第9話



 クレセリアは体のあちこちに怪我をしていた。引っ掻き傷や、何かで打ったらしいあざが多い。川に流されていたのだろうか。
 クレセリアを川から引っ張り上げた後、薬草や、オボンの木の葉を探す。幸い、周りの偵察をしてきたレディアンがオボンの木の場所を見つけていたので、レディアンに大きめの枝を折ってきてもらい、枝から葉をむしりとって、草地に布団のように敷く。オボンの実をすりつぶし、クレセリアの傷口にすり込む。ある程度時間が経ったら、また新しくオボンの実をすりつぶして傷口にすり込む。
 数時間、つきっきりで手当した甲斐があり、夕方近くになってクレセリアの容態は良くなってきた。普通のポケモンの数倍もの速さで回復しているのだ。
「いや、よかった。これなら、大丈夫だよ。今夜中には完治すると思う」
 カポエラーは額の汗を拭った。プクリンは耳を垂らして深呼吸し、その場で座り込んだ。レディアンは飛ぶのをやめ、羽を休めるために草地に座った。
「とにかく、疲れた〜」
「そうだねー。でも、誰か見ていなくちゃならないわね」
 プクリンは、草の上にころんと寝転がる。言葉に反して、疲れた自分は見ていたくないようだ。
「そうだね、僕が見るよ」
 カポエラーは言った。昼寝である程度疲れは取れているとはいえ、本当はちゃんと休みたいのだ。だが、クレセリアをほっておくわけにもいかない。眠っている間に、クレセリアの容態が悪くなったり、どこかへ去ってしまうかもしれないからだ。
 カポエラーの言葉に甘えるつもりか、レディアンはもう寝息を立てている。先ほどまで座っていたと思ったら。だが、この場所へ来てから、レディアンは周囲の偵察のために飛びっぱなしであった上、クレセリアの手当をするためにあちこちからオボンの木の枝を折ってきてもらったのだ。カポエラーやプクリンよりも疲れていて当然だろう。
 夕暮れの後、夜の帳があっという間に下りてきた。プクリンはうつらうつらしていたが、そのうち眠ってしまった。カポエラーは起きていたが、それでも、眠かった。欠伸を繰り返しながら、時折クレセリアを見る。眠っているようだ。
 寝転んで、空の星を数える。見たことのある星座もあれば、初めて見る星座もある。
「ここは一体どこなんだろうなあ」
 カポエラーは大きな欠伸を一つした。

 いつの間にか、眠っていたようだった。
 目を開けると、近くの茂みから朝露がこぼれ、顔に当たる。慌てて手で顔をこする。
 朝の柔らかな日差しが、辺りを照らしている。
 カポエラーは飛び起きた。うっかり眠ってしまったのだ。
 周りを見る。
 プクリンとレディアンは、まだ眠っている。
「クレセリアは……?」
 首を回す。そして、ほっと息を吐いた。
 クレセリアはいた。傷も治り、落ち着いているようだ。疲れて眠っているらしい。
 やがて、プクリンもレディアンも目を覚ます。ここがどこなのかとしばし周囲を見渡していたが、すぐに状況を把握した。朝一番に、レディアンはオレンの木の枝を折って来た。たくさんの実がついている。ほどよく熟した木の実を詰め込みながら、皆、話した。
「早く帰りたいよお」
 早くもホームシックにかかったプクリン。帰りたいのはカポエラーもレディアンも同じ気持ちだ。だが、この森がポケモン渓谷のどこかなのか、あるいは全く違う場所なのか、それすらわからない。せめてポケモン渓谷の森であるならば、日々空を飛んで散歩しているレディアンがすぐに道を見つけることが出来る。しかし、偵察したレディアンは、この場所をポケモン渓谷の森とは違うといった。
 では、一体何処なのだろうか。
「ここがどこかわかりさえすれば、道は見つかると思うんだけどなあ」
 カポエラーはためいきをついた。
「ところで」
 レディアンは、口に入れたばかりの実をごくんと飲み込んで、クレセリアへ視線を向ける。
「まだ目を覚まさない?」
「そうみたい。たぶん、よっぽど消耗しているんだよ」
 カポエラーは木の実をいくつか枝から取り分ける。自分が食べるのではなく、後でクレセリアに食べてもらうつもりのようだ。クレセリアはまだ目を開けない。ちゃんと呼吸をしていることはわかるので、死んでいるわけではない。
「とにかく、食べたら、もう一度辺りを見てみようよ」

 今度は、カポエラーが木に登った。なるべく高い木を選んで、てっぺんまでよじ登り、周囲を見渡す。太陽が昇っており、綺麗な青空が広がっている。
「ここってどこなのかな」
 見渡せども、見覚えのある景色は目に入らない。森が広がり、奥には山がある。それだけ。滝も、崖も、何も見えない。無数の木々が目に入るだけ。
 プクリンが、カポエラーを呼ぶ。カポエラーは、木の枝からそのまま飛び降りて、着地した。
「なあに?」
「あのね、クレセリアが目を覚ましたのよ! 来て来て!」
 プクリンはカポエラーを引っ張る。
 クレセリアは、目を開けていた。駆けてきたプクリンとカポエラーを見る。レディアンは、新しいオボンの枝を折りに行っているので、ここにはいない。
「大丈夫?」
 プクリンが聞くと、クレセリアは頷いた。
「貴方達が手当をしてくれたのですね。ありがとう」
 話をするだけの体力は戻っているようだ。
 レディアンがちょうどオボンの枝を抱えて戻ってきたので、葉をむしり、実をちぎってすりつぶしては、クレセリアの傷口にすり込む。クレセリアの傷は治っているが、体力が戻っていないので、今回すりこんだのは、物識り博士秘伝のオボンの特効薬だ。クレセリアの回復力ならば、半日もすれば体調は戻ってくるだろう。
 カポエラーは、薬をすりこんでから、クレセリアに問うた。
「ねえ、ここ、どこだかわかる?」
 クレセリアは、首を左右にゆっくりと振って周りの景色を見る。そして、しばらく考えた。
「……知っています」
 その答えに、皆の顔が驚愕に変わる。
「この森は、貴方達の故郷である渓谷から離れたところにある森。人間世界との境界にあたる場所です」
「人間世界との境界線だって?」
 レディアンが仰天して飛ぶ。クレセリアは否定しない。
「ポケモン渓谷がかつて水晶の世界とつながっていたように、ポケモン渓谷もまた人間の世界とつながっているのです。その境界線がこの森。私が聞いた頃と同じ姿をとどめているのですね。もし昔の話どおりの姿をとどめている森ならば、境界線を東へ向かえば、渓谷の崖が見えてくるはず。崖を越えれば人間世界、崖に沿って歩けば渓谷につけるのですよ」

「帰れるとは言ったものの」
 プクリンは溜息をついた。
「結構、遠いね」
「この森が広いんだね」
 カポエラーは額の汗を拭う。
「ねえ、ちょっと休憩しない?」
 レディアンの言葉に、カポエラーもプクリンも賛同した。
 なぜって、皆そろって、体調の万全でないクレセリアを、間に合わせの神輿に乗せて運んでいるのだから。ずっと運びっぱなしなのは、流石に重い。いくら修行で体力のあるカポエラーでも、疲れる。枝を組み合わせて作った神輿を草地に下ろすと、皆、ふう〜っと息を吐いてその場にへたり込んだ。
「ごめんなさい。私の体力が戻っていないばかりに――」
 どこかしょげた顔のクレセリアに、カポエラーは首を振った。
「いいのいいの」
「ところでさ」
 レディアンがクレセリアに言った。
「あの水晶の世界、どうなっちゃったの? あんたがそこに『いる』ってことは、たぶんまだあの世界は存在してるって事なんだろうけどさ」
 歯に衣着せぬ物言いであったが、クレセリアは嫌な顔ひとつせず、答えた。
「あの世界を維持しようとする私の意志は一度途絶えました。私が存在している限りは、まだ辛うじて残っているかもしれませんが、今の私には確かめようがありません。あの世界への扉を開く緋色の水晶がどこにもないのだから――」
 プクリンは耳をぴくぴく動かしながら話を聞いていた。くりくりした前髪をいじるが、今度は何も落ちてこなかった。前髪についていた水晶のかけらは、一つきりだったのだ。
「まあとりあえず、渓谷へ帰るのが先決だよ。緋色の水晶は崖下にたくさん転がってたんだから、渓谷へ帰ったら、取りに降りればいいじゃない」
 レディアンは、羽を畳んで、草の上にころんと寝転がった。神輿かつぎをしていたのと、飛んでいたのとで、余計に疲れているのだ。
 しばらく休んで体力が戻ってくると、また神輿をかついで、東へ向かって歩き出した。時々方角がわからなくなると、レディアンが上空へ飛んで、太陽の向きと腹時計から方角を判断した。太陽が南に昇っている昼間は、皆、休憩した。真南にある間は、方角を見失うとどちらへ動けばいいかわからなくなる。木の実を腹に詰め込み、昼寝をして体力を蓄える。太陽が少し西へ傾き始めてから皆起き出し、また神輿を担いで歩き始めた。クレセリアの体力は少しずつ戻っているようだったが、それでも、体調は万全とはいえなかった。
 夕日が森を赤く染める頃。周囲の方角の確認ついでに何か木の実でも探そうかと、レディアンが森の上空高くに飛んできた。
「さーて、ここらへんは、と」
 オレンジの太陽を背にして、レディアンは森を見回す。相変わらず木々の海が続いている。どうせまだ渓谷は遠いのだろうと思い、何気なく、少し北側に目をやる。
「!」
 見間違いかと思い、一度目を閉じる。それから、また目を開けて、その方角へ目を凝らす。森の木の中に、ひときわ高い木が何本か並んでいる。あれは――
「渓谷の崖の木だ!」
 レディアンは大喜びで、思わずくるりと宙返りした。そして喜び勇んで、高速で降りてきた。待っているカポエラーとプクリンに、言った。
「渓谷の崖の木が見えたよ! 渓谷はすぐそこだ!」


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