第6話



 プクリンがその長い耳をぴくぴく動かし始めた。
「聞こえる、聞こえるわ!」
 プクリンは、駆け出した。カポエラーとレディアンは、慌てて後を追った。
「どこ行くの!」
 しかしプクリンは答えない。水晶のオブジェへ向かって走る。オブジェに体当たりでもするつもりだろうか。このまま走ればプクリンがオブジェに激突するかもしれないと、カポエラーが思った瞬間、レディアンがとっさにプクリンに向けてリフレクターを発動させた。
 同時に、オブジェが光を放った。目が眩む眩しい光だ。
「こっちへ来てくれって、言ってるわ!」
 プクリンは、オブジェの前で立ち止まった。ぶつかると思ってリフレクターを発動させたレディアンは、今は光の眩しさで目が眩み、動けない。カポエラーはとっさに目を閉じたので、目は眩まなかった。
 オブジェの光が弱くなり、続いて虹色に輝いた。
「!」
 光が伸びてきたと思った瞬間、光はその眩しい腕でもって、彼らを捕えた。そして、抵抗する暇も与えず、そのままオブジェの中へと引きずり込んだ。

 目を覚ましたのは、それからどれくらい経ったのか。
 カポエラーは、まず、ぼんやりとした景色に対して徐々に焦点が合っていくことを知覚する。はっきりと見えてきた景色。冷たい場所に横たわっている。今まで彼らが歩いてきた水晶の道のように冷たい場所。
 起き上がる。少し頭が痛い。頭痛をこらえて周囲を見渡すと、ここは、薄暗い、水晶で出来た場所だった。側に、レディアンとプクリンが横たわっている。まだ意識が戻っていないようだ。
 部屋の中を、もっとよく見回してみる。狭い場所。四角くて、出口が無い。ただあるものといえば、水晶で作られている岩。テーブルと椅子の役目なのか、でこぼこしておらず、平べったい。
 カポエラーは、ここがどこなのかもわからなかったが、とりあえずレディアンとプクリンを揺すって起こした。
「ほら、おきてよ」
 揺すっていると、ほどなく目を覚ます。そして、カポエラーがやった事と同じ事をした。この場所を見渡し、続いて、詳細に観察をする。
「ここどこ?」
 羽を広げ、レディアンは聞く。しかしカポエラーは知らない。
「わかんないよ」
 この場所には明かりとなるものが無い。しかし、この場所自体が光を放っており、周りを見ることは出来る。
「ここって、あのオブジェの中なのかな?」
 口に出すものの、カポエラーは確信できない。水晶で作られた場所であることは理解できているが、オブジェの中なのか、あるいはほかの場所なのかはわからない。
「そうみたいよ」
 答えたのはプクリン。また耳がぴくぴく動いている。
「だって、聞こえてくるもの」
「何が」
「何がって、この場所の声が聞こえてくるのよ」
 プクリンは、またぴくぴく耳を動かした。
「うーん。『ようこそ、わたしの大切なお客様』だって」
「お客様?」
 レディアンは仰天し、天井に頭をぶつけた。
「こんな所にいれといて、お客様も何もあったもんじゃないよ、全く!」
 すると、レディアンの言葉に応えるかのように、この水晶の部屋の壁が一箇所、消失した。先には、道が伸びている。
「うーん。『こっちへ来てください』だって」
 プクリンの言葉。
 カポエラーは立ち上がって背伸びをした。
「行ってみようよ」
 レディアンはまた仰天して、天井に頭をぶつけた。
「行ってみようったって、この先に何があるかわからないじゃないか」
「でも、ここにずっといるよりは、いいんじゃない? 僕は狭いの好きじゃないし」
 カポエラーは、歩き出す。プクリンはそれについていく。レディアンはしばらくぶつぶつと口の中で呟いたが、やがて後を追ってきた。ここにいても何もならないと考えたからだ。

 道は長かった。一時間は歩いたのではないかと思われるくらい、歩いていた。時々休憩し、また歩き続けた。疲れていたし、眠たかった。
「ふあ〜」
 飛びながら、レディアンは欠伸した。もう、とうの昔に寝ている頃なのだ。飛んでいる軌道がふらついている。眠いのと、疲れているのとで、真っ直ぐに飛べないようだ。
 プクリンも疲れている。両耳がへたれて、歩幅が小さくなっている。カポエラーは普段の修行のおかげで、まだそんなに疲れてはいない。しかし、このまま歩き続けていれば、そのうちレディアンもプクリンも疲れに負けて倒れてしまうかもしれない。
「どうしよう……休む場所なんかないし」
 すると、カポエラーの立っている道の壁がぼこりと抉れ、小さな部屋が出来上がる。その小さな部屋の中には、柔らかそうな落ち葉がたくさん敷き詰められていた。
 プクリンの耳が、ぴくぴくと動いた。
「うんとね、『ここで休んでください』って」
 レディアンは早くも、その言葉に甘えるかのように、落ち葉の上に転がる。
「うわー、柔らかいよ。ここ」
 プクリンも乗ってみる。そして、落ち葉をサカサカと短い腕でかき回してみた。
「ほんとね。柔らかいわ」
 カポエラーも、落ち葉の上に寝転がる。柔らかな、渓谷の木々のにおいがした。
「じゃ、ちょっと休もうか。それから出発――」
 言葉を言い終わる前に、まぶたが下りてきた。

 どのくらい眠っていたのか。
 目を開けると、また、水晶の通路が目の前に延びていた。
 寝ぼけ眼をこすりながら、周りを見回すと、レディアンとプクリンはまだ夢の中のようだった。昨日、あれだけ歩いたのだ。疲れきって熟睡している。
 カポエラーは、そっと落ち葉から身を起こした。眼が覚めるにつれ、昨日の出来事を思い出していく。緋色の水晶球が、渓谷の谷底に落下。その谷底には、水晶球と同じ緋色の水晶。緋色の谷底を進んでいくと、突然、冷たい不思議な水晶の世界が広がった。頭の中で思い浮かべたものが出現する、どこまでも続く不思議な水晶の世界。やっとたどり着いた巨大な水晶のオブジェ。そのオブジェから伸びてきた光の腕にからめ取られ、今いるこの不思議な場所にいた。
 欠伸をして、小部屋から出る。
「あれ?」
 カポエラーは思わず目を見張った。
 今まで歩いてきた通路が、新しい壁によってふさがれていた。
「あれ? あれ?」
 カポエラーは仰天し、新しい壁をぺちぺち叩いてみる。しかし、水晶の壁はびくともしない。顔をくっつけて壁の向こうを覗いてみたが、どう見ても、水晶の壁の向こうには闇しかない。道が消えうせてしまったようにしか見えなかった。
「どうしたの〜」
 カポエラーが壁を叩いた音で目を覚ましたのだろう、レディアンが寝ぼけ眼のまま、ふらふらと飛んできた。
「どうしたもこうしたもないよ」
 カポエラーはレディアンの方を見た。
「来た道が、消えたんだ!」
「えっ」
 レディアンは、カポエラーの言葉に、最初は仰天した。しかし、今まで歩いてきた道が水晶の壁によってふさがれ、なおかつその壁の向こうにあるはずの道が消えて、後は闇ばかりが広がっているのを見ると、ますます仰天した。
「ど、ど、どうなってんのさこれ!」
「知らないよ!」
 言い合っていると、プクリンの声が聞こえた。
「ねー、あさごはん、食べようよ」
 両手にモモンの実を抱えたプクリンが、姿を現す。既に実を食べている最中なのか、甘いにおいが周囲に漂う。
「どうしたの」
 口をもぐもぐさせながら、プクリンは問うた。カポエラーとレディアンは同時に振り向き、プクリンに言った。
『道が、消えちゃったんだよ!』
 が、プクリンは驚かなかった。相変わらず、モモンの実をもぐもぐと食べながら、「ふーん」と言っただけ。
「あの夢の言葉は本当だったのね」

 夢の言葉?

 カポエラーとレディアンは、ぽかんと口を開けた。

「夢の中でね。わたし不思議なモノに会ったの」
 通路の脇に出来た小部屋の中で、山のように積まれたモモンの実を食べながら、プクリンの話を聞く。
「それ、ポケモンでも人間でもないみたいな、何と言ったらいいかわかんないけど、とにかく不思議なモノが、わたしの前にいたの」
 プクリンは耳を動かす。
「光をまとっていて、不思議な雰囲気で――話しかけてきたの。『前に進んで、こっちへ来てください』って」
「前へ進めって?」
「うん。『来た道は塞がなければなりません』って」
 カポエラーとレディアンは顔を見合わせた。
「でも、何のために道を塞いだんだろう?」
 レディアンは羽を広げ、畳んで、モモンの実を新しくほお張った。
 プクリンは耳を動かしながら、首を振る。
「わかんない。教えてくれなかったわ」
「でもさ」
 モモンの実をもぐもぐと食べながら、カポエラーが口を開いた。
「今までに来た道がふさがれているんだ。もどって欲しくないんだよ。前に進んで欲しいんだよ。少なくとも、後ろにもどっても出口にたどり着けるとは思わないよ、僕は」
 小部屋からスタートし、今の場所に至っているのだ。あの小部屋がスタート地点なのだ。出入り口など無かった。
「前に進むしか、ないんだよ」
 カポエラーは、モモンの実を呑み込み、呟いた。


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