第4話
眩しい光に目をくらまされ、しばし立ち止まった。やがて目のくらみが治まると、改めて周りを見た。
「わあ」
レディアンは驚きの声を出した。
目の前に広がる光景。それは、ポケモン渓谷では決して見ることの出来ないものだった。
何もかもが、水晶でできた世界。赤い水晶の門があり、その向こうには、何もかもが水晶で作られた草原が広がっていた。草も、道も、花も、石も、木も、何もかもが、美しい水晶で出来ていた。
「すごいなあ」
カポエラーは目を丸くした。だが、水晶のせいなのか、目がチカチカするような感覚を憶えた。
空だけは、唯一本物のように見えた。だがその空には太陽が無い。その代わりオーロラがかかっている。水色と薄い緑色を混ぜたような、奇妙な色のオーロラ。そのオーロラからの光が水晶に届き、水晶がその光を反射してあたりを明るくしていた。
「何でもかんでも水晶で出来てるのね」
プクリンは、足元の水晶の花に触ってみる。カチカチだ。つみとろうとしたが、固くて取れない。地面にしっかりと埋まっているのだ。
「こんな場所がこんな谷底にあったなんて、信じられないなあ」
水晶の地面にうつる自分の顔を眺めながら、カポエラーは呟いた。
「でも、固いねえ。木の実だって水晶だし、食べられないよ。いてて」
レディアンは、クラボの木から実をもぎ取ろうとしたが、取れない。固く引っ付いているのだ。そのため、枝についたままでかじってみたのだが、あいにく水晶で出来ているため、かじれない。歯を痛めただけに終わった。
「何もかも、水晶だもんね」
そこらへんの小石を蹴ってみるが、これも水晶。小石よりは痛くないが、冷たい。
「ここって、一体どんな場所なの?」
プクリンは、岩と思しい水晶の上に腰掛ける。冷たい。
「あの赤い水晶球と、この場所と、何か関係あるのかな」
わからない。あの水晶球は、結局置いてきてしまったのだ。
赤い水晶だらけの谷底を歩き、たどり着いたこの場所は、何もかもが水晶で作られている。この場所は一体……。
奥には何があるのかと、歩いていく。水晶の道は、歩くたびにパキパキと音を立てたが、幸い、ひび割れたというわけではなかった。
「ぼく、この場所が好きになれそうにない」
レディアンはぼそっと言った。
「だってさ、何もかも水晶だよ? 目が痛いし、何だか寒気がするし、何もかもが作られてる世界なんて、馴染めそうにないよ」
馴染みたくてここにいるわけではない。これは皆わかっていることだ。だが、ここを進まなければ、地上へ出る出口を探す事もできないのだ。
しばらく、皆、黙って進んでいった。これ以上、口を開いて話す気分にはなれなかったのだ。
空のオーロラは、赤くなったり青くなったりを繰り返し、規則的に色を変えていったが、誰もそれに目を留めなかった。
数時間は歩いただろうか。また疲れてきた。
「ねー、休もうよ」
プクリンが足を止める。いつもは立ったままの両耳が、横に垂れてしまっている。
「そうだね」
カポエラーもレディアンも、疲れていた。歩けど歩けど、水晶で出来た草原と道が続くばかりで、何も見えてこないのだ。
道の傍らに、ちょうどいい大きさの、ひらべったい岩の形をした水晶の塊があったので、皆、そこへ腰掛ける。
しばらく誰も口を利かなかった。
「おなかすいたね」
プクリンがぼそっと呟いた。羽を畳んだレディアンは、こっくりと頷いた。
「あーあー」
カポエラーは、岩の形の水晶の上に、仰向けに寝そべった。
「行けども行けども、どこにもたどり着けないなんて。ここってポケモン渓谷より広いのかなあ。ま、渓谷を隅々まで歩いたわけじゃないから、正確な広さは知らないけどね」
「でも変よね」
プクリンが口を開いた。
「どうして、こんな谷底に、こんな水晶の世界があるの? ここって本当に崖の下? 実は変な世界へ入り込んじゃったとか」
「もう既に入り込んでるよ、ぼくら」
レディアンは瞬きした。
「あの真っ赤な水晶の次は、何もかもが透明な水晶で作られた世界……。頭がこんがらがってきたよ、本当に、もう!」
「怒っても何もならないよ、おなかが減るだけさ」
カポエラーはレディアンをなだめる。カポエラー自身、空腹なのをこらえている。
「あーあ。ズリの実食べたいなあ」
頭の中に、たわわにズリの実をつけた木が思い浮かんできた。木の実が一つ落ちてきて、額にポトンと――
「いたっ」
カポエラーの額に、何かが落ちてきた。慌てて起き上がり、額に当たったものを見る。
ズリの実だ。
「えっ?」
カポエラーも、レディアンも、プクリンも、どこからか落ちてきたズリの実を、皿のごとく見開いた目で、見つめた。
「どこから、ズリの実が?」
かじってみると、それは、本物のズリの実だった。水晶で作られた、偽物ではない。本物の木の実だ。
「ねえ、どうやって出したんだよ?」
レディアンが問う。カポエラーは、かじりかけの木の実を見つめたまま、首を振る。
「わかんないよ。ズリの実食べたいって思っていたら、急に落ちてきて――」
言われて、プクリンは頭の中に、ナナの実が実った木を思い浮かべる。その枝が木の実の重さに耐えられずに落ちてくるのを想像してみた。
突如空中に大きな枝が出現し、プクリンめがけて落ちてきた。
「わあああああああ!」
皆、仰天して慌ててその場から離れる。ナナの実のついた大きな枝は、豊富に実をつけたまま、水晶の地面の上にドサリと落ちた。
「……」
皆、そっと近づいてみた。そして、恐る恐る触ってみる。
ナナの実をつけた、木の枝だった。
「ほ、本物みたい……」
「だね……」
落下の衝撃で潰れたらしいナナの実の匂いが満ち溢れてきた。
「不思議だね」
ナナの実をほお張りながら、レディアンは言った。
「頭の中で想像した物が、目の前に現れるなんて。それに本物だし」
「どうでもいいじゃない、そんな事」
プクリンはそんな事より、ナナの実を腹いっぱい食べられる事に満足している。
「美味しいね、渓谷の木の実と同じくらいかも」
「というより、渓谷の木の実と同じ味だよ、これ」
カポエラーはサクサクとナナの実の皮をむいた。
「だってさ、こんな風にナナの実が実るのは、世界広しといえどポケモン渓谷しかないって、物識り博士が言っていたんだ」
ナナの実の皮をむくと、その中には、いくつかの種がある。実際、ナナの実に複数の種があるのは、ポケモン渓谷だけと言っても良い。ほかの場所で生えるナナの木の実には、種はあるが、一つだけなのだ。複数の種があるナナの実が自生する場所は、ポケモン渓谷しかない。
「ホントだね。じゃあここは、ポケモン渓谷の、中、なんだよね?」
レディアンは羽を広げる。カポエラーは首をかしげた。
「崖下にいることは間違いないけど、渓谷の中かどうかは、わかんない」
空では、青いオーロラが、ゆっくりと黄色に変わっていった。
腹いっぱい木の実を食べた後、食休みをしていた。
「あー、満腹」
プクリンは短い手で腹をさすりながら、岩の上に寝転んだ。レディアンは腹ばいになっている。その方が羽を楽に広げられるのだ。
カポエラーは、実の全部食べられた後のナナの枝を持ち上げ、それを空中へ放り投げて跳び蹴りを放つ。一撃で、枝は木っ端微塵に砕かれ、パラパラと木屑が落ちてゆく。
「本物の木の感触だな」
木屑を拾い上げ、カポエラーは呟いた。間違いない。これは、正真正銘の、木だ。蹴りの特訓のために渓谷の岩や木を毎日蹴り砕いてきたカポエラーには、よく分かる。
「でも、こんな水晶だらけの世界で、本物の木の枝や木の実がどこから現れたんだろう?」
「さあねえ」
レディアンは腹ばいになるついでに足を伸ばす。飛びっぱなしで疲れているのだ。脚と羽を伸ばして、食休み中に体力を回復しようとしているのだ。
「でも、おなかいっぱい食べられたんだから、いいじゃないか」
「そうだけどさ」
カポエラーは納得行かない顔である。確かに、腹いっぱい木の実を食べられて、胃袋は満足している。だが、カポエラーの頭の中では納得が行かないままなのだ。考えたものが目の前に現れて、なおかつそれは水晶ではなく本物。何もかもが水晶で作られているこの世界で、一体何処から木の実が出現したのだろうか。
わからない。
空では、黄色い光を放っているオーロラが、ゆっくりと赤く変わっていった。
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