第2話



 地下水路の探検が始まった。
「はしごが滑るぜ、気をつけろ」
「はしごが人間サイズで設計されてるから、アタシの足じゃ届かないよ〜」
「オレだってそうだけどさ、飛び降りればいいんだから!」
 エレキッドははしごから飛び降りて着地する。続いてパッチールが飛び降りるが、運悪く、足元のぬめりに足を取られて転んだ。
「パッチール殿、ご無事か?」
「降りただけなんだから、無事に決まってるよ! アタシこけちゃったけど」
 エルレイドが最後に降りてきた。
 下水道に降りると、光はあっという間にほとんど消え去った。マンホールの入り口から差し込む朝の光だけが、周りを弱弱しく照らしている。
「うわ、くさー」
 パッチールは目を回す。元からぐるぐるした渦巻き状の目なのだから、目が回っているのかどうかすら不明であるが。
「アタシ嫌い、このニオイ」
 パッチールは、まん丸な指先で鼻をつまんだ。
「我慢しろよ」
 そう言った直後に、エレキッドは「うえ」とうめいて舌を出した。生活排水。悪臭があたりに立ち込めている。にごった汚水が、溝を川のように流れていくのが見える。
「悪臭に耐えるのも、また試練……うううむ」
 エルレイドも、この悪臭には耐え切れないらしい。
 一度、下水道から出て、深呼吸した。そして、また下水道へと降りた。やはりくさい。しかし二回目ともなると、すぐに鼻は慣れた。
 闇に目が慣れてくると、エレキッドは言った。
「さて、どっちに行こうか」
「どっちも何も」
 パッチールは耳を動かした。
「あっちしか、行く道ないじゃないの」
 パッチールが指した方向。闇が更に広がる通路。後ろを振り返ると、格子と壁で行き止まりになっている。この水路は、ここで途切れている。
「まあ、行くしかないか」
 歩き出した。
 ザアザアと流れる汚水の音と、三匹の足音だけが、あたりにこだましている。足元はヌルヌルし、滑りやすい。滑りやすさと独特の悪臭から、ベトベターたちの散歩道だとすぐ分かる。悪臭にだいぶ慣れてきたとはいえ、まだ鼻をつままなければならないときもあった。それでも耐え切れなくなったときはマンホールを無理やり押し上げて外へ出て、休憩する。休憩が済むとまたマンホールの中へ戻って、通路を進んでいくのである。
 三回目の休憩のために、エルレイドはマンホールにいったん耳をつけ、外の物音を聞く。
「うううむ。頻繁に聞こえてくる物音は、車のエンジン音でござる。ここは道路か駐車場に設置されたマンホールでござるな。ここはあきらめねば。開けてしまえば事故が起こるやもしれぬ」
「ええ?」
 パッチールは目を回した。
「もう気持ち悪いよお」
「我慢しなよ」
 エレキッドは、ツノから静電気をパリパリと出した。エレキッドも我慢しているのだが、本当はもう限界に近い。悪臭が胸を刺激し続けている。気持ち悪くて仕方ない。たぶん、風呂敷の中の果物も下水の臭いしかしないだろう。
「もう少し歩くしかないようでござるな」
 エルレイドは耳をマンホールから離した。パッチールは耐え切れなくなったか、下水に向かって嘔吐した。連鎖反応で、エレキッドも吐いてしまった。エルレイドはそれを見ても我慢。
「忍耐……これもまた……うっ」
 幸い、嘔吐には至らなかった。

 歩き出してから、どのくらい経ったのか。何度か嘔吐を繰り返したので(胃液しか出なかったが)空腹にすらならない。腹時計も役に立たない。
 一度、エレキッドが足を滑らせて、風呂敷を下水の溝に引っ掛けた状態で下水の中に落ち、エルレイドに救出された。幸い、果物は無事だったが、代わりにエレキッドはどぶ臭くなってしまった。
「うえ〜、きしょくわりぃ」
「だ、大丈夫、エレキッド……?」
「だいじょぶだって。くさいけどさ」
「う〜む。一刻も早く出口を見つけねばならぬようでござるな」
 さらにしばらく歩いた。先頭を歩いていたパッチールは、耳を動かした。
「あっ、マンホールだ!」
 隙間から漏れ出る光で、マンホールのふただと分かる。エルレイドが、疲れた顔の二匹より先に進み出て、はしごを上り、耳をマンホールのふたにつける。しばらく物音を聞き、
「うむ。何も音がしないようでござる。大丈夫でござろ」
 うなずいたので、パッチールもエレキッドも大喜び。
 ふたを押し上げてみると、そこは、廃マンションの駐輪場。多くのビルの陰に隠れて、ひっそりとしているところだ。マンションの解体が数日後に行われるため、あたりは立ち入り禁止になっている。
「とにかく助かったね」
 エレキッドは、エルレイドに引っ張り上げられて、地上へ出た。パッチールは、足が痛くてなかなかはしごに上れなかったが、今度はエルレイドが背負って地上へ出た。
「疲れた〜あ」
 地上のコンクリートに、エレキッドはごろんと寝転んだ。パッチールはぐったりと、レンガの塊に頭を乗せる。エルレイドはマンホールの蓋を閉じた。マンホールからの悪臭は途切れた。
「ここ、どこだろ?」
 エレキッドは、空を見上げた。エルレイドは周りを見回し、空を見た。
「ふむ。出発地点から北へ、尺貫法からメートル法に換算して十キロほど離れた地点でござるな。日の傾き具合からして、時刻は昼の一時頃でござろう」
「まだ十キロかよ」
「もう十キロも歩いたの?」
 この言葉はエレキッドとパッチールの口から発せられた。片方は驚き、片方はうんざり。
「休憩ついでに、ちょっと体洗おうよ〜。べとべとして気持ち悪い」
 パッチールの意見に、エレキッドとエルレイドは賛成した。駐輪場のはずれにある、ホースと蛇口。まだ水道は通っているので、ホースから水を流してシャワー代わりにする。体のベトベトを流し、ついでに果物も洗う。水気を振るうと、体はだいぶさっぱりした。特に、下水に落ちてしまったエレキッドは念入りに体を洗ったものの、悪臭はそう簡単に取れなかった。だが、下水のにおいにだいぶ慣れてきたため、あまり気にはならなかった。
 コンクリートは、太陽の光を受けている。熱い。日が傾いたため、陰っている箇所にまで光が届いているのだ。下水道は薄ら寒かったが、ここは暖かい。
「太陽って、いいよね」
 エレキッドはつぶやいた。
 ずっと光のない下水道にはいっていたぶん、太陽の日差しは暖かくて、気持ちよかった。

 三十分以上も休憩し、再びマンホールのふたをあけて下水道へ降りた。
「さ、冒険の続きだぜ!」
「結局行くのね」
「あったりまえだろ! 冒険はこれからだぜ!」
「あ〜あ」
 エレキッドはわくわくしながら、パッチールは嫌々ながら降りた。
「ではご両人、出発でござる!」
 マンホールのふたをしめ、エルレイドは言った。
「おー!」
「お〜……」
 元気のいい返事と、元気のない返事が、下水道に響いた。


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