をユウスケとヘイタに戻した。
「うーん。覚えがあるような、ないような……」
 その言葉を聞いて、ユウスケとヘイタは同時に顔を輝かせる。もしかしたらユメコのことを思い出してくれるのでは。そんな希望が頭をもたげる。
 ふたりの期待をよそに、おんぼろのぬいぐるみをじっと見つめていたゴチミルは、ようやっと顔をあげた。
「悪いけど、こんなぼろぼろの古いぬいぐるみなんて要らない!」


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