最終話
「渓谷は、すぐそこにある! 崖にしか生えないあの目印の木があるんだ!」
レディアンの言葉で励まされた皆は、飛び上がって喜んだ。
「渓谷だ! 帰ってきたんだ!」
疲れも吹き飛んでしまい、プクリンもカポエラーも喜んで神輿を担ぐ。クレセリアはその際に少しよろめいたが、すぐに姿勢を直した。
渓谷の崖にしか生えない木。レディアンの案内に従って、すこしよろけながらも進む。早足で歩いた結果、月が夜空を明るく照らす頃、皆は、渓谷の崖に着いた。
「やったー! この崖さえ越えればポケモン渓谷だ!」
カポエラーは飛び跳ねた。プクリンはほっと息を吐いた。崖の向こうには、ポケモン渓谷が広がっているのだ。
「けど」
レディアンが水をさす。
「この崖、どうやって越えるつもり? ぼくは羽があるから飛んでいけるけど」
「んもう、水さすなよ。僕は大丈夫。羽はないけどさ、足で跳べばいいんだ」
「わたしは無理だよお。足短いし、落ちちゃう」
プクリンは耳を垂らしたが、カポエラーは胸を叩く。
「大丈夫だよ、僕が背負って跳ぶからさ」
「それもいいけど――」
レディアンの視線の先を見る。
間に合わせの神輿に乗ったクレセリア。
「あ」
皆の口から同時に同じ言葉が漏れた。プクリンよりも体の大きなクレセリア。カポエラーが背負うにしても、レディアンが引っ張るにしても、大きすぎる。
「ど、どうしよう……」
「ううう」
皆、悩んだ。
「ああ、私に体力のないせいで、またしても足止めを――」
「駄目だよ。そんな悲観的なこと言っちゃ」
クレセリアの言葉を、カポエラーは遮る。
崖の広さはおよそ十メートル。飛べるレディアンや、並外れて脚力の強いカポエラーならば楽に飛び越せる。しかし、翼のないプクリンや、体力が戻りきらないクレセリアはどうだろうか?
「何か方法があるといいんだけどなあ」
一足先にレディアンに崖向こうに飛んでもらい、皆を呼んできてもらうという手もある。念力を使えるエスパー系のポケモンや、向こう岸に生える長い大木をへし折って橋にしてしまえる格闘系のポケモンの助力も考えられる。しかし、この時間帯。もう皆眠っている頃だ。
「うううん」
皆、悩みに悩んだ。時間はどんどん過ぎていくばかりだった。月は真南に昇り、やがて傾き始める。
月の光が、崖向こうの木の葉に当たり、夜の露にあたって、キラキラと光るのが見える。そのキラキラした光を目にしたカポエラーは一計を思いついた。
「そうだ!」
それから十分後。
「これでいーい?」
崖の向こう岸で、レディアンは大声でカポエラーたちに尋ねる。カポエラーはクレセリアを背負って、もういいよー! と怒鳴って返事する。
目の前には、リフレクターの橋が出来ていた。
「これなら大丈夫ね」
プクリンがまず、小走りにリフレクターの橋を渡る。無事に着けると、カポエラーに耳をぱたぱた振って示した。レディアンは、ほっと息を吐いて、草地に座る。
しかし、十メートルもの崖の幅に合わせてリフレクターを作り出す労力は並大抵の事ではない。おまけに、レディアンは巨大なリフレクターを一気に作り出した事で、かなり疲れている。そのため、リフレクターを持続させる時間が通常よりもはるかに短い。ぐずぐずしてはいられない。さっさと渡らねば。
「じゃ、行くよ」
カポエラーは少し姿勢を低くすると、リフレクターの橋を駆け出した。クレセリアという荷物を背負っているため、普段よりも足が遅くなるのは仕方ないが、それでも精一杯走る。
「あっ」
レディアンが声を上げる。リフレクターの橋が、少しずつ、両端から消え始めたのだ。
「えええっ」
カポエラーは仰天した。まだ半分しか渡っていない。だが、リフレクターは容赦なく消え始める。レディアンはもうリフレクターを持続させるほどの力は残っていない。新しく作り直してもらう事も、今のリフレクターを持続させてもらう事も出来ない。
リフレクターの消える速度が速くなる。カポエラーの焦りも増す。だが、あと三十センチ足らずでカポエラーの足元までが消えるという時、カポエラーは、跳んだ。
カポエラーの跳躍と同時に、残っていた最後のリフレクターが、消滅した。
草地に着地するカポエラー。クレセリアを背負ったままなので、少し足が痛そうだ。
「や、やった……」
カポエラーはひきつった笑いのあと、草地に倒れこんでしまった。
「ああ、怖かった……」
朝日が渓谷を照らす頃、カポエラーたちは、ポケモン渓谷の物識り博士のもとへたどり着いた。その頃には、色々なポケモンが起きだしていて、川で顔を洗ったり、朝食の木の実を集めていたりしたが、カポエラーたちの姿を見ると一斉に取り囲んで、何処行ってたの、そのポケモン誰なの、何してたのと矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。が、いちいち答えるよりも物識り博士のヨルノズクに全部話したほうが早いからと、カポエラーたちは、ポケモンたちの質問に答えず、真っ直ぐにヨルノズクのもとへとやってきた。
ヨルノズクは起き出したばかりで、モモンの実をついばみながら、ミュウと雑談をしているところだったが、カポエラーたちと、その周囲を取り囲んでものめずらしそうにクレセリアを見つめるポケモンたちを見て、仰天した。
「な、何じゃ何じゃ? この行列は一体何事じゃ?」
「ああ、おはよう。あれ?」
ミュウは、カポエラーの背負っているクレセリアの元へ飛んでいく。
「久しぶりじゃないか、クレセリア。最後に会ったのはいつだっけ?」
クレセリアは、ミュウを見た。
「ああ、ミュウ。懐かしいですね。あの世界に、最初に来てくれたのは、あなたでしたね」
カポエラーたちは話した。崖下の、緋色の水晶。クレセリアの守り続けてきた水晶の世界。壊れてしまったのか、それともまだ存在しているのかわからない水晶の世界。
ポケモンたちは話を聞きつつ、クレセリアを見つめ、半分ずつしか話を聞いていない。ヨルノズクは、話を聞き終わった後、自分の巣穴から、あの、緋色の欠片を持ってきた。
緋色の光が、辺りを照らす。
「それは!」
クレセリアが反応した。
「確かに、あの崖下にあった、門の欠片と同じもの……」
「そうなの?」
いいかげん、クレセリアを背負うのに疲れたカポエラーが首だけを後ろに回す。プクリンは耳を動かした。飛びつかれたレディアンは、地面に座ってしまっている。
ミュウは、ヨルノズクの持つ緋色の欠片を見た。
「うん。僕も見たことがあるよ、この欠片。そして、あの水晶の世界の門の役目を持っている、あの緋色の水晶と同じもの。たぶん、門の水晶が欠けてしまったんだろうね」
しかし、ミュウの言葉が終わるか終わらないかのうちに、輝いていたはずの欠片が急に輝きを失い始めた。急速に光が弱まり始める。
「ああ、力が失われる――」
クレセリアは、門を開こうとする。一瞬だけその体は輝いたが、すぐに光は消えた。
ミュウは、黙って水晶の欠片を見つめる。やがて、弱まった光はゆっくりと消えていった。
水晶の欠片は、何の光も放たなくなった。
ポケモン渓谷の崖下に散らばった、緋色の光を放つ水晶は、一つ残らず、力を失った。
門は、もう開かない。
クレセリアはがっくりとうなだれた。門が開かない以上、あの水晶の世界がどうなったのか確認する事はできないのだ。あの世界が滅びたのか、それともまだ残されているのか、それすらも確認は出来ない。
「あの水晶の寿命が、尽きてしまったんだよ」
ミュウは、静かに言った。
「だから、あの水晶の世界へ行く道は、完全に断たれてしまったんだ。それは僕の力でもどうしようもない」
「じゃあ、あの水晶の世界はどうなったのか、それも確かめようがないの?」
耳を伏せたプクリンに、ミュウは首を振った。
「無理だよ。あの水晶の力がなければ、僕でさえあの世界へ行く事はできないもの」
「ソレナラ、ダイジョウブダヨ」
どこからか声が聞こえ、空間が一部よじれて、アンノーンが落ちてくる。空間から出るのに失敗したというところか。
「ソノセカイ、ボクガミテコラレルトオモウヨ。ドコニアル?」
あ、と皆の口から同時に声が漏れる。空間を渡るアンノーンならば、水晶の力を借りずとも好きな場所に行き来できるはず。アンノーンはクレセリアの額にこつんと体を押し当てると、すぐに空間を渡っていった。
戻ってきたのは僅か二秒後。どうだったと聞く皆に、アンノーンは答えを返す。
「ナカッタ……」
その一言だけだった。
ポケモン渓谷の滝付近に、小さな洞窟がある。最近、方向音痴のディグダが掘ってしまった場所で、土木工事するのも面白そうだと考えたサイホーンが、地面を踏み固め、角や体を押し当てて周りの岩壁をゴツゴツと押し広げていった。その結果、その場所は誰かが住めそうな大きさと広さにまで広がったのである。
その洞窟の中に、様々な薬草や藁を敷き詰めると、ちゃんとした住処になる。そして、その洞窟の中に、クレセリアが住んでいた。
水晶の世界はなくなってしまった。クレセリアの力は水晶の世界を永いこと独りで支え続けた事で大部分失われてしまったが、渓谷でのんびり暮らしていれば何れ力は戻るよとミュウに言われた。クレセリアはミュウの言葉と、ポケモンたちの厚意に甘えて、この洞窟にいた。普段は眠っていたが、時には洞窟から出て月の光を浴び、月光浴をしているポケモンたちと語り合った。
水晶の世界とポケモンの世界がつながっていた頃の、楽しさと嬉しさ。いつしか道は閉ざされてクレセリアは一人ぼっちになってしまったが、今は違う。渓谷のポケモンたちが、クレセリアの周りにいてくれる。伝説のポケモンとして崇め奉るのではなく、渓谷に住む友として、クレセリアと一緒にいてくれる。
故郷はなくなってしまったが、代わりに、クレセリアはたくさんの友を得る事ができたのだった。
完
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ご愛読ありがとうございました!
今作は、幻や伝説のポケモンにつきものの、
常人にはなしえない役目を持つポケモンの話となりました。
話の後半では、誰にも代わる事のできない役目を背負うポケモンと、
どこにでもいるような普通のポケモンとの対話を重視してみました。
最後までおつきあいくださり、ありがとうございました!
連載期間:2007年1月〜2007年7月
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